51.トラディッチの誤算

文字数 2,519文字

 ソビエトでの訓練は想像を絶する過酷なものだったが、エメトリア軍の最高指揮官を目指すトラディッチにとって、それは必ず超えなければならない試練だった。
 エメトリア国立士官学校を卒業後、士官待遇でエメトリア陸軍に配属される予定だったが、成績上位者を対象に推薦される、ソビエトでの士官に特化された軍事訓練への参加。
 戦略、戦術はもとより、諜報技術から対人戦闘訓練、各種兵科訓練と東側の最新鋭の訓練を受けられるその機会は、エメトリア軍では得られない貴重な経験だった。
 トラディッチも自ら志願して訓練へと参加したが、その内容はこれまで聞いたどんな軍事訓練よりも過酷だった。
 極寒のシベリアでの耐寒訓練では、支給されたマッチ一本で火を起こすことができず、氷点下で全ての物は凍り付き、水すら飲むことができないまま、固形食料を歯でしがみながら乾きと飢えを凌いだ。
 自分の投げた手榴弾の殺傷能力限界範囲まで走りこみ、その場に伏せて爆風と破片を避ける訓練。今だ隣で首を吹き飛ばされた仲間の夢を見ることがある。
 機銃が水平に乱射されるその下を、泥を嘗めるようにして匍匐前進で進み、鉄条網を切断して進む訓練では、恐怖に錯乱して頭を上げてしまった同僚がヘルメットごと頭を吹き飛ばされ、彼は今だに話すこともままならない。
 20キロの装備を背負ったまま、洋上10キロまでボートで搬送され、何も聞かされないまま、そのまま海に落とされる。必死に陸地に向かって泳ぐ中、途中、重い装備ごと海に沈んだ仲間を、教官が鈎の着いた棒で引き上げていた。
 そして、ソビエト領内で民主派が起こしたクーデター。
 訓練の一環として派遣されたその場所で、一般人を含む多くの民主派の人々をあらゆる方法で殺戮し、また自白を目的としない拷問にかけ、人間を効率的に殺傷し、或いは、最大限の苦痛や恐怖を与える方法を実践で学んできた。
 捕虜が逃亡しないように、拘束した数百人の両足のアキレス腱を切っていく作業では、もはや何の感情も湧くことはなかった。
 軍人として必要なあらゆることを叩き込まれ、最後まで五体無事で生き残った彼は、その後、エメトリア国内外で起こるあらゆる事件紛争に対して、対処を行い、実績を積むことで、軍内での最高位まで登り詰めることに成功したのだった。
 たたき上げの軍人として兵士からも、そして一部の民衆からも愛されたエメトリア軍最高指揮官。
 そんな彼が手塩にかけ鍛え上げてきたエメトリア革命軍の、中でも精鋭部隊である装甲兵部隊と、実験により作り上げられた魔女の組合せは、世界最高の特殊部隊と言われるイギリスSASにもひけをとらないと言われ、各国の軍隊からも高い評価を得ていた。
 その部隊が極東アジアの島国に済む黄色い小猿と変わらないと考えていた、日本人の高校生達にいいように蹂躙されていた。
 報告にあったようにその能力は高く評価していたつもりだった。
 ただ、実際にみるまで全てを完全に推し量ることは難しかった。
 戦後一度も戦争をしたことのない、経済をよりどころにして平和を謳歌する国のただの子ども達だ。映像も見たが未成年の素人に自分の精鋭部隊がやられているとは到底思えなかった。
 しかし、日本刀と呼ばれる装甲に触れれば折れそうな細身の剣を縦横無尽に振り回し、チタニウムの複合装甲で覆われた装甲兵を、柔らかいバターでもスライスするようにして血だるまにして飛び回る袴姿の少年。
 振るわれる刀の軌跡には水のような波紋が広がり、その身体は変幻自在に滑るように、さして広くない執務室を疾走し、壁から壁、天井へと跳躍する。
 マシンガンでは到底補足することができず、装甲服に備えられた大型の戦闘ナイフで応戦するも、そのナイフすら刀に触れた瞬間に真っ二つに切り割られる。
 一方、対物ライフルを軽いモップでも持つように小脇に抱えた少年の方は、その巨大な砲身を軽々と振り回し、凄まじい反動のあるライフルを狭い空間でいとも簡単にぶっ放す。
 するとその弾丸は室内を縦横に飛び回り、屈強の兵士達が装備するボディアーマーをも肉体ごと引き裂き、装甲兵の体に穴を穿った。
 鬼神のごとく暴れ回り、トラディッチへと迫り来る二人の少年を、装甲兵が必死の形相で遮り、別の兵士が室外へと連れ出した。
 まさか使うことになるとは思いもしなかった、執務室用の合金製の防護シャッターを下ろして、吉川と小坂とともに、自軍の兵達すらも中に閉じ込めた。
 シャッターの向こうからたまぎるような叫びや悲鳴を背後に、トラディッチが兵に守られるようにして足早に先へと進む。
 レジスタンスの襲撃が予想されていた脳化科学研究所の精鋭を、自分のいるエメトリア城に集結するよう、部下に指示をだした矢先、 
「全滅?研究所の部隊が全滅だと?」
「全滅です。ニコライ少佐以下、指揮官達の生死も不明です」
 青白い顔で報告に来た兵士が同じ内容をもう一度繰り替えした。
 軽装甲車等、市街戦を想定した大隊と虎の子の装甲兵団、そして、ニコライ配下の人工魔女部隊と、革命軍の中でも精鋭を配置した研究所が、装備も人員もままならないレジスタンスの部隊に陥落させられるとは。
 確認に走らせた別の兵士達の報告も同じ内容だった。
「!!?」
 突然、城内の窓を、いや、建物全体を震わせるような咆吼が辺りに轟いた。
「なんだあれは?」
 城内の窓から研究所の方角を望むと、暗い夜空を突くようにして巨大な赤い炎が吹き上がり、それが人知を超えた巨大な生物の形を模した。
 もう一度、腹の底から人間の根源的な恐怖心を煽るような咆吼を上げると、その赤い巨大な影がゆっくりとこちらを向いたようだ。
 通常の指揮官であったらこの事態をまず理解することに時間がかかったであろう。
 しかし、トラディッチはこれまでの知見とそして手に入れていた情報を元にすぐさま冷静さを取り戻したようだった。
「LTW(局所型熱核兵器)の使用も前提として殲滅作戦実施する。各地域の指揮官との2分後オンライン開始だ」
 姿勢を正し、いつもの超然とした態度にもどると、トラディッチは足早に地下の総合司令室へと向かった。

To be continued.
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