ともだちラストレター
文字数 4,959文字
あの日の放課後、彼女となに話したっけ。
いつもの曲がり角で「じゃあね、また明日」「ばいばーい」という日常の場面。
毎日がその繰り返しだから、現状がピンとこない。
いつも一緒に帰った。大好きなアイドルの話で盛り上がった。
笑いあっているときは、たがいに家での嫌なことを忘れられた。
共通することがあまりにも多かった。
私たちはたましいの双子だねって、たがいの肩を寄せ合って。
そのたましいの片割れが。今日になったら棺桶のなかで目を閉じている。
ピンとこない。どうしちゃったの? ぜんぜん意味がわからないよ。
いつもの朝。私より先に来ているはずの彼女がいない。
お休み? 風邪かな? 珍しい。いつも遅刻すれすれの私のほうが先に席につくなんて。
線香のにおいと読経が小さなホールを支配する。
今動いている時間がウソとしか思えないからぜんぜん涙が出てこない。
すすり泣きがあちこちから聞こえて来る。
ぜんぜん仲良くなかったくせに、なんであんたたちが泣いてるの? あんたたちなんて、ただのクラスメイトじゃない。ぜんぜん仲良くなかったくせに、なにが悲しいのよ。
私はピンとこないから困っている。焼香の仕方は前の人のを見ればいいはずだったのにぜんぜんできなかった。
中学生のくせに数珠をもってきている子はなんなんだろう。親に渡されたのか。自分の数珠じゃないだろ。数珠がそんなに偉いのか。
おまえらと私たちの間に思い出なんかないのに、死んだら数珠持参ですすり泣きかよ。
あの日のことに戻るけど。
先生が入ってきてもお喋りを止めないクラスだったのに。その日はあまりに先生の登場の仕方が気持ち悪かったから全員が言葉を失った。
砂漠で「水、水」という遭難者とか、ピラニアの河に突き落とされたとか。そんな感じ。
「昨夜……さんが亡くなりました。心臓発作だということですが、いま、検死中らしいので詳しいことはわかり次第お知らせします」
教壇まで走って、先生の襟ぐりつかみ上げて「ふざけたこと抜かしてんじゃねーよ」と食ってかかるのが常識なはずなのに。私の体は意識と反比例して動きを止めていた。
(心臓発作? なにそれ、漫画やドラマじゃあるまいし)
みんなが私を見ている。彼女といちばん仲が良かったから。
いきなり亡くなったと言われても、反応なんてできるわけがない。ということを私は身をもって知った。そんなことより彼女に会わせてよ。ぜんぜんピンとこない。言葉だけの情報なんてぜんぜんピンとこない。
静かに戸がスライドした。
こんな日に、遅刻してくる奴がいるとか。マジ勘弁して。
そういえば、奴がいない。
クラスのみんなで列になって葬儀会館まで来た。みんな無言だったし、そもそも影が薄いからだれも奴のことに触れていなかった。
先生は生徒の出欠についてなにか言ってたっけ?
