第5話
文字数 3,295文字
最近、どうも妙な感じがする。
思わせぶりな笑顔になったり、何かを言いかけてはやめたりして。
でも、「どうしたの」の一言が、口に出せなかった。
風来坊のように自由な人に、愛想を尽かされてしまうのが怖くて。
だって、自分ばかりが執着しているようで、悔しいじゃない。
「ごちそーさま!アンタほんとに料理うまいね」
「お口に合ってなによりです」
「大根とか、なんであんな短時間で、味しみっしみにできんの?」
「レンジで下茹でしておくんだよ」
「お、時短テク。今度オレが作るとき、使わせてもらうわ」
実はホワイトソースなんかも自作してしまう自炊男子からほめらるのは嬉しい。
好きな人に美味しく食べてもらえるって、こんなに心がホカホカするって、知らなかった。
「ほら座って。一休みしてて」
洗い物をする自炊男子が淹れてくれたコーヒーをダイニングで飲みながら、ふと目の端に映ったものに違和感を覚える。
「……新聞?」
こじんまりしたダイニングから見える隣の部屋に、読みかけらしい新聞が折りたたまれて置かれていた。
「契約してないよね。買ったの?」
「いやぁ~、うーん。……実は、さ。あの新聞、先月のなんだよね」
食器を洗い終わって振り返った自炊男子は、今日もとっても男前。
くっきりした二重。鼻筋が通っていて、少し厚めの唇が男らしくて。
イケメンやハンサムというより、男前という表現がぴったりの人。
「これでオレ、もう少し背が高かったらムチャモテだと思わねぇ?」
「自分で言っちゃうか、それ」
「顔について悪く言われたことってないし」
「はぁそうですか。そういうトコが原因でモテないのでは?」
「モテなくはないよ?オレの初カノ、中学んときだもん」
「私だって、初カレ中学生ですぅ」
「初体験、中三」
「きゃー、ハレンチっ!なんで言うかな、カノジョに向かってそういうコト。そういうとこじゃない?!」
「うははははっ!」
なんてやり取りも嫌味にならないような男前がニヤニヤと、最近よく見る顔で笑っている。
またその顔か。
心に溜まっていくモヤモヤをやり過ごそうと目をそらすと、男前は単身者用の冷蔵庫から、白い小さな箱を取り出した。
「開けてみ」
「え、ケーキ?」
中を見なくてもわかった。紙箱には、最寄りの駅地下に最近入ったパティスリーのロゴが、印刷されていたから。
覗 いてみると、モンブランとガトーショコラが入っている。
どちらも、私が甲乙つけがたいくらい好きだと言ったものだ。
「アンタどっちも好きっしょ。今、どっちの気分?コーヒー、もう一杯飲む?」
好物を覚えていてくれていて嬉しいし、それ以上に気遣いが嬉しい。
でも。
「ケーキなんてどうしたの?ここ、結構お高いじゃない」
「最近、連続でメシ作ってもらってるからさ」
くしゃりと笑うと、とたんに幼くなって、つい絆 されそうになるが、ここは我慢だ。
「バイト代入るの、まだ先だよね。水道代ピンチって、こないだ言ってなかった?」
「あー、だからさ」
隣の部屋から新聞を持ってくると、隅っこに小さく印刷された数字たちを男前が指さした。
見惚れるほどきれいな指が、数字群の一か所をなぞっている。
「うん?」
「な・ん・と、当たったんだなぁ」
男前は片頬で笑いながら、親指を立ててみせた。
「うん?……宝くじ?」
示されたのは、高額ではないが少額でもない当選を知らせる、横並びの数字。
「だから、懐あったかいんだよね、今」
真正面に、ニヤニヤ笑いを深める男前が座っていた。
「へぇ……。じゃあ、水道代は払えたんだね」
「え、一番に気にするの、そこ?!」
「ジャジャーン!」という感じで発表したのに、セコイ反応しか返ってこなかったことが意外で、ちょっとご不満な顔をしている。
「もっとさあ、”やったねー”とか、”すごーい”とかねぇの」
「わー、すごーい」
「棒読みっ!アンタには関係ないって?」
「関係ないことないけど……。水道代払えてよかったね?」
