第1話
文字数 11,569文字
学校という場所は、治外法権に守られた世界だ。一般社会から隔離され、その絶対的な力に守られた学生達は、当たり前のように社会に出る前の自由を享受している。
叢雲学園に続く私道入り口に、報道関係の中継車数台が停まっていた。登校してくる生徒を捕まえ、不審な死に方をした女生徒について何かしらの情報を得たいのだ。
しかし学園の教職員や警察、我が子を案じる有力者が派遣したボディーガード等に阻まれ、レポーターは生徒に近付く事が出来ない。
報道関係者と警察とボディーガードの睨み合いを横目に、康則は自転車を走らせた。
昨夜は調べ物で、十分な睡眠時間が取れなかった。ケヤキ並木から漏れる朝日が目に染みて、涙が滲む。
目頭を擦り、あくびを噛み殺す康則の横を、涼しい顔の将隆を乗せたセダンが追い抜いた。
昨夜のやり取りで、今朝は気まずい空気になるかと思ったが、将隆の態度はいつも通りだった。そもそも普段、私的な会話も軽口を言い合う事も無いのだ。感情に左右された態度など、とりようもない。
「ヤス、おはよ~! なぁ、なぁ、TV局の中継車、見た? あれ、昨日の殺人事件の取材だろ? インタビューに答えると、やっぱり顔にモザイク掛けられるのかな?」
教室のドアを開けた途端、鳴海良昭が康則の前に飛び出してきた。
「良昭……君はインタビューに答えたのか? そんなことしたら、また……」
続く言葉を、康則はためらった。将隆に言われた「半端な覚悟で、深入りするな」が、頭の隅をよぎったからだ。
良昭が、康則にまとわり付くようになった理由。その切っ掛けは、叢雲学園高等部・新入生入学式当日の、ある出来事だった。
入学式の後、康則はインターハイで常に上位にいる剣道部の練習を見学するため武道館を探していた。あらかじめ頭に入れておいた校内案内図の通り、体育館と武道館を繋ぐ渡り廊下に出たところ、数人の上級生が前方を塞いでいた。
制服のカラーに留められた校章の色は緑、二年生だ。威圧的な態度で、一人の新入生を囲んでいる。
「こんにちは、先輩方。武道館がどこか、教えてもらえませんか?」
康則が声を掛けると、全員が一斉に顔を向けた。
そして輪の中から、ひときわ体格の良い一人が進み出る。
「君の目は、節穴か? すぐ前にある〈玄武館〉が武道館だ。解ったら、早く行け」
一年生から三年生、教職員から雑務まで、学園全ての人物データが頭に入っていた。
この二年生は大手私鉄事業グループK電鉄の一族だが、それほど大物ではない。他の数名は取り巻きの小物だ。囲まれて萎縮していたのは外食産業で成功した新進企業、鳴海グループの社長子息である鳴海良昭だった。
チビなので、入学式でも印象に残っている。
「教えて頂いて、ありがとうございます。ああ、ちょうど鳴海くんを探していたんです。先輩方の用は、もう済みましたか?」
助けようと、思ったわけではない。ただ、理不尽な光景に不快感を抱いただけだった。
相手が退いてくれる事を期待し、笑顔を向ける。しかしK電鉄は頬を歪め、取り巻きに目配せをした。良昭と康則を囲んで、少し大きな輪が出来る。
「いい態度だ……君たち二人とも、部活見学で武道館に来たんだろ? せっかくだから、体験していけば? 鳴海くんにも君にも、立場の違いを解らせてやるよ」
「立場の……違い?」
「そう、この学園に相応しくない者を、僕は認めない主義でね」
二年生は輪を狭め、二人を武道館へと押しやった。
康則は頭に、データを呼び出す。困った事になった、K電鉄は空手部の新主将だ。部活体験と称し、家柄や社会的地位の低い生徒を痛めつけるつもりなのだ。
相手が高校総体優勝レベルであろうと敵ではないが、打ち負かす訳にはいかないし、痛めつけられるのもゴメンだ。学園に通う生徒の性質から、暴力沙汰は無いと踏んでいたのに、認識が甘かった。K電鉄は、負けず嫌いらしい。
良昭は康則を見上げてドングリ眼をくるりと回し、自分の足を軽くたたいた。小学生に見間違えそうなほど小柄で童顔だが、気が強く足には自信があるようだ。
体格のいい康則が、輪を突破すれば逃げられるということか……。
了解の意味で笑みを返し、突破しやすい箇所と頃合いを見計らう。すると突然、輪の動きが止まった。
先頭を行くK電鉄の目線を追うと、武道館入り口に掲げられた〈玄武館〉板書き前に、数冊の本を抱えた一人の新入生が立っている。
鬼龍将隆だった。
「康則、図書館まで案内しろ」
波が引くように道をあけたK電鉄と二年生の真ん中を通り、将隆は渡り廊下から体育館へと入っていった。
康則は良昭の背を押し、その後に続く。
K電鉄は、もう何も言わなかった。
この学園に入学する者は必ず、親兄弟や親族から「鬼龍家に関わるな」と警告される。理由の説明がなくても、有力者の子息令嬢は言外の意を悟るのだ。鬼龍家の不興を買う事は、一族の存亡を意味する事だと。
将隆は入学式に参加せず、応接室で本を読んでいたはずだった。
本は康則が職員に頼み、図書館で用意した。武道館に寄ってから、返却のため応接室に本を取りに行くつもりだったのだ。まさか将隆が、自分で返却に行くとは思わなかった。
偶然とはいえ、結果的に助けられてしまった。
自らの軽率な行動は反省すべきだが、この一件で学園内における康則の位置付けが確立した。鬼龍家の威光は、康則にとって仕事をするのに都合がいい。
ところが良昭は、康則を特別な存在と思うようになった。
特に気に入られようとして、へつらったり、機嫌を取ったりはしない。ただ、康則が知り得ない学園の情報や噂話、企業の社交関係などを、随時教えてくれるのだ。おかげで学園内の力関係に、かなり詳しくなった。
子息令嬢の力関係は、そのまま社会の力関係に通じている。
「インタビューに答えてTVに出たら、また虐められるって心配してんの? 大丈夫だよ、そんなドジ、踏まないからさ」
康則の思案顔を、自分に都合良く解釈して良昭が笑った。
「もう、ヤスに助けて貰わなくても大丈夫だぜ? でも俺、ヤスのためなら何でもするよ。何でも出来るよ。だから何でも、言ってくれよな?」
珍しく真顔で、良昭は康則を見つめた。学園の女生徒が死んだ事件で、康則が何か調べていると察したのかもしれない。
「ありがとう。将隆さまを危険な目に合わせないために、情報が必要なんだ。よろしく頼むよ」
「おお、任せろ」
良昭はドングリ眼をくるくると回し、鼻の穴を膨らませた。
頼もしい……とは、とても言えないが、少し嬉しかった。友人との何気ない会話とは、こういうものなのだろう。
将隆との会話には、常に張り詰めた緊張感がある。
「そう言えば今日、女子の姿が少ないね」
話題を切り替え康則は、感傷的になりそうな気分を振り払った。
