文字数 11,586文字

 翌朝、フランク・ジェンキンズが病室の扉を開けて入っていくと、ベッドの上に仰向けになったハリー・ナルティが〈デイリィ・ヴァラエティ〉誌を読んでいた。
「ボス、お元気そうで」
 ジェンキンズがいうと、彼は雑誌から目を離さず応じた。「やあ、フランク」
「怪我はどうですか?」
 彼は胸にギプスを取りつけられ、その上、包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「鹿撃ち用のでかい散弾を至近距離からくらった。そのうちの四発が胸に入ったが、肩胛骨と肋骨をへし折って脇から飛び出したんだ。おかげで心臓と肺は無傷だった」
 ジェンキンズは黙って頷いた。
「シンゴはどうしている?」
「麻薬による幻覚症状がひどくて、メディカルセンターに入院させました。彼の姉もつきっきりですが、当分、取り調べは無理ですね」
「何も訊き出せなかったか」
「ただ、妙なことをいうんです。自分たちが銀行から盗んだのは、二百万ドルだって。それを四人で五十万ドルずつ分配したってんですがね」
 ナルティは雑誌を閉じて、ベッドの脇に置いた。
「それは妙だな」
「なんせヤク中のいうことですから」
「フランク」と、声をかけた。
「なんでしょう」
「悪いが、その銀行を当たってみてくれんか」
「はい、ボス。ですが、今さら……なぜ?」
「悪党が悪事をはたらくのは当たり前だ。実際はそうじゃないから、複雑なことになる」
「どういう意味です」
 ジェンキンズは呆気に取られた顔で、ナルティを見つめた。


       ☆

「神村慎吾の証言は正しかったようだ」
 セントラル通りの歩道を歩きながら、成田俊介がいった。レイバン・トラディショナルのサングラスをかけて、スーツをぱりっと着こなしている。ふたりは〈LAクロニクルズ〉の本社ビルから出てきたばかりだった。
「奴らが銀行から盗んだのは二百万ドルだ」
「だけど……」
 ラリーが納得ゆかぬ顔になる。
「さっき新聞社のアーカイブで見つけたろ。あのバークリィ銀行のパサデナ支店で七年前、千五百万ドルの強奪事件があった。逃走した犯人グループ二名は、三日後に射殺死体で発見された。さらにその二年前、ウエストハリウッド支店でも強盗事件があった」
 そういってから、俊介はスマートフォンを取り出した。
「今のご時世は便利だ。グーグル先生が何でも教えてくれる」
 俊介は液晶画面を彼に見せた。「七年前のバークリィ銀行の支店長代理が、あのジョゼフ・マックスウェル氏だった。さらに九年前のウエストハリウッド支店の強盗事件のときも、マックスウェル氏が頭取だった。そのとき、彼は左腕を犯人のひとりに撃たれて負傷しているが」
「俊介。それって……」
 彼はうなずいた。「偶然じゃない。ぜんぶ、マックスウェル氏が仕組んだことだ」
 俊介はスマートフォンを仕舞い、代わりにポケットから取り出したガムを口に放り込んだ。
「千二百万マイナス二百万。残りの一千万ドルは、果たしてどこへ消えたんだ?」
 ラリーがつぶやき、相棒を見た。
「つまり……支店長が着服した!」
「そういうこと。自分の横領を揉み消すために、ならず者を傭っては銀行強盗をさせた。今回は、慎吾たち〈ヘルウインド〉に白羽の矢が立ったということさ。つまり、いずれも内部に手引きする者がいたから、わけなく金を盗めたんだろうな」
 彼らは車の途切れを見計らって、反対側の歩道に渡った。そこに〈ディック・オカザキ自動車整備工場〉があった。
 俊介は工場の敷地に足を踏み入れながらいった。「ニュースを観て、連中は驚いただろうな」
 シャッターを押し上げると、裸電球に照らされた狭いガレージの真ん中に、懐かしいサバンナ・クーペがひっそりと居座っていた。
 フロントとリアウインドウは新品に取り替えられ、バックミラーはちゃんとふたつそろい、おまけに穴だらけだったボディまで完全に元通りに戻っている。
 俊介が口笛を吹いた。その隣でラリーが黙って頷いた。
「文句なしに完璧だろう?」
 ふたりの後ろに、パイプをくわえたディックが、オーヴァーオールのジーンズのポケットに両手を突っ込んで立っていた。
「まったく、完璧だ」と、俊介がいった。「どんな魔法を使ったんだ?」
「企業秘密だよ」
 ディックがニヤリと笑う。
「防弾ガラスに、あと、前と後ろに機関銃でも取りつけたら、もっと完璧だ」
「それなりの費用と時間をもらえたら、可能だがね」
 ディックは、大口を開けて笑った。

