第2話

文字数 2,810文字

 「お兄ちゃん。早く早く」
 大学の合格祝に何か買ってあげようか、そう奏に聞いたのは昨日だ。
 奏は少しモジモジしながら僕を見た。
 「服が欲しいんだけど…。お兄ちゃんと一緒に選びたいな」
 「いいけど…、じゃあ、明日、服を身に行こうか」
 「うん!」
 嬉しそうに頷く奏の笑顔はとても可愛く、僕はいつものように彼女の頭を撫でた。
 翌日、僕と奏は朝から街に行き、いろんな店を見て回った。
 彼女はあの頃のまま、などと僕は思っていたが、いつの間にか奏は大人になっていた。
 童顔を隠すように淡く化粧をしている奏は、大人びた感じの服を試着し僕に見せる。
 「お兄ちゃん、どう?」
 「うん、似合うし綺麗だよ。でももうちょっと可愛げのある方がいいかなあ」 
 「私だってもう大学生になるんだから。いつまでも子供じゃないもん」
 少し頬を膨らませて僕を睨む奏の顔は、やはり幼さがまだ残っていた。
 結局午前中では決まらず、少し遅いランチにした。まあ、最初から早く決まるとは思っていなかったのだが。
 「お兄ちゃん、美味しいよ。よくこんなおしゃれな店知ってたね。社会人なのに女っ気の一つも無い癖に」
 奏は明るく優しい子だが、僕には少し辛らつだ。しかし、僕に甘えているのだと思えば気にならない。
 「これぐらいは知ってるさ。ここで食べた事は無いけどね」
 「食べたこと無いのに私を連れて来たんだ。なんか毒見扱いみたい」
 「美味しいんだからいいだろ。ここの系列の安い店なら行ったことあるから、その上位互換と思えば大丈夫だろうって思ったんだよ」
 「まあそうだね。ありがとう、お兄ちゃん」
 実は、僕はここの店で食べた事がある。会社の先輩の女性が連れて来てくれたのだ。その女性は僕に好意を持っているみたいだったが、上手くはぐらかした。僕の心には他の女性がいるからだ。 
 「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、一人暮らしはしないの?」
 僕は、今社会人一年目だが、今まで一人暮らしをしたことが無い。大学も実家から通っていたのだ。
 「そうだね、そろそろ出てもいいかなって思ってるよ。奏も大学は一人暮らしになるね」
 「うん…、お兄ちゃん、私が居なくなると寂しい?」
 「そりゃあね。でも、仕方ないことだし、居なくなるって言っても、会おうと思えばいつでも 会えるだろ」
 「そうだね…、そうだよね」
 奏は元々地元大学志望だったが、高校側から、東京の名門大学推薦の打診があり、親子で悩んだ末、東京の大学を選んだのだ。
 「奏もこっちの友達と会えなくなるのが寂しいだろうけど、せっかくいい大学に推薦してもらったんだ。奏の普段の努力の結果でもあるし、それが正解だよ」
「うん…」
 奏は少し寂し気な顔を見せたが、すぐ笑顔に戻り、ランチの続きを楽しんだ。
 ランチを終え、支払いを済ませると、奏は僕の腕にしがみついた。そして僕を引っ張るように店を出た。
 「さあ、お兄ちゃん、買い物の続きね」
 「ああ、そうだね」
 僕は奏の頭を撫で、応えた。

