害虫

文字数 10,700文字

 死ぬべきだと考えた。だれが? 自分が。俺自身が。
 俺はまだ死んでいなかった。恥ずかしい。死ねばいいのに。なぜ死んでいないのだろう。この人間は。他人のように遠い自分とされているこの人間は。
 死ねばいいのに、と俺にいうのは俺だけではない。俺の父ははっきりとそう口にしたし、俺の母は軽蔑するような視線で暗黙のうちにそう語ったし、俺の兄弟は冗談まじりにそうすすめたし、俺の死んだ祖父は死に際に俺を拒否することによってその遺志を示したし、俺の元友達はそんな陰口をこれ見よがしに叩いたし、そしてもちろん、俺から実害を受けた被害者は、俺に死んでほしいに決まっていた。
 死ぬべきだと考えた。だれが? 自分と、自分の周りにいる人間すべてが。俺は死ぬべきだった。でも死んでいなかった。なぜだろう。
 過去はどこまでも追いかけてくる。後ろ髪をつかんで、首を折る。逆さに映る、背後の情景。地獄だった。過去は地獄だった。過去の自分は笑っていた。直視できなかった。
 何年も前の俺は、クラスメイトをいじめていた。何年も前。いとけなき我が少年時代。俺がもっとも幸福だった時代。死ねばいいのに。
 いじめられていた同級生は、足が悪かった。クラスのみんなからいじめられていた。のろのろした挙動が癇に障った。車で送迎されているのが気にくわなかった。いや、それはこじつけだ。後付けの理由だ。群れの空気をかき乱した、意志疎通に遅延をもたらした、下衆な同調笑いに水を差した――きっかけはなんでもいい。とにかく足の悪い同級生は疎外され、いじめられた。言動のすべて、容姿のすべて、境遇のすべてが、からかいの種になった。
 運動会の徒競走。足の悪い同級生は、運命のように最下位だった。みんなの笑顔と、万雷の拍手。もちろん欺瞞だった。大人向けの優しくこころ温まる情景。裏ではひどいものだ。足の悪い同級生の、まさにその足に、集団で順繰りに蹴りを入れた。弁当箱はぶちまけられた。体操服は引き裂かれた。子ども向けの厳しくほろ苦い現実。
 いじめられていた同級生は――いや、この言い方はおかしかった。いじめは自然災害ではない。被害者だけでいじめは成り立たない。いじめがあったなら、いじめている人間が必ずいるのだ。そして、それはクラスの全員であり、俺なのだ。いじめられていた同級生は、俺がいじめていた同級生なのだ。蹴りを入れたのは俺自身なのだ。死ねばいいのに。
 クラスの全員がいじめていた、というのは正確ではないのかもしれない。思い返せば、気乗り薄な男子や、関わろうとしない女子の顔も何人かは浮かぶ。とはいえ、止めるやつはいなかった。絶対にいなかった。いじめを知らないやつもいなかった。絶対にいなかった。そして当時の俺の主観では、クラスの全員が足の悪い同級生をいじめていた。天下御免の憂さ晴らしだった。無邪気で無垢で健全な子どもたちの悪気のないちょっとした生贄遊び。死ねばいいのに。
 いじめで味つけされた初等教育を卒業し、加害に味をしめた子どもたちは中等教育へと移行する。そのときに別々の学校に散り散りにでもなっていれば、まだしも救いはあったかもしれないが、あいにく俺も、俺のいじめていた同級生も、かつて同級生をいじめていたみんなのおおよそも、相変わらず同じ学校だった。悪夢はなかなか終わらないものだ。俺のいじめていた同級生の絶望がしのばれる。ヘドロのようについてまわる汚穢そのものの集団。死ねばいいのに。