「水道から離れて?てか、当選金でこれ買って~、とかねぇの?」
「私のお金じゃないし」
「……アンタさぁ」
男前が、嬉しそうな顔で呆れたため息を吐くという、器用なことをした。
「そういうとこ、ホント好きだわ」
「ふふっ、ありがと」
滅多に言われない「好き」をいただいたことが、ケーキよりも嬉しい。
「それにしても、改めて思えばやっぱすごいよね。よく当たったね」
モンブランを食べながら、テーブル端に置かれた新聞を眺めた。
「日頃の行いがいいから」
「ほぅ。保険論のレポートはいらないと」
「ゴメンナサイ、嘘をつきました。申し訳ありません、貸してください」
ガトーショコラを食べていたフォークを置いて、深々と下げられた頭をちょん、と小突く。
「貸すのはいいけど、あともうちょっとで、出席日数足りなくなるよ」
「気をつける」
「バイト忙しいの?でも、これで余裕ができるね」
「あ~、いやぁ~」
言葉を濁してコーヒーを飲み干す姿に、ピンとくる。
「使い道、決まってるんだ」
「え~、まあ、はい」
「ほぉ?」
そこまで言ったのなら、すべて吐け。
そういう気持ちを込めて微笑むと、察した男前が居住まいを正した。
「バイクの免許、取ろうと思ってさ」
「……さては、教習所に申し込み済みだね?」
「うん。だから、バイトもその分、シフト減らさなきゃなんだけど」
「え、大丈夫なの?ガスと電気は払ったんだっけ?」
滞納すると、ガス、電気、水道の順で止まるという、しょうもない知識は、男前から与えられたものである。
「命の水は最後なんだなぁ」なんて能天気にほざくポンコツと一緒に郵便局へ行き、滞納水道料を支払う丸い背中にガンを飛ばしたこともあった。
「まあ究極、オキナワんとこ転がり込むから」
「払ってないの?!」
「まぁまぁ」
「飲みに行く回数が多過ぎるんじゃない?たまには遠慮すれば?」
愛嬌のある男前は先輩後輩、同期からのお誘いが絶えないし、よっぽどのことがなければ断らない。
「そんなもったいないこと、できないっしょ」
否定せず、悪びれもなく笑う顔も可愛くて小憎らしい。
「だって考えてみ?せっかく東京出てきて、全国から集まってる、あんな面白い連中といるんだぜ?それも期間限定なんだから、つるまない選択肢はない」
「……前に、急にトイレが流れなくなって焦ったって、言ってたよね」
「うっ」
「督促状も見落とすような人が、大丈夫なの?それにオキナワくんとこ行ったら、こうやって会えなくなるね」
「……う」
「あなたがいいなら、いいけど」
ふいと顔を背 けて立ち上がろうとすると、手首を強く握られた。
「水道代は払うよ。バイト全然しなくなるわけじゃないし。あのさ、バイクの免許取ったら、もっと割のいいバイトができると思って」
くいと手首を引かれるまま、浮いた腰をもう一度下ろして、いつになく真面目な男前を見つめる。
「そしたら、今みたいにシフトまみれじゃなくなるし、講義もちゃんと出られるし」
「そもそも、講義はちゃんと出よう」
「……ハイ」
それで?と尋ね顔を向けると、男前が咳払いをして仕切り直した。
「そしたら、ちょっと金貯めてさ、旅行とか連れていきたいんだ」
「誰を?」
絶望的な顔をする男前を見て、失言に気づいた。
「私?」
「ほかに誰がいんのさ」
「いや、だって、そういうことする人じゃないじゃない」
「アンタがモノ欲しがんないからだろ」
付き合いたてのころ、一回だけクリスマスに星型のネックスをもらったことがある。もちろん嬉しかったけれど、必要最低限の仕送り以外は自分で賄 うんだと、バイトを頑張っているのを知っているから、申し訳なさのほうが先に立った。
……ときどき電気まで止められてるし。
……水道だって、あわやのときもあるし。
「モノより会える時間がいいって言ってくれたとき、すげぇ嬉しかった。でもさ、やっぱなんかしたいワケですよ。……ビート畑、見せたいんだ」
「夢で見た?」
「そう」
手首を握っていた男前の手が、するりと移動していく。