「そりゃそうだろ? 昨日の事件の後じゃあ、良家の御令嬢はお屋敷から一歩も出られないさ。まぁ、どこかの跳ねっ返りさんは別だけどね」
良昭が顎で指した方向には、鞠小路日向子の姿があった。視線に気付いたのか、日向子は康則に顔を向けて、にっこりと微笑む。
その気丈な笑顔が、とても綺麗だと思った。
授業が終わると康則は、屋敷に一旦戻って自転車から制服のままオートバイに乗り換え、神奈川県警察本部に向かった。
康則のバイクは、将隆が乗っているスピード優先のオンロードは違い、足回りと機動性を重視してオフロードだ。
生徒の安全を考慮し、しばらく部活動停止となった事は助かった。生徒活動を、ほぼ無視している将隆に代わり、学校との関わりは康則が保っている。学校行事も部活動も、要領よく対処しなくてはならないのだ。
今日の夕方までに届いた数件の警察資料は、良昭から得た情報を裏付けるに足りていなかった。警察内部にいる組織の者が、非公開の内部資料も送ってくれるのだが、自分の目で確かめたいことがある。
死体の、形状だ。
実物からは、司法解剖の結果や鑑識からの報告では解らない、何かを感じることができる。だが、そのためには警察上層部の了解を得なければならなかった。
駐車場にバイクを駐め、オフィスビルのような近代的で開放感のあるロビーに入ると、案内所の若い女性職員に刑事部・堀川警視正との約束を告げた。執事の鈴城に頼んで警察本部長と話を通し、先方から接触を指定された人物だ。
案内を待つように言われロビーで目立たない位置のソファーに腰掛けた康則は、学生鞄からタブレットPCを取り出し、堀川氏のデータを呼び出した。
データによると、なかなか癖のある人物らしい。昨年、刑事部長に就任したばかりで、ここ近年の〈業苦の鬼〉に絡んだ事件は担当していない。
鬼龍家に対して、どの程度協力的か解らなかった。
「できれば、面倒な交渉をしたくないな……」
堀川氏に関するいくつかのデータファイルを画面に表示してから、康則はタブレットをスリープモードにする。
「やあ君、どこかであったね? ああそうだ、叢雲学園高等部のチャリ置き場!」
「……正確には門の外ですよ、刑事さん」
背後を見上げると、事件の朝に事情聴取をしていた県警捜査一課の刑事、相馬祐介が気安い態度でソファーに手をかけ笑っていた。相変わらずの安物スーツに、だらしなく緩んだネクタイ。だが外見とは裏腹に、どことなく、油断できない男だ。
正面から、来ないところが気に入らない。まさか、PCの中身を見ようとしたのか?
「こんな時間に、警察で何をしているんだい? 学校は?」
「もう、授業は終わりました。昨日の事件のせいで、小学校みたいに一斉下校命令ですよ。ところでこれは、職務質問ですか?」
康則が平然とした態度で答えると、相馬は苦笑した。
「悪かったよ、つい質問口調になるのは職業病なんだ。しかし、ここは普通の高校生にとって用のある場所じゃないからね」
やはり気に入らない。「普通の」と言うとき、イントネーションを変えた。
「どういう、意味です?」
真意を探るため不快感を露わにすると、慌てて両手を挙げ、かぶりを振る。
「だってほら、警察に用があるのは犯罪に関係……しまった、墓穴掘った。いや、その、つまり君は、ちょっと独特の雰囲気を持ってるってことさ。そうだな……昨年まで組織犯罪対策本部にいた俺の経験からすると、手強い相手ってところかな?」
この刑事は、康則の仕事につきまとう死の匂いを、嗅ぎ分ける鼻を持っているようだ。
「捜査一課の刑事さんに、手強い相手と思われるのは心外ですね」
「将来性を看破したんだから、光栄でしょ?」
組織犯罪対策本部と言えば、暴力団対策課のある部署だ。光栄どころではない。
「……将来、手強い犯罪者になるとでも、言いたいんですか」
「違うよ」
相馬は、ニヤリと笑った。からかって、いるのだろうか。高校生と遊ぶ暇があるなら、真面目に捜査をしたらどうかと言いたくなった。
口を開く前に都合よく、若い婦警が小走りに近付いてきた。
「鎧塚さんですね、ご案内します」
康則はソファーから立ち上がり、相馬に軽く会釈をした。暇な刑事の戯れ言から、ようやく逃れられる。
「そういえば君の名前、聞いてたんだ! 鎧塚くん、俺は相馬っていうんだ、よろしくな!」
相馬祐介、名前なら既に知っている。よろしくも何も、恐らく二度と会うことはないだろう。
婦警の後を歩きながら康則は、背を向けたまま愛想程度に片手をあげた。
案内されたのは、最上階にある展望室だった。
堀川氏は、慎重派だ。この場所ならば誰に見られても、知人の息子の観光案内と言い逃れできる。
三メートル四方ほどの一枚ガラスを填め込んだ展望窓が断続的に連なり、眼下にはコスモワールド、赤レンガ倉庫、大桟橋、山下公園、マリンタワー、中華街など横浜全ての観光名所が一望できた。
夕闇が色濃くなり始めた埠頭に、次々と明かりが灯る。その美しいイルミネーションの中に一カ所、穴のような闇があった。大桟橋コンテナ倉庫のあたりだ。
人気のない暗い倉庫群にうごめく邪悪な影を、康則は想像した。きっと、地獄の入り口にふさわしい様相だろう。
ガラスに、人影が映った。
「話には聞いていたが……本当に君が、鬼龍家の……?」
言いにくそうに言葉尻を濁した堀川刑事部長は、グレーのブランドスーツをきっちり着こなした神経質そうな人物だった。
データでは四十七歳となっていたが、緩く後ろに流した髪は黒々として艶があり肌の血色も良いので、五歳は若く見える。
身長は康則と同じくらい、細身でスポーツとは縁のない体型だ。体を張るより、頭を使って地位を築いてきたのだろう。
「初めまして、鬼龍家から来ました鎧塚康則です。お忙しいところ、お時間をいただいて申し訳ありません」
低姿勢で挨拶をした康則を堀川は品定めするように眺め、また口の中で「話には聞いていたが……」と繰り返した。そして自分より遙かに格下と位置付けたらしく、急に胸を反らせ威圧的な態度になる。
「本部長、直の指令とはいえ……鬼退治をしている一族に協力しろだと? まったく、現実と掛け離れた話だよ。今回の事件も、マスコミが怪事件と騒ぎ立てているにすぎない。我々の手で犯人を逮捕すれば、特別でも何でもない事件だと証明できると思うがね」
予想通りの反応だ。呆れる事もなく、腹も立たなかった。
ただ、このような場合、相手を納得させる手段が好きになれない。面倒だな、と、小さく溜め息を吐く。
「失礼ながら死体を、ご覧になっていませんね? 直に見れば、司法解剖の報告書や写真では判読できない異常性を感じるでしょう。堀川警視正は今日まで、警察という世界において多くの残虐で悲惨な事件を体験されてはいませんか? その中には、どう考えても人間の所業と思えない、不可解な事件もあったはずです」
