11
文字数 3,590文字
場所は生徒会室――
今さっき、志儀 が後にしたその場所、衝立 の陰で血塗 れの生徒会副会長・錦織敬輔 が倒れていた。
あのままガリ版制作に没頭していたのだろう。左手には書きかけの原稿を握っている。
《修学旅行の諸君に告ぐ! 奈良では興福寺に剋目せよ! 国宝八部衆を君は知っているか?》
タイトルに続く、如何にも副生徒会長らしい几帳面な文字で記された記事を志儀はざっと目で追った。
八部衆は仏法を守護する八神のことである。
古代インドの鬼神・戦闘神・音楽神・動物神が仏法帰依の守護善神となり
釈迦如来の眷属を務めているのだ。
天、龍、夜叉 、乾闥婆 、阿修羅 、迦楼羅 、緊那羅 、摩羅伽 』
原稿はここで終わっていた。ここまで書いた時、襲われたのだろう。
本人の体の胸の上に小さな白い紙片が置かれている。のたうつ蛇の絵だ。
周囲の床の上には弾け飛んだ愛用の丸縁眼鏡と本。
立ち竦む志儀の背後でストロボが光った。駆けつけた写真部が現場写真を撮ったのだ。
「見つけたのは誰ですか?」
「僕です!」
志儀の問いに答える一人。
「副会長に頼まれてた本を届けに来たんです。そしたら、この通り、倒れてる錦織さんを発見して――」
机に置いた数冊の書籍を指しながら震える声でその生徒は言う。
「僕は図書委員です。部活は毛利さんと同じ文芸部ですが。修学旅行の冊子の資料に必要とのことで図書室から持って来たんです」
本はいずれも今年の修学旅行の訪問地、奈良と四国の史跡や歴史書だった。
「こっちの本は君が持って来たものじゃないんだね?」
志儀は確認した。
「違います。それは最初から、床に――副会長の傍に落ちていました」
「――」
志儀はその本に見覚えがあった。
例の写真――三宅貴士 と黒石鏡子 ――を隠してあった一冊だ。
間違いない。タイトルが気になって憶えていたから。
イギリスの若手女流作家アガサ・クリスティの〈Murder on the Orient Express〉。洋書である。まだ日本語の翻訳本はない。出版は確か1934年? 志儀が中学校へ入学した年のはず。欧米で人気を博した話題作で、読んでみたいとずっと思っていたのだ。だが、いかんせん自分の英語力では歯が立たなかった。
志儀は素早く拾い上げると頁を繰った。
(やっぱりな!)
挟んであったはずの写真が何処にもない……
「そんなことより――」
「生徒会長はまだか?」
周囲で切羽詰った声が上がる。
現在、生徒会室に集まっているのは事情を知る生徒会役員のようだが、惨状を目の当たりにして流石に動揺を押さえられなくなったようだ。
「早く生徒会長を呼んで来い!」
「それが――」
「探してるんだが教室にもいない!」
「一体何処にいるんだ、この大変な時に、我等が生徒会長は?」
「あ」
ひょっとして、まだ毛利医院にいるのでは?
