第1話 

文字数 4,738文字

 何年かぶりに無性に観たくなる映画が今年の夏、上映される事になった。
 それが内山雄人監督の、「パンケーキを毒味する」である。

 どうせ観るなら、と、敢えて8月15日に映画館に行ってやった。
 8月15日と言えば云わずと知れた「終戦記念日」であり、半藤一利氏原作の『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』で知られるように、宮城事件(きゅうじょうじけん)の起こった日でもある。

 宮城事件(きゅうじょうじけん)とは、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、宮城(皇居)で一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。
  終戦反対事件、あるいは八・一五事件とも呼ばれる。

 当時の内閣は鈴木貫太郎内閣。
 陸軍大臣は阿南惟幾(あなみこれちか)。
 その阿南は閣議や最高戦争指導会議で継戦を主張する一方、陸軍による倒閣運動やクーデター計画を押さえ込み、最後は天皇の聖断に従って終戦の詔書に同意。 
 その後15日未明、陸相官邸で自刃。
 陸軍中央参謀等の趨勢を占める抗戦派(本土決戦派)の担ぐ神輿になる前に、最期は自決して果てたのである。
 遺書にはこうあった。

 〈一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル〉

 そうして彼は命を懸けて本土決戦を阻止し、東京に投下される筈の原子爆弾を防いだのだ。

 また「和尚」と渾名された、森赳(もり たけし)近衛第1師団長は、8月15日未明、近衛師団司令部の師団長室において義弟の白石通教中佐と談話中であったが、井田正孝中佐、椎崎二郎中佐、畑中健二少佐、窪田兼三少佐らに面会を強要される。
 井田中佐に決起を迫られたが、クーデターへの参加を拒否したため、畑中少佐から発砲を受け、更に航空士官学校の上原重太郎大尉に軍刀で斬りつけられ殺害された。 
 森赳(もり たけし)近衛第1師団長もまた、命を懸けて決起を阻止しようとしたのである。

 もしこのとき森近衛第1師団長や阿南陸相が軽々に抗戦派と同調し、戦争終結に向かうより余程楽であろう抗戦論を受け入れ、御聖断を反故にし、ポツダム宣言を受諾しなかったなら。
 と、考えたら、身の毛もよだつ。
 
 東京に3発目の原子爆弾が投下されていたかも知れないし、もっと言えば我々日本人はこの地に生きていなかったかも知れない。

 当時の鈴木貫太郎総理と内閣の閣僚が命懸けで「本土決戦」を防いだ事とは対照的に、現菅総理と内閣の閣僚は国民の命を守れもしないのに、ボッタクリ男爵ことバッハ氏の口車に乗せられ、軽々に「五輪パラ」を強行開催した。
 無論彼等には「五輪パラ」を中止するより、開催する方が余程楽だった事は言う迄もない。
 結果その無策から医療逼迫、否、医療崩壊寸前に迄医療関係者を追い込み、また数多の飲食・宿泊企業を倒産へと追い込んだ。

 例えばである。

 今の菅内閣の閣僚と鈴木貫太郎内閣の閣僚が入れ替わり、抗戦派の参謀等に、「本土決戦を!」、と、迫られたとしよう。
 そこで菅内閣閣僚の誰かさんのように、「全く別の地平から見てきた言葉で言われても」、と、応じていたらどうなっていただろう。

 馬鹿馬鹿しくて考えるのも否、と、一蹴する前に考えて戴きたい。

 我々の今日の生活は、誰のお蔭で成り立っているのかと言う事を。
 それは過去の尊い数多の命の犠牲の上に成り立っているのだ。

 主義主張は別にして、本土決戦を主張して散って逝った抗戦派も、戦争終結に動いた鈴木貫太郎内閣の閣僚達も、皆其々が命を懸けて行動したのである。
 それは決して私利私欲による処のものではなく、国家の為、日本の為に、命を懸けたのだ。