 ガレージを出ると、彼らの車はセントラル通りを南に走り出した。
 開け放った車窓から吹き込むLAの朝の風は快適で、まったく申しぶんなかった。彼らがまだ事件を解決していないことだけを除けば、だ。
 助手席のラリーが、カーラジオのスイッチを入れた。チューナーを操作して選局する。
 マイルス・ディヴィスのトランペットが流れて、古い曲が好きなラリーは満足げに笑う。
 タイトルは『タイム・アフター・タイム』。
「ところで、さっきの話だ」ステアリングを握りながら、俊介がいった。
「”ブラッディベア”ゴドノフたちを雇ったのは、ジョゼフ・マックスウェル氏だということになる。彼らを殺せば大金横領の証拠がなくなるからな」
「ぼくもそう思った」
「だが、納得できないところもあるんだよ。マックスウェルに会ってみて気づいたんだ。あいつは何故か怯えた顔をしていた。しかも窓のブラインドを閉め切っていた。ほら。奴にライフルでやられそうになったとき、こっちもオフィスのブラインドを閉めただろう」
「つまり……ジョゼフ・マックスウェルも誰かに狙われている?」ラリーが向き直った。
「あるいは狙われていると思い込んでいる」
 前方の信号が赤になり、俊介はブレーキを踏んだ。
「――彼の兄はロバート・マックスウェル。〈ユナイティッド・ウェスタン航空〉とのインサイダー取引きで、疑惑の渦中にいる上院議員だ」
「弟の犯罪が世間に知れると、自分の立場がよけいに悪くなる?」
「かもな」
 信号が青に変わった。
 彼はニヤリと笑って、車を出した。次の十字路でシフトダウンし、車を左折車線に入れた。「兄貴は汚職、弟は大金搾取、とんだ兄弟だ」