志儀が思い当たった、その時、悲痛な声が響いた。
「錦織っ!」
正に、今、生徒会室へ飛び込んで来た生徒会長・三宅貴士――
「何てことだ! 遂に君まで?」
「三宅さん……」
「すぐに車の手配を! 毛利医院へ運ぶぞ!」
屈み込んで脈を確認しながら貴士は取り囲む蒼白の生徒達にてきぱきと指示した。
「大丈夫だ。脈はある」
志儀と若葉 の方を振り返って頷くと、再び周りの生徒達を見回して、
「先生方への報告は僕がする。現場写真は撮ったな? よし、誰か――そう、松尾君、君が負ぶってくれ。おっと、眼鏡を忘れるなよ! それがないと錦織は困るだろう」
洋書は机に置き、蛇の描かれた紙片の方は自分のポケットにしまってから、志儀は手を上げた。
「僕と若葉君も付き添います!」
「うむ、そうしてもらうと助かる。毛利院長へは電話で僕が事情を説明しておくから」
指名された大柄な生徒、柔道部の松尾が血塗れの副会長を背負うのを見届けると、貴士は今一度志儀と若葉を振り返った。
「頼んだぞ、君たち! 僕も後から行くよ」
出血の夥しい副会長・錦織敬輔。
毛利医院の診察室で治療を受けている間、志儀と若葉は付き添って来た松尾共々、二階の6人部屋――〈謎の襲撃者〉の犠牲者達が収容されている特別病棟で待っていた。
未だに意識の戻らない最初の犠牲者・毛利天優 は言わずもがな、先に襲われた4人も押し黙ったままで誰一人口をきくものはいなかった。
鉛のような重い時間が過ぎて行く。
「そうだ、チワワ君、君、さっき僕を捜して毛利医院へ来たって言ったよね?」
ふと思い出して志儀は隣にいる若葉に小声で訊いた。
「その時、会わなかったかい?」
怪訝そうな顔で若葉が聞き返した。
「誰にさ?」
『生徒会長・三宅さんに』と志儀は訊きたかった。もし、僕が見たのが幻でないとしたら。
不思議な光に包まれて、意識のない包帯姿の毛利さんを見つめていた三宅さん……
だが、志儀がその名を口にするより早く若葉が答えた。
「僕、病室を覗いたけど、君は勿論のこと、誰にも会わなかったよ」
「じゃあさ、病室には全員いた?」
さっきよりもっと奇妙な顔を若葉はした。
「何だよ、変なことばかり訊くんだね、志儀君?病室に 全員いたか って、ソレどういう意味だよ?」
「言葉通りさ。入院患者、5人全員いた?」
「あ、あたりまえだろ?」
ここで看護師が押す寝台に乗って錦織敬輔が運ばれて来た。
麻酔が効いているのか、病室のベッドに移された副会長は硬く両目を瞑って動かない。
「これで、とうとうこの病室が埋まっちゃったね?」
誰に言うともなく低い声で若葉がボソッと言った。
志儀はハッとした。
(その通りだ。)
いつの間にか6人部屋がいっぱいになった。
6つの寝台が全て塞がってしまった……
そこへ生徒会長が入って来た。
「今、院長は錦織君の御家族と連絡を取っておられる。だが、取り合えずは安心して良いとのことだ。容態は安定している」
病室内に一斉に安堵の息が漏れた。
それが消えるのを待って、志儀は告げた。
「皆さん、聞いてください。〈謎の襲撃者〉の正体を突き止めました」
「おお?」
「何だって!」
「それは本当かい?」
「凄い!」
「やったな!」
ベッドの彼方此方から感嘆の声が漏れる。
静かな声で生徒会長・三宅貴士が促した。
「海府 君、では、聞こう。我々K2中生を恐怖に陥れた〈謎の襲撃者〉とは、誰なのだ?」
「志儀君?」
1番近く、胸の鼓動が聞こえるくらい傍に立っている内輪若葉 。その震えている手を志儀はそっと握った。
「落ち着けよ、チワワ君。そして、僕が説明することを最後まで聞いてくれ」
改めて生徒会長へ向き直る。
「三宅さん、そして、ここに居る犠牲者の皆さんも、どうか、聞いてください。僕は〈謎の襲撃者〉の正体がわかりました。ただ、その名を発表するのは後 1日待ってもらいたい」
「どういうことだ?」