「不可解な事件など、ない。どの事件も犯行動機があり、犯罪実行の過程は明らかにできる」
「はたして、そうでしょうか?」
康則は鞄からタブレットを取り出し、スリープを解除した。モニターには、数十件の事件リストが表示されている。
「これは、堀川氏が警察に入られてから各配属先で関わった事件、二十五年分です。リストにある三件の反転表示、ご記憶にありませんか? 一番古い事件だと配属先は山手署、階級は巡査部長ですね」
わずかに、堀川の頬が引きつった。
「山下埠頭で若い女性の死体が発見された、未解決の事件。確認できたのは首のない胴体に繋がった左足、そして散乱していた右足と右手だけ。検死報告には、大型の動物……熊やライオンに喰い殺された状態に酷似していると記載されていた。しかも、その後の詳しい検査で歯形が人間と同じであると報告されています」
康則は、声を落とし堀川を見た。
「ところが報告書は、信憑性無しと判断されて破棄、事件は迷宮入りとなりました」
「……犯人は、鬼だとでも言うのかね? 馬鹿げている」
「そう、結論を急がないでください。この事件では、女性の死体を直接見ていますね。我々の調査では、被害者の女性と堀川警視正は面識があったはずなのに、報告されていない。女性の職業が原因ですか?」
「いったい君は、何が言いたいんだ!」
顔色を変えた堀川を無視して康則は、さらに幾つかファイルを開き提示した。
「殺された女性は、地元暴力団員の情婦でした。新しい恋人に説得され、堅気に生きようとしたため制裁を受けたのです。殺したのは、中央の写真の男。左の写真は、情婦に裏切られた恨みで〈業苦の鬼〉となった、同じ人物です。事件の翌日、鬼龍家の手で処分しました」
食い入るように堀川は、モニターの写真を覗き込んだ。
右上方に映るのは金色に染めたセミロングの髪、長い付けまつげ、ふっくらとした唇、小さな顎、低い鼻、あどけない面差しを残す二十歳くらいの女性被害者。プライベート写真だろう、Vサインを出して笑っている。
中央には、細い眉と薄い唇、リップピアスをした表情の乏しい三十歳くらいの男性。こちらはおそらく、免許証写真だ。
モニター左に映されているのは、鉤爪状の黒い角が眉間を突き破り、牙を剥いて双眼を血走らせた、醜悪な鬼の姿。処分前に、鬼龍の記録班が撮影したものだ。
「鬼龍家は、警察の介入できない事件を調査し解決する機関です。鬼の出現も、本来ならば早期に察知して被害を未然に防ぐのですが、万全を期したつもりでも不測の事態が起きてしまいます。この場合、迅速に処理するためにも、警察の協力が必要なのです」
低く唸りながらモニターを見つめる堀川を観察し、納得してくれることを祈った。まだ協力を拒むようなら、次の手札を出さなければならない。癒着や不正を切り札にして脅すのは、一番嫌いなやり方だった。
「具体的に、どういった協力を求めているのか聞きたい」
なるべく情報を出し惜しみたいようだが、堀川に上がる報告書の内容など、既に把握済みである。
「事件現場と、現物の死体を見せてください。それだけで結構です」
しばらく考え込んでいた堀川は、取るべき態度を決めたようだ。モニターから顔を上げ、康則を見据えた。
警察の立場として、外部機関に事件を委ねるのは屈辱だ。堀川の眉間に刻まれた皺が、苦渋の選択を物語る。
諾か、否か。
冷静に、堀川の表情を読む。態度は決めたが、威厳を保つ言葉を探しているようだ。あまり時間は取りたくない。康則が、返答を促そうとした時。
「部長、また、昨日と同じ状態の死体が見つかりました! こりゃあ、連続殺人事件の可能性大ですよ……。課長は対策本部を所轄から動かすために忙しいんで、代わりに俺が一報、持ってきました!」
大声で報告しながら、展望室に一人の男が駆け込んできた。手にした資料を堀川に渡してから、ようやく第三者の存在に気がつく。
「あれっ、君……鎧塚くんじゃない? なんだ、部長の知り合いだったのかぁ!」
「また会いましたね、相馬刑事」
外部の人間がいるかもしれない場所で、大声の殺人事件報告とは。相馬刑事の捜査マニュアルに、守秘義務の言葉は存在しないらしい。
康則は、相馬の親近感あふれる笑顔に苦笑を返した。
「ところで鎧塚くん、この展望室からの夜景は、ぜひ見て欲しかったけど……これから堀川刑事部長と大事な仕事の話があるんだ。悪いね」
子供は、家に帰れということか。
優しく諭しながらも相馬の目には、有無を言わせない力があった。康則は視線を、相馬から堀川へと移す。堀川の目が、了解の意思を示した。
「鎧塚くんは、警察の依頼で特異な事件をリサーチする外部機関、鬼龍家の関係者だ。席を外す必要はない。詳しい報告を頼む」
「えっ? いや、しかし……彼は高校生ですよ? いくらなんでも、そんな無茶な」
「これは、命令だ」
戸惑う相馬を、堀川は厳しい声音で一括した。だが相馬は、納得できないという顔で康則の顔を覗き込む。服装は野暮でも、間近に見た顔には刑事の鋭さがあった。
「鬼龍……ねぇ。噂には聞いてたけど、〈X―ファイル〉や〈フリンジ〉に出てくるような調査機関が実在するとは思わなかったな。それも君のような子供が? ありえねぇ……」
「相馬くん!」
「は、はいっ、すみません!」
納得いかなくても、上司の命令に逆らえないのが警察の縦社会だ。くたびれたスーツの内ポケットから手帳を取り出し、相馬は渋顔で報告を始めた。
「えー、本日十七時四十五分頃、港南区K自然公園の大池遊歩道から五十メートルほど外れた雑木林で、施設管理人が女性と思われる死体を発見。地図は、渡した資料の中にあります。所轄が身元を確認中ですが、死体の損傷が激しく、時間がかかりそうです。ただ、被害者は私立叢雲学園高等部の制服を着ており、死体の状態は……昨日発見された坪井遥香と似ているようですね」
相馬が、ちらりと横目で康則を見た。内心の動揺を、気付かれないように押し隠す。
二人目の、犠牲者を出してしまった。想定外だ。
〈業苦の鬼〉は、人としての形を保つために人間を襲い、精気を吸い取る。暴力的な殺戮と血を好み、肉を喰らうようになるのは人としての理性を失い、末期を迎えた鬼になってからだ。
餌となる人間は抵抗する力の弱い女、子供、老人が多いのだが、老人や子供は精気が少なく弱いため、必然的に若い女性が狙われやすかった。
その昔、「渡辺の綱」に討伐された「酒呑童子」は、美しい青年の姿を保つために大量の若い娘の生き肝を必要としたらしい。だが大抵、若い女性の精気を吸い取った鬼は、おとなしく暮らす限り一ヶ月以上飢えや渇きをおぼえないはずだった。
「ふむ……対策本部の件は、捜一課長の北村くんに任せよう。相馬くんは、今から現場入りかね?」