 そうして鈴木貫太郎内閣の閣僚が、命を懸けた昭和20年8月15日であった。

 それに引き換え菅内閣閣僚による、令和3年の8月15日はどうか。

 考えるだに嘆息しか出ない。

 菅内閣の面々は菅総理を筆頭に、国家の為、日本の為に命を懸ける筈もなく、皆が皆私利私欲に走り、己と己(おの)が立場しか考えない。
 菅総理に致っては五輪開催とワクチン接種の遅れで失われる国民の命など一顧だにせず、次期総裁選を経て自身が第百代内閣総理大臣になる事しか考えていない。

 さて菅総理の令和3年8月4日~15日が、どのような日だったかを列記してみる。 

 先ずは8月4日、新型コロナウイルスの感染者が急増する地域で入院を制限する政府の新方針をめぐり、自民党内からも撤回要求の意見が出ていることについて、菅総理は首相官邸で記者団に「今回の措置は必要な医療を受けられるようにするためで、理解してもらいたい」と述べ、撤回しない考えを示した。

 その後8月5日に田村厚生労働大臣は、衆議院厚生労働委員会の閉会中審査で「中等症の患者にもいろんな人がいるが、呼吸管理されている人を入院させず、自宅に戻すということはありえない。医療現場も十分に認識しており、きのう医療関係者と菅総理大臣との会談でも、はっきりと申し上げた」と述べた。
 そのうえで「フェーズが変わってきており、関西での4月、5月の急激な感染増加では、本来は病院に入らなければいけない人が『ベッドがない』ということで対応できないという問題があった。一定程度、ベッドに余裕がないと、そういう人たちを急きょ搬送できないので、重症化リスクの比較的低い人に関しては、在宅で対応することを、先手先手で打ち出させていただいた」と述べ、事実上菅総理の撤回せずを撤回修正した。

 次いで8月6日、広島の平和記念式典で用意された原稿でさえ読み違え、謝罪した菅総理。
 またそのとき広島市内で記者会見し、新型コロナウイルス感染急拡大と東京オリンピックの関連性について「東京の繁華街の人流(人の流れ)は五輪開幕前と比べ増えていない」と指摘し、「これ迄のところ五輪が感染拡大に繋がっているとの考え方はしていない」と強調した。

 そして15日に菅総理は、就任後初めて臨んだ全国戦没者追悼式の式辞で、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない、この信念を貫いていく」と強調した。
 ただ、アジア諸国への加害と反省には言及せず、自身が官房長官を務めた第2次安倍政権の方針を踏襲した。
 式辞をめぐっては、2012年12月に再登板した安倍晋三前首相が13年から8年連続で加害と反省に触れなかった。
 安倍氏は07年の第1次政権では「とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と述べていた。
 一方菅氏は、現在の平和と繁栄は「戦没者の尊い命と苦難の歴史の上に築かれた」と表現。
 昨年の安倍氏の式辞になかった「歴史」を用いた。

 この日は用意された原稿を間違えずに読めたのだから、菅総理を誉めるべきか?
 
 そしてその8月15日に於ける東京都内の新型コロナウイルス新規感染者数は、日曜としては最多の4295人となり、デルタ株の感染大激増を招く結果となった。
 
 何もかもが違う。

 そうして鈴木貫太郎内閣と菅内閣の最も違う点は、片や命を懸けて受け入れ難い「ポツダム宣言」を受諾し、片や受け入れ易い「五輪パラ開催」を熟慮せずに強行した点だ。
 また逆に最も似通っている点は、鈴木貫太郎内閣の当時、終戦間際の戦況は最悪の状態であったのに、「連戦連勝」、と、大本営が嘯いていた点と、菅内閣が新型コロナ感染症が感染拡大する可能性を専門家に指摘されていたのに、五輪開催を「安心・安全」とした点である。
 つまり大本営によって統制された報道の「連戦連勝」と、菅内閣の主張した「安心・安全」はほぼ同義と言う事になる。
 
 それでもやはり菅内閣は、パラリンピック開催を「安心・安全」、と、言うのだろうか?