クラス全員の焼香が終わる。
あんな奴、いてもいなくても何かが変わるわけじゃないけど。
喪主の挨拶として、彼女がクソだと話していた父親が、検索すれば出てくるような文章を読み上げている。
その隣には自慢の長男と気位の高そうなクソババァ。これも彼女がそう呼んでいた。
彼女がいなくなっても幸せな家庭を築きあげていくんだ。それどころか、いま、このときからこの一家は幸せになったんじゃないか。
遺影の彼女は笑っていない。笑顔の写真がなかったことを証明している。私が死んでも同じ。私たちは家族に笑顔なんて向けたことはない。
静かにホールの扉が開いた。
彼女の死を聞かされた朝も同じだった。
みんなが振り返ると奴が立っていた。
奴だけに、みんな「な~んだ」という顔。すぐに前を向く。
だけど、私だけは、得体の知れないモヤが襲いかかってくる気分になった。
「なに笑ってんだよ!」
先生に掴みかかれなかったからって、ろくに話もしたことがない奴に掴みかかるとか、そりゃクラスは騒然となるだろう。
だけど、相手が奴だっただけに、しらけた空気が流れるだけ。先生が「やめなさい」と言って、私は頭をかきむしって席についた。
だれも私を責めなかったし、奴に対してもなにも言わなかった。
その程度の奴なのに、なんでこんなにモヤモヤするんだろう。
あのときは、奴が笑っているように思えて仕方なかったけれど、彼女の死を聞かされて気が動転していたんじゃないかって思い直した。みんなもしらけていたから、私も冷静にならなきゃって思ったけど。
そうじゃない。
(遅刻してきて、なにその顔)
みんなは奴になんて興味がないからすぐ正面をむいてしまう。顔をガン見したのは私だけ。
(おどおどしていて、陰鬱なキャラだったじゃない)
なにかのスイッチが入った人間は【目つきが変わる】その現象を私は目の当たりにしている。
奴はどのグループにも入れない怯えた目、開いているのか閉じているのかわからなかった。なのに、いきなり電源が入ったらおかしいだろ。
やっぱり奴は笑っている。
(なんなの、気持ち悪い)
ここが彼女の葬儀でなかったら、私は拳をふりあげて襲いかかっていただろう。彼女が見ている前だから、歯をくいしばった。
彼女の親友として、彼女とのお別れを汚したくないから、握りこぶしで我慢した。
最後のお別れをお願いします。という葬儀屋の言葉で、私たちは渡された花を棺に入れて彼女とお別れをする。
だから、なんであんたたちが泣くのよ。なんの思い出で泣いてるわけ? 私たちが体験している家庭地獄を知らない、幸せいっぱいのあんたたちに泣く資格なんてないんですけど。
(え?)
身を寄せ合って泣きじゃくるモブ生徒の隙間をくぐるように、奴が棺にピンク色の封筒を投げ入れた。
奴は手紙を入れたのが自分とばれたら困るみたいにすぐさま棺から離れて外に出てしまった。
(なんなの。あなたこそ彼女にそんなことするような間柄じゃないでしょ)
手紙や写真を入れる人はほかにもいたけれど、いちばん納得ができない。それどころか体が震えてくる。
流れ作業的にお別れしていくクラスメート。私はクラスを代表して棺の蓋を閉める役割に立候補したから、最後まで彼女のそばにいられた。
出棺の見送りのために多くの人が外に出たあと、じゃあ、蓋を閉めさせていただきます。と葬儀社の人が言ったとき、私以外の人間の意識が一瞬彼女から離れた。私と彼女だけという時間の隙間が生じた。
彼女の胸元にピンク色の封筒。
(彼女と一緒に、こんなものが燃やされるなんて許せない)
すべては彼女と私の友情のために。
なにかの冗談みたいに眠っている彼女の安寧。
白い蓋が被せられる。
安心して。不愉快な手紙は私が取り除いたから。
握り潰したピンク色の封筒は制服のポケットに突っ込まれた。
彼女と私が大好きだったアイドルの、前を見てまっすぐ歩こうという曲を出棺に選んだのは私。クソ家族は彼女の好きな歌すら知らなかったんだ。
思い出の曲と、霊柩車に運ばれる白い棺を見ていたら、やっと一筋の涙が頬を伝わった。
(これから、私はひとりで戦わないといけないんだ)
彼女の死因は、ほんとうに心臓発作だったという。