先刻の安堵の声が一転、病室内に不穏なざわめきが沸き起こる。
「正体を突き止めたと言っておきながら、ソレを告げるのを引き伸ばすとは!」
「勿体ぶるのもいい加減にしろ!」
「そこまで聞いては、酷い目にあった我々としては、我慢が出来ないぞ!」
「そうとも! 断固、納得できない!」
「皆さん!」
大きく両手を振ると志儀は言った。
「お気持ちはわかります。でも、どうか、冷静になって、僕の言うことをご理解ください」
「志儀君?」
不安げに見つめる助手に微笑み返す。
「明日に引き伸ばす、この猶予はとても大切な意味を持つんです」
「海部君?」
助手とは正反対に突き刺すような鋭い眼差しの生徒会長へも志儀は笑顔を向けた。
「いろいろな意味で」
志儀は繰り返した。
「どうしても、僕には今夜一晩 が必要なんです」
室内にいる全員の視線が集まる中、志儀は窓へと歩いた。
午後の陽射しが優しく振り注ぐその下に横たわっている一人。
最初の犠牲者・毛利天優の前で歩を止める。
物言わぬ昏睡中のその人に誓うが如く、きっぱりとK2中の探偵は言い切った。
「明日になったら、その時は、必ず、僕は全K2中生の前で襲撃者の名を発表します」
伝統のカーキ色。その制服の胸の上でギュッと拳を握って、
「ですから、どうか、この僕にもう1日の猶予を!」
今さっき、
あのままガリ版制作に没頭していたのだろう。左手には書きかけの原稿を握っている。
《修学旅行の諸君に告ぐ! 奈良では興福寺に剋目せよ! 国宝八部衆を君は知っているか?》
タイトルに続く、如何にも副生徒会長らしい几帳面な文字で記された記事を志儀はざっと目で追った。
八部衆は仏法を守護する八神のことである。
古代インドの鬼神・戦闘神・音楽神・動物神が仏法帰依の守護善神となり
釈迦如来の眷属を務めているのだ。
天、龍、
原稿はここで終わっていた。ここまで書いた時、襲われたのだろう。
本人の体の胸の上に小さな白い紙片が置かれている。のたうつ蛇の絵だ。
周囲の床の上には弾け飛んだ愛用の丸縁眼鏡と本。
立ち竦む志儀の背後でストロボが光った。駆けつけた写真部が現場写真を撮ったのだ。
「見つけたのは誰ですか?」
「僕です!」
志儀の問いに答える一人。
「副会長に頼まれてた本を届けに来たんです。そしたら、この通り、倒れてる錦織さんを発見して――」
机に置いた数冊の書籍を指しながら震える声でその生徒は言う。
「僕は図書委員です。部活は毛利さんと同じ文芸部ですが。修学旅行の冊子の資料に必要とのことで図書室から持って来たんです」
本はいずれも今年の修学旅行の訪問地、奈良と四国の史跡や歴史書だった。
「こっちの本は君が持って来たものじゃないんだね?」
志儀は確認した。
「違います。それは最初から、床に――副会長の傍に落ちていました」
「――」
志儀はその本に見覚えがあった。
例の写真――
間違いない。タイトルが気になって憶えていたから。
イギリスの若手女流作家アガサ・クリスティの〈Murder on the Orient Express〉。洋書である。まだ日本語の翻訳本はない。出版は確か1934年? 志儀が中学校へ入学した年のはず。欧米で人気を博した話題作で、読んでみたいとずっと思っていたのだ。だが、いかんせん自分の英語力では歯が立たなかった。
志儀は素早く拾い上げると頁を繰った。
(やっぱりな!)
挟んであったはずの写真が何処にもない……
「そんなことより――」
「生徒会長はまだか?」
周囲で切羽詰った声が上がる。
現在、生徒会室に集まっているのは事情を知る生徒会役員のようだが、惨状を目の当たりにして流石に動揺を押さえられなくなったようだ。
「早く生徒会長を呼んで来い!」
「それが――」
「探してるんだが教室にもいない!」
「一体何処にいるんだ、この大変な時に、我等が生徒会長は?」
「あ」
ひょっとして、まだ毛利医院にいるのでは?
