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文字数 7,994文字

 キャスリーン・ウェイドは今年四十になる、独身女性である。
 それまでずっと未婚で通してきたのは、彼女の生き甲斐である仕事のためだった。二十四歳でワシントン大学の法学部を卒業し、司法や政治関係の職をいくつかつとめてから、現在の仕事に就いた。それは赤狩りで有名なマッカーシー以来の、急進的な政治家といわれたロバート・マックスウェル上院議員の専任秘書官だった。
 彼女はロバート・マックスウェルを尊敬していたし、また秘かに愛してすらいた。
 マックスウェルは五十六歳。いずれはホワイトハウスの最高級のソファに座り込むことを夢見ている男だ。もしそうなれば、就任式の翌日にはどこかの国に向けて、核攻撃の指令を発してもおかしくないほどの超タカ派だが、キャスリーン・ウェイドには関係のないことだった。彼は理知的で、威厳があり、それにハンサムだった。
 LA郊外の、アーウィンデイルという小さな街にあるマックスウェルの私邸に、彼が戻ってくることは稀だったが、六月になって、彼は珍しく妻のアイリーンと息子のロイド、それに秘書のキャスリーンを連れてこの家にやってきた。以来、一週間になる。
 アイリーンとロイドは三日後にワシントンに戻ったが、彼はまだここにいた。キャスリーンも彼とともに残り、ひたすらデスクに向かって事務仕事に専念した。彼女はロバートとふたりきりになれたことを幸せに思っていたが、むろん、愛の告白なぞ思ったこともない。ふたりの間にセックスの関係は一切なかった。
 この日、玄関近くの一室で彼女がいつものように書類の整理をしていると、表の車寄せに一台のクリーム色のフォルクスワーゲンが入ってくるのが、窓のブラインド越しに見えた。すぐにロバートに伝えに行くと、彼はガウンを着たまま居間の椅子に座り込んで、〈ニューズウィーク〉を読んでいるところだった。
「予定の客だ。応接室に通してくれ、キャス」
 ロバートは実に魅力的な笑みを浮かべて、そういった。
 彼女は秘書である自分すら知らない予定を彼が持っていたことに内心、驚きながら、早々に玄関に出た。
 ワーゲンのドアが開いて、小柄な中年男が出てきた。彼がジョゼフ・マックスウェルであることに気づいて、キャスリーンはふたたび驚いた。ふたりはずいぶんと昔に仲違いをして、縁を切ったはずだった。
 ジョゼフはひどくおどおどしながら、兄の私邸に入ってきた。唐草模様のカーペットのどこかに地雷でも仕掛けてあるかのように慎重に歩き、キャスリーンが開いた応接室の扉から中に入った。
「兄さん」
 ジョゼフが声をかけると、椅子に座ってトルコ産の葉巻をくわえていたロバートが立ち上がった。
「やあ、ジョゥゼフ。久し振りだな、よく来てくれた」
 オーバーに名前が間延びするのは、侮蔑を込めた弟の呼び方だ。キャスリーンの前で何度か弟のことが話題に出るたびに、そういった発音でその名を口にしたものだった。
 それでもロバートは律儀に弟の躰を抱き締め、さかんに肩や背中を叩いた。次に彼を長椅子に座らせて、自分も向かいの椅子に腰を降ろした。
「キャス。彼にコーヒーでも淹れてやってくれ。私はいつものように緑茶でいい」
 キャスリーンは一礼して応接室を出た。扉を閉めるとき、ロバートがいうのが聞えた。
 ――お前はいい奴だし、やり手の実業家だが、ひとつだけ問題があるんだ。なあ、ジョゥゼフ。私が今、何を考えているか、わかるかね?
 彼女はそこで立ち聞きをやめて、廊下を歩いていった。
 しばらくしてコーヒーと緑茶を持って戻ってくると、不思議なことに応接室にはロバートひとりしかいなかった。彼は大きな暖炉の脇に置いてある、大学時代のフットボール仲間と肩を組んで撮った写真を見ていたが、彼女に気づいて振り返った。
「ああ、すまない、キャス。弟は急用ができて帰った。私の緑茶だけを、そこへ置いていってくれないか?」
 彼女は変に思いながら、ロバートの緑茶をテーブルに置いて応接室を出た。
 実際、奇妙だった。
 ジョゼフが家を出ていくためには、彼女がいたキッチンルームの脇を通らなければならないし、車寄せのワーゲンのエンジンがかかる音すら聞えなかった。
 首を傾げながら歩いていくと、長い廊下の向こうに人影が見えた。
 それはずいぶんと長身の男だった。鮮やかな赤毛が目立っていた。
 地味なスーツを着て、鮫を思わせる生気のない目で女をじっと見つめていた。
 思わず立ち止まった彼女は、ショックから立ち直ると、次にどうしようかと思案した。この家に自分とロバート・マックスウェル以外の誰かがいるなんて、まったく知らなかったからだ。幽霊にしては男は実感がありすぎた。
 意を決して歩き出し、男の脇を通って向こうに行こうとしたとき、低い声がした。
「いい匂いだ。もらっていいかな」
 はっとしたときには、彼女の持っていたトレイから、コーヒーの入ったカップが取り上げられていた。キャスリーンはぞっとして、あとも振り返らずに早足でキッチンルームに向かった。
 秘書室に戻ったとき、表の車寄せでフォルクスワーゲンのエンジンの音が聞えた。
 彼女はすぐに窓に歩き、ブラインドに指を差し込んで隙間を作って表を見た。
 ワーゲンは後部のエキゾーストパイプから紫煙を吐き出しながら、ゆっくりと庭を通って表通りに出ていこうとしている。その後ろ――玄関前の車寄せには、数人の黒いスーツ姿の男たちが立っていた。
 彼らはシークレットサーヴィスのように見えたが、そうじゃなかった。マックスウェルの演説会にいつも付き添うシークレットサーヴィスなら、全員が彼女と顔馴染だったし、目の前にいる男たちはいずれも初めて見る顔だった。
 このときになって、キャスリーンはようやく、ロバート・マックスウェルという男に、得体の知れない恐怖を感じた。