 僕と奏の出会いは、僕が15歳、奏が10歳の時だった。
 僕の母は早くに亡くなり、父が男手一つで育ててくれていたのだが、やはり母親が必要だと再婚を決めた。その相手が奏の母だった。
 最初の顔合わせの時、奏は母の陰に隠れ、恥ずかしそうにしていたが、可愛い顔を火照らせぴょこんとお辞儀をした。
 その姿は僕にとって新鮮であり、この子が妹になるんだ、と心が躍った。
 義母は優しく、僕と奏を分け隔てなく子供として愛してくれ、父も僕と奏を平等に愛し、お前が奏を守るんだぞ、と言った。
 当然僕は兄として奏を守り、奏も僕を兄として敬ってくれた。
 僕たち家族は、ほかのどの家族より仲が良く、幸せだ、と思う。
 僕は、奏の傍にいていつでも守れるよう、地元大学に進学し、地元企業に就職した。奏がいつか旅立つ時まで、奏の傍にいてやりたかったのだ。
 奏のランドセル姿が学生服になり、日に日に大人びて美しくなっていく。僕はそんな姿を眩しく感じ、少し気後れを感じたが、奏はいつも通り僕に甘え、可愛い笑顔をくれた。
 奏が高校生になり、地元の大学に行きたいと言っていた事で、僕はまだまだ彼女と過ごすことが出来ると思っていた。
 だが、名門大学推薦という、奏にとってはこの上ない話で大きく変わった。
 正直、奏は相当悩み、地元に残りたかったようだが、両親の是非行くべきとの声に逆らえなかったらしい。
 僕はそれで奏の将来がもっと開けるなら、と離れていく寂しさを飲み込んだ。

 奏が東京へ立つ日、見送りは僕一人だった。両親がインフルエンザにかかってしまったのだ。無理に見送ろうとする二人を、GWには帰ってくるのだからと押しとどめ、二人は家での見送りになった。
 僕は駅まで奏を車で送った。車内で言葉をかけようとしても出てこない、いや、決して言ってはいけない言葉が出そうで口を開けなかった。
 奏も窓から外を眺めているだけで、僕に言葉をかけてこなかった。
 駅に着き、僕は奏の荷物を持って、奏の前を歩いた。奏は下を向いてついてくる。
 突然、奏が僕の手を取り強く握った。僕はその手を強く握り返し、ゆっくりと歩いた。
 奏の手のぬくもりを感じながら、一歩一歩、今までの二人の歩みを刻むように。
 突然、奏の足が止まり、さらに僕の手を強く握りしめた。僕が脚を止め振り向くと、涙顔の奏がいた。
 「お兄ちゃん…」
 「奏…どうした?」
 「嫌だよ…、お兄ちゃんと離れて暮らすなんて…」
 「奏…」
 「お兄ちゃんは私と離れていいの?推薦の話の時、どうしてダメだって、言ってくれなかったの…」
 奏の両目からは、涙が溢れていた。口は何かを訴えるように動きかけた。
 僕はその口の封じるように答えた。
 「奏…、お前のこれからの人生のためには、東京の大学の方がいいに決まっている、僕にそれを止める権利は無いよ…」
 奏は悲しげな顔をした後、無理に作った笑顔で僕に返した。
 「そう…そうだよね…、私のため…だよね」
 駅の中に、奏の乗る電車のアナウンスが流れた。
 「もう、行くね。送ってくれてありがとう。じゃあ、また今度…」
 奏は半泣きの笑顔のまま、僕の手から荷物を取り、改札に向かった。奏の後姿がどんどんと遠くなっていく。
 本当にいいのか…、行かせていいのか…、奏は、僕の言葉を待っていたのだろうか…。
 僕は、奏に走り寄った。
 「奏!」
 声に気づき、振り向いた奏を僕は強く抱きしめた。
 「奏…、好きだ、大好きだ、兄妹じゃなくて…」
 僕は言っていけなかった言葉を、とうとう言ってしまった。いつのまにか可愛い妹から、愛しい人に変わった奏に…。
 僕の言葉に奏はバッグを離し、僕の背中に腕を巻き付けた。
 「お兄ちゃん…、やっと、やっと…言ってくれた…。私も大好きだよ…、お兄ちゃんだけど、お兄ちゃんじゃなくて…」
 電車の発車音がする中、僕と奏はいつまでも、抱き合っていた。
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