〈フローリアンズ〉に車を入れて降りると、俊介とラリーは三年前の弾痕の残っている窓から店内を覗いてから、扉を開いた。
 モップで床を拭いていたマスター、ジェフ・マツオカが、彼らを見て、ようと手を上げる。
 同時に、カウンターに凭れて座っていた鮎川由起とマーガレット・エンジェルが振り向いた。それぞれの前には、オレンジスカッシュらしい飲み物が、白く曇った細長いグラスの中で小さな泡をたてていた。
「ねえ、慎吾さんは大丈夫なの?」と、由起が訊いた。
 黒いフリントロックのジャケットに、チェックのスカートといった姿だった。マギーのほうは、ヨットの絵をプリントした白いTシャツに、リーヴァイスのスリムだ。昨夜、由起のアパートメントに泊まったときに借りたものだが、体型が似ているのか、ちゃんとフィットしている。
「慎吾が入院しているのは、警察の息のかかったメディカルセンターだ。警備は万全さ。佳織さんもつきっきりだよ」
 ラリーが答え、俊介といっしょに近くのテーブルの席に座った。
「でも、相手はプロなんでしょ? どんな場所にだって、潜り込むんじゃないの?」
「だったら、ここのほうがよっぽど危険だ」俊介がいった。
「そんな危険な場所に、あたしたちを放っておいたわけ?」
 カウンターに肘を突き、煙草の煙で空中に輪を作りながら、マギーがいった。
「仲間をふたりも殺されたばかりだ。すぐには来ないさ」と、ラリー。
「それに、おれだってついている」
 ジェフが大きなポリバケツでモップを洗いながら、腰につけたホルスターを彼女らに見せた。・三八口径の小さな拳銃が差し込んであった。彼は汚れた水の入ったバケツをモップといっしょに抱え、店の奥の扉に消えてから、さっぱりした顔で戻ってきた。
「さて、昼ぐらいサーヴィスしてやろうか。昨日、いいソーセージが入ったんだ。試してみるか?」
「実は腹ぺこだったんだ」と、俊介がいった。
 厨房のジェフが大きなソーセージをボイルしている横で、由起が野菜を切ってサラダを作り始めた。ラリーは大きなポテトを三つばかり、裏の貯蔵庫から出してきた。包丁で器用に皮を剥き、サクに切ってから油で揚げ始める。
 俊介はカウンターに座って、マギーとビールを飲んだ。
「あたしね、シンゴといっしょに歌をやるはずだったんだ」
 彼女は煙草をふかしながら、昨夜の夢を語るような虚ろな目でいった。
「前にレコード会社から誘いがあったの。デモを聞いたって」
「ラリーから聞いたよ。クラプトンが好きなんだってな」
「それに、やっぱり――」
「ジミ・ヘンドリックスだ」
「そう」
 彼女はふっと少女のような笑みを俊介に見せて、灰皿の吸い殻の山に煙草を突っ込んで消した。ブロンドの髪を後ろでポニーテールにしているため、ひと昔前のロカビリー風のロック娘という風情に見えた。
「トウキョウでデビューするつもりだったの。あっちなら、ガイジンの歌手ってすぐに人気が出るそうだから」
「ガイジンは利用されるだけさ」
「日本に行ったことあるの?」
「何度もね」
「どんな国なの?」
「行くたびにひどくなる。政治はとことん腐敗し、政治家が政治を私物化してる。それをマスコミは報道しようともしない。そんな信じられない茶番がまかり通っている」
「だったら市民が怒るでしょう?」
「もちろんみんな気づいちゃいるが、まるで他人事みたいに誰もそれを正そうとしない」
「アメリカだって、似たようなものよ」
「アメリカは広い。いろんな場所があり、いろんな人間がいる。もしもここが嫌になれば、他へ行けばいい」
 マギーは前を向いてから、ビールをチビリと飲んだ。
「そういう自由な生き方って、あたしは好きよ」彼女はまた俊介に向き直った。「それにあんたって、ハンサムだわ」
 ソーセージとサラダとジャーマン・フライドポテトのランチが出来上がり、ラリーたちが料理を持って帰ってきた。


       ☆

 午後一時過ぎに病室のドアがノックされた。
 せわしなく入ってきたフランク・ジェンキンズは、ベッドサイドに立つなり、いった。
「ボス。本日の午後六時をもって、我々はシンゴ・カミムラの身柄を拘束する権利を失います」
 ナルティは意外な顔をして、可動式ベッドから彼を見上げた。「何故だ?」
「証拠不充分」
「莫迦な。彼は盗んだ金を持っていた。犯行日時のアリバイがなく、しかも本人の自白もある」
 ジェンキンズは渋面で頷いた。
「ところが心身喪失状態での自白は、証拠にはならないんです。金も他人から預かった可能性があるし、彼が銀行を襲った日時に、他で彼を見ているという人間の証言がありました」
 ナルティはしばらく茫然とした表情で彼を見ていたが、やがていった。
「上から来たんだな」
「そうです」
「ロバート・マックスウェル上院議員か」
「たぶん」
「ちくしょう」ナルティは呟き、ジェンキンズに背中を向けて歯を食い縛った。
「彼を市の病院に移します」
「殺されるぞ」
「ガードしますよ。相手はわかっているんですから」
「本当に恐ろしい奴が野放しになっている。おれたちはどうすることもできやしない」
 ナルティは相棒の刑事を見た。「頼みがあるんだ。今朝、わかったことを、すべて彼らに伝えてやってくれないか?」
「あの探偵たちに? 民間人ですよ」
「彼らは自分の立場をわかっている。ルールを守っているし、信頼できる。悲しいことに、今の警察よりもな」


