文字数 1,052文字

 数日は、あっという間に過ぎていった。想像をはるかに超える重大事故で、僕が最後に見た彼の姿は、彼であると頭が理解できないくらいに酷いものだった。彼を乗せた棺は、太陽も月も見えない憂鬱な雲に覆われて、僕たちのもとを去っていった。自分の部屋に戻って、僕はベッドの中に吸い込まれ、そして、枕に向かって、自分の中にあるすべての悲しみを解き放った。僕は、初めて、真の孤独を覚えた気がした。家族も、友達も、美香も、まだ僕にはたくさんの人がいるのに、僕は独りだった。
 翌日の学校は休んだ。美香は授業を受けに行ったらしい。その強さに僕はうらやましく思った。僕のずる休みをとがめる奴は、圭太を置いて誰もいないだろう。カーテンを開けて、やけに眩しい陽光を見たときは、拭いきれない罪悪感を感じたが、それもやがて地下へと落ちるように、消えていった。リビングには、すっかり硬くなったごはんに、トマト、レタス、そして目玉焼きが置いてあった。空腹を満たすために、それらを胃に流し込み、もう一度、自分の部屋に戻った。
部屋は太陽の光が全体に届かないのか、薄暗く、それが今の僕には心地よかった。スマホを触る気にもならない。僕はベッドに寝転がりながら、何もしなかった。忙しさは人の大切なことを忘れさせてくれる。そんなことは分かっているのに、僕は何もできなかった。秒針が一歩ずつ動いている時計をジッと眺めて、僕はやっと、彼が亡くなった事実を受け止め始めた。耐えきれない彼との記憶が明瞭に僕の脳裏に流れてくる。昨日と違い、やけに綺麗な涙が流れ、そして乾く。静寂な部屋に、彼を襲うものは何もなかった。
 冷蔵庫にあった納豆と、卵をまぜて、それをご飯にのっけた卵かけ納豆ご飯を、味わうことなく口の中に流し込み、それらを飲み込んだ後、長い時間かけた問題の答えが頭の中をよぎるように、僕の頭に一冊のノートが浮かんだ。僕は駆け足で、机に向かうと、傷も誇りもないノートが僕の心に連動したのか、すでに僕の机の上に置かれていた。無我夢中でノートに、圭太が生き返って事故に遭わない、と書きなぐった。書き終わっても、何度も何度も、同じことを書いた。当然、二回目からはインクが紙に付くことはなかった。でも、手が疲れて、ペンを離したときに僕は解放された気分になった。期待などしていなかった。一縷の望みをもっても、このノートが叶えてくれたことは一度もなかった。それでも、もしかしたら僕は期待していたのかもしれない。勝つことがありえない馬に賭け、万馬券を左手に握る人のように。
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