「あの夢見てから気づいたからさ。アンタを好きだって」
指を絡ませるように握ってきたその手は、やっぱりとてもきれいな形をしていた。
思わせぶりな笑顔になったり、何かを言いかけてはやめたりして。
でも、「どうしたの」の一言が、口に出せなかった。
風来坊のように自由な人に、愛想を尽かされてしまうのが怖くて。
だって、自分ばかりが執着しているようで、悔しいじゃない。
「ごちそーさま!アンタほんとに料理うまいね」
「お口に合ってなによりです」
「大根とか、なんであんな短時間で、味しみっしみにできんの?」
「レンジで下茹でしておくんだよ」
「お、時短テク。今度オレが作るとき、使わせてもらうわ」
実はホワイトソースなんかも自作してしまう自炊男子からほめらるのは嬉しい。
好きな人に美味しく食べてもらえるって、こんなに心がホカホカするって、知らなかった。
「ほら座って。一休みしてて」
洗い物をする自炊男子が淹れてくれたコーヒーをダイニングで飲みながら、ふと目の端に映ったものに違和感を覚える。
「……新聞?」
こじんまりしたダイニングから見える隣の部屋に、読みかけらしい新聞が折りたたまれて置かれていた。
「契約してないよね。買ったの?」
「いやぁ~、うーん。……実は、さ。あの新聞、先月のなんだよね」
食器を洗い終わって振り返った自炊男子は、今日もとっても男前。
くっきりした二重。鼻筋が通っていて、少し厚めの唇が男らしくて。
イケメンやハンサムというより、男前という表現がぴったりの人。
「これでオレ、もう少し背が高かったらムチャモテだと思わねぇ?」
「自分で言っちゃうか、それ」
「顔について悪く言われたことってないし」
「はぁそうですか。そういうトコが原因でモテないのでは?」
「モテなくはないよ?オレの初カノ、中学んときだもん」
「私だって、初カレ中学生ですぅ」
「初体験、中三」
「きゃー、ハレンチっ!なんで言うかな、カノジョに向かってそういうコト。そういうとこじゃない?!」
「うははははっ!」
なんてやり取りも嫌味にならないような男前がニヤニヤと、最近よく見る顔で笑っている。
またその顔か。
心に溜まっていくモヤモヤをやり過ごそうと目をそらすと、男前は単身者用の冷蔵庫から、白い小さな箱を取り出した。
「開けてみ」
「え、ケーキ?」
中を見なくてもわかった。紙箱には、最寄りの駅地下に最近入ったパティスリーのロゴが、印刷されていたから。
どちらも、私が甲乙つけがたいくらい好きだと言ったものだ。
「アンタどっちも好きっしょ。今、どっちの気分?コーヒー、もう一杯飲む?」
好物を覚えていてくれていて嬉しいし、それ以上に気遣いが嬉しい。
でも。
「ケーキなんてどうしたの?ここ、結構お高いじゃない」
「最近、連続でメシ作ってもらってるからさ」
くしゃりと笑うと、とたんに幼くなって、つい
「バイト代入るの、まだ先だよね。水道代ピンチって、こないだ言ってなかった?」
「あー、だからさ」
隣の部屋から新聞を持ってくると、隅っこに小さく印刷された数字たちを男前が指さした。
見惚れるほどきれいな指が、数字群の一か所をなぞっている。
「うん?」
「な・ん・と、当たったんだなぁ」
男前は片頬で笑いながら、親指を立ててみせた。
「うん?……宝くじ?」
示されたのは、高額ではないが少額でもない当選を知らせる、横並びの数字。
「だから、懐あったかいんだよね、今」
真正面に、ニヤニヤ笑いを深める男前が座っていた。
「へぇ……。じゃあ、水道代は払えたんだね」
「え、一番に気にするの、そこ?!」
「ジャジャーン!」という感じで発表したのに、セコイ反応しか返ってこなかったことが意外で、ちょっとご不満な顔をしている。
「もっとさあ、”やったねー”とか、”すごーい”とかねぇの」
「わー、すごーい」
「棒読みっ!アンタには関係ないって?」
「関係ないことないけど……。水道代払えてよかったね?」
