第8話

文字数 8,563文字

  *

 翌朝、「おはよう会」へ向かう途中、祖母は、「今日は、おはよう会の支部長様にサトちゃんのこと相談しようと思てるねん。」と改まった顔をして言った。
 うわあ、めんどくさいことになった。俊は心の中で悲鳴を上げた。
 朝彦も必死にそれをやめさせようと、「それやったら、今日、神楽岡の稲荷神社に行こうと思ってるねん。そうしたら、俊がもと居たところへ帰れるはずやから。」と口を挟んだ。
「なんで神社に入ったらもとの所へ戻れるの?誰か知り合いがいるの?」
「いや、そうじゃないけど。神主さんが帰る方法を知ってるかもしれへんし。」
「神主さん?神主さんに相談するんやったら、サトちゃんのこともよくご存じの支部長様に相談したらええやないの。」祖母の声には、苛立ちが混じって来た。
「いや、それより神主さんの方がよくて。」
「何言ってんの。おはよう会の会員がなんで知り合いでもない神主さんに相談すんのよ。」
 怒りを露わにされて、朝彦は委縮。得意の作り話も出てこなくなった。
「もういい。アサ君。本当のことを話す。」
 俊は覚悟を決め、この時代に来た経緯を、自分の父親が朝彦であることは注意して避けながら、話して聞かせた。
 受け付けないと思われた「お母さん」は、意外と冷静に聞いてくれた。俊が「信じられないと思うけど。」と恐る恐る顔色を窺うと、
「そら、信じられん気もするけど、でも思い当たることはあるわ。サトちゃんが着てた服、見たこともないような材質で、見たこともない未来的なデザインやったから。今履いてる靴もそう。どこにも売ってないような物やん?そうか、そういうことなら、ぜひ、会長様に話を聞いてもらわないと。」祖母の目があやしく光り出した。
 会長と言うのは、教団のトップで、通常なら平信徒がお目通りかなうことなどない雲の上の存在だ。だが、この、生まれ変わった息子が未来から母を訪ねてやって来たという未曾有の奇跡を話せば、会長の歓心を引いて、自分の存在価値を高める絶好の機会になると野心を昂らせているようなのだ。
「やめて。それだけは。僕らだけでなんとか頑張ってみるから。」朝彦が悲鳴に似た声を上げた。
「それだけはやめてって、あんた、会長様を信じてないってことやな。」祖母は、鬼に変化(へんげ)した。
「そうやない。神主さんに聞くのが一番確かやからや。」
「アホな事言いな。そんな人に何が分かるって言うの?会長様こそ、一番私たちのことを気遣ってくださり、一番よい導きをして下さる方なんやで。」
「お願い。神主さんに聞いて分からなかったら、会長様のところへ行くから、まず、こっちを先にさせてよ。」
 「お母さん」は、しばらく、憤怒を堪えて思案していたが、「まあ、どうせ神社に行ったところで、何も分からへんに決まってるけど、そんなに言うなら、行って来(き)いな。」と、吐き捨てたのだった。

