第35話 チュー和?

文字数 2,213文字

 石上とのデートが終わってから、和音が結果報告のために詩の家へ立ち寄った。
 デートは予定どおり映画館で、話題の恐怖映画を見たらしい。そして、石上は一度も「なごみ」が和音であるとは気がつかなったという。
 だが、それだけ詩に報告した和音が、なぜが少し上の空という感じでボーッとしているのが気になった。
「まったく気づかれなかったってのは収穫ね。でも、少しはおかしいとかそぶりさえもなかったの?」
 あれだけの時間を一緒にいて気づかないなんてね。
「それは……百パーないよ」
「ずいぶん自信満々ね。完璧ってこと?」
「うん……だって……」
 和音が妙に言い淀んだ。
「だって?」
 やっぱり、どうもなんか隠してるみたいだと思う。
「ううん。なんでもない。一応、絶対気づかれてないから」
 和音はそう言って紅茶を静かに啜りカップを置くと、なぜか唇に指を這わせていた。詩はそれ以上、聞くに聞けなかった。

「あのさ」
 会話が途切れてしばらくしてから、ボーッとした表情のまま視線を下に向けた和音がふっと話しかけてきた。
「なあに?」
「詩ちゃんは——その、あ、あの経験はある?」
「あのってなに」
 もうまどろっこしいなあ。
「その……あれだよ。キ、ス」
 最後の「ス」が消え入りそうな声で。
「はあ? 何言い出すのよ!」
 こら。乙女にいきなりドキドキするような質問するなっていうの。
「いや例えばさ、ほんと例えばなんだけどさ。キスってやっぱり好きな人とするのが普通だよね?」
「ま、まあそうでしょうね。私ならそうね」
 まあ、経験はないけどさ。
「じゃあ、キスをしたら、それは恋人同士ってことになる——のかな」
 和音がやっと明らかに熱った赤い顔を上げて詩を見た。
「それは……人それぞれかもしれないけど」そこまで言って、詩はハッと気がついた。「音ちゃん、もしかして、だ、誰かとキス——したの?」
 和音は詩をじっと見つめて、震えるように小さく小さく首を縦に振った。
「だから、いつ、だ、誰と?」
 答えは一つしかないのはわかっていた。でも確認してしまう。
「今日……映画館で。石上……君と」
 頭がパニックになりそう。音ちゃんは姿形とは違って、心は男子だって、最近確信したつもりだったのに。
「そ、それって、なんでそういうことに——」
 落ち着いて、自分。まずは落ち着いて話を聞こう。
 やがて和音が、今日の出来事をとつとつと話し出した。

「つまり、さんちゃんはなごみちゃんを完全に女の子だと思っていた、と」
 頷く和音。
「で、ツンデレ実行中に至近距離で見つめ合ってしまって——さんちゃんに抱き寄せられてキスしてしまった」
 顔を真っ赤にして、再びこくりと和音が頷いた。
「なんでやめてって言わなかったの?」
 詩の厳しい取り調べが続く。
「だって。だって僕、詩ちゃんのいうとおりなごみって女の子になり切って、ツンデレして自分から石上君の胸に飛び込んだのに、顔が近くにあったからって、いきなり態度を変えるのって変じゃない? どうしようって頭によぎった瞬間には、その——チュッと」
 和音が自分で自分の肩を抱いて、少し上を向いて目を閉じた。
「な、何秒よ」
 突然、変なことが気になった。
「へっ?」
 和音が首を傾げた。
「だから、どれくらいそうしてたのかって聞いてんの!」
 そんなこと聞いてどうすんの。こんな自分が嫌だ。
「最初は十び……いや、もうちょっと、かな。目を閉じてたからよく覚えてないけど、い、1分——いや、もうちょっとだった、かも」
 長いし! めっちゃ長いし!
「目を閉じたって。それって、音ちゃんからも、さんちゃんのキスを受け入れた、そういうこと?」
 そこまで言って、はたと気がつく。
「あれ? 今、『最初は』って言った?」
「うん。実はそのあとは2、3回? いや、回数は——よく覚えてないんだよね。だって石上君が映画の合間に何回もグッて肩を抱いて引き寄せてくるから、その度に受けてあげなきゃ可哀想かなって思っちゃって」
 和音が一度治った顔をまた赤くして唇を少しすくめ、その唇にまた人差し指を這わせた。
「あの、あのさあ。私は勘違いしてたのかもしれないけど、音ちゃんは本当は男子が好きな人だったの? いや、それならそれで……いいんだけどさ」
 それならそれで、私の恋心はどこへ向かえば。
「いや、全然。っていうか、そういえば僕、恋ってしたことないけど、やっぱり女の子がいいって思うよ」
 衝撃の告白——
「もう一度聞くけど、実は僕も男だからやめようって声には出さなかったの?」
 あらためて、そこは確認する。
「だって、最初のは避けられなかったんだよ? 一度キスしちゃったのに、その後に、ごめん、僕は和音だからもうやめよって今更言える? それってむしろ、石上君がショックを受けないかなあ」
 少しだけ、一理ある、かも。後になって知っても、余計に傷つくのは確か。
「じゃあ、じゃあさ。和音君は自分の唇に石上君の唇の感触が残っているわけよね? 大事なキスで後悔はないの?」
 和音が少し上を向いて考えた。
「それは、やっぱり——女の子の方が良かったな」
 それを、聞きたかった。
「それじゃあさ。——チュウワしてあげようか?」
「チュウワ?」なんのこと? という顔。
「いいから。一度目を閉じて」
「こう?」
 和音が素直に目を閉じる。彼は疑うことを知らない。
 詩はそっと和音の隣に座ると、目を閉じた和音のその唇に——唇を寄せた。
 
 中和、しちゃった——
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