第1話 燃ゆる江戸
文字数 1,727文字
カ~ン カ~ン 火事を報せる鐘が、市中に響き渡った。
市中の一角にある蒔絵師の家から、その家の一家が、
着の身着のまま家の外へ飛び出した。
「島、島はどこへ行った? 」
主の市五郎は、末娘のお島の姿がないことにあわてて大声を上げた。
「おいらたちが手分けして捜してやらあ」
近所の若い者たちが、うろたえる市五郎を見かねて、お島の捜索を買って出た。
一方、お島は、自分がいなくなって騒ぎになっているとはつゆ知れず、
不謹慎ながら、初めて目にした炎に見とれていた。
ドン! 逃げまとう人たちの中、
ひとり立ち尽くしていたお島は、後ろから走って来た人たちにぶつかり、
そのはずみで、その場に倒れてしまう。立ち上がろうとした矢先のことだった。
すぐ近くの半焼した家屋が今にも、目の前に迫る勢いで倒れてきた。
(わああ! )
もう、ダメだと思った瞬間だった。なぜか、
からだが宙に浮いたと思った次の瞬間、お島は、何者かの腕の中にいた。
見上げるとすぐ、そこに、無精ひげを生やしたとがったあごがあった。
「おい、娘。どこの者だ? 家族はどうした? 」
頭の上に、深みのある低い声が響いた。
お島はショックのあまり声が出せず、首を横に振るのでせいいっぱい。
お島を救い出したその人物は、お上の命を受けて
消火活動に加わっていた方角火消だった。
方角火消とは、江戸市中で火事が多いことを示唆した家綱公が、
家臣が多く住む地域を大火から守るべく、小姓組の中から任命した臨時火消であった。
町火消とは違い、どこか、威厳と気品ただよう彼らは目立つ存在でもあった。
方々を捜したが、家族はもとい、近所の人たちの姿はどこにもみつからなかった。
そのうち、さみしさから、お島は大泣きした。
「致し方ない。わしの屋敷にしばし、預かることにしよう」
その方角火消は、反対する家族を説き伏せて、
みなしごとなったお島を引き取った。
それから1週間後。お島はなぜか、江戸城大奥にいた。
運命の引き合わせにより、
家綱公の乳母にあたる老女、矢島局の目に止まり養女になったからだ。
「かのお方のたっての頼みじゃ。聞かぬわけにはまいらぬ」
矢島局は、以前から慕う旗本の依頼ともあってお島をすぐに気に入った。
それから、数年の月日を経て、お島は、聡明で美しい娘へと成長した。
矢島局の元で、御殿女中として英才教育を受けていたお島の
唯一の欠点は、夢中になるとやるべきことを忘れてしまうところだった。
特に、好きな読書や絵に対する集中力は並大抵のものではなく、
ひとたび、取り掛かると、寝食を忘れてのめり込んだ。
「おまえには、天性の気品があると見込んだ飛鳥井殿から、
おまえを御台所つきへとの御指名を賜った」
そんなある日のこと。お島はなんと、御台所付の御女中に抜擢相成った。
日ごろから、矢島局のもとで、賢さを発揮していたお島の様子を
御台所派の飛鳥井が陰ながら注目していたらしい。
一方、子持たずの家綱公は、矢島局の圧力に押されて
暇さえあれば大奥に入り浸っていた。
若い御女中たちが相次いで、奥入りした家綱公の許しへ送り込まれる中、
先代の側室から、大奥取締役という異例の出世をはたした
梅小路は淡々と役目を果たしていた。
誰の目にも、家綱公が、梅小路に興味を抱いていることは明らかであった。
江戸大奥において、梅小路ほど、完璧な女性はいないからだ。
大奥取締役という立場から、側室選びにも関わらなければならない。
そのため、必然的に、家綱公との接触が多くなる。梅小路が、家綱公の前に姿を見せる度、
おつきの者はもちろん、下の者にいたるまで注目が集まった。
側室となるためには、御台所の許しがいる。その点、梅小路は、同じ公家出身ともあり、
敵味方の両方ともなる微妙な存在でもあった。
御台所派は早くも、梅小路の素行調査を開始していたが、矢島局派も例外ではなく、
どちらが、梅小路を味方に引き込むかで水面下の戦いをくり広げていた。
その緊迫した雰囲気は、梅小路自身にも伝わったらしく、
どこの派閥にも属さない孤高の梅小路にはめずらしく、御女中を対象にして、
活け花を教えることを総ふれの後に、皆の前で宣言した。
「島、そなたも参加せよ」
飛鳥井はチャンスを逃してはならぬと、お島を梅小路のもとへ放った。
