第1話
文字数 2,000文字
毎週末見に行ってたライブハウスのバンドで初めてベースを弾く彼を見た時、私は恋に落ちた。
彼と目が合った時、彼が私に向かって微笑んでいると、私にはわかった。
その日すぐに彼の出待ちをすると、彼は私をジャケットの中に入れて、4月の季節外れの湿った雪の降る中、彼の家へ連れて帰ってくれた。
その日から私たちは恋人になった。
「マイの彼氏ってバンドマンなんでしょ?いいなー!私にも誰か紹介してよ、バンドマン!」
親友のユリナがそう言うので彼の出番のあるライブに連れていった。
その日も彼は私に向かって微笑んだ。
「あのベースの人、めっちゃカッコいいね」
「あれ、私の彼氏」
「えっ!?そうなんだ、残念!マイの彼氏ならあきらめなきゃ」
「ごめん、他にして」
「も~ニヤニヤして!うらやましいなぁ、あんなカッコいい彼氏」
そんな風に笑っていられたのはその頃までだった。
付き合ってから3ヶ月が経つと彼が家に入れてくれなくなった。
最初は『友達が来てるから』と断られた。
『親が来てるから』
『家にいないから』
『練習忙しいから』
いくら鈍感な私でも避けられてるとわかる。
ついには連絡しても返事が来なくなった。
彼の出番がいつなのかさえ知らない。
1ヶ月その状態で一緒に花火を見に行くことも叶わなかった。
彼のために用意してた紺色の浴衣に袖を通さないまま8月になった。
やっとライブで会えた日、『外で待ってる』とメッセージを送った。
もう演奏中に彼がこっちを見てくれることはなかった。
彼のバンド仲間が出て来ると彼の姿がなく、尋ねると「裏口から帰ったよ」と言われ、彼の家へ走った。
「ねぇ開けて!いるんでしょ?」
ドアを叩くとやっと彼がドアの隙間から顔を見せてくれた。
「何?何か用?」
「どうして避けるの?」
「…言わせんなよ、めんどくせぇな」
「どうして?私何かした?」
「あのさ、オレ、1人の女と付き合うの、3ヶ月が限界なの。もー飽きたんだよ。束縛すげぇし。もっと軽い女かと思ったのに」
返す言葉のない私に彼はかまわず「もー来んなよ」と言ってドアを閉めた。
その日から私の頭の中で、何故だか彼の練習してたベースの音が響くようになった。
あんなに言われてもまだ私は彼のことが好きでたまらなかった。
あれは何かの間違いで、また彼が私に微笑みかけてくれるのを期待する。
彼のジャケットの中のぬくもりを思い出す。
彼の匂いをもう一度胸いっぱいに吸い込みたい。
ライブハウスで彼のバンドが出ているのを確認して、私は彼の家へ向かった。
外は雨が降っていたけれど傘は持ってきていない。
彼の家に着くと足元は泥々だった。
まだ彼の家に出入りしていた頃、内緒で作った合鍵。
内緒のまま使う日が来るとは思わなかった。
彼の家に土足のまま入る。
私の痕跡が残るように足跡をつける。
彼の匂いに触れたくてクローゼットを開け、パーカーを1つ手に取りベッドに倒れこんで彼の香りを吸い込む。
ふとベッドサイドに目が留まり、そこにきちんと畳まれた女物の浴衣があることに気づいた。
この浴衣を置いて帰った女は彼の服を着て帰ったのだろうか。
彼のお気に入りだったあの服?
それとも私がプレゼントしたあの服?
…これを着て彼と花火を見に行ったの?
私は浴衣を床に投げつけると、それを踏みつけて思い切り足跡をつけた。
「ねぇ、来週一緒にお祭りに行かない?今年浴衣まだ着てないんだ」
ユリナを誘う。
祭の当日、女二人で浴衣で歩き、小学生に混ざってスーパーボールすくいをしていた。
「でもさ、マイ、正解だよ、別れて。やっぱバンドマンてモテるんだね。3ヶ月が限度なんてさ。短すぎるよね。ひどいよ、めんどくさいとかさ」
「…私、その話したっけ」
「え?何?」
「あ、ユリナ、浴衣になんかついてるよ?とってあげる」
私は立ち上がり、ユリナの後ろにまわった。
「えぇっ、どこ?」
「こ、こ、だ………よっ!!!!!」
私はユリナの背中を踏みつけるように思いっきり蹴りを入れた。
ユリナが前のめりになってスーパーボールの流れる水の中に倒れ込む。
私は足を上げすぎてはだけた浴衣を直しもせず、その場から立ち去った。
ユリナがあの浴衣を着てきた時から止んでいた彼のベース音がまた鳴り響いて止まなかった。
ユリナの浴衣の柄は私の頭に焼き付いている。
彼の部屋で踏みつけた、あの浴衣。
微かに残る、泥の跡。
いや、泥の跡なんて本当はなかったのかな。
だけど、ユリナの言葉の端々に、彼との関係を思わせるものがあった。
その度に強くなるベース音。
その度に蘇る泥の足跡。
あの日。
ユリナをライブに連れていったあの日、彼が微笑みかけたのは私ではなく、隣にいたユリナだった。
そして、彼に傷つけられたあの日、あの部屋にユリナがいたとわかった。
何が「あきらめなきゃ」、だよ。
人を傷つけたら、自分に還ってくるんだよ。
これでおあいこ。
でしょ?