 俺は俺のいじめていた同級生とは別のクラスになった。廊下や校庭ですれ違うことはあっても、もう深く関わることはなかった。ただ、相変わらずいじめられてはいるようだった。足の悪い同級生が、校舎裏で石を投げつけられているのを見たことがある。まだやってるのかよ、と俺は苦笑した。環境が多少変わり、難しい年頃と言われるような時期に差しかかり、俺はあまり周囲になじめていなかった。会話がだれともしっくりこなかった。なんとか友達についていこうと焦りながら、むなしく空まわりしていた。勉強にもスポーツにも熱心になれず、特別な趣味も才能も持たず、将来の夢もなく、だらだらバカみたいに遊んでいたいとしか思っていなかったガキそのものの俺は、どうも以前とは勝手が違うなと戸惑っていた。周りの子どもは成長していくのに、俺だけ子どものまま取り残されていくような寂しさがあった。だから、俺のいじめていた同級生がまだいじめられているのを見て、俺は安堵さえ覚えた。あれに比べれば俺はまだマシな方だ、などといい気な優越感に浸って上機嫌だった。死ねばいいのに。
 ある日、俺のいじめていた同級生が失踪したというような話題が朝のホームルームで教師から語られた。だれか見たものはいないか、知っていることはないか、と生徒たちに広く情報を募った。俺はなにも知らなかったので、関係ないなと思った。久しぶりに、いじめていた同級生の顔と名前を思い浮かべただけだ。
 俺のいじめていた同級生は、次の日には無事に見つかって保護された。バスにも電車にも乗らず、不自由な足を使って、ずいぶん遠くまで歩いていたそうだ。見つかった時は、橋の上から川をぼんやり眺めていたのだという。俺も周りのクラスメイトも、それを聞いて笑った。バカみたいだ。何やってんだあいつ、と存分に蔑んだ。他人を嘲笑するときだけは、周囲から浮いている俺も、仲間になったような同胞意識のおこぼれにあずかることができた。足の悪い同級生が、どんな気持ちを抱えてあてどなくさまよっていたか、そのときの俺はわかりもしなかったし、想像もできなかった。いまだって、わかったなどとは口が裂けてもいえないだろう。死ねばいいのに。
 俺のいじめていた同級生のちょっとした家出騒ぎに、俺は直接的にはなんの関わりもなかった。だというのに、なぜか俺はとつぜん教師からの家庭訪問を受けた。二人きりで話したいのですが、と教師に言われ、親は席を外した。教師は出されたお茶をすすった。ずずっ、というその音が、妙に不吉に響いた。得体のしれない空気が部屋に漂いはじめた。
 教師は足の悪い同級生の名前を口にした。このまえ彼が家出したこと、知ってるだろ、と教師は確認する。はあ、と俺は怪訝に思いながらうなずいた。
「実はな」
 教師の口調は重かった。
「おまえにいじめられていたという証言があるんだが」
 気づまりな沈黙が流れた。急に喉が渇いてきて俺もなにか飲みたくなったが、あいにくお茶は教師の分しかテーブルに出されてはいなかった。本当に、急に喉がからからに干上がった。
「そんな……やってませんよ」