堀川は手元の資料を丸め、そのまま康則に手渡した。それを見て、相馬は眉間に皺を寄せる。
「班長以下数名が既に向かっていますが、報告がすんだら俺も行きます。……まさか、部長?」
「私の資料は別の者に用意してもらう。彼……鎧塚くんを同行し、早急に向かうように」
溜め息と共に相馬は、肩を落とした。
「了解しました……じゃ、行こうか、少年」
「よろしくお願いします、刑事さん」
あきらめ顔の相馬に、康則は謙虚な笑顔を向けた。
現場に向かう警察車両の中、康則は相馬の質問攻めに閉口することになった。
「鎧塚康則くん……戦国武将みたいな時代がかった名前だねぇ。改めて自己紹介するけど、俺は……」
「相馬祐介さん、でしたね。最初にお会いしたとき、手帳で拝見しました」
「調査員だけあって、さすがの観察眼と記憶力! で、さ、鬼龍家っていったい、何者なの?」
ハンドルを握る相馬は、助手席の康則に矢継ぎ早の質問を浴びせかけてきた。相手の思惑に気付かず、促されるまま助手席に座ったのが失敗だった。
鬼龍の名が出るたび質問を無視するか、はぐらかすのだが、相馬は手を変え品を変え話題を変えて最後に必ず「鬼龍家って何者?」と、聞いてくる。この粘り強さは職業柄か、それとも生来の性格なのか。
このままでは、仕事にならない。
「僕はただの調査員なので詳しくは知りませんが……鬼龍家は何百年も前から、特異な事件を調べて記録している一族なんです。僕の家は、鬼龍家代々の家臣家系になります」
車窓の外、流れる景色を見ながら質問をかわし続けた康則も根負けだ。当たり障りない情報を与えて、誤魔化すことにした。
「へぇ……神主とか陰陽師とか?」
「どちらかと言えば、その方面の学識者とか研究者に近いですね」
本当のことなど、言えるわけがない。
「今回、君が来たと言うことは、これまでも似たような事件があったって事だよね? 過去の事件では、犯人解明に貢献できたの?」
「相馬さんは、どのような犯人像を考えているんですか?」
康則の方から質問を切り返すと、意表を突かれたのか相馬は、まじまじと康則を見つめてからニヤリと笑った。
「うーん、そうか。俺ばかり質問するのはフェアじゃないな、確かに」
目の前の信号が黄色に変わり、車は速度を落とした。相馬はシャツの胸ポケットからタバコを取り出し一本引っ張り出したが、思い直したように箱に戻す。
「タバコなら、どうぞ。僕なら平気です」
「じゃあ、一本だけ」
赤信号で車を止め、相馬はカーナビで位置を確認してから上着を脱いでタバコに火をつけた。
シャツ一枚の上半身に、鍛えられた良い筋肉がついているのが解る。
警察車両に案内されるまでのわずかな時間、相馬の経歴を調べた。大学卒業後、所轄の刑事部を経て県警第一機動隊に配属。刑事部の暴力団対策課に異動になり二年後にエリート揃いの捜査一課第一班に着任。現在二十八歳。一年前に単身者用官舎を出て、一LDKのマンションに一人暮らし。交際中の女性なし。
キャリア組で頭脳派の堀川警視正とは違い、現場肉体労働派らしい。
「俺の考えでは、毒物を使っていると思う。なにしろ、死体の状態が異常だ。昨日見つかった坪井遥香の薬物検査結果は、まだ出ていないけどね……」
タバコで気持ちを切り替えた相馬は自らの考えを明かし、探る視線を康則に投げた。
「警察らしい、科学的見解ですね。僕が調べるのは、死体の首に噛み傷が有るか無いかですよ」
「あっはっは、なるほど!」
ハンドルを叩きながら愉快そうに笑ったが、当然、納得したわけではないだろう。康則は身体ごと、真顔を相馬に向ける。
「ただ……先ほどの質問にお答えするなら、答えはイエスです。僕の立場で詳細は話せませんが、どうしても、と言うのなら、堀川警視正に聞いて下さい」
康則の毅然とした態度に相馬は、あきらめ顔で口を噤んだ。
高速道路を降りた車は、住宅街を抜けて街灯の少ない丘陵地帯へと入った。事件現場のK自然公園は、もう近い。
既に日は落ち、黒い雑木林を照らし出すのは相馬が運転する車のヘッドライトだけだ。だが、やがて行く手に赤い光で染められた木々が浮かび上がる。
警察車両の赤色灯が、その光の正体だった。
カーナビの位置情報によると、この場所はK自然公園北の駐車場だ。細い遊歩道が、駐車場の端から公園の中へと続いている。
車を降りた相馬は、若い警察官に案内されて現場に向かった。
五十メートルほど歩くと遊歩道は、柵で仕切られた広い庭園に出た。
その一画が立ち入り禁止のテープとサーチライトで囲まれ、多くの人影が動いている。閉園時間を過ぎているため、一般人の野次馬はいない。
相馬は康則に待つように伝えてから無遠慮にテープをくぐり、中の一人と話を始めた。相馬より年配に見える相手は、康則を一瞥して頷く。
半分ほど引き返してきた相馬に手招きされ、康則がテープをくぐり近くまで行くと、低い声で耳打ちをされた。
「班長は君の素性を理解してるけど、ほかの連中に何か聞かれたときは……被害者の死亡推定時刻に、この場所を通った参考人……で、話をあわせくれる? あと、言うまでもないと思うけど、俺から離れて勝手に歩き回らないでね?」
「了解です」
素直に頷き、後ろに続いた。
立ち入り禁止テープから数メートル、鑑識以外の人間が踏み荒らさないように、ビニールシートが敷かれて道が出来ていた。
「それにしても、獣臭いな。死体発見現場とは違う匂いだ、近くに猫の死体でもあるのか?」
相馬が、顔をしかめた。
独特の、獣臭。
死体発見現場に近付くにつれ、体毛を騒がす気配。
紛れもない、〈業苦の鬼〉の残滓だ。
「坪井遥香の死体発見現場には多少、争った形跡があったんだけどね……」
相馬は足下を指さし、康則に顔を向けた。
「この場所には、被害者本人の足跡もない。しかし見れば解ると思うけど、下生えの雑草と土が少し、えぐれてるんだ。班長は冗談で……犯人は遊歩道で、死体を頭の上まで抱え上げてから、ぶん投げたに違いない……って言ってたよ」
現場を観察していた康則は、相馬の言葉を聞いて深く息を吸い込み、顔を上げた。
冗談ではなく、真実だろう。さすがに歴戦の刑事は、読みが鋭い。
「その話、僕に聞かせてもいいんですか?」
「俺が話さなくても君は、必要な情報を誰かから手に入れるだろう? その誰かの面倒を、省いただけさ」
相馬は、肩をすくめて笑う。
誰か……とは、堀川警視正のことだ。康則が堀川の手を煩わせることを、快く思っていないのだ。上司と部下の関係とは違う、人間的な部分を垣間見た気がした。
と、同時に、似たような経験があったことを思い出す。
『誰かから聞く前に、教えてやったんだよ。俺が、殺したってね』
将隆の言葉だった。
もしかしたら将隆は、康則が万由里に話しにくい事実を、代わりに伝えてくれたのか?