私と別れたあとだ。家の前で倒れていたと担任から報告があった。
ピンとこなくて、霊柩車が見えなっても涙が止まらなかった。
「ただいま」と言ったところでリビングからの笑い声は私へのものではない。そのまま自分の部屋に入る。
そのままベッドに倒れ込みたかったけど。
ポケットからグシャグシャにした手紙を取り出して机の上に置いた。
「破り捨ててやる」
宛名、差出人の記載はない。
私はその手紙をあらゆる憎悪を込めて睨みつけた。
「奴のくせに」
あんたがどんな親に育てられているか知らないけど、彼女に寄り添うようなマネするんじゃないわよ。腹立たしい。
封筒に手をかけ、真っ二つにしようと力を入れた。けど。
彼女に宛てられたものは私に宛てられたも同然じゃないだろうか。だって、私は彼女のたましいの双子。確認する資格がある。
いつもの曲がり角で「じゃあね、また明日」「ばいばーい」という日常。
彼女の存在があたしを強くする。彼女がいてくれて本当によかった。
前をむいて歩いていこう。大好きなアイドルの歌のように。
「え?」
家の前に誰かいる。え、なに? なんで奴がいるの。
家の前で待ち伏せとか、マジ気持ち悪いんだけど。
「ウチに来てんじゃねーよ」
素直な気持ちをぶつけてやったら、泣きそうな顔。そんなんだからあたしにパシられるんだよ。
「机の上に、ノート置きっぱなしだったから、走って、持ってきてあげたの」
なんなんだよ、その私えらいでしょ、褒めて! ってクソ犬みたいな目は。そういうのがムカつくんだよ。それにこのノート、隣の席のやつのじゃない。どこまでクソなんだよ。
「あたしんじゃない。戻してきて。それで、ウチには二度と来ないで」
「待って、今日は、ずっと言いたかったことがあって、言おうって、決心したの。だからお願い、聞いて」
袖つかまないでよ。これだけ睨みつけてんのになんでわからないの。だから誰にも相手にされないんじゃない。
「チッ」
あたしの舌打ち程度で涙ぐむなら来るんじゃねーよ、ほんとにクソだな。
「お兄さんがとても優秀なんだよね。有名な私立高校に通ってるって」
いきなり、あたしが言われていちばんムカつく言葉。
「だからなによ」
「ワタシもなの、お兄ちゃんが頭良くて、私バカだから、お父さんもお母さんも相手にしてくれなくて。……さんも、同じ思いしてるのかなって」
足のつま先が急激に冷たくなった。なんでこんな奴にそれを言われなきゃならない。
「そうなの? やっぱりそうなの?」
顔をそむけた。こんなパシリにあたしのなにがわかるのよ。
「ワタシ、毎日死にたいって思ってた。だれにも相手にされなくて、さみしくて。だけど、……さんがいてくれるなら」
「ふざけたことぬかしてんじゃねーよ!」
心臓がバクバクしてきた。
冗談じゃない。あんたは陰鬱パシリキャラがお似合いなのに。
「お願い、対等になって欲しいの。仲間だよね、ソウルメイトになって欲しいの」
盛大に堪忍袋の緒が切れる音がした。
「あたしの友達は一人だけだよ! あんたの顔なんて二度と見たくない。パシリは開放してやるから金輪際近寄らないで!」
「そんな、あなたならワタシの気持ち、わかってくれると思ったのに」
「わかるか、クソ、や、ろ、」
息苦しい。胸が痛い。こんなハッキリしない奴、あたしたちの世界に踏み込んで来ないでよ。世界観がぜんぜん違うんだよ。
「……ちゃん、どうしたの。苦しいの。すごい汗だよ」
「近寄る、な、ク、ソ、が」
「やだ、ワタシをバカにするからバチがあたったんじゃないの? こわいわ」
待ちなさいよ、どこいくのよ、なんなのよいったい……………。
【……ワタシを拒否ったから呼吸困難になったんだよ。ワタシをこき使ってたからバチがあたったんだよ。
こわくて翌朝おねぼうしてチコクしちゃった。
みんなに無視されて、さみしくて死のうとしてた。だけど、あなたが死んでしまいました。
だから、あなたの分まで死なないことにしました。
お手紙書いていたらお葬式の時間にチコクしそうです。
あ、あなたが死んじゃったから、残された……さんがかわいそうだよね。彼女もひょっとして、ワタシたちと同じソウルメイトなんじゃないのかな?
