第1話 猫

文字数 1,021文字

 玄関のチャイムが鳴る。
 どうせセールスだろうと思い、十文字(じゅうもんじ)はそのまま無視することにして布団をかぶる。

 ピンポーン。
 ガチャガチャ。

 何度めかのチャイムとともに、力任せにドアノブを回す音が聞こえてギョッとして飛び起きる。

 ガチャガチャ。

 平日の昼間とはいえ物騒な世のなかだ。白昼堂々、チャイムを鳴らしてやってくる空き巣などはいないだろうが、留守を確認しているのかもしれない。
 いや、そもそも、こんなおんぼろアパートに空き巣に入るような間抜けがいるだろうか。なにしろ築三十年は経つ代物(しろもの)だ。住んでいるのは十文字のような薄給の独り身と、同じく身寄りのない年金暮らしの老人くらいのものである。

 ガチャガチャ。ガチャガチャ。

 (やめろ。ただでさえボロいドアノブが壊れたらどうしてくれる)
 十文字は布団から出ると、玄関横にある台所から念のためフライパンを手に取り、サンダルを突っ掛けて勢いよくドアを開けた。
 ゴンっ、と鈍い音がしてなにかが倒れるような音がした。
 おそるおそる外を覗くと、おでこを押さえて尻餅をついた髪の長い女がジロリと十文字を見上げている。
 フライパンで殴ったわけではない。勢いよく開いたドアにぶつかったのだろう。

「だ、大丈夫ですか」
「無理」

 ぶっきらぼうにそういうと、女は立ち上がろうとして、ぴたっと動きを止める。どうやら尻餅をついた拍子に身体を支えようとして手首をひねったらしい。
 (まずいことになった)
 十文字は青ざめる。しつこい空き巣(仮)とはいえ、怪我などさせるつもりはなかった。
「えーと、冷やしたほうがいいのかな」
 玄関先でおろおろする十文字の(かたわ)らをするりとすり抜けて女が部屋に上がり込む。
 さすがにあわてて声をかける。
「ちょっと、勝手に入らないでください」
「痛い」
 そういわれると強く出られない。
 黒いワンピースを着た女はもの珍しそうに狭い室内を見回すと、じっと視線を合わせてきた。日本人形のような艶やかな黒髪、白い肌。見るからに気の強そうな顔つきをしているが、美人だった。

「ずいぶん探した。やっと会えた」
「え?」
「あんたに助けてもらった。お礼に来た」

 つっけんどんな口調で淡々という。言葉が少したどたどしい。外国人が片言で話すときのように。
 (助けた? おれが?)
 こんな印象的な女を助けた覚えはない。忘れたりはしないだろう。
「あの、人違いでは?」
「間違いない」
 ふるふると(かぶり)を振る。

 そのとき、ふたたびチャイムが鳴った。
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