 もし当時の鈴木貫太郎内閣の閣僚が、今年の菅内閣の8月15日を見たら何と言うだろう。
 
 しかしそんなどうしようもない菅内閣の組閣を許してしまったのは、一体誰なのか?
 一体自民党に政権を執らせているのは誰か?
 と、問われたら、それは衆院選で、自民党に票を入れた人達だ。
 では自民党に票を入れたのは一体「誰」か?
 それは最も投票率の高い世代である「高齢者層」だ、と、言えよう。
 
 先ずは高齢者から始まったワクチン接種。
 無論重症化し易い「高齢者層」から始めるのは尤もな事で、ワクチン接種により「高齢者層」の重症化率や死亡率は急激に下がった。
 しかし一方で現在感染が急拡大している若年層は、ワクチン接種が最も遅れている。

 一説には自民党は「高齢者層」さえ安泰ならばそれで良い、投票権があっても選挙に行かない若年層はどうでも良いのだ、とも言われる。
 だからワクチン接種も「高齢者層」から始め、若年層は放ったらかしにした、と。
 そして自民党は社会全体から支持されていなくても、「高齢者層」の支持さえ有ればそれで良いのだ、と。
 そう言った意味では政治に参加しない人が趨勢を占める若年層は、或る意味政治から見捨てられた現代の棄民とも言えよう。

 ならば自民党が最も恐れる事は何か?

 それは若年層が選挙に行く事なのだ。  
 そして投票率が上がる事。
 それ即ち自民党が政権から滑り落ちる事になるのである。

 そこで前回衆院選に参加しなかった人達へ。
 次回是非共選挙に赴き一票を投じて欲しい!

 それこそが内山雄人監督の、「パンケーキを毒味する」に対しての最大の賛辞になる。
 
 ん? それは分かったけど。
 でも、ちょっと待って!
 「パンケーキを毒味する」の論評は?
 全く何も論評もしないで、選挙に行けって?
 あんたどう言うつもり。
 と、仰りたい気持ちは良く分かる。

 なので、「パンケーキを毒味する」については、唯々、「素晴らしい映画だ」、と、だけ、また「嗤えるけど笑えない、或る意味怖い映画だ」、と、それだけお伝えしておく。  

 それで充分。
 兎に角「パンケーキを毒味する」をまだ観ていない人は、是非とも観て戴きたい。

 しかし良く良く考えてみると、日本もまだまだ捨てたもんじゃないのではないか?
 何となれば地上波放送が政権に忖度しているからなのか、或いは扱い辛いのか、CMは元より、バラエティ番組で取り上げられる事さえないのに、他ならぬこの映画が異例の大ヒットを為し遂げた事である。
 骨の有る日本人が斯くも大勢居たものだ。  
 また私はこの映画こそが、民主主義に於ける真の芸術だと思う。
 何故ならもしここが中国かロシアか北朝鮮か、或いはベラルーシかタリバン支配下のアフガンか軍政下のミャンマーだったら、絶対に上映は許されないだろうからである。

 ここは日本なのだ!
 我々には言論の自由と選挙権が有る。
 なのにその一方の選挙権を行使しない人が余りにも多い。

 そこで皆様方には何としても「パンケーキを毒味する」を観て戴き、今年こそは選挙権を行使して貰いたい。
 
 また映画を観るに際し、ピカデリーなど松竹系で鑑賞する場合、事前に金券ショップでSMTシネマ・チケットを購入すると、1900円の処を1400円で観れる。
 そして「パンケーキを毒味する」の鑑賞後、その浮いたお金で、本屋に行って半藤一利氏原作の『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』を買うか、レンタルDVDショップに行って原田 眞人監督の映画、「日本のいちばん長い日」を借りて返って欲しい。

 そして鈴木貫太郎内閣の閣僚と菅内閣の閣僚の180度違う言動やその志の有り様を、とくと感じて欲しい。
 そして得心戴けたなら、次回来る衆院選には是非共投票して貰う。
 しかしお願いする必要はないかも?

 何故なら貴方の政治への無関心も、「パンケーキを毒味する」を観たその後は、終わりを告げる事になるだろうから。

                以上。

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