前編

文字数 1,557文字




 いらっしゃいませ。そしてお帰りなさいませ。

 庄内多季物語工房へ、ようこそおいで下さいました。

 山形県庄内地方は、澄んだ空気と肥沃な土壌、そして清冽な水に育まれた、新鮮で滋味豊かな野菜や果物の宝庫です。

 それに加えて、時に不思議な光景に遭遇する場所でもあるのです。

 さて、今回、物語収穫人である私、佐藤美月が遭遇致しました不思議な光景は、こちらです。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 深夜の二時過ぎに、愛車のルノーを運転していた時のことです。

 闇はどこまでも深く染み出し、静寂が全ての音を飲み込んでいました。

 そんな時間にドライブに出掛ける物好きな対向車は一台も通らず、私は世界に独りきりで取り残されたような気分に陥っていました。

 そもそも、何故そんな時間帯に夜の淵を運転していたかと言いますと、風邪が悪化して気分が悪くなり、会社から早退せざるを得なくなったためでした。

 その日は夜勤帯のシフトに当たっていたので、途中で抜けようと思うと、そんな妙な時刻に刺さってしまうのです。

 一車線の道路際には、所々、野放図に生い茂る草木が放置されています。

 ですから、ドライブ中に目に付く色彩も、自ずと緑のグラデーションが多くなります。

 けれども、夜間に影絵のように迫り出してくるのは、その奇っ怪な形状の方でした。

 気ままに枝葉を茂らせる大振りな樹々達が形作るのは、おどろおどろしい異形の物の怪達の隊列でした。

 まるで百鬼夜行の大群にでも出食わしたかのようです。

 そんなわけで、どこに目を向けても、身が竦む思いでいた私には、その瞬間、東南の夜空を駆け抜けた流れ星の煌めきが、救いの天使のように思えました。

 そうしてその時、左手に密生していた樹々の影が途切れ、手入れの行き届いている柿の果樹園が現れたのです。

 車窓を過ぎていく柿の果樹園を何気なく横目で見やり、視線を正面に戻そうとしたその寸前、私の全神経は、果樹園に釘付けになりました。

 闇夜に紛れている筈の柿の実が、たった一つだけ、澄んだマンダリンオレンジの光を放ったのです。

 それから間もなく、私は路肩に車を寄せて、停車しました。

 普段と同じ速度で運転していたら、恐らく見落としていたでしょう。

 けれどもこの時は、意識が朦朧としていたので、ゆっくり運転していました。

 だからこそ拾えた異変だったのです。

 私は車から降りると、柿の果樹園の入り口に佇み、たった一つだけぽつんと灯っている、小さなまあるいランタンを眺めました。

 ランタンは微力ながらも、滲むようないじらしい灯りで、懸命に闇夜を照らし出そうとし、闇夜はそれに応えるために、漆黒の上質なベルベットで、護るように包み込もうとしていました。

 そこへ今度は、蒼白い涙のような流星が、東北の夜空をつうっと滑り落ちていきました。

 小さなランタンと闇夜との恋が成就すると、悲しむ誰かがいるのでしょうか。

 しかし、その悲哀に満ちた流星の煌めきは、夜空の彼方に消え去るのかと思いきや、目の前の柿の果樹園の中に、矢のように突っ込んできたではありませんか。

 そうして、二つ目の柿の実のランタンが灯ったのです。

 私は魅入られたようになって、足を一歩踏み出しました。

 けれど、そこではっとなり、進むのを思い留まったのは、自分以外の密やかな気配を、敏感に感じ取ったからでした。

 その瞬間、産毛が逆立つような感覚が走ったので、本能的に危険を察知したのかも知れません。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

・・・ 柿の実のランタンが灯る頃〈後編〉へと続く ・・・


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