市中の一角にある蒔絵師の家から、その家の一家が、
着の身着のまま家の外へ飛び出した。
「島、島はどこへ行った? 」
主の市五郎は、末娘のお島の姿がないことにあわてて大声を上げた。
「おいらたちが手分けして捜してやらあ」
近所の若い者たちが、うろたえる市五郎を見かねて、お島の捜索を買って出た。
一方、お島は、自分がいなくなって騒ぎになっているとはつゆ知れず、
不謹慎ながら、初めて目にした炎に見とれていた。
ドン! 逃げまとう人たちの中、
ひとり立ち尽くしていたお島は、後ろから走って来た人たちにぶつかり、
そのはずみで、その場に倒れてしまう。立ち上がろうとした矢先のことだった。
すぐ近くの半焼した家屋が今にも、目の前に迫る勢いで倒れてきた。
(わああ! )
もう、ダメだと思った瞬間だった。なぜか、
からだが宙に浮いたと思った次の瞬間、お島は、何者かの腕の中にいた。
見上げるとすぐ、そこに、無精ひげを生やしたとがったあごがあった。
「おい、娘。どこの者だ? 家族はどうした? 」
頭の上に、深みのある低い声が響いた。
お島はショックのあまり声が出せず、首を横に振るのでせいいっぱい。
お島を救い出したその人物は、お上の命を受けて
消火活動に加わっていた方角火消だった。
方角火消とは、江戸市中で火事が多いことを示唆した家綱公が、
家臣が多く住む地域を大火から守るべく、小姓組の中から任命した臨時火消であった。
町火消とは違い、どこか、威厳と気品ただよう彼らは目立つ存在でもあった。
方々を捜したが、家族はもとい、近所の人たちの姿はどこにもみつからなかった。
そのうち、さみしさから、お島は大泣きした。
「致し方ない。わしの屋敷にしばし、預かることにしよう」
その方角火消は、反対する家族を説き伏せて、
みなしごとなったお島を引き取った。
それから1週間後。お島はなぜか、江戸城大奥にいた。
運命の引き合わせにより、
家綱公の乳母にあたる老女、矢島局の目に止まり養女になったからだ。
「かのお方のたっての頼みじゃ。聞かぬわけにはまいらぬ」
矢島局は、以前から慕う旗本の依頼ともあってお島をすぐに気に入った。
それから、数年の月日を経て、お島は、聡明で美しい娘へと成長した。
矢島局の元で、御殿女中として英才教育を受けていたお島の
唯一の欠点は、夢中になるとやるべきことを忘れてしまうところだった。
特に、好きな読書や絵に対する集中力は並大抵のものではなく、
ひとたび、取り掛かると、寝食を忘れてのめり込んだ。
「おまえには、天性の気品があると見込んだ飛鳥井殿から、
おまえを御台所つきへとの御指名を賜った」
そんなある日のこと。お島はなんと、御台所付の御女中に抜擢相成った。
日ごろから、矢島局のもとで、賢さを発揮していたお島の様子を
御台所派の飛鳥井が陰ながら注目していたらしい。
一方、子持たずの家綱公は、矢島局の圧力に押されて
暇さえあれば大奥に入り浸っていた。
若い御女中たちが相次いで、奥入りした家綱公の許しへ送り込まれる中、
先代の側室から、大奥取締役という異例の出世をはたした
梅小路は淡々と役目を果たしていた。
誰の目にも、家綱公が、梅小路に興味を抱いていることは明らかであった。
江戸大奥において、梅小路ほど、完璧な女性はいないからだ。
大奥取締役という立場から、側室選びにも関わらなければならない。
そのため、必然的に、家綱公との接触が多くなる。梅小路が、家綱公の前に姿を見せる度、
おつきの者はもちろん、下の者にいたるまで注目が集まった。
側室となるためには、御台所の許しがいる。その点、梅小路は、同じ公家出身ともあり、
敵味方の両方ともなる微妙な存在でもあった。
御台所派は早くも、梅小路の素行調査を開始していたが、矢島局派も例外ではなく、
どちらが、梅小路を味方に引き込むかで水面下の戦いをくり広げていた。
その緊迫した雰囲気は、梅小路自身にも伝わったらしく、
どこの派閥にも属さない孤高の梅小路にはめずらしく、御女中を対象にして、
活け花を教えることを総ふれの後に、皆の前で宣言した。
「島、そなたも参加せよ」
飛鳥井はチャンスを逃してはならぬと、お島を梅小路のもとへ放った。
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