       ☆

 フランク・ジェンキンズとロディ・ムラカミの棺が大きな星条旗で包まれ、プラザチャーチに並ぶ何百名もの警官の前で荘厳に葬式が行なわれ、埋葬する墓地に向かう霊柩車の後ろ何マイルにも渡ってパトカーと白バイが連なって続いたのに比べ、ジェフ・マツオカ、そしてマギー・エンジェルの葬式は質素なものだった。
 俊介とラリー、そして由起。リトル・トウキョウに住む日系人数名が街外れの小さな教会に集まり、小雨の中でしめやかに葬式が執り行なわれた。
 ナルティは入院中の病院を抜け出し、車椅子で葬儀に来ていた。ジェンキンズの棺に献花をしてあと、ジェフとマギーの葬儀にも参加した。撃たれた傷は治っておらず、ひどくつらそうで、終始無口だった。
 ジェフとマギーを無事に埋葬してから、ラリーと俊介、由起はナルティを病院に送り届け、それから市警本部に向かった。
 薄暗い遺体安置室で、弟にとりすがって佳織が泣いていた。
 俊介たちは、黙って彼女を見守るしかなかった。もしも日本大使館に行っていなかったら、佳織もまたあの車内で亡くなっていただろう。たまたま命拾いしたものの、大切な弟の死をまだ受け入れられずにいる。
 翌日になっても、LAの街に小糠雨が降り続いていた。
 白木の棺に横たえられた慎吾の遺体は、午後になってロサンジェルス国際空港に運ばれた。
 成田行きの旅客便に、パレットに載せられた棺がコンベアで運び込まれた。モーター音とともに、それがゆっくりと貨物室の奥に消えてゆくまで、俊介たちは小雨に濡れながら、横並びになって見送っていた。
 佳織は最後に彼らの前にやってきて、深々とお辞儀をした。
 俊介、ラリー、由起も頭を下げた。
「お世話になりました」
 佳織がそういった。
「お役に立てなくて、本当にもうしわけなく思います」
 俊介がそういうと、佳織は小さくかぶりを振った。
「そんなことないです。あなたたちは本当によくして下さいました。そのために、大勢のお仲間たちが……」
 ふいに彼女は眉根を寄せて口許を掌で覆った。
 由起が足を踏み出し、佳織を抱き寄せた。
 佳織は彼女の胸に頬を当てて嗚咽した。俊介とラリーはそれを黙って見るばかりだった。