 「おはよう会」から帰り、朝食を終えると、いつもの通り、少しだけ宿題をしてから、俊と朝彦は、神楽岡に向かった。
 今日は、どんよりと曇った天気で、蝉の合唱も幾分おとなしい気がした。
 山頂の小さな稲荷神社。
 境内の東側にある家屋は小さいながらも、普通の民家とは違う風格を備えた建物だ。
 いちおう、呼び鈴ブザーのボタンらしいものがあるので、押してみたが、誰も出てこない。
「いないね。」
「うん。ここに住んでる人はいないのかな。」
「とりあえず、ここの人が戻って来ないか待ってようか。」
 二人は、玄関の前で待ち続けた。
 1時間以上たった頃、朱塗りの鳥居の連なりを抜けて、人が一人やって来た。人のよさそうな高齢の男性だ。
 彼は、玄関前にたたずんでいる少年たちを見て、「どうかしたんか?」と声を掛けてくれた。
 俊は、初対面の大人への気後れも若干あったが、相手が開けっ広げな感じなのに安心して、「あのお、ここの神主さんですか?」と聞くことが出来た。
 男性は、「ああ。私が、ここの宮司、つまり神主やが。なんか困ったことでもあるんか?」と親身な態度で問いかけた。
 それで、俊は、包み隠さず、未来から来た経緯や、どうにかして帰りたいと思っていることなどを話した。
「そうか。君は、あの鳥居の向こうの世界から来たんか。」常ににこやかなこの老人は、さらに詳しい事を、いろいろと尋ねた。
 話を聞き終えて、神主は深く頷いた。
「分かった。君が、ずっと未来から来たことは、間違いないな。心配いらん。8月16日の送り火の日に、そこにある(と例の石の輪を持つ鳥居を指さす)鳥居を大文字山へ向かって通れば、あちら側へ行ける。」
「あちらって言うのは、もと居た世界のことですか?」俊は聞いた。
「そうや。」
「間違って別の時代に行ってしまったりはしない?」
「私が行った時は、ちゃんと帰って来れたで。」
「え、この鳥居を越えたことがあるんですか?」
 少年たちは興奮した。
「ああ。若い頃、人生が嫌になってしもたことがあってな。」少し恥ずかしそうに、神主は言った。「鳥居をくぐったら、その苦しみから逃げ出せると思ったんやな。結局、すぐ帰って来たんやけど。」
「へええ。戻って来た時は、ずっと時間が経ってたんですか?」朝彦が聞いた。
「行く前と比べてってことか?いや、同じ日やったと思うな。浦島太郎みたいなことにならへんだのは、確かや。」
「じゃあ、もう1回くぐったら、ちゃんともとの時代に戻れるんですね?」
「そのはずや。」神主は頷いた。
 俊と朝彦は、顔を見合わせた。
「やるしかないね。」俊が言うと、朝彦も頷く。
「そうか。ここをくぐるか。1回経験しただけやから、私も、安心して勧めることは出来ひんけど、本来居るべきところに戻るのが正しい事やろな。お父さんもお母さんもものすごく心配してはるで。」
「家(うち)は心配してないと思う。怒られるだけで。」俊は言った。
「なに言うてんねん。子供がいなくなって心配しない親がどこにいるんや。ええか、8月16日になったらな、夕方くらいにここを尋ねておいで。待ってるしな。」
 俊は、大きく頷いた。
 例の鳥居の持ち主と言ってよい神主から、このように言ってもらって、俊も朝彦も、重荷を降ろした心地で家に戻ったのだった。
 それでも、言葉少なだったのは、別離の時が近いことを意識してしまったからかもしれなかった。送り火は、3日後だった