「さて、現場検証が終わったら帰ろうか。それともどこか、寄りたい場所があるかい?」
余計なことに気を取られ、ぼんやりしていた。我に返った康則は、相馬に笑顔を向ける。
「J大学病院まで、お願いします」
「そうくると思った」
相馬も、作り笑顔で応えた。
J大学病院は、二つの死体の司法解剖を依頼された病院だった。
叢雲学園に続く私道入り口に、報道関係の中継車数台が停まっていた。登校してくる生徒を捕まえ、不審な死に方をした女生徒について何かしらの情報を得たいのだ。
しかし学園の教職員や警察、我が子を案じる有力者が派遣したボディーガード等に阻まれ、レポーターは生徒に近付く事が出来ない。
報道関係者と警察とボディーガードの睨み合いを横目に、康則は自転車を走らせた。
昨夜は調べ物で、十分な睡眠時間が取れなかった。ケヤキ並木から漏れる朝日が目に染みて、涙が滲む。
目頭を擦り、あくびを噛み殺す康則の横を、涼しい顔の将隆を乗せたセダンが追い抜いた。
昨夜のやり取りで、今朝は気まずい空気になるかと思ったが、将隆の態度はいつも通りだった。そもそも普段、私的な会話も軽口を言い合う事も無いのだ。感情に左右された態度など、とりようもない。
「ヤス、おはよ~! なぁ、なぁ、TV局の中継車、見た? あれ、昨日の殺人事件の取材だろ? インタビューに答えると、やっぱり顔にモザイク掛けられるのかな?」
教室のドアを開けた途端、鳴海良昭が康則の前に飛び出してきた。
「良昭……君はインタビューに答えたのか? そんなことしたら、また……」
続く言葉を、康則はためらった。将隆に言われた「半端な覚悟で、深入りするな」が、頭の隅をよぎったからだ。
良昭が、康則にまとわり付くようになった理由。その切っ掛けは、叢雲学園高等部・新入生入学式当日の、ある出来事だった。
入学式の後、康則はインターハイで常に上位にいる剣道部の練習を見学するため武道館を探していた。あらかじめ頭に入れておいた校内案内図の通り、体育館と武道館を繋ぐ渡り廊下に出たところ、数人の上級生が前方を塞いでいた。
制服のカラーに留められた校章の色は緑、二年生だ。威圧的な態度で、一人の新入生を囲んでいる。
「こんにちは、先輩方。武道館がどこか、教えてもらえませんか?」
康則が声を掛けると、全員が一斉に顔を向けた。
そして輪の中から、ひときわ体格の良い一人が進み出る。
「君の目は、節穴か? すぐ前にある〈玄武館〉が武道館だ。解ったら、早く行け」
一年生から三年生、教職員から雑務まで、学園全ての人物データが頭に入っていた。
この二年生は大手私鉄事業グループK電鉄の一族だが、それほど大物ではない。他の数名は取り巻きの小物だ。囲まれて萎縮していたのは外食産業で成功した新進企業、鳴海グループの社長子息である鳴海良昭だった。
チビなので、入学式でも印象に残っている。
「教えて頂いて、ありがとうございます。ああ、ちょうど鳴海くんを探していたんです。先輩方の用は、もう済みましたか?」
助けようと、思ったわけではない。ただ、理不尽な光景に不快感を抱いただけだった。
相手が退いてくれる事を期待し、笑顔を向ける。しかしK電鉄は頬を歪め、取り巻きに目配せをした。良昭と康則を囲んで、少し大きな輪が出来る。
「いい態度だ……君たち二人とも、部活見学で武道館に来たんだろ? せっかくだから、体験していけば? 鳴海くんにも君にも、立場の違いを解らせてやるよ」
「立場の……違い?」
「そう、この学園に相応しくない者を、僕は認めない主義でね」
二年生は輪を狭め、二人を武道館へと押しやった。
康則は頭に、データを呼び出す。困った事になった、K電鉄は空手部の新主将だ。部活体験と称し、家柄や社会的地位の低い生徒を痛めつけるつもりなのだ。
相手が高校総体優勝レベルであろうと敵ではないが、打ち負かす訳にはいかないし、痛めつけられるのもゴメンだ。学園に通う生徒の性質から、暴力沙汰は無いと踏んでいたのに、認識が甘かった。K電鉄は、負けず嫌いらしい。
良昭は康則を見上げてドングリ眼をくるりと回し、自分の足を軽くたたいた。小学生に見間違えそうなほど小柄で童顔だが、気が強く足には自信があるようだ。
体格のいい康則が、輪を突破すれば逃げられるということか……。
了解の意味で笑みを返し、突破しやすい箇所と頃合いを見計らう。すると突然、輪の動きが止まった。
先頭を行くK電鉄の目線を追うと、武道館入り口に掲げられた〈玄武館〉板書き前に、数冊の本を抱えた一人の新入生が立っている。
鬼龍将隆だった。
「康則、図書館まで案内しろ」
波が引くように道をあけたK電鉄と二年生の真ん中を通り、将隆は渡り廊下から体育館へと入っていった。
康則は良昭の背を押し、その後に続く。
K電鉄は、もう何も言わなかった。
この学園に入学する者は必ず、親兄弟や親族から「鬼龍家に関わるな」と警告される。理由の説明がなくても、有力者の子息令嬢は言外の意を悟るのだ。鬼龍家の不興を買う事は、一族の存亡を意味する事だと。
将隆は入学式に参加せず、応接室で本を読んでいたはずだった。
本は康則が職員に頼み、図書館で用意した。武道館に寄ってから、返却のため応接室に本を取りに行くつもりだったのだ。まさか将隆が、自分で返却に行くとは思わなかった。
偶然とはいえ、結果的に助けられてしまった。
自らの軽率な行動は反省すべきだが、この一件で学園内における康則の位置付けが確立した。鬼龍家の威光は、康則にとって仕事をするのに都合がいい。
ところが良昭は、康則を特別な存在と思うようになった。
特に気に入られようとして、へつらったり、機嫌を取ったりはしない。ただ、康則が知り得ない学園の情報や噂話、企業の社交関係などを、随時教えてくれるのだ。おかげで学園内の力関係に、かなり詳しくなった。
子息令嬢の力関係は、そのまま社会の力関係に通じている。
「インタビューに答えてTVに出たら、また虐められるって心配してんの? 大丈夫だよ、そんなドジ、踏まないからさ」
康則の思案顔を、自分に都合良く解釈して良昭が笑った。
「もう、ヤスに助けて貰わなくても大丈夫だぜ? でも俺、ヤスのためなら何でもするよ。何でも出来るよ。だから何でも、言ってくれよな?」
珍しく真顔で、良昭は康則を見つめた。学園の女生徒が死んだ事件で、康則が何か調べていると察したのかもしれない。
「ありがとう。将隆さまを危険な目に合わせないために、情報が必要なんだ。よろしく頼むよ」
「おお、任せろ」
良昭はドングリ眼をくるくると回し、鼻の穴を膨らませた。
頼もしい……とは、とても言えないが、少し嬉しかった。友人との何気ない会話とは、こういうものなのだろう。
将隆との会話には、常に張り詰めた緊張感がある。
「そう言えば今日、女子の姿が少ないね」
話題を切り替え康則は、感傷的になりそうな気分を振り払った。