「水道から離れて?てか、当選金でこれ買って~、とかねぇの?」
「私のお金じゃないし」
「……アンタさぁ」
男前が、嬉しそうな顔で呆れたため息を吐くという、器用なことをした。
「そういうとこ、ホント好きだわ」
「ふふっ、ありがと」
滅多に言われない「好き」をいただいたことが、ケーキよりも嬉しい。
「それにしても、改めて思えばやっぱすごいよね。よく当たったね」
モンブランを食べながら、テーブル端に置かれた新聞を眺めた。
「日頃の行いがいいから」
「ほぅ。保険論のレポートはいらないと」
「ゴメンナサイ、嘘をつきました。申し訳ありません、貸してください」
ガトーショコラを食べていたフォークを置いて、深々と下げられた頭をちょん、と小突く。
「貸すのはいいけど、あともうちょっとで、出席日数足りなくなるよ」
「気をつける」
「バイト忙しいの?でも、これで余裕ができるね」
「あ~、いやぁ~」
言葉を濁してコーヒーを飲み干す姿に、ピンとくる。
「使い道、決まってるんだ」
「え~、まあ、はい」
「ほぉ?」
そこまで言ったのなら、すべて吐け。
そういう気持ちを込めて微笑むと、察した男前が居住まいを正した。
「バイクの免許、取ろうと思ってさ」
「……さては、教習所に申し込み済みだね?」
「うん。だから、バイトもその分、シフト減らさなきゃなんだけど」
「え、大丈夫なの?ガスと電気は払ったんだっけ?」
滞納すると、ガス、電気、水道の順で止まるという、しょうもない知識は、男前から与えられたものである。
「命の水は最後なんだなぁ」なんて能天気にほざくポンコツと一緒に郵便局へ行き、滞納水道料を支払う丸い背中にガンを飛ばしたこともあった。
「まあ究極、オキナワんとこ転がり込むから」
「払ってないの?!」
「まぁまぁ」
「飲みに行く回数が多過ぎるんじゃない?たまには遠慮すれば?」
愛嬌のある男前は先輩後輩、同期からのお誘いが絶えないし、よっぽどのことがなければ断らない。
「そんなもったいないこと、できないっしょ」
否定せず、悪びれもなく笑う顔も可愛くて小憎らしい。
「だって考えてみ?せっかく東京出てきて、全国から集まってる、あんな面白い連中といるんだぜ?それも期間限定なんだから、つるまない選択肢はない」
「……前に、急にトイレが流れなくなって焦ったって、言ってたよね」
「うっ」
「督促状も見落とすような人が、大丈夫なの?それにオキナワくんとこ行ったら、こうやって会えなくなるね」
「……う」
「あなたがいいなら、いいけど」
ふいと顔を
「水道代は払うよ。バイト全然しなくなるわけじゃないし。あのさ、バイクの免許取ったら、もっと割のいいバイトができると思って」
くいと手首を引かれるまま、浮いた腰をもう一度下ろして、いつになく真面目な男前を見つめる。
「そしたら、今みたいにシフトまみれじゃなくなるし、講義もちゃんと出られるし」
「そもそも、講義はちゃんと出よう」
「……ハイ」
それで?と尋ね顔を向けると、男前が咳払いをして仕切り直した。
「そしたら、ちょっと金貯めてさ、旅行とか連れていきたいんだ」
「誰を?」
絶望的な顔をする男前を見て、失言に気づいた。
「私?」
「ほかに誰がいんのさ」
「いや、だって、そういうことする人じゃないじゃない」
「アンタがモノ欲しがんないからだろ」
付き合いたてのころ、一回だけクリスマスに星型のネックスをもらったことがある。もちろん嬉しかったけれど、必要最低限の仕送り以外は自分で
……ときどき電気まで止められてるし。
……水道だって、あわやのときもあるし。
「モノより会える時間がいいって言ってくれたとき、すげぇ嬉しかった。でもさ、やっぱなんかしたいワケですよ。……ビート畑、見せたいんだ」
「夢で見た?」
「そう」
手首を握っていた男前の手が、するりと移動していく。
「あの夢見てから気づいたからさ。アンタを好きだって」
指を絡ませるように握ってきたその手は、やっぱりとてもきれいな形をしていた。