  *

「それじゃ、行って来まーす。」
 その日、朝彦の家を、もう二度と帰ることのないはずの、その粗末な小さい家を出ようとして、俊は「お母さん」(祖母)に向かってこう言ってから、(これじゃ、いつもと変わらないじゃないか?)と自分で自分に呆れた。
 何か、別れにふさわしい言葉を言わなければ。
 けれども、「お母さん」の方も「遅くならないうちに帰って来るんやで。」と、こちらも俊が家に帰って来ることを当然と思っている口ぶりなのだ。
 それもそのはずで、先日、俊と朝彦が、「俊がもとの家に帰れる方法が分かったで!」と報告しても、祖母は信じようとせず、「そんなことより、会長様にご相談する方がええのに。」と不満そうだったのだ。
 その後も、毎日、会長様にお目通りする計画のことばかり話すので、その度に必死に頼み込んで、今日の日を迎えることが出来たのだ。
 俊は、「お母さん」に、「おはよう会」にあまり熱心になり過ぎない方がいいよ、と言いたかった。でないと、もとの世界では、もう会うことが出来なくなってしまうから。
 けれども、怒られそうで、口にすることが出来ず、ただ、最後に「ありがとう。じゃあね。」とだけ言って、手を振った。
 まだ6時頃なので、太陽はギラギラと空の西の端に残って、京都盆地を焼き焦がし続けた一日の総仕上げをしようとしていた。
 住宅や電柱やその他諸々が、長く濃い影を引いて、宵闇の時間の先触れをなし、少年たちに、そう遠くないうちに五山の送り火が始まることを意識させた。
「暑いなあ。昨日は、夕立のおかげで涼しくなったけど、今日は降らなそうやね。」俊は、汗をぬぐった。
「大文字の日やからな。雨は降らん方がええけどな。」朝彦は西日に目を細めている。お揃いだった近鉄帽は、彼の方はかぶっていない。
 神楽岡の森の中を探し回ったが、小さい方しか見つからなかったのだ。
 朝彦は、手に大きな紙袋をぶら提げていた。
「それ何?」
 俊が聞くと、
「何でもない。」と一言。そのまま、遠くを見ているふりをしているので、俊もそれ以上は聞けなかった。
 神楽岡の参道に入り、坂道を登り始めると、次第に緊張した心持になって来て、上がって行く一歩一歩が、厳粛な儀式の一部であるような気がした。
 既に暗くなりつつある森の中で、ツクツクボウシが寂しげな声を放っていた。
 ツクツクボーシ、ツクツクボーシ・・・と。
 山頂の稲荷神社にやって来た。西山に残る夕日は、樹々に隠されているので、早くも薄暗い。
石輪の鳥居の周りには、藁縄で結界が張られている。その向こうには、生け垣があり、それを越えた先に、大文字山が堂々とした姿を見せていた。
 神主の家の玄関には、既に黄色っぽい電球の門灯が点灯していた。
 俊は、呼鈴を押した。
 暫し待つ内に、玄関の格子戸の内側が明るくなり、ガラガラと引き戸を開けて、神主が姿を見せた。
「来たか。まあ、上がり。」この間同様、にこやかな表情で子供たちを招じ入れる。
 玄関の中は、そう広くないが、自然石の沓脱石や式台があり、上がったところに小さな屏風があって、その前に燕子花の花が生けられているという古式ゆかしい玄関間だった。
 靴を脱いで上がると、神主は、庭に面した廊下を通って、二人を奧の書院造りの広間に案内した。
 部屋には電気は点いておらず、「まあ、そこに座り。」と神主に言われて、少年たちは、細い庭に面した縁側に腰掛けた。
 ここは、東側に空が開け、まだ明るかった。目の前には、ささやかな枯山水の庭が広がっている。傍らには、蚊取り線香が二つ、煙を上げていた。
 神主の奥さんが、氷の入ったカルピスを朱塗りの盆に載せて持って来てくれた。奥さんも終始笑みを絶やさない穏やかな人だった。
 夕映えが部屋の中まで薄く照らし、ツクツクボウシの声が、楽しかった夏ももう終わりなのだという、感傷的な気分にさせた。
 黙って遠くの茜雲を見詰める少年二人。次第に形が崩れ、色合いも薄れていく雲の峰。
 語りたいことはたくさんあるのに、ぽつりぽつりとしか言葉は出てこない。大概は、「あの時は、楽しかったな。」というような、特に必要もない話題ばかり。
 やがて日も暮れた。広間に電気が灯り、縁側の手前のガラス戸は閉められた。
 広間の座椅子に座った少年たちに、神主の老爺は、この神社や鳥居の由来を話してくれた。
 曰く。平安時代の古文書には既に、この岡には別世界へ通じる入口があると記されていた。それは、送り火はまだなかった時代に、祖霊たちが確実に冥界に還れるよう、あの世への通路として作られたもので、そこを生者が通ることは禁忌(タブー)とされて来た。
