私。ついに癌宣告をうける。
文字数 3,226文字
かくして2015年の──日付けははっきりと覚えていません、多分十二月十五日だったと思うのですが──再び市内の個人病院を訪れます。会社を休んで、私と妻の二人で向かいました。
平日ではありましたが、そこそこ混んでいて、待たされた記憶があります。
診察を待っている間、待合室の壁に飾られてる油絵をぼんやり眺めていたのを覚えてます。なんでしょう。しょうもない記憶だけは鮮明に残ってますね笑。
もしかして……という悪い予感はありました。でも、まさか自分がそんな告知をされるはずがない。そんな考えも捨てきれずにいました。心ここにあらず、そんな感覚。
自分の名前を呼ばれ、二人で診察室に入り、なんて言われたんだったかなあ……記憶は今一つ不鮮明なのですが、確かこんな感じだったかと。
電話でもお伝えした通り、病理検査の結果はあまり良くありませんでした。なので、今日お呼びしました。
胃潰瘍の周辺から採取した筋組織の中から、『良くない細胞』が見付かりました。
直すためには手術をする以外の選択肢が無いのですが、当院では手に負えません。つきましては、大きな病院に紹介状を書きますが、何処がいいでしょうか?
胃カメラで撮った写真を見せながら、医者が矢継ぎ早に言葉を並べます。
ここまで一度も『癌』という単語が医者の口からでてきませんでしたが、流石に私も勘付きましたよ。そこで、確認の意味をこめてこう訊ねました。
「それはつまり、胃に癌があるということですか?」
医者は顔色ひとつ変えることなく私の目をみつめ、静かに首を縦に振りました。
心の奥底で恐れつつも、未だ”まさか”と考え目を背けていた懸案事項が、明確な輪郭線をともなって眼前に現れた瞬間です。
『癌』
この時、何を考えてたんでしょうね?
やはり記憶が定かではないのですが、ああ、私これで死ぬのかな、と思いました。
手術と一口にいっても、胃の全摘出まで至るかどうか、どの程度の進行度にあるかどうかは、精密検査をしないと云々……
医者が語りかけてくる声も何処か遠く聞こえ。
次の瞬間視界が突如として暗転すると、意識の混濁が起こり、気がつくと私は妻に支えられていました。
どうやら数秒気絶して、倒れそうになったらしいです。
目の前が真っ暗になるなんて感覚、生まれて初めてでしたね。
貧血症状がでていたので、そのまま一時間ほど点滴を受けることになりました。
病院の固いベッドに横になりながら、自分の浅はかさを呪い続けていました。もっと早く受診していれば、と過去の自分を責め続けていました。
それから帰途に着くのですが、なんとも滑稽な話で、この前日に私はヤフオクで”とある物”を落札してしました。そのため途中で銀行に立ち寄り、ATMで支払いを済ませます。
何を買ったのかって?
ソシャゲなんかで使う、ゲーム内アイテムですよ。
実に滑稽でしたよ。癌宣告を受けてこの先の生死すら定かじゃない自分が、ゲーム内のアイテムなんて如何にも泡沫 なものに手を出す。
『どうせ、無駄になるのに』
そう、自嘲したくなりました。
なんだか色々と情けなくて、
「これから色々と迷惑かけると思うけど、すまんな」
そんなことを妻に言ったことだけは、よく覚えています。
※2020年11月13日、追記。
実をいうと癌告知を受ける半年前に、一般検診を受けていました。検査内容は、血液検査、レントゲン (バリウムなし)、心電図、といった内容で、当然ここで癌は見つかっていません。
ですが、これはやむを得ないことなのです。
通常のレントゲンでも肺癌であれば、異常陰影から検出できるようですが、胃癌はほぼわかりません。
バリウムを使用したレントゲン撮影や、三次元 (多角的)に確認できるCTであれば検出も期待できますが、いずれにしても内視鏡検査に勝るものはないのです。
* * *
こうして、市内の総合病院に紹介状を書いてもらった私は、翌週から、段階的に精密検査を受けていくことになりました。
胃癌なのだから、胃の検査だけやればいいだろう?