       ☆

 雨は夜になってもまだ降り続いた。
 夕刻、セントラル通りにある小さなパブでビールを飲み、食事を取ったラリーたち三人は、クリシュラ・ビルディングのオフィスに戻っていた。
〈トラブル・コンサルタント〉の窓は、まだ銃弾の孔だらけで、しとしと降る雨が霧のような細かい飛沫になってそこから入り込んでいた。ガラスの破片や空薬莢がたくさん散らばっているオフィスでゴキブリやネズミがどれだけ床で運動会をやっても、気にする必要はなかった。
 俊介は窓際に立ってズボンのポケットに片手を突っ込み、闇の中に滲む街のネオンサインを見ていた。
 ロディ・ムラカミの死は、〈殉職〉として新聞に発表された。パトロール途中の交通事故となっていた。フランク・ジェンキンズは、テロリストらしき正体不明の人物の仕掛けた爆弾によって死亡。むろんだが、ふたりの死因に繋がりがあることには一切触れられていなかった。
「俊介」
 呼ばれて振り返った。壊れかけたマホガニーの机にもたれていたラリーが、〈ロサンジェルス・タイムズ〉を手にしていた。警官ふたりの葬儀の記事の下に、もうひとつの記事が載っている。
『バークリィ銀行LA支店長、ジョゼフ・マックスウェル氏、謎の自殺』
 クレアモントのケーブル空港近く、路上に停まっていたフォルクスワーゲンの中で、彼が拳銃を口に突っ込んだまま血だらけになって死んでいるのを、通りかかった空港警備員が見つけた。遺書などは見つからなかった。
「とうとう自分から尻尾を出したな」と、ラリーがいった。「弟のことが世間に知られるのを恐れたってわけだ」
「そう。大統領になるために」
 俊介は窓外を見ながらつぶやいた。
「雨が止んだら、行こう」と、ラリーがいった。
「由起のことはどうするんだ?」俊介が訊いた。
 ラリーは黙って振り向いた。
 窓際の長椅子の上で、毛布にくるまって由起が眠っていた。
 左の頬に、火傷の跡がある。この傷はいつかは消えるだろう。だが左腕と背中に巻いた包帯の下は重度の火傷だ。おそらく一生消えまい。彼女の心の傷とともに、死ぬまでついて残る。
「おれといっしょに行けば、生還できる保障はない」
「覚悟の上だ」と、ラリーが答えた。
「お前がくたばれば、彼女を悲しませることになる。それが心苦しんだ」
 ラリーは応えず、口を引き結んでいる。
 俊介は窓外を見たまま、しばらく沈黙していたが、やがてまた口を開いた。
「おれも、彼女に惚れていた」
「知ってたよ」ラリーが少し、笑った。
「由起のような女は、今どき珍しい存在だ。純粋で理知的で、それに勇気を持っている。そんな彼女が、おれじゃなく、お前を選んだ理由もよくわかっている」
 ラリーがうなずいた。
「君がなんていおうが、行くよ。ぼくらはコンビだ」
「お前は、どうしようもなく莫迦な奴だな」
「莫迦はお互い様だ」
 俊介はふっと笑った。「そうだな。おれたちゃ、つくづく莫迦だって思うよ」