 もし、お盆の最後の日、祖霊たちが冥界に還る時に、そこを生身の人間が通ると、その者の姿はかき消え、あの世に向かって吸いこまれてしまうのだという。だが、その先へは、生身の肉体では入ることの出来ない世界であるためか、進むことが出来ず、境界で跳ね返されてしまうのだとか。
 そうして、再び、元の生者の世界に戻って来るのだが、なぜか、何10年も前に逆行してしまうのだという。
「それじゃ、あの鳥居をくぐったら、もっと昔に行ってしまうんですか?」俊は、蒼ざめた。
「いや、そんなことはない。」神主は、穏やかに笑った。「今の時間に生きている者(もん)は、過去にしか行かへんけど、未来から来た者(もん)は、本来の、自分がいるべき時間へ戻されるんや。」
「本当?」
「大丈夫。これまで、何人もの先人が、過去に行って帰って来たことを書き残してはるし、私自身が体験しているんやから。」
 人の好い神主の、開けっ広げな笑顔を見ていると、俊も、少しずつ不安がとけていくのを感じ、静かに頷いた。
「さあ、そろそろ外へ出ようか。」と神主に促されたのは、古い掛け時計が7時45分を指した時だった。
 俊と朝彦、そして神主の三人は、玄関で靴を履いて屋外へ出た。
 外はすっかり暮れている。黄色い電球の門灯が、温かい光の環を広げていた。
 境内に人はいない。
「そうや。忘れるところやった。」
 朝彦が、手に提げた袋に手を突っ込んだ。取り出したのは、ダグラムのプラモデルだった。
「これ、やるよ。」と朝彦。
「えっ、いいの?」
「うん。俊、これ気に入ってたやろ。」朝彦は照れ臭そうに微笑み、「それからこれも。」と小さなアルバムを取り出した。
 俊が受け取って開いてみると、その中には、最初の日に朝彦が自慢げに見せてくれた牛乳キャップのコレクションが、きれいに間隔を空けて貼り付けてあった。
「これは、大事なもんやろ。貰えへんよ。」俊は、それを返そうとした。
「俊の時代には牛乳キャップってないって言ってたやろ。だから、俊の時代に持っていったら貴重品やと思うんや。もし、お金が必要になったら、これを売ってくれ。」朝彦は、本気なのかどうか分からないことを言って、ぐっと押し返す。
「ありがとう。」俊は目を拭って、二つの宝ものを受け取り、手提げ袋に入れた。
「それじゃ、鳥居の前で、送り火が始まるのを待とうか。」
 神主に導かれて、少年たちは藁縄の結界の中に入った。
 東の方を見やれば、大文字山が黒々とした三角形のシルエットに夜空を切り取っていた。手前にはあの石の輪を持った鳥居がある。
 神主は、柏手を打ってから、何やら祝詞のようなことを誦し始めた。それが終わると、それに合わせたわけではないだろうが、大文字山にポツリと火の点が現れ、次第に増え広がって、あかあかと大の字に成長した。 
 神主は瞑目し、手を合わせた。
 朝彦も俊もそれに倣う。
 今、この瞬間、京都市内に集う百万くらいの人々が、夜空を焦がす精霊送りの火に向かって、静かに手を合わせているのだ。
 俊の瞼の裏では、蜉蝣(かげろう)のようにふわふわとして、ほのかに光りを放つ、無数の祖霊たちが、大文字の方角に向かって、静かに天に昇って行く情景が目に浮かんでいた。
 目を開けた神主が、厳粛な声で、「行こか。」と言った。
 俊は、ごくっと唾を飲み込んで頷き、朝彦の方に向き合った。
「じゃあね。」
「ああ。」
 言いたいことは一杯あるのに、何も口から出てこない。これから、もう二度と会えないのだと思うと、涙だけが止め処なく出てきた。
 朝彦もつられて泣き出し、裾で鼻をかんでいる。
 恥ずかしくなったのか、朝彦が、「早(は)よ行かな。門が閉まってしまうかもしれんぞ。」と言った。
「うん。じゃあね。神主さんもありがとう。」
 そう言って、俊は、鳥居へ向かって歩を進めたが、急に振り返り、
「アサ君、バイバイ。」
と大きな声で言った。
 朝彦も「バイバイ。」と言ったはずだが、あまりに泣いていたので、よく聞き取れなかった。
 涙を湛えた眼で朝彦を見詰めていた俊は、鳥居の方に向き直り、最後の数歩を歩いて行った。 
 だが、鳥居の直前で、もう一度振り返った。
「何やねん。」涙混じりの声で朝彦は聞いた。
 俊は、最後に「アサ君は、天才やな。」と言いたかったのだが、口には出てこず、ただ涙を流しながら手を振った。
 朝彦も力いっぱい手を振る。
 とうとう、鳥居を抜けた。
 白い光が視界中に広がった。