       ☆

 アパートメントの部屋の扉を開けると、ラリーは三年ぶりに帰ってきたような気がした。
 キッチンの流し台には、洗っていない食器が山のように溜まっていたし、猫の餌皿はとっくの昔に空っぽになっていた。そのせいか、入口近くに置いてあったゴミバケツがひっくり返され、紙切れや生ゴミが散乱していた。
 居間に入り、ベッドに腰を降ろして上着を脱ぐ。腰のホルスターをベルトごと外して、差し込んでいたブレンテンを抜いてから、ベッドの上に放り出した。
 シーツの上で銀色に光っている拳銃を見つめ、彼はちくしょうと呟いた。
 分解してパーツをたしかめているうちに、ブレンテンが不発を起こした理由がやっとわかった。
 スライドの指かけの部分に取り付けられたファイアリングピン・ロックのボタンが、発砲時の衝撃で勝手に作動してしまったからだ。これは薬室内に装弾したかたちで暴発をさせずに撃鉄を戻すためのものだった。ボタンを押すことによって撃鉄が落ちてもファイアリングピンは固定されて雷管を叩かないという仕組みだ。
 しかし、そんなビギナー向けの仕組みはラリーには不要だった。
 確実に六発撃てるリヴォルヴァーと違い、装填不良や排莢不良、あるいは不発はオートマティックの宿命といえる。徐々に信頼度は高まってはいるが。
 ベッドに腰を降ろして銃を組み立てていると、戸口の外で荒い息遣いがした。
 ドアの下、バネで開閉する猫専用の扉を押し開いて、ファティが戻ってきた。
 彼はラリーの足元に来て犬のようにしゃんとお座りをし、大きな眸で主人を見上げていたが、やがてダイニングルームの餌皿にキャットフードが入れてあるのに気づいて、長い尻尾を立ててしなやかに走っていった。
 近くに置いていたスマートフォンが鳴った。
 すぐにとって、耳に当てた。
 ――ラリー?
 由起の声だった。
「どうした」
 ――今から会える?
「デートか」
 ――莫迦ね。ジェンキンズ刑事から、さっきオフィスあてにファックスが届いたの。あの殺し屋たちについてよ。
「メールじゃなくファックス?」
 ――外に洩らしたくない内容だからだって。
「それはいいけど、オフィスはまだ危険だ。ひとりで帰っちゃダメじゃないか」
 ――ごめん。ちょっと片付けたいことがあったから。ところでどこかで落ち合いたいんだけど。
「これから行こうと思っていたところがある」
 ――〈ワイルドウェスト・ガン・エクスチェンジ〉ね。
 彼はスマートフォンをひとたび耳から外して、頭を掻いた。「実際、君は鋭すぎる」
 ――だって、あなたの〈恋人〉が不調なんでしょ?
「そうなんだ」
 ――じゃあ、私も行く。
「わかった。くれぐれも気をつけて」
 ふたりは電話を切った。