そう考えるかもしれません。
しかし話はそんなに単純明快ではなく、どうせ手術をするなら (いや、この表現どうかと思いますがw意味的にはそういう事なんです)洗いざらい検査をして悪いところを探しましょう、という話になるんです。
例えば、大腸にもポリープ──若しくは悪性腫瘍がないか──を検査して、もしあるのであれば開腹したついで (この表現もどうか、とは思います)に手術して取り除こうというそんな話。
言葉は悪いけど、一石二鳥、という奴です。
心電図に血液検査にCT、そして、これまた辛い大腸カメラetc……。
結果としては、大腸に小さなポリープが見付かったものの、特に問題はないでしょう、というものでした。
検査をして決まった手術の方針。それは、半分から3/4程の胃を摘出して、十二指腸と繋ぐというものでした。これは、癌のある箇所が、胃の上半分にあったから。患部より少し広めに切除する必要があるんですね。
但し、胃を何処まで残せるか。写真だけで判断するのは難しい。年末か翌年にでも、再度胃カメラ検診をして、最終的な方針をきめましょう。そんな結論に至りました。
そこで、翌年 (2016年)の一月五日に再び胃カメラを飲むことになるのです。
今回は、口から飲む一般的な奴です。しんどい……そこでちょっとだけ無理を言って、胃カメラの時に鎮静剤をつかってもらうことになりました。
そうです。胃カメラには鎮静剤をつかって全身麻酔をかける方法もあるんです。
メリットは言わずもがな、意識がぼんやりしているうちに検診が済むので、全然苦しくない。
デメリットは、血圧が下がることがある。検査後、しばらく休む必要がある。検査当日の運転を控える必要がある。
後はそうね、たぶん費用はちょっと割り増しかと。
年が明けて2016年一月五日。受けましたよ。鎮静剤を使っての胃カメラ検診。
これ本当に眠くなるのかな? なんて考えているうちに意識が混濁し、気がつくと終わってました。
当然、まったく痛みも苦しさも感じることなく。
素晴らしい! と思いましたね。
もっと早く教えてくれよ! とも。
けど、鎮静剤を使った胃カメラは、これが最初で最後となりました。
理由としては、やはり車の運転を控えなければならない、というのが問題だったというのもありますが、この日の夜に大事件が起きて、なし崩し的に何度も胃カメラを飲んでるうちに慣れてしまった、というか開き直ったというか。それが大きい、のかな?
気づきました? 変な単語、混ざってたでしょう?
そう、大事件が起こります。
このころには、手術日も決まってました。一月十四日に入院をして、五日後の十九日に手術という予定でした。
開腹手術ではなく、腹腔鏡手術で行う予定になっていました。腹腔鏡手術というのは、腹部に小さな穴を数箇所開けて、内視鏡のようなものを腹部に差し入れて行う手術です。術後の傷口が小さく、且つ、回復が早くなるメリットがあります。反面、難易度の高い手術になります。
さて、一月五日夜半。二十三時半頃、でしたでしょうか?
眠っているとき、突然猛烈な吐き気に襲われます。血相を変えて跳ね起きた私は、慌ててトイレまで駆け込みます。
便器を抱え──食事中の方すいません──
そのまま嘔吐しました。
出てきたものは食べ物と、大量の血。便器の内側が全て真っ赤に染色されるほどの膨大な量でした。
混乱する思考の中、それでも、『これは胃から出血しているんだろう』とは理解できました。
内容物を出せるだけ出して、軽い眩暈と寒気を感じつつトイレを出た私は、心配をして様子を見に来た妻の目の前で倒れます。
完全に、貧血の症状がでていました。
こうして入院予定日だった十四日より十日も早く、私は緊急入院することになるのです。
続く。
平日ではありましたが、そこそこ混んでいて、待たされた記憶があります。
診察を待っている間、待合室の壁に飾られてる油絵をぼんやり眺めていたのを覚えてます。なんでしょう。しょうもない記憶だけは鮮明に残ってますね笑。
もしかして……という悪い予感はありました。でも、まさか自分がそんな告知をされるはずがない。そんな考えも捨てきれずにいました。心ここにあらず、そんな感覚。
自分の名前を呼ばれ、二人で診察室に入り、なんて言われたんだったかなあ……記憶は今一つ不鮮明なのですが、確かこんな感じだったかと。
電話でもお伝えした通り、病理検査の結果はあまり良くありませんでした。なので、今日お呼びしました。
胃潰瘍の周辺から採取した筋組織の中から、『良くない細胞』が見付かりました。
直すためには手術をする以外の選択肢が無いのですが、当院では手に負えません。つきましては、大きな病院に紹介状を書きますが、何処がいいでしょうか?
胃カメラで撮った写真を見せながら、医者が矢継ぎ早に言葉を並べます。
ここまで一度も『癌』という単語が医者の口からでてきませんでしたが、流石に私も勘付きましたよ。そこで、確認の意味をこめてこう訊ねました。
「それはつまり、胃に癌があるということですか?」
医者は顔色ひとつ変えることなく私の目をみつめ、静かに首を縦に振りました。
心の奥底で恐れつつも、未だ”まさか”と考え目を背けていた懸案事項が、明確な輪郭線をともなって眼前に現れた瞬間です。
『癌』
この時、何を考えてたんでしょうね?
やはり記憶が定かではないのですが、ああ、私これで死ぬのかな、と思いました。
手術と一口にいっても、胃の全摘出まで至るかどうか、どの程度の進行度にあるかどうかは、精密検査をしないと云々……
医者が語りかけてくる声も何処か遠く聞こえ。
次の瞬間視界が突如として暗転すると、意識の混濁が起こり、気がつくと私は妻に支えられていました。
どうやら数秒気絶して、倒れそうになったらしいです。
目の前が真っ暗になるなんて感覚、生まれて初めてでしたね。
貧血症状がでていたので、そのまま一時間ほど点滴を受けることになりました。
病院の固いベッドに横になりながら、自分の浅はかさを呪い続けていました。もっと早く受診していれば、と過去の自分を責め続けていました。
それから帰途に着くのですが、なんとも滑稽な話で、この前日に私はヤフオクで”とある物”を落札してしました。そのため途中で銀行に立ち寄り、ATMで支払いを済ませます。
何を買ったのかって?
