第28話  毎日ゴミを拾っていると、いいモノを拾うこともある。

文字数 2,748文字

 道に落ちているのはゴミだけではないし、ゴミとして捨てられていても、利用価値のあるものが落ちていることもある。
 『アダルトDVD』の項に書いた、アダルトDVDのケースだが、タイトルの紙を外し、無地のケースにして、経年劣化して割れて来たやつと取り換えた。よって、我が家の『もののけ姫』のケースは、黒い。
 いいモノを拾うと、なんだか得した気持ちになるが、あんまし良すぎるモノは、警察に届けなくてはならなくなるので、困ることもある。
 届ける基準は、
・明らかな落とし物かどうか。
・落とし主が困っていそうかどうか。
・放っておけば誰かにネコババされそうなモノかどうか。
の三点である。
 三点がそろっていたら、警察行きだ。これまでに、使い込まれていないカバンやガソリンのクレジット付きカード、新品に近い帽子などを届けた。
 だが、誰かにネコババされるほど価値が普遍的でないモノ……例えば、片方だけの手袋とか、子供の書いたメモの入ったポーチとか、生きたアマガエルがいっぱい入ったプラケースとかは、目立つところに置いておくだけにとどめる。大抵、数日中に消えているので、無事に落とし主の元に戻ったのであろう。
 ちなみにこのプラケの場合は、アマガエルが可哀想なので、放してやってからにした。
 また、明らかな落とし物だが、落とし主が探しに来そうもないモノもある。半分に割れた消しゴム、チェーンの切れたキーホルダー、鉛筆、新品の絆創膏一箱、12点の算数のテストなどである。
 消しゴム、キーホルダー、鉛筆、絆創膏は、今でも使用しているし、12点の算数のテストは、ちゃんと名前が書かれていたので、学校の郵便受けに突っ込んでおいた。

 落とし物でもゴミでもないが、俺にしか価値のない拾いモノもある。
 カワラタケという白色腐植菌に冒され、強風で折れた街路樹の枝などは、クワガタを飼育している俺には宝物である。産卵させるのに、非常に良いからだが、知らない人には、かさばるだけのゴミだろう。
 トラクターが落としていく、水田の泥の塊も、宝物だ。
 俺の地元の水田は、水生植物の宝庫である。
 水田の泥を、水盤に入れて置いておくと、キクモ、イチョウウキゴケ、アブノメ、ヘラオモダカなど、様々な植物が生えてくる可能性があるのだ。しかし、水田はもちろん私有地だから、侵入して泥を失敬することはできない。
 だが、路上に落とされた泥なら話は別。路上を掃除するふりをしてかき集めれば、十リットルやそこら、すぐに集まる。大したものが生えてこない場合も多々あるが、何が生えてくるか分からないのも、楽しみの一つなのだ。
 農業ゴミの項でも書いたが、黒い使い捨てポットもよく拾う。どんどん拾うものだから、一度も買ってないのに、溜まる一方だ。
 鳥や昆虫の死体もたまに拾う。
 鳥は、鳥インフルエンザの可能性もあるから、慎重に扱い、撮影だけして埋葬するが、結構綺麗な遺体も多く、手に取って見られるのは嬉しい限りだ。
 先日など、まだ死後硬直状態のコガモを拾った。狩猟でもやってないと、まず手に取ることなどできないものだが、まあ、路上に落ちていたらば仕方がない。車に踏まれないよう、片付けるのは正しい対処であろう。その際に、撮影したり観察したりしても問題はあるまい。
 しかし、自然死の鳥はインフルエンザのキャリアである可能性が高いので、剥製にはせず埋葬した。
 昆虫で一番よく落ちているのは、ハチだ。
 どっかで殺虫剤を食らって逃げたものの、途中で力尽きたような個体が多いのではないか。ホウジャクやスカシバなどの、ハチに擬態した蛾もたまに落ちているので、あながち的外れな推測ではないと思う。
 その他、カナブンやシロテンハナムグリなどの甲虫もたまに落ちている。完全なものや珍しいものがあったら標本にしているが、大抵は観察した後、埋葬している。
 街路樹に殺虫剤が散布された時などは、イラガの幼虫やクモ、カマキリがたくさん落ちている場合もある。そんな日は、犬が足の裏を刺されて痛がるので、道を変えるようにしている。
 まだ動いているものも多いが、彼らはもはや助からない上に、薬剤をかぶっているので回収はしない。
 ミミズもよく落ちている。ていうか、勝手に這い出してきて死にかけているわけだが、そのまま放置すれば死ぬだけなので、基本、すべて回収して自宅の庭に放すようにしている。
 そのせいか、ウチの庭はミミズがどんどん増え、土が肥え始めている。
 完全に干からびてしまっているものも多いが、まだ微妙に生きているものもいる。どちらも一応回収して埋葬する。何らかの栄養源になるかも知れんので。
 過去に拾った生き物で、もっとも印象深いのはヤモリである。
 路上を這っていたところを、人間か自転車にでも踏まれてしまったのか、まったく動けない様子だった。
 だが、見た目どこも外傷はなく、動けはしなくとも生きている。
 このヤモリ、空いていたプラケに保護することにした。毎日毎日、口をこじ開けてふやかした『九官鳥の餌』をねじ込んでやったら、少しずつ元気になってきた。
 本来、野生のヤモリの餌となっているのは、昆虫などだが、いちいち虫を捕らえて、口にねじ込むのは面倒でもあったし、ヤモリを生かすために虫を何百匹も殺すってのも、なんか違うような気がしたので、人工餌料を使うことにしたのだ。
 むろん、配合飼料にだって、生物が原料として使われているわけだから、それも欺瞞にすぎないわけだが。
 そうやって、ヤモリに餌を与え続けること二か月以上。ようやくヤモリは、プラケの壁を動き回れるまでに回復したのであった。
 そしてさらに一か月後、手足の動きが完全に正常になった頃、俺は、彼を元々いた場所に近い路地裏に放してやったのであった。

 『拾ったいいモノ』などといっても、このくらいであろうか。
 こんだけ長いことゴミ拾いをしているが、もっとも普遍的な価値を持つ拾い物・現金は滅多に落ちていない。これまでに拾った回数は、全部で六回。どれも一円玉である。
 六回は、それぞれまったく違うシチュエーションで拾った。定番である自販機の前の路面、レジ袋のゴミの中、スーパーの駐車場脇など、一回などは水路の掃除をしていて、川底に張り付いていた。
 札束とまでは言わないが、せめて百円玉の一個や二個、落ちていてくれてもよさそうなものだが、そういう幸運は一度もない。どうやら、俺のゴミ拾いに対する神様のお駄賃は、六円くらいのものらしい。
 もしかすると、授けてくださっている神様は、明治時代くらいの貨幣基準でおられるのかも知れない。
 俺は、近くの神社でお参りついでに「今はもう少し、貨幣価値上がってまっせ」とお伝えしてこようかなどと考えているのである。
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