       ☆

〈ワイルドウェスト・ガン・エクスチェンジ〉は、ダウンタウンの真ん中、ウェルズ・ファーゴ歴史博物館の近くにある小さなガンショップだ。店主はスタンリー・ヤシマという日系二世。つるっ禿げで耳が大きく、いつもアロハシャツを着ている六十八歳の好々爺である。
 店に入ると、中年の白人の客がふたり、ショウケースの中に並んだ拳銃を覗き込んでいた。
 リノリウムの床に立てられたブックスタンドには銃砲関係の雑誌が並び、その向こうの木造りの大きな銃架には、ライフル、ショットガン、セミオートマティックライフルなどが並べられている。
 奥の扉の向こうは、地下射撃場になっている。
 誰かが撃っているらしく、くぐもった銃声が散発的に聞こえていた。
 スタンリーはショウケースの向こうで椅子に座って足を組み、〈ガン・ダイジェスト〉誌を読んでいたが、ラリーが入ってくると顔を上げた。老眼鏡を外して笑った。
 彼がやってきた用はわかっているらしかった。
 カウンター越しに無言でブレンテンを受け取り、手馴れた仕種で分解して、スライドの問題の場所を何度か指先で作動させてみた。ギザギザのセレーションが刻まれた部分に貫通していて、左側がS、右側にFと刻まれた丸いパーツが問題だった。
 ファイアリングピン・ロックと呼ばれているそのパーツを取り外し、時計職人のように難しそうな顔でスライドの内部を覗き込んだ。
「こいつは致命的だな」
 スタンリーがいった。「もともとのテンションが弱すぎたから、撃っているうちに自然と動く。だから、ファイアリングピンが勝手にロックされて、いきなり不発になったりするんだが、ロックする部分が削れてしまっていて、今さらどうにもならない状態だな
「パーツの交換とか、何とかならない?」
「むりだね。メーカーがとっくに倒産しているのは知っているだろう?」
 彼は気の毒げに肩をすくめていった。「それにしても、こいつは傷だらけだし、どうせどこかでセコハンで購入した銃だな」
「セコハンったって、マーケットで七百ドルもはたいたんだ」
 スタンリーがクッと笑った。
「いま、ブレンテンを買おうとしたら、プレミア価格で七千ドルはする。桁が違うぞ」
 それを聞いて、ラリーはまたうなだれた。
「たしかにブレンテンはいい銃だ。本来なら、もっと認められるべき存在だったかもしれんがなあ」
 軍用で知られた・四五口径のストッピングパワーに、警察が使う九ミリの軽快性を兼ね備えるといわれる十ミリ弾。この弾丸を使用する拳銃は今もいくつか存在するが、名のとおりブレンテンはその走りであった。製造メーカーであるドーナウス&ディクソン社は、千五百挺を精算し、事業に失敗して倒産した。もう三十年も前のことだ。
 十ミリ弾はオートマティックでありながら、・三五七マグナムに匹敵するパンチ力ということで売り出され、市場に出回っていたが、今ではすっかり廃れ、代わりに同様の性能を持つ・四〇S&Wという弾丸が一般に使われるようになっていた。
 しょげかえったラリーの肩を、カウンター越しにスタンリーが叩いた。
「だが、あきらめるのはまだ早い」
「え」
 顔を上げたラリーの前、スタンリーが地味な紙の箱を取り出して、ガラスケースの上に置いた。
「切り札はとっておくものだ」
 そういって彼が蓋を開けると、くしゃくしゃになっていた油紙を解く。ステンレス製らしいシルバーの銃身とスライド、マガジン数本がそこから出てきた。
 ラリーは驚いた。
 まさにブレンテンの銃身とスライド、そして弾倉だった。しかし、本来はCal.10mm AUTOと刻まれているべき場所にある刻印が、驚いたことにCal.45ACPと読めた。
「これは?」
 スタンリーが口角を吊り上げ、ニヤッと笑った。
「イリノイの蒐集家の家族が手放したものだ。旦那が亡くなって、遺品整理とやらで中古市場に出回ったのを、おれの弟がめざとく見つけた。十ミリ口径のブレンテンを汎用の・四五口径に換装するためのコンバージョンキットだ」
「でも、たぶん高価だよね」
 力なくラリーがいうと、彼は首を振った。
「さすがに無料ってわけにはいかんが、友達のよしみだ。負けとくよ。出世払いでいい」
「そんな……」
「貸してみな」
 スタンリーはそれをラリーから受け取ると、手馴れた仕種でアッセンブリーパーツを組み立てた。
「マガジンの装弾数は二発少ない八発になるがいいな?」
 うなずいた。
 作動が不確実な十発より、少しでも確実な八発のほうがいいに決まっている。
 受け取ったブレンテンをラリーが作動させてみた。
 スライドが滑らかに動く。撃鉄の落ち方もシャープだ。問題のパーツだったファイアリングピン・ロックは溶接して完全に動かなくしてあった。
「お前には必要ない機能だろう?」
 そういってスタンリーが片目を閉じた。
 ラリーがうなずく。
 何度かブレンテンを操作してから、店主にいった。
「地下のレンジを使わせてもらいたいんだ。スタン」
「いいよ。ただし、先客がいるけどね」
「誰?」
「彼女さ」
 ラリーは驚いた。
「なんだ、先に来ていたのか」
 由起のことだと気づいた。そういえば、さっきから防音壁を通して銃声が低く響いている。