ソシャゲなんかで使う、ゲーム内アイテムですよ。
実に滑稽でしたよ。癌宣告を受けてこの先の生死すら定かじゃない自分が、ゲーム内のアイテムなんて如何にも
『どうせ、無駄になるのに』
そう、自嘲したくなりました。
なんだか色々と情けなくて、
「これから色々と迷惑かけると思うけど、すまんな」
そんなことを妻に言ったことだけは、よく覚えています。
※2020年11月13日、追記。
実をいうと癌告知を受ける半年前に、一般検診を受けていました。検査内容は、血液検査、レントゲン (バリウムなし)、心電図、といった内容で、当然ここで癌は見つかっていません。
ですが、これはやむを得ないことなのです。
通常のレントゲンでも肺癌であれば、異常陰影から検出できるようですが、胃癌はほぼわかりません。
バリウムを使用したレントゲン撮影や、三次元 (多角的)に確認できるCTであれば検出も期待できますが、いずれにしても内視鏡検査に勝るものはないのです。
* * *
こうして、市内の総合病院に紹介状を書いてもらった私は、翌週から、段階的に精密検査を受けていくことになりました。
胃癌なのだから、胃の検査だけやればいいだろう?
そう考えるかもしれません。
しかし話はそんなに単純明快ではなく、どうせ手術をするなら (いや、この表現どうかと思いますがw意味的にはそういう事なんです)洗いざらい検査をして悪いところを探しましょう、という話になるんです。
例えば、大腸にもポリープ──若しくは悪性腫瘍がないか──を検査して、もしあるのであれば開腹したついで (この表現もどうか、とは思います)に手術して取り除こうというそんな話。
言葉は悪いけど、一石二鳥、という奴です。
心電図に血液検査にCT、そして、これまた辛い大腸カメラetc……。
結果としては、大腸に小さなポリープが見付かったものの、特に問題はないでしょう、というものでした。
検査をして決まった手術の方針。それは、半分から3/4程の胃を摘出して、十二指腸と繋ぐというものでした。これは、癌のある箇所が、胃の上半分にあったから。患部より少し広めに切除する必要があるんですね。
但し、胃を何処まで残せるか。写真だけで判断するのは難しい。年末か翌年にでも、再度胃カメラ検診をして、最終的な方針をきめましょう。そんな結論に至りました。
そこで、翌年 (2016年)の一月五日に再び胃カメラを飲むことになるのです。
今回は、口から飲む一般的な奴です。しんどい……そこでちょっとだけ無理を言って、胃カメラの時に鎮静剤をつかってもらうことになりました。
そうです。胃カメラには鎮静剤をつかって全身麻酔をかける方法もあるんです。
メリットは言わずもがな、意識がぼんやりしているうちに検診が済むので、全然苦しくない。
デメリットは、血圧が下がることがある。検査後、しばらく休む必要がある。検査当日の運転を控える必要がある。
後はそうね、たぶん費用はちょっと割り増しかと。
年が明けて2016年一月五日。受けましたよ。鎮静剤を使っての胃カメラ検診。
これ本当に眠くなるのかな? なんて考えているうちに意識が混濁し、気がつくと終わってました。
当然、まったく痛みも苦しさも感じることなく。
素晴らしい! と思いましたね。
もっと早く教えてくれよ! とも。
けど、鎮静剤を使った胃カメラは、これが最初で最後となりました。
理由としては、やはり車の運転を控えなければならない、というのが問題だったというのもありますが、この日の夜に大事件が起きて、なし崩し的に何度も胃カメラを飲んでるうちに慣れてしまった、というか開き直ったというか。それが大きい、のかな?
気づきました? 変な単語、混ざってたでしょう?
そう、大事件が起こります。
このころには、手術日も決まってました。一月十四日に入院をして、五日後の十九日に手術という予定でした。
開腹手術ではなく、腹腔鏡手術で行う予定になっていました。腹腔鏡手術というのは、腹部に小さな穴を数箇所開けて、内視鏡のようなものを腹部に差し入れて行う手術です。術後の傷口が小さく、且つ、回復が早くなるメリットがあります。反面、難易度の高い手術になります。
さて、一月五日夜半。二十三時半頃、でしたでしょうか?
眠っているとき、突然猛烈な吐き気に襲われます。血相を変えて跳ね起きた私は、慌ててトイレまで駆け込みます。
便器を抱え──食事中の方すいません──
そのまま嘔吐しました。
出てきたものは食べ物と、大量の血。便器の内側が全て真っ赤に染色されるほどの膨大な量でした。
混乱する思考の中、それでも、『これは胃から出血しているんだろう』とは理解できました。
内容物を出せるだけ出して、軽い眩暈と寒気を感じつつトイレを出た私は、心配をして様子を見に来た妻の目の前で倒れます。
完全に、貧血の症状がでていました。
こうして入院予定日だった十四日より十日も早く、私は緊急入院することになるのです。
続く。