  *

 永遠に続くように思えた夜が、少しずつ白み始めていた。無色だった世界が色彩を取り戻し、嵐の後はほとんど物音のしなかった森のあちこちから鳥の鳴き声が聞こえるようになった。
 朝彦の衣服は未だ乾かず、寒気がして仕方がなかったが、新しい一日が始まったのだから、自分も今日やるべきことをやらなければならないだろう、とぼんやりした意識の中で考えた。 
 今日、どうしてもやらなければならないことがあっただろうか?
 思い出そうとして、そもそも自分が何の仕事をしていたのかが、すぐに出てこなかった。
 そうだ。自分は小さな大学に勤めていて、場所は奈良県奈良市にあるのだった。
 朝彦は、遠い昔の記憶であるかのように、ようやく、思い起こすことが出来た。
 まるで自分のこととは思えない務めを果たすために、家に帰って、着替えて、いかにも真っ当な人間であるかのような顔をして電車に乗って職場に行くのか?
 あり得ないようなことに思えたが、ここで待っていたところで、1年後まで俊は帰って来ないのだ、ということは、すでに何回も噛みしめて、味わい尽くしていた事実だった。
「ここにいても仕方がない。」
 自分に言い聞かせ、朝彦は、のろのろと腰を上げた。そこで、信じられない光景に息を飲み、凝固した。
 鳥居の向こうから、俊が現れたのだ。昨日の夜、行方不明になった時にはなかった帽子をかぶって。 
 それが何かは直ぐに分かった。少年時代にファンだった近鉄バファローズの赤青白の三色帽だ、
「サトシっ。」
 朝彦は夢中で駆け寄った。
 俊は、しばらく目を細めて、周囲がよく見えていないような様子だったが、やがて父親に気が付いて、はにかんだ様な、気後れしているような笑顔を見せた。
「大丈夫やったか。」
「うん。大丈夫。」俊は、答えた。
 見たところ、健康そうで、やつれてはいなかったし、辛い思いをして来たようにも見えなかった。
 やはり、思っていたとおり、過去の朝彦と一緒に生活していたと見て間違いように思えるが、まだ頭が混乱していた。1年後まで会えないと思っていた息子が、どうして今、目の前にいるのだ?
「よく帰って来られたな。こわい思いをしたんやないか?」朝彦は聞いた。
「全然。すごくいい友達が出来たし、すごく親切にしてもらったし。」
「そうなんか。よかった。ところで、友達って?」
 父の問いに、俊は、しばらく答えを探していたが、
「天才やねん。」
と一言答えて、ここ数年見せたことのなかった、隔てのない柔らかな笑顔を見せた。
「そうか、天才か。」朝彦も顔をほころばせた。
 そして、「家に帰ろうか。」とだけ言って、かつてのベストフレンドの肩に手を回し、歩き出した。

 俊にとっても、自分が戻って来たのが、初めに鳥居をくぐった送り火の日の翌朝だというのは、予想外で、しかも、その場でずっと父親が待っていたという事も予想外なことだった。
 鳥居をくぐった瞬間、目の前が真っ白になって、何も見えなくなったのは、最初の時と同じだった。
 だが、その時ほど眩しくも暑くもなかった。
 すぐに目が慣れると、そこは早朝の神楽岡で、父・朝彦が、目の前にいて、こちらへ駆け寄ってきた。父は、最後に見た時よりも年取ったように見えたので、始めは、てっきり、自分がいない間に長い年月が過ぎてしまったのかと思ったほどだ。
 始めに頭に浮かんだことは、父から、鳥居を越えてしまったことを無茶苦茶に怒られるのではないかということだった。
 そして、自分との再会を少しも喜んでくれなかったらどうしようと考えると、怖くてしょうがなかった。
 少年・朝彦に対して、俊は、最後まで、自分が彼の息子であることを明かさなかったから、目の前にいる父・朝彦は、今がどれほど重要な再会の瞬間であるか分かっていないはずなのだ。
 向こうにいた時は、未来に戻れば、大人になったアサ君に会える、だからアサ君との永遠の別れではないのだ、と自分を納得させたのだったが、今、実際に、大人の朝彦と対面してみると、すっかり自信を無くしてしまった。
 きれいに一つにつながるはずだった2本の線が、全然こんがらかって、つながらないかもしれない。
 とにかく自分から父を怒らせることはしないようにしよう。この再会の瞬間を台無しにしたくないから。と、俊は祈るような気持ちで考えた。
 だが、父・朝彦は、鳥居をくぐる前と何か違っている気がする。怒っている気配もない。
 短いやり取りをする内に、次第に安心して来たが、向こうで一緒にいた友達が父その人だとは、言い出せなかった。
 だから、友達のことを聞かれた時は、色々と考えた挙句、「天才やねん。」とだけ答えた。我ながら、素晴らしい回答だと思った。
 自分の伝えたいことが伝わったのか、よく分からなかったが、父は、にこやかに「家に帰ろうか。」と言い、俊は父・朝彦と並んで、朱塗りの鳥居が並ぶ参道を抜け、そこから急な坂道を西側に下って行った。
 そこから先、ずっと無言だった。
 何か言わなければ、と俊は焦った。せっかく、アサ君に再会出来たんだから。そして、そのことが分かっているのは、自分だけなのだから。
「あのさ。パパ。」俊はぎこちなく、口を開いた。
「何?」
「あの、作りかけやった粘土の恐竜って、まだ有ったっけ?」
「え?ああ、あれか。えらい前に作った物やな。お前が、保育園に行ってた頃の。あるで。押し入れの中に。」
「あれ、最後まで作りたい。」
 朝彦は、それを聞いて、大らかに笑った。
「そうやな。最後まで作らないとな。よし、一緒に作ろうか。」

                             完
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