「そりゃそうだろ? 昨日の事件の後じゃあ、良家の御令嬢はお屋敷から一歩も出られないさ。まぁ、どこかの跳ねっ返りさんは別だけどね」
良昭が顎で指した方向には、鞠小路日向子の姿があった。視線に気付いたのか、日向子は康則に顔を向けて、にっこりと微笑む。
その気丈な笑顔が、とても綺麗だと思った。
授業が終わると康則は、屋敷に一旦戻って自転車から制服のままオートバイに乗り換え、神奈川県警察本部に向かった。
康則のバイクは、将隆が乗っているスピード優先のオンロードは違い、足回りと機動性を重視してオフロードだ。
生徒の安全を考慮し、しばらく部活動停止となった事は助かった。生徒活動を、ほぼ無視している将隆に代わり、学校との関わりは康則が保っている。学校行事も部活動も、要領よく対処しなくてはならないのだ。
今日の夕方までに届いた数件の警察資料は、良昭から得た情報を裏付けるに足りていなかった。警察内部にいる組織の者が、非公開の内部資料も送ってくれるのだが、自分の目で確かめたいことがある。
死体の、形状だ。
実物からは、司法解剖の結果や鑑識からの報告では解らない、何かを感じることができる。だが、そのためには警察上層部の了解を得なければならなかった。
駐車場にバイクを駐め、オフィスビルのような近代的で開放感のあるロビーに入ると、案内所の若い女性職員に刑事部・堀川警視正との約束を告げた。執事の鈴城に頼んで警察本部長と話を通し、先方から接触を指定された人物だ。
案内を待つように言われロビーで目立たない位置のソファーに腰掛けた康則は、学生鞄からタブレットPCを取り出し、堀川氏のデータを呼び出した。
データによると、なかなか癖のある人物らしい。昨年、刑事部長に就任したばかりで、ここ近年の〈業苦の鬼〉に絡んだ事件は担当していない。
鬼龍家に対して、どの程度協力的か解らなかった。
「できれば、面倒な交渉をしたくないな……」
堀川氏に関するいくつかのデータファイルを画面に表示してから、康則はタブレットをスリープモードにする。
「やあ君、どこかであったね? ああそうだ、叢雲学園高等部のチャリ置き場!」
「……正確には門の外ですよ、刑事さん」
背後を見上げると、事件の朝に事情聴取をしていた県警捜査一課の刑事、相馬祐介が気安い態度でソファーに手をかけ笑っていた。相変わらずの安物スーツに、だらしなく緩んだネクタイ。だが外見とは裏腹に、どことなく、油断できない男だ。
正面から、来ないところが気に入らない。まさか、PCの中身を見ようとしたのか?
「こんな時間に、警察で何をしているんだい? 学校は?」
「もう、授業は終わりました。昨日の事件のせいで、小学校みたいに一斉下校命令ですよ。ところでこれは、職務質問ですか?」
康則が平然とした態度で答えると、相馬は苦笑した。
「悪かったよ、つい質問口調になるのは職業病なんだ。しかし、ここは普通の高校生にとって用のある場所じゃないからね」
やはり気に入らない。「普通の」と言うとき、イントネーションを変えた。
「どういう、意味です?」
真意を探るため不快感を露わにすると、慌てて両手を挙げ、かぶりを振る。
「だってほら、警察に用があるのは犯罪に関係……しまった、墓穴掘った。いや、その、つまり君は、ちょっと独特の雰囲気を持ってるってことさ。そうだな……昨年まで組織犯罪対策本部にいた俺の経験からすると、手強い相手ってところかな?」
この刑事は、康則の仕事につきまとう死の匂いを、嗅ぎ分ける鼻を持っているようだ。
「捜査一課の刑事さんに、手強い相手と思われるのは心外ですね」
「将来性を看破したんだから、光栄でしょ?」
組織犯罪対策本部と言えば、暴力団対策課のある部署だ。光栄どころではない。
「……将来、手強い犯罪者になるとでも、言いたいんですか」
「違うよ」
相馬は、ニヤリと笑った。からかって、いるのだろうか。高校生と遊ぶ暇があるなら、真面目に捜査をしたらどうかと言いたくなった。
口を開く前に都合よく、若い婦警が小走りに近付いてきた。
「鎧塚さんですね、ご案内します」
康則はソファーから立ち上がり、相馬に軽く会釈をした。暇な刑事の戯れ言から、ようやく逃れられる。
「そういえば君の名前、聞いてたんだ! 鎧塚くん、俺は相馬っていうんだ、よろしくな!」
相馬祐介、名前なら既に知っている。よろしくも何も、恐らく二度と会うことはないだろう。
婦警の後を歩きながら康則は、背を向けたまま愛想程度に片手をあげた。
案内されたのは、最上階にある展望室だった。
堀川氏は、慎重派だ。この場所ならば誰に見られても、知人の息子の観光案内と言い逃れできる。
三メートル四方ほどの一枚ガラスを填め込んだ展望窓が断続的に連なり、眼下にはコスモワールド、赤レンガ倉庫、大桟橋、山下公園、マリンタワー、中華街など横浜全ての観光名所が一望できた。
夕闇が色濃くなり始めた埠頭に、次々と明かりが灯る。その美しいイルミネーションの中に一カ所、穴のような闇があった。大桟橋コンテナ倉庫のあたりだ。
人気のない暗い倉庫群にうごめく邪悪な影を、康則は想像した。きっと、地獄の入り口にふさわしい様相だろう。
ガラスに、人影が映った。
「話には聞いていたが……本当に君が、鬼龍家の……?」
言いにくそうに言葉尻を濁した堀川刑事部長は、グレーのブランドスーツをきっちり着こなした神経質そうな人物だった。
データでは四十七歳となっていたが、緩く後ろに流した髪は黒々として艶があり肌の血色も良いので、五歳は若く見える。
身長は康則と同じくらい、細身でスポーツとは縁のない体型だ。体を張るより、頭を使って地位を築いてきたのだろう。
「初めまして、鬼龍家から来ました鎧塚康則です。お忙しいところ、お時間をいただいて申し訳ありません」
低姿勢で挨拶をした康則を堀川は品定めするように眺め、また口の中で「話には聞いていたが……」と繰り返した。そして自分より遙かに格下と位置付けたらしく、急に胸を反らせ威圧的な態度になる。
「本部長、直の指令とはいえ……鬼退治をしている一族に協力しろだと? まったく、現実と掛け離れた話だよ。今回の事件も、マスコミが怪事件と騒ぎ立てているにすぎない。我々の手で犯人を逮捕すれば、特別でも何でもない事件だと証明できると思うがね」
予想通りの反応だ。呆れる事もなく、腹も立たなかった。
ただ、このような場合、相手を納得させる手段が好きになれない。面倒だな、と、小さく溜め息を吐く。
「失礼ながら死体を、ご覧になっていませんね? 直に見れば、司法解剖の報告書や写真では判読できない異常性を感じるでしょう。堀川警視正は今日まで、警察という世界において多くの残虐で悲惨な事件を体験されてはいませんか? その中には、どう考えても人間の所業と思えない、不可解な事件もあったはずです」
「不可解な事件など、ない。どの事件も犯行動機があり、犯罪実行の過程は明らかにできる」
