第三十五話 押し問答

文字数 2,951文字

(……いやはや、夢のようだな)
隻眼の男の心中に、驚嘆の声が溢れていた。
自身の背後。共に黒馬に跨る端麗な美女が、何の奇術か、掌で業火を成し、対象となる象骨に向け繰り出したからである。
何もない掌から、たちまち炎が噴き出したかと思えば、その女は酒でも飲むかの如くそれを転がし、球体を産み出し放つ。戦地を駆け抜け、多くの武具を見ていた過去を持つ者にも、その"武器"の種とやらが、どう思考を重ねても解き明かせないのであった。
もろ手で放たれた火球は、見事に象骨に命中し、刹那の隙を産み出した。それを見た魔女は、煽るように隻眼の男に目を配った。『次はお前の番だ』。そう言わんばかりである。
(……隠し事など無用か)
一線を越えた奇術は、何もこの女だけが所持している訳ではない。世に追われるだけの”力”を男も持ち得ていたが、それはお互い様なのである。ましてや、状況も状況である。もはやそれを隠し通す理由などない。
(それでは、お披露目といきますか)
人様に見せるのは、いつ以来であろうか。この緊迫した場面で、少しの高揚感を覚えるあたり、いかに戦に慣れていたのかがわかる。
実に手慣れた動作である。隻眼の男は、片手に手綱を任し、自身の胸元にもう片方の手をやった。そこに巻かれた帯革には、手に収まるほどの小さな筒が留められていた。そのうちの一つを取り外すと、次は黒馬の首元に止められた別の筒に手を伸ばす。手に取られた長筒は、聞き覚えのある音を立てて半分に折れ曲がり、先程の小筒がその間に納められた。
「耳を押さえて身を屈めろ!」
魔女が迷わずその指示を受けた直後、彼女の頭上で火花が散った。
「おぉ!」
その衝撃に魔女も思わず声を挙げた。
小筒は勢いよく放たれ、その直後に象骨が嘶く。再び黒馬に刹那の余裕を与えた。
「うむ。これならば時を稼げる。我の仲間が来るまで、ここいらを駆けてやり過ごすぞ」
女を馬に乗せた時点で、隻眼の男の腹は決まっていた。共にこの象骨を鎮めるということを。術が思い浮かばない以上、疑う必要もない。この女の”仲間”が来るのを待つしかないのだ。
再び、長筒が半分に折れ、音が鳴った。


魔女のいう"仲間"の一人、栗毛髪の青年リアムは、木々の中を歩んでいた。
"山渡り"という予定外の部外者の登場に、戦外に追いやられていたが、彼にも考えがあった。
(……魔女様は必ずガルネウスを鎮める。この状況だ。迷わずあの場所へ向かうはずだ)
血の匂いを少しでも消すため、上着は脱ぎ捨てた。春を終えたばかりとは思えない、この極寒は実に耐えがたいが、ガルダの爪は胸元で存在を示している。馬を降りてから、何事も起こっていないのは、間違いなくこの加護によるものであろう。
――パキ。
青年の尖った神経を、微音が刺した。反射的に膝は屈み、全感覚がその対象を探った。握りしめられた、山渡りを仕留めたかのナイフも、心なしか、ぎらりと強く光を見せたように思える程である。
太い木を見つけ、それを背に覗き込んだ時であった。
(なんだと!?)
青年の瞳に、予想だにしないものが映し出された。