 俺は開口一番、即座に否定した。救いがたいクソガキの俺にも、嘘が悪いことだという意識くらいはあったのか、かすかな疚しさに胸が疼いた。タチが悪いのは、それが完全には嘘ではない点だ。俺はたしかに彼をいじめていたが、それはずいぶん前のことで、それはとっくに終わったことのはずで、俺とはもう関係ないことのはずだった。しかし、昔はいじめていたけど今はいじめていません、というわけにもいかず、その濁った灰色の虚偽の弁明が、なんともいえない居心地の悪さを生み出した。
「本当か?」
 教師は念を押す。
「やってませんよ、いじめなんて。違いますよ。俺じゃない。だって、クラスも違うじゃないですか」
「おまえ、彼とは小学校のときも一緒だったんだよな? そのときは同じクラスだったんだよな?」
「そうですけど……でも、俺じゃない。俺はやってない。違いますよ。俺じゃない」
 俺はしどろもどろにそう答えた。俺じゃない、と口にするたびに、意識していなかった自分の過去の罪が喉元にせりあがってきた。なにか、不穏な事態が進行しつつあるようだった。止めようのない歯車がどこかでまわりだした気配を感じた。
「誓うか?」
 教師はなおも念を押す。俺の顔をじっと見つめた。
「誓いますよ」
 俺は反射的にそう答えた。紙よりも薄っぺらい無責任な誓約。何に誓ったというのだろう。良心にかけてか、魂にかけてか、神にかけてか。何にせよ、自分に対してすら説得力を持たない誓いは、病魔のようにこころを蝕む。俺は自分の墓を掘りはじめていた。
「そうか」
 教師はまたもお茶をすする。ずずっ、という液体が流し込まれる音。かちっ、かちっ、かちっ、という時計の針の音。きーーーーーーん、という俺にしか聞こえない耳鳴りのような音。
「彼が、俺にいじめられたと言ったんですか?」
 沈黙に堪えかねて、俺はそう訊ねた。教師はまた俺の顔をじっと見つめた。そのときは気づかなかったが、後から考えてみると、怯えるように発せられたこの質問は、俺への疑いを強める結果になったようだった。
「いや……本人から聞いたわけじゃない」
 教師は言って、それきり黙った。だれから聞いたのか、俺に教える気はないようだった。
「邪魔したな。今日は、このあたりで失礼するよ」
 教師は立ち上がり、俺の親に挨拶をして、帰っていった。今日は、ということは、また来るという意味だろうか? なぜ?
 なんの話だったの、と母親に聞かれても、なんでもない、としか俺は答えなかった。なんでもない。そう、なんでもないはずだ。俺はたしかに彼をいじめていた。彼を罵り、彼を嘲り、彼に蹴りを入れた。だけど、それは昔のことではないか。もう終わったことではないか。俺には関係ない。第一、いじめていたのは俺だけではないのだ。みんなやっていたことじゃないか。いまもなお彼がいじめられているとしても、その加害者は俺ではない。俺ではないだれかであり、俺を除いたみんなであるはずだ。俺じゃない。
 なんでもない、としか頑なに答えない俺を見て、母親は明らかに不審がっていたが、それ以上は問いつめられなかった。何したんだよおまえ、と兄にからかわれ、宿題手伝ってくれよ、と弟にせっつかれた。なんでもない。そう、なんでもない。
 なんでもないはずがなかった。死ねばいいのに。
 翌朝、学校の廊下で俺は俺のいじめていた足の悪い彼とすれ違った。目が合った。それだけだった。なにも言わなかった。大儀そうに歩いて教室に入っていった。
 彼が俺を告発したのだろうか? いまさら? それとも、別のだれかが? だとしたらなぜ?