聞いてみるね。きっと同じ傷かかえている者どうし、わかりあえると思う。
あなたのかわりにワタシが仲良くなるね。あなたが残した彼女をワタシが大切にするね。
きっといい友だちになれると思う。
だって、あいだにはあなたがいるんだもの】
手紙を四つ折りにして封筒に戻し、グシャグシャにしてゴミ箱に叩き入れる。
頭をかきむしって壁に拳を叩きつけた。
「……ちゃん、会いたいよ」
なんども、なんども。
いつもの曲がり角で「じゃあね、また明日」「ばいばーい」という日常の場面。
毎日がその繰り返しだから、現状がピンとこない。
いつも一緒に帰った。大好きなアイドルの話で盛り上がった。
笑いあっているときは、たがいに家での嫌なことを忘れられた。
共通することがあまりにも多かった。
私たちはたましいの双子だねって、たがいの肩を寄せ合って。
そのたましいの片割れが。今日になったら棺桶のなかで目を閉じている。
ピンとこない。どうしちゃったの? ぜんぜん意味がわからないよ。
いつもの朝。私より先に来ているはずの彼女がいない。
お休み? 風邪かな? 珍しい。いつも遅刻すれすれの私のほうが先に席につくなんて。
線香のにおいと読経が小さなホールを支配する。
今動いている時間がウソとしか思えないからぜんぜん涙が出てこない。
すすり泣きがあちこちから聞こえて来る。
ぜんぜん仲良くなかったくせに、なんであんたたちが泣いてるの? あんたたちなんて、ただのクラスメイトじゃない。ぜんぜん仲良くなかったくせに、なにが悲しいのよ。
私はピンとこないから困っている。焼香の仕方は前の人のを見ればいいはずだったのにぜんぜんできなかった。
中学生のくせに数珠をもってきている子はなんなんだろう。親に渡されたのか。自分の数珠じゃないだろ。数珠がそんなに偉いのか。
おまえらと私たちの間に思い出なんかないのに、死んだら数珠持参ですすり泣きかよ。
あの日のことに戻るけど。
先生が入ってきてもお喋りを止めないクラスだったのに。その日はあまりに先生の登場の仕方が気持ち悪かったから全員が言葉を失った。
砂漠で「水、水」という遭難者とか、ピラニアの河に突き落とされたとか。そんな感じ。
「昨夜……さんが亡くなりました。心臓発作だということですが、いま、検死中らしいので詳しいことはわかり次第お知らせします」
教壇まで走って、先生の襟ぐりつかみ上げて「ふざけたこと抜かしてんじゃねーよ」と食ってかかるのが常識なはずなのに。私の体は意識と反比例して動きを止めていた。
(心臓発作? なにそれ、漫画やドラマじゃあるまいし)
みんなが私を見ている。彼女といちばん仲が良かったから。
いきなり亡くなったと言われても、反応なんてできるわけがない。ということを私は身をもって知った。そんなことより彼女に会わせてよ。ぜんぜんピンとこない。言葉だけの情報なんてぜんぜんピンとこない。
静かに戸がスライドした。
こんな日に、遅刻してくる奴がいるとか。マジ勘弁して。
そういえば、奴がいない。
クラスのみんなで列になって葬儀会館まで来た。みんな無言だったし、そもそも影が薄いからだれも奴のことに触れていなかった。
先生は生徒の出欠についてなにか言ってたっけ?