「はたして、そうでしょうか?」
康則は鞄からタブレットを取り出し、スリープを解除した。モニターには、数十件の事件リストが表示されている。
「これは、堀川氏が警察に入られてから各配属先で関わった事件、二十五年分です。リストにある三件の反転表示、ご記憶にありませんか? 一番古い事件だと配属先は山手署、階級は巡査部長ですね」
わずかに、堀川の頬が引きつった。
「山下埠頭で若い女性の死体が発見された、未解決の事件。確認できたのは首のない胴体に繋がった左足、そして散乱していた右足と右手だけ。検死報告には、大型の動物……熊やライオンに喰い殺された状態に酷似していると記載されていた。しかも、その後の詳しい検査で歯形が人間と同じであると報告されています」
康則は、声を落とし堀川を見た。
「ところが報告書は、信憑性無しと判断されて破棄、事件は迷宮入りとなりました」
「……犯人は、鬼だとでも言うのかね? 馬鹿げている」
「そう、結論を急がないでください。この事件では、女性の死体を直接見ていますね。我々の調査では、被害者の女性と堀川警視正は面識があったはずなのに、報告されていない。女性の職業が原因ですか?」
「いったい君は、何が言いたいんだ!」
顔色を変えた堀川を無視して康則は、さらに幾つかファイルを開き提示した。
「殺された女性は、地元暴力団員の情婦でした。新しい恋人に説得され、堅気に生きようとしたため制裁を受けたのです。殺したのは、中央の写真の男。左の写真は、情婦に裏切られた恨みで〈業苦の鬼〉となった、同じ人物です。事件の翌日、鬼龍家の手で処分しました」
食い入るように堀川は、モニターの写真を覗き込んだ。
右上方に映るのは金色に染めたセミロングの髪、長い付けまつげ、ふっくらとした唇、小さな顎、低い鼻、あどけない面差しを残す二十歳くらいの女性被害者。プライベート写真だろう、Vサインを出して笑っている。
中央には、細い眉と薄い唇、リップピアスをした表情の乏しい三十歳くらいの男性。こちらはおそらく、免許証写真だ。
モニター左に映されているのは、鉤爪状の黒い角が眉間を突き破り、牙を剥いて双眼を血走らせた、醜悪な鬼の姿。処分前に、鬼龍の記録班が撮影したものだ。
「鬼龍家は、警察の介入できない事件を調査し解決する機関です。鬼の出現も、本来ならば早期に察知して被害を未然に防ぐのですが、万全を期したつもりでも不測の事態が起きてしまいます。この場合、迅速に処理するためにも、警察の協力が必要なのです」
低く唸りながらモニターを見つめる堀川を観察し、納得してくれることを祈った。まだ協力を拒むようなら、次の手札を出さなければならない。癒着や不正を切り札にして脅すのは、一番嫌いなやり方だった。
「具体的に、どういった協力を求めているのか聞きたい」
なるべく情報を出し惜しみたいようだが、堀川に上がる報告書の内容など、既に把握済みである。
「事件現場と、現物の死体を見せてください。それだけで結構です」
しばらく考え込んでいた堀川は、取るべき態度を決めたようだ。モニターから顔を上げ、康則を見据えた。
警察の立場として、外部機関に事件を委ねるのは屈辱だ。堀川の眉間に刻まれた皺が、苦渋の選択を物語る。
諾か、否か。
冷静に、堀川の表情を読む。態度は決めたが、威厳を保つ言葉を探しているようだ。あまり時間は取りたくない。康則が、返答を促そうとした時。
「部長、また、昨日と同じ状態の死体が見つかりました! こりゃあ、連続殺人事件の可能性大ですよ……。課長は対策本部を所轄から動かすために忙しいんで、代わりに俺が一報、持ってきました!」
大声で報告しながら、展望室に一人の男が駆け込んできた。手にした資料を堀川に渡してから、ようやく第三者の存在に気がつく。
「あれっ、君……鎧塚くんじゃない? なんだ、部長の知り合いだったのかぁ!」
「また会いましたね、相馬刑事」
外部の人間がいるかもしれない場所で、大声の殺人事件報告とは。相馬刑事の捜査マニュアルに、守秘義務の言葉は存在しないらしい。
康則は、相馬の親近感あふれる笑顔に苦笑を返した。
「ところで鎧塚くん、この展望室からの夜景は、ぜひ見て欲しかったけど……これから堀川刑事部長と大事な仕事の話があるんだ。悪いね」
子供は、家に帰れということか。
優しく諭しながらも相馬の目には、有無を言わせない力があった。康則は視線を、相馬から堀川へと移す。堀川の目が、了解の意思を示した。
「鎧塚くんは、警察の依頼で特異な事件をリサーチする外部機関、鬼龍家の関係者だ。席を外す必要はない。詳しい報告を頼む」
「えっ? いや、しかし……彼は高校生ですよ? いくらなんでも、そんな無茶な」
「これは、命令だ」
戸惑う相馬を、堀川は厳しい声音で一括した。だが相馬は、納得できないという顔で康則の顔を覗き込む。服装は野暮でも、間近に見た顔には刑事の鋭さがあった。
「鬼龍……ねぇ。噂には聞いてたけど、〈X―ファイル〉や〈フリンジ〉に出てくるような調査機関が実在するとは思わなかったな。それも君のような子供が? ありえねぇ……」
「相馬くん!」
「は、はいっ、すみません!」
納得いかなくても、上司の命令に逆らえないのが警察の縦社会だ。くたびれたスーツの内ポケットから手帳を取り出し、相馬は渋顔で報告を始めた。
「えー、本日十七時四十五分頃、港南区K自然公園の大池遊歩道から五十メートルほど外れた雑木林で、施設管理人が女性と思われる死体を発見。地図は、渡した資料の中にあります。所轄が身元を確認中ですが、死体の損傷が激しく、時間がかかりそうです。ただ、被害者は私立叢雲学園高等部の制服を着ており、死体の状態は……昨日発見された坪井遥香と似ているようですね」
相馬が、ちらりと横目で康則を見た。内心の動揺を、気付かれないように押し隠す。
二人目の、犠牲者を出してしまった。想定外だ。
〈業苦の鬼〉は、人としての形を保つために人間を襲い、精気を吸い取る。暴力的な殺戮と血を好み、肉を喰らうようになるのは人としての理性を失い、末期を迎えた鬼になってからだ。
餌となる人間は抵抗する力の弱い女、子供、老人が多いのだが、老人や子供は精気が少なく弱いため、必然的に若い女性が狙われやすかった。
その昔、「渡辺の綱」に討伐された「酒呑童子」は、美しい青年の姿を保つために大量の若い娘の生き肝を必要としたらしい。だが大抵、若い女性の精気を吸い取った鬼は、おとなしく暮らす限り一ヶ月以上飢えや渇きをおぼえないはずだった。
「ふむ……対策本部の件は、捜一課長の北村くんに任せよう。相馬くんは、今から現場入りかね?」
堀川は手元の資料を丸め、そのまま康則に手渡した。それを見て、相馬は眉間に皺を寄せる。
「班長以下数名が既に向かっていますが、報告がすんだら俺も行きます。……まさか、部長?」