志儀が思い当たった、その時、悲痛な声が響いた。
「錦織っ!」
正に、今、生徒会室へ飛び込んで来た生徒会長・三宅貴士――
「何てことだ! 遂に君まで?」
「三宅さん……」
「すぐに車の手配を! 毛利医院へ運ぶぞ!」
屈み込んで脈を確認しながら貴士は取り囲む蒼白の生徒達にてきぱきと指示した。
「大丈夫だ。脈はある」
志儀と
「先生方への報告は僕がする。現場写真は撮ったな? よし、誰か――そう、松尾君、君が負ぶってくれ。おっと、眼鏡を忘れるなよ! それがないと錦織は困るだろう」
洋書は机に置き、蛇の描かれた紙片の方は自分のポケットにしまってから、志儀は手を上げた。
「僕と若葉君も付き添います!」
「うむ、そうしてもらうと助かる。毛利院長へは電話で僕が事情を説明しておくから」
指名された大柄な生徒、柔道部の松尾が血塗れの副会長を背負うのを見届けると、貴士は今一度志儀と若葉を振り返った。
「頼んだぞ、君たち! 僕も後から行くよ」
出血の夥しい副会長・錦織敬輔。
毛利医院の診察室で治療を受けている間、志儀と若葉は付き添って来た松尾共々、二階の6人部屋――〈謎の襲撃者〉の犠牲者達が収容されている特別病棟で待っていた。
未だに意識の戻らない最初の犠牲者・
鉛のような重い時間が過ぎて行く。
「そうだ、チワワ君、君、さっき僕を捜して毛利医院へ来たって言ったよね?」
ふと思い出して志儀は隣にいる若葉に小声で訊いた。
「その時、会わなかったかい?」
怪訝そうな顔で若葉が聞き返した。
「誰にさ?」
『生徒会長・三宅さんに』と志儀は訊きたかった。もし、僕が見たのが幻でないとしたら。
不思議な光に包まれて、意識のない包帯姿の毛利さんを見つめていた三宅さん……
だが、志儀がその名を口にするより早く若葉が答えた。
「僕、病室を覗いたけど、君は勿論のこと、誰にも会わなかったよ」
「じゃあさ、病室には全員いた?」
さっきよりもっと奇妙な顔を若葉はした。
「何だよ、変なことばかり訊くんだね、志儀君?
「言葉通りさ。入院患者、5人全員いた?」
「あ、あたりまえだろ?」
ここで看護師が押す寝台に乗って錦織敬輔が運ばれて来た。
麻酔が効いているのか、病室のベッドに移された副会長は硬く両目を瞑って動かない。
「これで、とうとうこの病室が埋まっちゃったね?」
誰に言うともなく低い声で若葉がボソッと言った。
志儀はハッとした。
(その通りだ。)
いつの間にか6人部屋がいっぱいになった。
6つの寝台が全て塞がってしまった……
そこへ生徒会長が入って来た。
「今、院長は錦織君の御家族と連絡を取っておられる。だが、取り合えずは安心して良いとのことだ。容態は安定している」
病室内に一斉に安堵の息が漏れた。
それが消えるのを待って、志儀は告げた。
「皆さん、聞いてください。〈謎の襲撃者〉の正体を突き止めました」
「おお?」
「何だって!」
「それは本当かい?」
「凄い!」
「やったな!」
ベッドの彼方此方から感嘆の声が漏れる。
静かな声で生徒会長・三宅貴士が促した。
「
「志儀君?」
1番近く、胸の鼓動が聞こえるくらい傍に立っている
「落ち着けよ、チワワ君。そして、僕が説明することを最後まで聞いてくれ」
改めて生徒会長へ向き直る。
「三宅さん、そして、ここに居る犠牲者の皆さんも、どうか、聞いてください。僕は〈謎の襲撃者〉の正体がわかりました。ただ、その名を発表するのは
「どういうことだ?」
先刻の安堵の声が一転、病室内に不穏なざわめきが沸き起こる。
「正体を突き止めたと言っておきながら、ソレを告げるのを引き伸ばすとは!」
「勿体ぶるのもいい加減にしろ!」
「そこまで聞いては、酷い目にあった我々としては、我慢が出来ないぞ!」
「そうとも! 断固、納得できない!」
「皆さん!」
大きく両手を振ると志儀は言った。
「お気持ちはわかります。でも、どうか、冷静になって、僕の言うことをご理解ください」
「志儀君?」
不安げに見つめる助手に微笑み返す。
「明日に引き伸ばす、この猶予はとても大切な意味を持つんです」
「海部君?」
助手とは正反対に突き刺すような鋭い眼差しの生徒会長へも志儀は笑顔を向けた。
「いろいろな意味で」
志儀は繰り返した。
「どうしても、僕には
室内にいる全員の視線が集まる中、志儀は窓へと歩いた。
午後の陽射しが優しく振り注ぐその下に横たわっている一人。
最初の犠牲者・毛利天優の前で歩を止める。
物言わぬ昏睡中のその人に誓うが如く、きっぱりとK2中の探偵は言い切った。
「明日になったら、その時は、必ず、僕は全K2中生の前で襲撃者の名を発表します」
伝統のカーキ色。その制服の胸の上でギュッと拳を握って、
「ですから、どうか、この僕にもう1日の猶予を!」