クラス全員の焼香が終わる。
あんな奴、いてもいなくても何かが変わるわけじゃないけど。
喪主の挨拶として、彼女がクソだと話していた父親が、検索すれば出てくるような文章を読み上げている。
その隣には自慢の長男と気位の高そうなクソババァ。これも彼女がそう呼んでいた。
彼女がいなくなっても幸せな家庭を築きあげていくんだ。それどころか、いま、このときからこの一家は幸せになったんじゃないか。
遺影の彼女は笑っていない。笑顔の写真がなかったことを証明している。私が死んでも同じ。私たちは家族に笑顔なんて向けたことはない。
静かにホールの扉が開いた。
彼女の死を聞かされた朝も同じだった。
みんなが振り返ると奴が立っていた。
奴だけに、みんな「な~んだ」という顔。すぐに前を向く。
だけど、私だけは、得体の知れないモヤが襲いかかってくる気分になった。
「なに笑ってんだよ!」
先生に掴みかかれなかったからって、ろくに話もしたことがない奴に掴みかかるとか、そりゃクラスは騒然となるだろう。
だけど、相手が奴だっただけに、しらけた空気が流れるだけ。先生が「やめなさい」と言って、私は頭をかきむしって席についた。
だれも私を責めなかったし、奴に対してもなにも言わなかった。
その程度の奴なのに、なんでこんなにモヤモヤするんだろう。
あのときは、奴が笑っているように思えて仕方なかったけれど、彼女の死を聞かされて気が動転していたんじゃないかって思い直した。みんなもしらけていたから、私も冷静にならなきゃって思ったけど。
そうじゃない。
(遅刻してきて、なにその顔)
みんなは奴になんて興味がないからすぐ正面をむいてしまう。顔をガン見したのは私だけ。
(おどおどしていて、陰鬱なキャラだったじゃない)
なにかのスイッチが入った人間は【目つきが変わる】その現象を私は目の当たりにしている。
奴はどのグループにも入れない怯えた目、開いているのか閉じているのかわからなかった。なのに、いきなり電源が入ったらおかしいだろ。
やっぱり奴は笑っている。
(なんなの、気持ち悪い)
ここが彼女の葬儀でなかったら、私は拳をふりあげて襲いかかっていただろう。彼女が見ている前だから、歯をくいしばった。
彼女の親友として、彼女とのお別れを汚したくないから、握りこぶしで我慢した。
最後のお別れをお願いします。という葬儀屋の言葉で、私たちは渡された花を棺に入れて彼女とお別れをする。
だから、なんであんたたちが泣くのよ。なんの思い出で泣いてるわけ? 私たちが体験している家庭地獄を知らない、幸せいっぱいのあんたたちに泣く資格なんてないんですけど。
(え?)
身を寄せ合って泣きじゃくるモブ生徒の隙間をくぐるように、奴が棺にピンク色の封筒を投げ入れた。
奴は手紙を入れたのが自分とばれたら困るみたいにすぐさま棺から離れて外に出てしまった。
(なんなの。あなたこそ彼女にそんなことするような間柄じゃないでしょ)
手紙や写真を入れる人はほかにもいたけれど、いちばん納得ができない。それどころか体が震えてくる。
流れ作業的にお別れしていくクラスメート。私はクラスを代表して棺の蓋を閉める役割に立候補したから、最後まで彼女のそばにいられた。
出棺の見送りのために多くの人が外に出たあと、じゃあ、蓋を閉めさせていただきます。と葬儀社の人が言ったとき、私以外の人間の意識が一瞬彼女から離れた。私と彼女だけという時間の隙間が生じた。
彼女の胸元にピンク色の封筒。
(彼女と一緒に、こんなものが燃やされるなんて許せない)
すべては彼女と私の友情のために。
なにかの冗談みたいに眠っている彼女の安寧。
白い蓋が被せられる。
安心して。不愉快な手紙は私が取り除いたから。
握り潰したピンク色の封筒は制服のポケットに突っ込まれた。
彼女と私が大好きだったアイドルの、前を見てまっすぐ歩こうという曲を出棺に選んだのは私。クソ家族は彼女の好きな歌すら知らなかったんだ。
思い出の曲と、霊柩車に運ばれる白い棺を見ていたら、やっと一筋の涙が頬を伝わった。
(これから、私はひとりで戦わないといけないんだ)
彼女の死因は、ほんとうに心臓発作だったという。
私と別れたあとだ。家の前で倒れていたと担任から報告があった。
ピンとこなくて、霊柩車が見えなっても涙が止まらなかった。
「ただいま」と言ったところでリビングからの笑い声は私へのものではない。そのまま自分の部屋に入る。