いや、まだまだ、足りないか。
彼の番がまだ残ってる。
だってベース音が、まだ鳴り止まないから。
彼と目が合った時、彼が私に向かって微笑んでいると、私にはわかった。
その日すぐに彼の出待ちをすると、彼は私をジャケットの中に入れて、4月の季節外れの湿った雪の降る中、彼の家へ連れて帰ってくれた。
その日から私たちは恋人になった。
「マイの彼氏ってバンドマンなんでしょ?いいなー!私にも誰か紹介してよ、バンドマン!」
親友のユリナがそう言うので彼の出番のあるライブに連れていった。
その日も彼は私に向かって微笑んだ。
「あのベースの人、めっちゃカッコいいね」
「あれ、私の彼氏」
「えっ!?そうなんだ、残念!マイの彼氏ならあきらめなきゃ」
「ごめん、他にして」
「も~ニヤニヤして!うらやましいなぁ、あんなカッコいい彼氏」
そんな風に笑っていられたのはその頃までだった。
付き合ってから3ヶ月が経つと彼が家に入れてくれなくなった。
最初は『友達が来てるから』と断られた。
『親が来てるから』
『家にいないから』
『練習忙しいから』
いくら鈍感な私でも避けられてるとわかる。
ついには連絡しても返事が来なくなった。
彼の出番がいつなのかさえ知らない。
1ヶ月その状態で一緒に花火を見に行くことも叶わなかった。
彼のために用意してた紺色の浴衣に袖を通さないまま8月になった。
やっとライブで会えた日、『外で待ってる』とメッセージを送った。
もう演奏中に彼がこっちを見てくれることはなかった。
彼のバンド仲間が出て来ると彼の姿がなく、尋ねると「裏口から帰ったよ」と言われ、彼の家へ走った。
「ねぇ開けて!いるんでしょ?」
ドアを叩くとやっと彼がドアの隙間から顔を見せてくれた。
「何?何か用?」
「どうして避けるの?」
「…言わせんなよ、めんどくせぇな」
「どうして?私何かした?」
「あのさ、オレ、1人の女と付き合うの、3ヶ月が限界なの。もー飽きたんだよ。束縛すげぇし。もっと軽い女かと思ったのに」
返す言葉のない私に彼はかまわず「もー来んなよ」と言ってドアを閉めた。
その日から私の頭の中で、何故だか彼の練習してたベースの音が響くようになった。
あんなに言われてもまだ私は彼のことが好きでたまらなかった。
あれは何かの間違いで、また彼が私に微笑みかけてくれるのを期待する。
彼のジャケットの中のぬくもりを思い出す。
彼の匂いをもう一度胸いっぱいに吸い込みたい。
ライブハウスで彼のバンドが出ているのを確認して、私は彼の家へ向かった。
外は雨が降っていたけれど傘は持ってきていない。
彼の家に着くと足元は泥々だった。
まだ彼の家に出入りしていた頃、内緒で作った合鍵。
内緒のまま使う日が来るとは思わなかった。
彼の家に土足のまま入る。
私の痕跡が残るように足跡をつける。
彼の匂いに触れたくてクローゼットを開け、パーカーを1つ手に取りベッドに倒れこんで彼の香りを吸い込む。
ふとベッドサイドに目が留まり、そこにきちんと畳まれた女物の浴衣があることに気づいた。
この浴衣を置いて帰った女は彼の服を着て帰ったのだろうか。
彼のお気に入りだったあの服?
それとも私がプレゼントしたあの服?
…これを着て彼と花火を見に行ったの?
私は浴衣を床に投げつけると、それを踏みつけて思い切り足跡をつけた。
「ねぇ、来週一緒にお祭りに行かない?今年浴衣まだ着てないんだ」
ユリナを誘う。
祭の当日、女二人で浴衣で歩き、小学生に混ざってスーパーボールすくいをしていた。
「でもさ、マイ、正解だよ、別れて。やっぱバンドマンてモテるんだね。3ヶ月が限度なんてさ。短すぎるよね。ひどいよ、めんどくさいとかさ」
「…私、その話したっけ」
「え?何?」
「あ、ユリナ、浴衣になんかついてるよ?とってあげる」
私は立ち上がり、ユリナの後ろにまわった。
「えぇっ、どこ?」
「こ、こ、だ………よっ!!!!!」
私はユリナの背中を踏みつけるように思いっきり蹴りを入れた。
ユリナが前のめりになってスーパーボールの流れる水の中に倒れ込む。
私は足を上げすぎてはだけた浴衣を直しもせず、その場から立ち去った。
ユリナがあの浴衣を着てきた時から止んでいた彼のベース音がまた鳴り響いて止まなかった。
ユリナの浴衣の柄は私の頭に焼き付いている。
彼の部屋で踏みつけた、あの浴衣。
微かに残る、泥の跡。
いや、泥の跡なんて本当はなかったのかな。
だけど、ユリナの言葉の端々に、彼との関係を思わせるものがあった。
その度に強くなるベース音。
その度に蘇る泥の足跡。
あの日。
ユリナをライブに連れていったあの日、彼が微笑みかけたのは私ではなく、隣にいたユリナだった。
そして、彼に傷つけられたあの日、あの部屋にユリナがいたとわかった。
何が「あきらめなきゃ」、だよ。
人を傷つけたら、自分に還ってくるんだよ。
これでおあいこ。
でしょ?
いや、まだまだ、足りないか。
彼の番がまだ残ってる。
だってベース音が、まだ鳴り止まないから。