第25話 秋の日に
文字数 2,833文字
急に肌寒くなったせいか、春から連絡を絶っている両親のことが気になっていた。
「体調を崩してないか」
「もしこのまま父や母になにかあったら後悔するのだろうか」
ここ数日そんな思いが頭にふわふわ浮かんだ。
前ならすぐに電話をかけるか会いに行くかして両親の様子を確認した。
今はそれをしない。
しないと決めたから。
昨日、洗濯物を干しているときにチャイムが鳴った。その時点で頭のどこかでは父だろうと思っていた。
インターホンのモニターは映りが悪く、父も意識的にか画面から顔を逸らしているので、モニターの姿を見た時点でははっきり父だと確信できなかった。
だからつい「はい」と応答してしまった。薄々父だとわかっていたのに。魔が差したのだろうか。
「お母さんから」
母から預かってきたものがあると言う。父は母を出汁にする。
玄関に行って、ドアを開けた。
父と会うのは半年ぶりぐらいかもしれない。
「なに?」
「タオルや。渡しといてくれって」
「頼んでないけど」
父はそれを渡すなり帰るそぶりをして、私もドアを閉めかけて
父は玄関から離れようとしながら
「それで、みんな元気にやっとるんか」と、投げやりに聞いた。
やさしく聞けないこどもじみた性格。
「やってますけど」
あなたたちにそんなこと言われなくても、と声にこめながら、いやな答えかたを私もする。
包みを開けると、肌触りの良いフェイスタオルが一枚入っていた。
母の墨の字で「つかってみてください。さっとあらいすみ…」と書いた紙が入っていた。メモのような紙。でも、文字は墨。
母はいちいち墨を磨って手紙を書く。言葉は短い、メモのような手紙。
墨で書くのは母のこだわり。
そんな母をかっこいいと思っていた。よそのお母さんとは色々違う、ちょっと変わった人だけど母のこだわりはそれはそれですてきだとこども心に思っていた。
今はどっちでもいい。
その墨の字を見てホッとした。
前に見たときよりしっかりしている。
母は元気なんだと思った。
でもその肌触りのいいタオルを触りながらモヤモヤした気持ちが込み上げてきた。
これを受け取ったら、また元に戻る。
なにもなかったように元に戻ってしまう。
母は独自を行く人だから、私たちこどもに「みんなやってるから」という価値観をかざしたことは一度もない。というかそういう価値観がそもそも母にはないのでは? と思うほど、それが当たり前だった。
それは私にとって、とても生きやすいことだった。
ただあまりにもそうなので「マナー」というものまで知らずに恥ずかしい思いをしたことは幾度かある。
人としての行いという意味でのマナーではなく、慣例、慣習。母はそういったものを嫌った。
そんなことより大切なものがある、と。
友達の結婚が決まったとき、事前に友達宅を訪問してお祝いを届けた。友達のお母さんが砂糖のかたまりのような小さな和菓子を出してくださった。
私はそれをパクパク食べた。
後でなにかで知ったのだが、それは懐紙に包んで持ち帰るものらしい。
そんなことを咎める人はいないのかもしれないけど「なにも知らん子やな」と蔑む人もいるかもしれない。
私はマナーを知らないままでは恥をかくと思い、分厚いマナーブックを自分で買った。
ある程度知った上で、それに則るかどうか取捨選択できたらいい。
そこでもわたしは別に母を嫌悪しなかった。
母は母でかっこいいと思っていた。
変なところもあるけど、誇らしくもある。
母は母だし、私がそれを肯定も否定もするものではないと思っていた。
だが、私が大人になればなるほど、母は私に干渉するようになった。
変だけどかっこよかった母の口から、凡庸で疎ましい言葉が出る。
悪口をあんなに嫌っていた人が他人の悪口を言い、批判ばかりする。
「こどもは自分の持ち物じゃないと私は思う」と言っていた人が、自分の考えを押し付け、自分の感情で振り回す。
私から見た母は「言ってることとやってることが違う」のオンパレードだった。
そしてそれは年齢を重ねるにつれひどくなった。
老化がそうさせるのだろうか。
母はどこかでなにかを間違えたのだと思う。
母のなにがそんなにいやなのか、積もりつもったことなのでなかなか伝わりづらい話だ。こんなこと、究極な私事。基本的に人にする話ではない。
でも。
例えば私に乳がんの疑惑が降りかかったとき。
不安な気持ちをただ聞いてほしくて母に電話をした。
母の言葉は
「そいうこと、言ってこんといて。こっちがしんどくなるから」
私は ガーーーン とも思わなかった。
そんなやり取りが当たり前過ぎて。
なんならいやなことを聞かせた私が悪いと思った。そうやんな、人のしんどいこととか聞きたくないよな、と。