       ☆

 ビルの前に停めていたサバンナに乗った。
 ラリーが運転席、俊介が助手席。ふたりの重みで車がわずかに沈んで揺れた。
 叩きつけるような雨がフロントガラスにぶつかり、流れている。
 ラリーがエンジンをかけた。
 ステアリングを回しながらゆっくりと車を出した。
 そのとき、真横から甲高いサイレンの音が聞こえた。
 思わぬ間近だった。
 驚いたふたりが右手の路地を見ると、パトカーのランプが複数、驟雨の中に明滅している。それらが大通りに飛び出してくると、一台が三番名の行く手をさえぎるように停まった。他の警察車両もサバンナの近くに次々と停車する。
 車両の側面にはLAPDのモットーである”to protect and to serve(保護と奉仕)”の文字が鮮やかに見える。
 それぞれのドアがいっせいに開いた。乱雑な足音がして、制服警官たちが数名、銃をかまえながら彼らのサバンナをたちまち包囲してしまった。
 ――ラリー・ステインシュネイダーとシュンスケ・ナリタ。車を下りろ!
 怒声のような声が拡声器で放たれた。
「考えたくないが、マックスウェルに先手を打たれたんじゃあるまいな」
 俊介が落ち着いた声でいった。
「それはありうる」と、ラリー。
「どうする?」
「下手に抵抗すれば、ボニーとクライドの二の舞だ」
 ラリーがあきらめ顔でエンジンを切った。
 ふたりして車のドアを開き、篠突く雨の中に立った。
 銃をかまえた警官たちが、じりじりと近寄ってきた。
「車に両手を突くんだ」
 警官のひとりにいわれ、ラリーたちは仕方なくサバンナに向き直ってボディに両手を突いた。素早くやってきた二名がボディチェックをして、ふたりの拳銃を取り上げた。続いて後ろ手に手錠をかまされた。
 革靴がアスファルトを踏む足音に、彼らは肩越しに振り向く。
 警官たちの中から歩いてきたのは、コート姿の痩せた中年男だ。
 LAPD刑事部強盗殺人課のサム・パウエル警部補。ナルティやジェンキンズの同僚だった。
 雨の中にずっと立っていたのか、帽子の鍔先から雫がポタポタと落ちていたし、コートの背中もびしょ濡れだった。厳めしい顔でふたりを見ている。
「容疑は何だ、パウエル」と、俊介がいった。
「カリフォルニア州自動車法第二三一五二条違反だ」
「具体的にいえ」
「飲酒運転だよ」
 ラリーは驚いた。「だってぼくたちは――」
「夕方、近くのパブでビールを引っかけたろ。目撃者がいるんだよ。それから一時間と経ってないのに、おまえらは車に入ってエンジンをかけた。充分な容疑だ」
「アルコール反応も検査しないのか」
「署でやる」
 パウエルが踵を返すと、警官たちがふたりを引っ張り上げ、パトカーに連行した。
 ラリーと俊介、それぞれが別々のパトカーの後部座席に乗せられた。左右を挟んで警官たちが乗ってくる。ラリーが乗せられたパトカーの助手席にパウエルが乗り込んだ。
「茶番は嫌いなんだ。誰の差し金だ」
 ラリーが訊ねるが、パウエルは肩越しに振り向き、ニヤリと笑っただけだった。

 異変に気づいたのはまもなくのことだ。
 ラリーを乗せたパトカーは、LAPDの本部庁舎ではなく、その北にある市庁舎方面へと向かっていた。
「どういうことだ」
 驚いたラリーが助手席のパウエルに声をかけた。
 身を乗り出そうとしたとたん、左右の警官に肩をつかまれて、乱暴に戻された。
 背後を見ると周囲を走っていたパトカーは、次々と右折をして本部庁舎のほうへ向かったが、俊介を乗せた一台だけは真後ろにピッタリと着いてくる。
 ラリーは憤然として向き直った。
「説明はないのか、パウエル」
「黙っておとなしくしてりゃいいんだよ、探偵」
 助手席の刑事がそういって鼻を鳴らした。

