アツシ
文字数 1,965文字
仕事先からの頼まれごとで無下に断れずアツシは承諾した。その話に同棲しているシオリは、呆れて冷たい視線を向けた。週末から二泊三日の旅行を計画していた。シオリが兼ねてより気にしている温泉地での連泊だった。
「前日の金曜日に休みを取って出掛ければいいさ。」
「無理。急に休暇届け出して嫌味を聞きたくないわ。」
機嫌を損ねたシオリは、仕草や表情にも表れた。思い通りにいかないと不機嫌になるシオリの性格にアツシは、諦めながら長くなる小言を覚悟した。
「アッ君って、いつも勝手に決めるのね。先に相談してよ。」
お盆が近く、代理の墓参りだった。
「報酬は? ボランティアじゃないでしょうね。」
「お供えの花に供物線香代込みで二万円。それから交通費もでる。」
アツシは、既に受け取っている金額よりも低く伝えた。シオリの深い溜息が場の空気を重くした。
「嘘でしょう。よくそんな金額で引き受けたね。信じられない。得意先の頼みでも断りなさい。舐められているわよ。」
シオリの金銭感覚からすれば予想意外に低かったのか。苛立ち畳み掛けるシオリの非難に我慢強く耐えた。
翌日になってもシオリの機嫌は直らなかった。朝食の席でアツシは謝った。
「断るよ。親類で悔やみ事があるって話す。」
「簡単に言うのね。それで、この先の仕事に支障が生じればどうするの。」
「なんとかなるさ。」
「ああぁ……、また始まった。【なんとかなるさ】ですか。世の中、甘くないでしょう。」
二歳年上のシオリは、既に管理職の立場だった。現実主義者でシビアな人生観を持っていた。
「いいよ。休み入れるから。……旅行の新しいお洋服が欲しいな。」
金曜日は、朝から雨になった。湿気で髪形が整わないとシオリは散々に文句を並べたが、車が走り出してからは楽しい旅行モードになった。シオリが、スマホのネットニュースを示した。
「これ、知ってる?」
ワイドショーでも連日取り上げられていた。妻を殺害した事件だった。容疑者の夫は否認を続けているが、三角関係の悲惨な結末と報道されていた。
「妻を殺した事件だったかな。」
「そぅ。不倫相手と間違えるなんて、ありえるかしら。」
「本人は、幽霊が殺したって言い張っているらしいね。」
「普通じゃないわよ。あれって、ダメでしょう。アッ君なら、どうする。」
「たぶん土下座するかな。好きな女ができました。別れて下さいって。」
「はぁ……。それなら、昨夜は、土下座してほしかったな。」
シオリは、笑顔ながら根に持っていた。
ナビの指示で越境した。実家のある町に向かう国道から県道に入り山間の市道を走り始めてアツシは、一ヶ月近く前に訪れたダム湖が近いのに気付いた。高校時代の仲間との飲み会の後、昔肝試しに出掛けたダム湖を再訪した。騒ぎを起こした一人がトンネルの中を叫び走る不可解な顛末は、今にして思えば、常識で測れない夜だった。シオリには、飲み会だけを面白可笑しく語っていた。
「ねぇ……、この近くにダム湖がなかったかな。」
戸惑うように確かめる気丈なシオリは、顔を曇らせていた。アツシは、打ち明けたくなる衝動にかられ、飲み会の後にダム湖まで足を延ばした話をした。
「えっ、聞いてないよ。」
「ゴメン。」
「お前ら、子供か。」
シオリは、顔を顰めた。
「このダム凝って、昔から変な噂があるの知っているの。行方不明の事件が幾つもあるらしいよ。」
明らかに困惑するシオリは、ナビを検索して溜息をついた。
「この道だけなのね……。」
アツシは、今になって気軽に用事を引き受けたのを後悔した。仕事絡みといえ、よくよく考えれば報酬が高額過ぎた。
ダム湖から枝道を分け入った先の山深い一軒家だった。土塀が囲み門構えの屋敷は、由緒を調べたいほどに存在感があった。
「凄いね。御殿みたい。」
シオリの感想は、的を得ていた。
屋敷から離れた山腹の個人墓地に古い墓石が並んでいた。花筒に新しい花が供えられているのを目にしたシオリが、傘の下で二の腕を摩り不安そうに呟いた。
「誰か、先にお参りを済ませているようね……。」
アツシは、スマホで撮影してから墓所の掃除を始めた。花を変えて供物を並べ線香をたて手を合わせた。完了した墓所の様子を撮影した。
「……こんなバイト、もう受けないでよ。」
シオリは、そう言って先に離れた。車に乗り込もうとしてシオリが怪訝そうに呟いた。
「この先に、トンネルが見えるけど……。」
雨脚が強くなりトンネルの入り口も白く煙り霞んでいた。車を停めた時には気付かなかった。アツシは、先月訪れた夜の出来事がその景色に重なり背筋がゾクッとなった。トンネルの中を女の名前を呼び走る同級生の後ろ姿が脳裏から離れなかった。