でも私は母にそんなふうに言えない。
母の愚痴を共感しながら聞き、体調が悪いときは病院に付き添った。
それもそんなにいやではなかった。
なにがいやかと言えば、攻撃されること。
訳の分からない非難が始まる。そのことに、もう耐えられなくなった。
いつからか、母にとって私は「傷つけてもいい存在」になっていた。
そうなのだと認めたら、もう離れるしか方法はない。そばにいたまま解決はしない。
プラスチックぐらいの軽いフタで抑えていた母に対する気持ち。そのフタがぽこっと外れた。
するとあとからあとから膿が溢れ出た。
どばどば出だしたそれを、もう一度あんな軽いフタで抑えるのは無理だ。
もう私は開けっぱなしにしようと思った。
空になったら、またフタをしよう。
プラスチックのフタ。
許容範囲であればちゃんと閉まるのだ。
なにが言いたいかといえば、結局父が届けたそのタオルを、私は郵便で送り返した。
徒歩圏内の実家。
でも、郵送にした。
ひどいかもしれないけど。
今ここで戻っても、また私はしんどい。
母への抵抗は、今年の母の日になにもしなかったというだけだったけど、今度はもう少し明らかな抵抗として伝わるだろう。
後ろめたさを感じない訳はない。
郵便局に着いてもしばらく車から出られなかった。
でも、なにもなかったようにこのタオルを受け取りたくない。
その前にたった一言、母の口から聞きたい言葉がある。「ごめん」と。
せめてもの思いで、郵便局に売っていた母の好きそうな綺麗な絵柄の切手を並べて貼った。
父も母もまだ元気なうちに、少しでも正気に戻ってほしい。
私は父と母のすてきなところを誇りに思って生きてきたのだ。
そして翌日の今日。
父から電話があった。
いつもなら実家からの電話は取らないようにしている。しばらくかかってくることもなかった。
でも今日は父の気負いのようなものが伝わってきて電話を取ってしまった。
私は弱っているのだろうか。
送り返したタオルが届いたらしい。
「なにがあったんや。なんでこんな気ぃ悪いことするんや……」と父は言った。
「こっちは今まで散々やられてきたんや」私は辛うじて答えた。
父がまだなにか言いたそうだったので
「今、急いでるから」
と電話を切った。
世の常だが、傷つけているほうに自覚はない。
綺麗さっぱり忘れている。
思わぬ宣戦布告になった。
「体調を崩してないか」
「もしこのまま父や母になにかあったら後悔するのだろうか」
ここ数日そんな思いが頭にふわふわ浮かんだ。
前ならすぐに電話をかけるか会いに行くかして両親の様子を確認した。
今はそれをしない。
しないと決めたから。
昨日、洗濯物を干しているときにチャイムが鳴った。その時点で頭のどこかでは父だろうと思っていた。
インターホンのモニターは映りが悪く、父も意識的にか画面から顔を逸らしているので、モニターの姿を見た時点でははっきり父だと確信できなかった。
だからつい「はい」と応答してしまった。薄々父だとわかっていたのに。魔が差したのだろうか。
「お母さんから」
母から預かってきたものがあると言う。父は母を出汁にする。
玄関に行って、ドアを開けた。
父と会うのは半年ぶりぐらいかもしれない。
「なに?」
「タオルや。渡しといてくれって」
「頼んでないけど」
父はそれを渡すなり帰るそぶりをして、私もドアを閉めかけて
父は玄関から離れようとしながら
「それで、みんな元気にやっとるんか」と、投げやりに聞いた。
やさしく聞けないこどもじみた性格。
「やってますけど」
あなたたちにそんなこと言われなくても、と声にこめながら、いやな答えかたを私もする。
包みを開けると、肌触りの良いフェイスタオルが一枚入っていた。
母の墨の字で「つかってみてください。さっとあらいすみ…」と書いた紙が入っていた。メモのような紙。でも、文字は墨。
母はいちいち墨を磨って手紙を書く。言葉は短い、メモのような手紙。
墨で書くのは母のこだわり。
そんな母をかっこいいと思っていた。よそのお母さんとは色々違う、ちょっと変わった人だけど母のこだわりはそれはそれですてきだとこども心に思っていた。
今はどっちでもいい。
その墨の字を見てホッとした。
前に見たときよりしっかりしている。
母は元気なんだと思った。
でもその肌触りのいいタオルを触りながらモヤモヤした気持ちが込み上げてきた。
これを受け取ったら、また元に戻る。
なにもなかったように元に戻ってしまう。
母は独自を行く人だから、私たちこどもに「みんなやってるから」という価値観をかざしたことは一度もない。というかそういう価値観がそもそも母にはないのでは? と思うほど、それが当たり前だった。