 ドアを開いた。階段を降りるにつれ、音が次第に大きくなってきた。
 壁の向こうに轟く銃声は、巨大な蝿叩きで鉄板を叩いているような音に聞える。入口の横にかけてあるイアーマフをとり、ふたつ目の鉄扉を開くと、レンジの真ん中辺りの仕切りの間で、ただひとり、鮎川由起が十五ヤード先の標的を狙ってリヴォルヴァーを撃っていた。
 最後に引鉄を引いたとき、カチンと空撃ちの音がした。
「射撃中は撃った数をちゃんと数えておくんだ」ラリーがいった。
 由起はイアーマフをしたまま、恥かしそうに小さく舌を出した。
 振り出した輪胴の空薬莢を木箱の中に捨て、隣に置いてあるプラスティックケースの中から、新しい・三八口径の弾丸をつまみ出しては装填していく。
 彼女の隣の仕切りに入ったラリーは、イアーマフを頭に装着し、腰のホルスターの銃を抜いた。ブレンテンのマガジンを抜き、八発の・四五ACP弾を装填していく。フル装弾したマガジンを銃把に叩き込み、スライドを引いて薬室に初弾を送り込む。
 右足を引いて半身になる姿勢でかまえ、撃った。反動が掌から手首に伝わった。
 それまでの十ミリ弾とは明らかに違う、・四五口径独特の手応えだった。
 標的はこのレンジでは一番遠い二十ヤードの距離にある紙で、人体を模したシルエットが描かれている。その胸のやや左上に、ぽつりと孔が開いた。
 照準の誤差を修正しながら、残りの七発をゆっくりしたテンポで撃った。弾き出された空薬莢が天井や仕切りの壁に当たり、床に落下しては真鍮の音を立てる。全弾ほとんどがひとかたまりになって、標的の真ん中に孔を開けていた。
 不発はない。作動は快調そのもの。
 彼は空弾倉を落として、銃を横たえ、新たに八発の弾丸を拇指で弾倉に押し込んだ。
「ラリー?」隣から由起が声をかけてきた。
「うん」
 半透明の強化ポリカーボネイトの向こうに、彼女の姿が見えている。四インチ銃身の拳銃を両手でかまえたままだ。
「あの殺し屋たちのことをジェンキンズ刑事が調べたの」
 銃のスライドをリリースして、彼はいった。「話してくれ」
「サンタモニカで死んだ白人はジョージ・フェルトン。マフィアの殺し屋をやっていた男よ。彼はいつも、レイ・ゴーニックという男と組んで殺しをやっていたわ。それがあの黒人なの」
「両方とも、ぼくがやっつけた。フェルトン・アンド・ゴーニック。レスト・イン・ピース。墓も仲良くふたつ並べたらいい」
 ラリーは両手でかまえ、瞬時にして八発を撃ち込んだ。
 今度は標的の頭だ。弾痕は完全にひとつにかたまっている。
 ホールドオープンした銃を横たえ、弾丸を装填した弾倉を叩き込んで、スライドを戻した。
「――だけど、問題はもうひとり。逃げたゴドノフよ。彼は要人を専門に暗殺する殺し屋だから、雇うのは軍かCIA、それに……政財界の大物でしょ。ジョゼフ・マックスウェル風情の地方銀行の支店長が雇える男じゃないわ」
「そうだな……」
 彼はひとたびかまえた銃を降ろし、神妙な顔をした。「ゴドノフを雇ったのは、あの高名なる議員さまだろう」
「間違いないわ」
 今度は由起が撃った。ゆっくりと二発ずつ、三回。
「彼は警察の上層部にも圧力をかけたらしいの。神村慎吾はあと三時間もしたら、市内の病院に移されるわ。証拠不充分で釈放という名目よ」
「奴の思うつぼだな」
「また殺し屋が行くでしょうね。ゴドノフたちはサンタモニカでもふたり殺している。日本から来た大学生を、車を奪うという目的だけでね。まるで血に飢えているみたい」
「テレビのニュースで見たよ。すれ違う人間をみんな殺しかねないな」
 ラリーは三つの弾倉に・四五口径の弾丸を装填しはじめた。それぞれに八発ずつ押し込むと、掌の上で弾倉の背をトントンと叩いて弾丸の並びを整える。