「私の資料は別の者に用意してもらう。彼……鎧塚くんを同行し、早急に向かうように」
溜め息と共に相馬は、肩を落とした。
「了解しました……じゃ、行こうか、少年」
「よろしくお願いします、刑事さん」
あきらめ顔の相馬に、康則は謙虚な笑顔を向けた。
現場に向かう警察車両の中、康則は相馬の質問攻めに閉口することになった。
「鎧塚康則くん……戦国武将みたいな時代がかった名前だねぇ。改めて自己紹介するけど、俺は……」
「相馬祐介さん、でしたね。最初にお会いしたとき、手帳で拝見しました」
「調査員だけあって、さすがの観察眼と記憶力! で、さ、鬼龍家っていったい、何者なの?」
ハンドルを握る相馬は、助手席の康則に矢継ぎ早の質問を浴びせかけてきた。相手の思惑に気付かず、促されるまま助手席に座ったのが失敗だった。
鬼龍の名が出るたび質問を無視するか、はぐらかすのだが、相馬は手を変え品を変え話題を変えて最後に必ず「鬼龍家って何者?」と、聞いてくる。この粘り強さは職業柄か、それとも生来の性格なのか。
このままでは、仕事にならない。
「僕はただの調査員なので詳しくは知りませんが……鬼龍家は何百年も前から、特異な事件を調べて記録している一族なんです。僕の家は、鬼龍家代々の家臣家系になります」
車窓の外、流れる景色を見ながら質問をかわし続けた康則も根負けだ。当たり障りない情報を与えて、誤魔化すことにした。
「へぇ……神主とか陰陽師とか?」
「どちらかと言えば、その方面の学識者とか研究者に近いですね」
本当のことなど、言えるわけがない。
「今回、君が来たと言うことは、これまでも似たような事件があったって事だよね? 過去の事件では、犯人解明に貢献できたの?」
「相馬さんは、どのような犯人像を考えているんですか?」
康則の方から質問を切り返すと、意表を突かれたのか相馬は、まじまじと康則を見つめてからニヤリと笑った。
「うーん、そうか。俺ばかり質問するのはフェアじゃないな、確かに」
目の前の信号が黄色に変わり、車は速度を落とした。相馬はシャツの胸ポケットからタバコを取り出し一本引っ張り出したが、思い直したように箱に戻す。
「タバコなら、どうぞ。僕なら平気です」
「じゃあ、一本だけ」
赤信号で車を止め、相馬はカーナビで位置を確認してから上着を脱いでタバコに火をつけた。
シャツ一枚の上半身に、鍛えられた良い筋肉がついているのが解る。
警察車両に案内されるまでのわずかな時間、相馬の経歴を調べた。大学卒業後、所轄の刑事部を経て県警第一機動隊に配属。刑事部の暴力団対策課に異動になり二年後にエリート揃いの捜査一課第一班に着任。現在二十八歳。一年前に単身者用官舎を出て、一LDKのマンションに一人暮らし。交際中の女性なし。
キャリア組で頭脳派の堀川警視正とは違い、現場肉体労働派らしい。
「俺の考えでは、毒物を使っていると思う。なにしろ、死体の状態が異常だ。昨日見つかった坪井遥香の薬物検査結果は、まだ出ていないけどね……」
タバコで気持ちを切り替えた相馬は自らの考えを明かし、探る視線を康則に投げた。
「警察らしい、科学的見解ですね。僕が調べるのは、死体の首に噛み傷が有るか無いかですよ」
「あっはっは、なるほど!」
ハンドルを叩きながら愉快そうに笑ったが、当然、納得したわけではないだろう。康則は身体ごと、真顔を相馬に向ける。
「ただ……先ほどの質問にお答えするなら、答えはイエスです。僕の立場で詳細は話せませんが、どうしても、と言うのなら、堀川警視正に聞いて下さい」
康則の毅然とした態度に相馬は、あきらめ顔で口を噤んだ。
高速道路を降りた車は、住宅街を抜けて街灯の少ない丘陵地帯へと入った。事件現場のK自然公園は、もう近い。
既に日は落ち、黒い雑木林を照らし出すのは相馬が運転する車のヘッドライトだけだ。だが、やがて行く手に赤い光で染められた木々が浮かび上がる。
警察車両の赤色灯が、その光の正体だった。
カーナビの位置情報によると、この場所はK自然公園北の駐車場だ。細い遊歩道が、駐車場の端から公園の中へと続いている。
車を降りた相馬は、若い警察官に案内されて現場に向かった。
五十メートルほど歩くと遊歩道は、柵で仕切られた広い庭園に出た。
その一画が立ち入り禁止のテープとサーチライトで囲まれ、多くの人影が動いている。閉園時間を過ぎているため、一般人の野次馬はいない。
相馬は康則に待つように伝えてから無遠慮にテープをくぐり、中の一人と話を始めた。相馬より年配に見える相手は、康則を一瞥して頷く。
半分ほど引き返してきた相馬に手招きされ、康則がテープをくぐり近くまで行くと、低い声で耳打ちをされた。
「班長は君の素性を理解してるけど、ほかの連中に何か聞かれたときは……被害者の死亡推定時刻に、この場所を通った参考人……で、話をあわせくれる? あと、言うまでもないと思うけど、俺から離れて勝手に歩き回らないでね?」
「了解です」
素直に頷き、後ろに続いた。
立ち入り禁止テープから数メートル、鑑識以外の人間が踏み荒らさないように、ビニールシートが敷かれて道が出来ていた。
「それにしても、獣臭いな。死体発見現場とは違う匂いだ、近くに猫の死体でもあるのか?」
相馬が、顔をしかめた。
独特の、獣臭。
死体発見現場に近付くにつれ、体毛を騒がす気配。
紛れもない、〈業苦の鬼〉の残滓だ。
「坪井遥香の死体発見現場には多少、争った形跡があったんだけどね……」
相馬は足下を指さし、康則に顔を向けた。
「この場所には、被害者本人の足跡もない。しかし見れば解ると思うけど、下生えの雑草と土が少し、えぐれてるんだ。班長は冗談で……犯人は遊歩道で、死体を頭の上まで抱え上げてから、ぶん投げたに違いない……って言ってたよ」
現場を観察していた康則は、相馬の言葉を聞いて深く息を吸い込み、顔を上げた。
冗談ではなく、真実だろう。さすがに歴戦の刑事は、読みが鋭い。
「その話、僕に聞かせてもいいんですか?」
「俺が話さなくても君は、必要な情報を誰かから手に入れるだろう? その誰かの面倒を、省いただけさ」
相馬は、肩をすくめて笑う。
誰か……とは、堀川警視正のことだ。康則が堀川の手を煩わせることを、快く思っていないのだ。上司と部下の関係とは違う、人間的な部分を垣間見た気がした。
と、同時に、似たような経験があったことを思い出す。
『誰かから聞く前に、教えてやったんだよ。俺が、殺したってね』
将隆の言葉だった。
もしかしたら将隆は、康則が万由里に話しにくい事実を、代わりに伝えてくれたのか?
「さて、現場検証が終わったら帰ろうか。それともどこか、寄りたい場所があるかい?」
余計なことに気を取られ、ぼんやりしていた。我に返った康則は、相馬に笑顔を向ける。
「J大学病院まで、お願いします」
「そうくると思った」
相馬も、作り笑顔で応えた。
J大学病院は、二つの死体の司法解剖を依頼された病院だった。