それは私にとって、とても生きやすいことだった。
ただあまりにもそうなので「マナー」というものまで知らずに恥ずかしい思いをしたことは幾度かある。
人としての行いという意味でのマナーではなく、慣例、慣習。母はそういったものを嫌った。
そんなことより大切なものがある、と。
友達の結婚が決まったとき、事前に友達宅を訪問してお祝いを届けた。友達のお母さんが砂糖のかたまりのような小さな和菓子を出してくださった。
私はそれをパクパク食べた。
後でなにかで知ったのだが、それは懐紙に包んで持ち帰るものらしい。
そんなことを咎める人はいないのかもしれないけど「なにも知らん子やな」と蔑む人もいるかもしれない。
私はマナーを知らないままでは恥をかくと思い、分厚いマナーブックを自分で買った。
ある程度知った上で、それに則るかどうか取捨選択できたらいい。
そこでもわたしは別に母を嫌悪しなかった。
母は母でかっこいいと思っていた。
変なところもあるけど、誇らしくもある。
母は母だし、私がそれを肯定も否定もするものではないと思っていた。
だが、私が大人になればなるほど、母は私に干渉するようになった。
変だけどかっこよかった母の口から、凡庸で疎ましい言葉が出る。
悪口をあんなに嫌っていた人が他人の悪口を言い、批判ばかりする。
「こどもは自分の持ち物じゃないと私は思う」と言っていた人が、自分の考えを押し付け、自分の感情で振り回す。
私から見た母は「言ってることとやってることが違う」のオンパレードだった。
そしてそれは年齢を重ねるにつれひどくなった。
老化がそうさせるのだろうか。
母はどこかでなにかを間違えたのだと思う。
母のなにがそんなにいやなのか、積もりつもったことなのでなかなか伝わりづらい話だ。こんなこと、究極な私事。基本的に人にする話ではない。
でも。
例えば私に乳がんの疑惑が降りかかったとき。
不安な気持ちをただ聞いてほしくて母に電話をした。
母の言葉は
「そいうこと、言ってこんといて。こっちがしんどくなるから」
私は ガーーーン とも思わなかった。
そんなやり取りが当たり前過ぎて。
なんならいやなことを聞かせた私が悪いと思った。そうやんな、人のしんどいこととか聞きたくないよな、と。
でも私は母にそんなふうに言えない。
母の愚痴を共感しながら聞き、体調が悪いときは病院に付き添った。
それもそんなにいやではなかった。
なにがいやかと言えば、攻撃されること。
訳の分からない非難が始まる。そのことに、もう耐えられなくなった。
いつからか、母にとって私は「傷つけてもいい存在」になっていた。
そうなのだと認めたら、もう離れるしか方法はない。そばにいたまま解決はしない。
プラスチックぐらいの軽いフタで抑えていた母に対する気持ち。そのフタがぽこっと外れた。
するとあとからあとから膿が溢れ出た。
どばどば出だしたそれを、もう一度あんな軽いフタで抑えるのは無理だ。
もう私は開けっぱなしにしようと思った。
空になったら、またフタをしよう。
プラスチックのフタ。
許容範囲であればちゃんと閉まるのだ。
なにが言いたいかといえば、結局父が届けたそのタオルを、私は郵便で送り返した。
徒歩圏内の実家。
でも、郵送にした。
ひどいかもしれないけど。
今ここで戻っても、また私はしんどい。
母への抵抗は、今年の母の日になにもしなかったというだけだったけど、今度はもう少し明らかな抵抗として伝わるだろう。
後ろめたさを感じない訳はない。
郵便局に着いてもしばらく車から出られなかった。
でも、なにもなかったようにこのタオルを受け取りたくない。
その前にたった一言、母の口から聞きたい言葉がある。「ごめん」と。
せめてもの思いで、郵便局に売っていた母の好きそうな綺麗な絵柄の切手を並べて貼った。
父も母もまだ元気なうちに、少しでも正気に戻ってほしい。
私は父と母のすてきなところを誇りに思って生きてきたのだ。
そして翌日の今日。
父から電話があった。
いつもなら実家からの電話は取らないようにしている。しばらくかかってくることもなかった。
でも今日は父の気負いのようなものが伝わってきて電話を取ってしまった。
私は弱っているのだろうか。
送り返したタオルが届いたらしい。
「なにがあったんや。なんでこんな気ぃ悪いことするんや……」と父は言った。
「こっちは今まで散々やられてきたんや」私は辛うじて答えた。
父がまだなにか言いたそうだったので
「今、急いでるから」
と電話を切った。
世の常だが、傷つけているほうに自覚はない。
綺麗さっぱり忘れている。
思わぬ宣戦布告になった。