 由起は握っていた拳銃を台の上に横たえた。
 ラリーに教わったとおり、輪胴を振り出したかたちでそこに置いた。
「ね。ラリー?」
 仕切り越しに呼びかけてみた。
 彼の姿がポリカーボネイト製の仕切りの向こうに見えている。ラリー・ステインシュネイダーは銀色の大きな拳銃をかまえていた。
「なんだい?」
 彼女は目を伏せ、小さく笑った。
「昨日は、本当にありがとう。あなたがいなかったら、私はきっと殺されていたわ」
「いいんだよ。それに礼なら、俊介にもいうべきだ。君だってすごく勇敢だったじゃないか」
「うん。でも、助けてもらったとき、私、思い切り泣きたかったの」
 由起は顔を赤らめ、唇を噛んだ。
「あなたの胸で」
 それは彼女にとって、ずいぶんと大胆な告白だった。
 しかし皮肉なことに、その言葉は相手には届かなかった。
 隣の仕切りで、ラリーがすさまじい銃声を轟かせ、盛大に撃ちまくりだしたからだ。弾倉を瞬時に交換しながら、合計十六発。
 銃声が止むと、スライドが下がって止まった拳銃を置き、彼はふうと息をついた。
「何かいったか?」
 イアーマフを外して、ラリーが振り向く。
「ううん」
 由起は肩をすぼめて笑った。「何でもない」
 ふたりは壁の横にあるスイッチを押す。モーター音とともに、標的紙が手前に戻ってくる。
 由起のは弾痕が散らばっているが、ラリーの標的はまったく芸術的だった。頭と胸。小さく密集した孔は、その二箇所しかない。
「すごい」仕切りを越えて、由起が見にいった。
「他に取り柄がないんだ」と、ラリーはいった。
 由起は意地悪っぽく笑った。「そうかもね」


       ☆

 ハロルド・ナルティから〈トラブル・コンサルタント〉のオフィスに電話がかかってきたのは、午後四時のことだった。
〈ワイルドウェスト・ガン・エクスチェンジ〉から帰ったふたりが、弾痕だらけのおんぼろエレヴェーターを降りて五階のフロアに踏み出したとき、オフィスのガラス扉を通して呼び出し音が鳴り続けているのが聞えた。
 銃を持ったラリーが先に中に入り、誰もいないのをたしかめてから、事務机の電話を取った。
「ハロー」
 ――カミムラシンゴの身柄をどこかに預けたい。
 ナルティの声がした。
「巡査部長さん、あんた怪我は?」
 ――病院からかけているんだ。今まで、考えていた。彼を日本に帰すつもりだ。それまで、シンゴを隠すのにいい場所はないかね。
「警察はやはりむりですか?」
 ――論外だ。
「彼が移されるのはいつですか」
 ――二時間後だ。メディカルセンターから連れ出される。フランク・ジェンキンズが同行することになった。その間に狙われる可能性もある。
 由起がキッチンに行って、コーヒーを淹れ始めた。心配そうな顔で、開けっ放しの扉の向こうから振り返っている。
「我々の自宅だって知られている可能性がありますね。日本大使館はどうですか?」
 ――たしかに大使館の中なら連中も手が出ない。しかし、たとえ日本人でも、重要犯罪の容疑者を大使館が果たしてかくまうかどうかだ。
 ラリーは納得した。たしかにそうだ。
「とりあえず、一時的に身を隠す場所が必要だと思います。ロサンジェルス通りと三番街の交差点の〈フローリアンズ〉という店に、今、俊介とマギーがいるんです。まず、そこで合流しましょう。大使館のほうは、彼の身内である姉の佳織さんに頼んでみるしかないと思います」
 ――わかった。ジェンキンズにいって〈フローリアンズ〉に連れて行ってもらう。出来れば、君らのどちらかが合流してくれれば助かるが。
「ぼくが行きます」
 ラリーはそういってから、率直な疑問をぶつけた。「前から訊いてみたかったんだけど。どうして、ぼくらに肩入れするようになったんですか?」
 ナルティはしばらく黙っていたが、やがて答えた。
 ――この歳になって、やっとわかったんだ。どんな完璧な組織に属していても、人間はしょせん、孤独だってことにな。だからお前らの自由(フリーダム)が羨ましかったんだよ。もっと早くに気づいていりゃ、あるいは女房も死なずにすんだかもしれん。
「奥さんはたしか……」
 ――私が留守の間、自宅で脳出血で倒れていた。救急搬送したが遅かったんだ。もう、八年になるかな。
「そうでしたね。お気の毒に」
 ――じゃ、頼んだぞ。
 電話が切れても、ラリーはそのまま受話器を耳に当てていた。
 コーヒーを運んできた由起が、彼の前に立ち止まる。彼女の不安げな視線に、ラリーは無理やり笑みを浮かべてみせるしかない。

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