強風が積もる雪を負かし、宙に浮かす。いいや、我こそがこの地の主と、優越に浸る強風の隙をついて、今度は雪が地に身を投げる。
その争いの間を縫うように、火球と弾子が放たれてゆく。対象とされた象骨は、かわす術なくそれを受け止め、仰け反ったと思えば、再び黒馬目掛けて駆けてゆく。幾度も成される、雪と風の押し問答にも似た抗争を、黒馬と象骨は続けていた。
体躯を見るに、やや象骨が優勢に思えるが、黒馬に跨る二人は顔色一つ変える事もない。淡々と自身の仕事をこなすばかりである。腰部に跨る魔女は、その仕事の合間にも思考を巡らせていた。
(……もしかしたら、小娘一人で来るやもな)
かの少女の胸元にもガルダの爪はある。ましてやあの白馬がいる。いくら爪の篩をすり抜ける猛者でも、その足の機敏さに敵うものは少ないであろう。リリオンのように、群れを成す獣に囲まれる危険性と、時間的な効率を天秤にかけた場合、少女に託す可能性も大いにあり得る話であった。
リアムは賢い。窮地に追いやられようとも、必ずや何かを掴む力がある。状況次第で、別の動きを見せるかもしれないと予測していたのであった。半ば、魔女の予測は外れたが、結果は近しいものとなった。
「……お?新たなお客さんのようだぞ」
雪原に住む狼のようである。この地吹雪の中でも、隻眼はあらゆるものを感知していた。
火球を放つ寸前。魔女が一呼吸遅く、象骨の足の隙間から覗くその存在に気がついた時、彼女の口角は上を向いた。遠目に微かではあるが、見覚えのある、馬の頭巾が目に入ったからである。
「まったく。遅すぎるわい。いつまで我らを待たせるつもりだ……む?」
黒馬の主、隻眼の男は既に象骨相手に魅せていた長筒を革帯へと戻していた。変わりに彼の手に収まったのは、馬の首の側面に取り付けられていた、もう一つの長筒であった。
「……どうやらお呼びでない客人がいるようだ。わかっているな?一瞬あのデカブツは任せるぞ!」
雪原に旋回を繰り返していた黒馬の足先の方向が、急激に変わった。手足のように見事なまでに操られた馬は、小さな半円を描いて反転し、自身の足跡に並ぶ形となった。
見事であったのは、馬だけではない。時期を誤れば間違いなく、雪原の地の冷たさを身に染みていたであろう。その反転を繰り出す寸前、魔女は両手で火球を成し、象骨へと繰り出した。
象骨は嘶き、黒馬の僅かな隙を許した。
隻眼の男の持つ長筒には、既に弾が供給されている。と同時に引き金は引かれた。
「……見事なもんだな!」
それは一体何に対しての評価か。男が放った弾丸は、対向する馬の背後を追う、大きな猪……山渡りの額を打ち抜いた。
魔女は短く笑った。どうやら、男が言うその”見事”の対象を取り違えたようである。
「あぁ。この吹雪の中でもはっきり見えたわい。あんに目と口が丸うなった顔なんぞ、この先も忘れはせんわ」
突如、爆発音がしたと思えば、自身を散々に追っていた猪が血飛沫を上げて雪地へと雪崩れ込む。初めて魔法を見た時を思い出したであろうか。想像も得ない出来事に、さぞ肝を冷やしたであろう。少しの距離を置いて、黒馬がすれ違った馬の主の頭巾から覗いた表情は、何もこの地の冷気に触れたせいだけではないようである。
「良い。鍵は揃った。男よ、ちと……一つ難があるが我に考えがある。力を貸してはくれぬか?」
手の内を見せ合ったこともあってか、互いの疑念は少し薄れたようである。魔女ももはや悟っていた。この男の力を借りずして、ガルネウスを鎮める事は出来ないと。
黒馬も、やや疲れが見えてきている。そろそろ終幕の頃合いである。
「今更”力を貸してくれ”と来たか。その気が無ければ乗せねぇよ」
(……この化け物を野放しにしてはならない。そしてそれは自分とこの女にしか成し得ない)
黒馬の背には三つの光があった。一つは白昼を思わせる、黄金の太陽。もう二つは、闇夜に浮かぶ黒き月。綺麗に重なったそれらは、日食の如く、ぎらりと光の輪を成し、雪原を蝕む悪を睨みつけていた。
その両者の間を飛び交う、白き彗星。彼らの命運は、古来より伝わる天文暦を持ってしても、まるで捉えられぬようであった。
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