 二台のパトカーは市庁舎の地下駐車場に滑り込んだ。
 警官が先に外に出て、ラリーは後ろ手に手錠をかけられたまま、車外に出された。後ろにくっつくように停まったパトカーの後部座席から俊介も出てきた。神妙な顔。目が合った。
 ふたりは左右を警官に挟まれたまま、エレベーターに向かって歩かされた。
 後ろをパウエルがついてくる。
 エレベーターで運ばれた階で下りると、目の前のガラス扉にこう記されていた。
〈連邦捜査局LA支局〉
 思わず俊介とまた顔を合わせた。
「FBI?」と、彼がつぶやく。
「いいから入れ」
 パウエルに背中を押されて自動ドアを抜けた。
 窓のない狭い応接ルームに入れられ、無機質な大きいテーブルに向かって椅子に座らされた。警官たちがふたりの手錠を外した。彼らが出て行くと、やがてまたドアが開き、黒いスーツ姿の二名の男たちが入ってきた。
 ひとりは黒人。もうひとりはラリーのような金髪の白人。
 どちらも背が高く、肩幅が広い。
 ふたりともIDカードを首からぶら下げていた。
「ラリー・ステインシュネイダーとシュンスケ・ナリタだね」
 ふたりが向かいの席に座ると、黒人の男がいった。
「あんたらは、つまりFBIの捜査官ってことだ」
 俊介の言葉に黒人がうなずく。
「私はロッド・カニンガム。こっちは相棒のリチャード・ネイトだ」
 ラリーはふたりの顔を交互に見た。まぎれもなく本物のようだ。
 ここはたしかにFBIのロス支局だろう。もっとも、市庁舎の中にあるとは初耳だったが。
「あんたらに逮捕されるような覚えはないんだがね」
 俊介がいった。「だいいち俺たちの容疑は飲酒運転だ。FBIの管轄じゃないはずだぞ」
 カニンガムとネイトがそろって笑った。愉快そうに肩を揺らしている。
「悪かったな。君たちを連行するのに手段を選んでいる余裕がなかったのだ」
 カニンガムがそういって、ふと真顔に戻った。
「ロバート・マックスウェル上院議員を逮捕したい。君らに手伝ってもらいたいのだ」
 突然、そう切り出されてラリーが驚いた。
「どういうことですか」
「連邦検察局は、すでにマックスウェルが〈ユナイテッド・ウェスタン航空〉のみならず、他に複数の企業から不正献金を受けている事実を掴んでいる。しかし、正式に逮捕状を出すには、いまひとつ欠けるものがある。そこで、われわれFBIに協力要請があった。弟のジョゼフの不審な死や、一連の殺人事件に彼が関わっている証拠を掴みたい」
 そういったのはネイトのほうだった。
「詳しく説明してくれるかな」
 落ち着いた声で俊介がいう。
「君らはアーウィンデイルの奴の私邸に向かおうとしていたんだろう?」
 ラリーも俊介も答えなかった。
「いくら私怨とはいえ、ペキンパーの映画みたいに敵の牙城に殴り込んで真っ向勝負をかけても、返り討ちにあうだけだろう。だから、われわれがそのチャンスを与えるということだ」
「チャンスって?」と、ラリー。
「君らのうちひとりに、正面からマックスウェル邸に乗り込んでもらう。ただし撃ち合いじゃなく、話し合いが目的だ」
 ネイトを見て、ラリーがつぶやく。「今さら話し合いなんてできるものか」
「だいいち、飛んで火に入る夏の虫だ。おそらく生きて私邸を出られない」
 俊介の顔を見て、カニンガムがこういった。
「そこでわれわれのバックアップが役に立つ」
 俊介がカニンガムを見た。
「まさか、囮捜査に使おうってことか?」
 ふたりの捜査官はそろってうなずいた。
 ラリーと俊介はしばし黙っていた。
「具体的にどうすればいい?」
 俊介の質問に、カニンガムがスーツの内ポケットから紙片を取り出し、彼らの前に置いた。そこに書かれていたのは電話番号らしい数字の羅列だ。
「これは?」と、ラリーが訊ねた。
「ロバート・マックスウェルのオフィスへの直通電話だ。明日の朝になったら、ここにかけて名前を告げ、〈ヘルウインド〉殺しに関わる証拠を握っていると伝える」
「そんな幼稚な茶番で相手を脅せるはずがない」
 俊介がしらけた顔をした。
「大丈夫だ。向こうは今回の一件でかなりナーバスになってるから、充分に交渉に持ち込めるはずだ。話し合いの中身は君らにまかせる。ただし、奴のところに出向くのは君たち二名のうちひとり。それから取引に関して、マックスウェル本人相手にかぎるという条件を忘れずに突きつけろ」
「こっちに選択権はなしか?」
 俊介の声に捜査官二名がうなずく。

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