水底のトンネルに見える入り口は、誘っているようだった。
「前日の金曜日に休みを取って出掛ければいいさ。」
「無理。急に休暇届け出して嫌味を聞きたくないわ。」
機嫌を損ねたシオリは、仕草や表情にも表れた。思い通りにいかないと不機嫌になるシオリの性格にアツシは、諦めながら長くなる小言を覚悟した。
「アッ君って、いつも勝手に決めるのね。先に相談してよ。」
お盆が近く、代理の墓参りだった。
「報酬は? ボランティアじゃないでしょうね。」
「お供えの花に供物線香代込みで二万円。それから交通費もでる。」
アツシは、既に受け取っている金額よりも低く伝えた。シオリの深い溜息が場の空気を重くした。
「嘘でしょう。よくそんな金額で引き受けたね。信じられない。得意先の頼みでも断りなさい。舐められているわよ。」
シオリの金銭感覚からすれば予想意外に低かったのか。苛立ち畳み掛けるシオリの非難に我慢強く耐えた。
翌日になってもシオリの機嫌は直らなかった。朝食の席でアツシは謝った。
「断るよ。親類で悔やみ事があるって話す。」
「簡単に言うのね。それで、この先の仕事に支障が生じればどうするの。」
「なんとかなるさ。」
「ああぁ……、また始まった。【なんとかなるさ】ですか。世の中、甘くないでしょう。」
二歳年上のシオリは、既に管理職の立場だった。現実主義者でシビアな人生観を持っていた。
「いいよ。休み入れるから。……旅行の新しいお洋服が欲しいな。」
金曜日は、朝から雨になった。湿気で髪形が整わないとシオリは散々に文句を並べたが、車が走り出してからは楽しい旅行モードになった。シオリが、スマホのネットニュースを示した。
「これ、知ってる?」
ワイドショーでも連日取り上げられていた。妻を殺害した事件だった。容疑者の夫は否認を続けているが、三角関係の悲惨な結末と報道されていた。
「妻を殺した事件だったかな。」
「そぅ。不倫相手と間違えるなんて、ありえるかしら。」
「本人は、幽霊が殺したって言い張っているらしいね。」
「普通じゃないわよ。あれって、ダメでしょう。アッ君なら、どうする。」
「たぶん土下座するかな。好きな女ができました。別れて下さいって。」
「はぁ……。それなら、昨夜は、土下座してほしかったな。」
シオリは、笑顔ながら根に持っていた。
ナビの指示で越境した。実家のある町に向かう国道から県道に入り山間の市道を走り始めてアツシは、一ヶ月近く前に訪れたダム湖が近いのに気付いた。高校時代の仲間との飲み会の後、昔肝試しに出掛けたダム湖を再訪した。騒ぎを起こした一人がトンネルの中を叫び走る不可解な顛末は、今にして思えば、常識で測れない夜だった。シオリには、飲み会だけを面白可笑しく語っていた。
「ねぇ……、この近くにダム湖がなかったかな。」
戸惑うように確かめる気丈なシオリは、顔を曇らせていた。アツシは、打ち明けたくなる衝動にかられ、飲み会の後にダム湖まで足を延ばした話をした。
「えっ、聞いてないよ。」
「ゴメン。」
「お前ら、子供か。」
シオリは、顔を顰めた。
「このダム凝って、昔から変な噂があるの知っているの。行方不明の事件が幾つもあるらしいよ。」
明らかに困惑するシオリは、ナビを検索して溜息をついた。
「この道だけなのね……。」
アツシは、今になって気軽に用事を引き受けたのを後悔した。仕事絡みといえ、よくよく考えれば報酬が高額過ぎた。
ダム湖から枝道を分け入った先の山深い一軒家だった。土塀が囲み門構えの屋敷は、由緒を調べたいほどに存在感があった。
「凄いね。御殿みたい。」
シオリの感想は、的を得ていた。
屋敷から離れた山腹の個人墓地に古い墓石が並んでいた。花筒に新しい花が供えられているのを目にしたシオリが、傘の下で二の腕を摩り不安そうに呟いた。
「誰か、先にお参りを済ませているようね……。」
アツシは、スマホで撮影してから墓所の掃除を始めた。花を変えて供物を並べ線香をたて手を合わせた。完了した墓所の様子を撮影した。
「……こんなバイト、もう受けないでよ。」
シオリは、そう言って先に離れた。車に乗り込もうとしてシオリが怪訝そうに呟いた。
「この先に、トンネルが見えるけど……。」
雨脚が強くなりトンネルの入り口も白く煙り霞んでいた。車を停めた時には気付かなかった。アツシは、先月訪れた夜の出来事がその景色に重なり背筋がゾクッとなった。トンネルの中を女の名前を呼び走る同級生の後ろ姿が脳裏から離れなかった。
水底のトンネルに見える入り口は、誘っているようだった。