そのままベッドに倒れ込みたかったけど。
ポケットからグシャグシャにした手紙を取り出して机の上に置いた。
「破り捨ててやる」
宛名、差出人の記載はない。
私はその手紙をあらゆる憎悪を込めて睨みつけた。
「奴のくせに」
あんたがどんな親に育てられているか知らないけど、彼女に寄り添うようなマネするんじゃないわよ。腹立たしい。
封筒に手をかけ、真っ二つにしようと力を入れた。けど。
彼女に宛てられたものは私に宛てられたも同然じゃないだろうか。だって、私は彼女のたましいの双子。確認する資格がある。
いつもの曲がり角で「じゃあね、また明日」「ばいばーい」という日常。
彼女の存在があたしを強くする。彼女がいてくれて本当によかった。
前をむいて歩いていこう。大好きなアイドルの歌のように。
「え?」
家の前に誰かいる。え、なに? なんで奴がいるの。
家の前で待ち伏せとか、マジ気持ち悪いんだけど。
「ウチに来てんじゃねーよ」
素直な気持ちをぶつけてやったら、泣きそうな顔。そんなんだからあたしにパシられるんだよ。
「机の上に、ノート置きっぱなしだったから、走って、持ってきてあげたの」
なんなんだよ、その私えらいでしょ、褒めて! ってクソ犬みたいな目は。そういうのがムカつくんだよ。それにこのノート、隣の席のやつのじゃない。どこまでクソなんだよ。
「あたしんじゃない。戻してきて。それで、ウチには二度と来ないで」
「待って、今日は、ずっと言いたかったことがあって、言おうって、決心したの。だからお願い、聞いて」
袖つかまないでよ。これだけ睨みつけてんのになんでわからないの。だから誰にも相手にされないんじゃない。
「チッ」
あたしの舌打ち程度で涙ぐむなら来るんじゃねーよ、ほんとにクソだな。
「お兄さんがとても優秀なんだよね。有名な私立高校に通ってるって」
いきなり、あたしが言われていちばんムカつく言葉。
「だからなによ」
「ワタシもなの、お兄ちゃんが頭良くて、私バカだから、お父さんもお母さんも相手にしてくれなくて。……さんも、同じ思いしてるのかなって」
足のつま先が急激に冷たくなった。なんでこんな奴にそれを言われなきゃならない。
「そうなの? やっぱりそうなの?」
顔をそむけた。こんなパシリにあたしのなにがわかるのよ。
「ワタシ、毎日死にたいって思ってた。だれにも相手にされなくて、さみしくて。だけど、……さんがいてくれるなら」
「ふざけたことぬかしてんじゃねーよ!」
心臓がバクバクしてきた。
冗談じゃない。あんたは陰鬱パシリキャラがお似合いなのに。
「お願い、対等になって欲しいの。仲間だよね、ソウルメイトになって欲しいの」
盛大に堪忍袋の緒が切れる音がした。
「あたしの友達は一人だけだよ! あんたの顔なんて二度と見たくない。パシリは開放してやるから金輪際近寄らないで!」
「そんな、あなたならワタシの気持ち、わかってくれると思ったのに」
「わかるか、クソ、や、ろ、」
息苦しい。胸が痛い。こんなハッキリしない奴、あたしたちの世界に踏み込んで来ないでよ。世界観がぜんぜん違うんだよ。
「……ちゃん、どうしたの。苦しいの。すごい汗だよ」
「近寄る、な、ク、ソ、が」
「やだ、ワタシをバカにするからバチがあたったんじゃないの? こわいわ」
待ちなさいよ、どこいくのよ、なんなのよいったい……………。
【……ワタシを拒否ったから呼吸困難になったんだよ。ワタシをこき使ってたからバチがあたったんだよ。
こわくて翌朝おねぼうしてチコクしちゃった。
みんなに無視されて、さみしくて死のうとしてた。だけど、あなたが死んでしまいました。
だから、あなたの分まで死なないことにしました。
お手紙書いていたらお葬式の時間にチコクしそうです。
あ、あなたが死んじゃったから、残された……さんがかわいそうだよね。彼女もひょっとして、ワタシたちと同じソウルメイトなんじゃないのかな?
聞いてみるね。きっと同じ傷かかえている者どうし、わかりあえると思う。
あなたのかわりにワタシが仲良くなるね。あなたが残した彼女をワタシが大切にするね。
きっといい友だちになれると思う。
だって、あいだにはあなたがいるんだもの】
手紙を四つ折りにして封筒に戻し、グシャグシャにしてゴミ箱に叩き入れる。
頭をかきむしって壁に拳を叩きつけた。
「……ちゃん、会いたいよ」
なんども、なんども。