 俺は背中に這いのぼってくるような猜疑心に取り憑かれた。他人を見る眼が、険しく強張った。ただでさえなじめていなかったのに、ますます周りから浮き上がっていくような気がした。死ねばいいのに。
 学校というのは異様な空間だった。成長過程にある人間を、同じ建物に、蜂の巣のように詰めこめるだけ詰めこんで、知識を刷り込み能力を競わせる。刷り込まれるのは知識だけではない。集団における行動パターンもだ。パターンから逸脱した者は厳しく排斥され、時にはなぶられる。それをいじめと呼ぶ。しかし、いじめのない集団があるのだろうか? 俺にはそれが疑問だった。俺の品性が低劣だからそう考えてしまうのかもしれないが、結局のところ人間は自分を基準にして周りを推し測るしか術がなく、それが井の中の蛙でしかなかったとしても、自我というこの狭い井戸からの脱出口を俺は見出だせなかったし、大海に出たところで、溺れて死ぬだけとしか思えなかった。いじめをなくしたいなら人を集めたりするなと、ただただ苛ついていた。点としてだけ育てればいい。点と点をつないで素敵な絵をつくりましょう、なんて呼びかけても、グロテスクな蟲毒の絵面が完成するだけだ。選別するシステム自体が脱落者の存在を前提としているのに、なぜ他人を蹴落とす行為を責められなければならないんだと、そうやって俺を取り巻く環境と構造に怒りをぶつけて自分の罪をなすりつけて正当化した。その怒りは、俺自身が脱落者になりかけているという危機感によって、なおのこと強まっていった。死ねばいいのに。
 教師は学校ではなにも俺に訊いてはこなかった。しかし、ほどなくして、あの秘密めかした家庭訪問がふたたびやって来た。それも、何度も。
「おまえ、本当にやってないのか」
 何度目かの家庭訪問のときに、背筋が凍りつくほど寒々しくおざなりでその場しのぎな雑談の後、教師はまたしてもそう切り出した。
「正直に答えてほしい」
 俺はもう疲れていた。明らかに俺は疑われていた。そしてその疑惑は、ある意味で正当だった。彼をいじめたことがあるか? 正直に答えるなら、イエスとしか言いようがない。思い当たるところがありすぎる。でもそれは子どもの頃の話だ。いまもまだ子どもでしかないが、それよりも更に子どもだった頃の話だ。最近、彼をいじめたか? 問いがそのようなものだったとしたら、俺は何に憚ることなく自信満々に否定できただろう。いや、本当にそうだろうか。俺は彼が校舎裏で石を投げられている時、なにもしなかった。笑いさえした。傍観は無罪といえるのか? 
 いじめには加害者と被害者と傍観者がいる。この立場はシャッフル可能で、加害者と傍観者はしょっちゅう入れ替わることもあるが、被害者は大体において長期的に固定されている。傍観者から被害者に滑り落ちるやつはよくいる。加害者と被害者が入れ替わることは滅多にない。とはいえある群れのなかでは加害者でも、別の群れにおいては被害者に転じるという場合はあるだろう。加害者と被害者と傍観者に、見えざる抑圧者を加えてもいい。しかしそれは個人とは限らない曖昧な領域だ。抑圧者は教師であったり親であったり学校や家庭という環境そのものであったり経済格差や性差別や社会不安だったりもするが、隠れた因子として常に機能しつづけている。
 罪の範囲をどう定めるか。被害者に罪はない。これは確かだ。いじめられている被害者が別の群れでは加害者に転じていたとしても、共同体に深刻な迷惑をもたらしたことがあったとしても、どんな理屈をつけたところで、寄ってたかって他人をなぶるという行為にはひとかけらの正当性も認められない。傍観者に罪はあるか。少なくともまるっきり潔白とはいえないだろう。
 嘘を土台にして生きるのは辛い。俺にはそんな覚悟も根性もない。何度も教師が家に訪ねてくることについて、親に訊かれてもごまかすしかなかったが、それにも限度がある。この遠まわしな尋問はいつまで続くのか、その見通しが立たないのも辛い。教師が俺の言い分をまったく信用していないのは明らかだった。いじめを認めるまでこの気づまりな時間は続くのかと思うと、さっさと楽になりたかったし、俺はもうなにもかも面倒にさえなっていた。
「いじめました」
 気づけば俺はそう答えていた。どうとでもなれと、投げやりな気分だった。
「そうか」
 教師は、とうに知っていたとでも言うかのように、これは単なる確認作業だとでもいうかのように、俺がどんな人間であるか俺以上にわかっているとでも言うかのように、深くうなずいた。
 でも、それは昔のことです。それに、やっていたのは俺だけではありません。俺はそう言おうとして、そう弁明しようとして、なかなか言い出しかねていた。言葉を発するのがためらわれる沈黙だった。すると、教師は無言のまま立ち上がって、部屋を出ていった。
 認めてしまうと、それはそれで、胸のつかえが晴れたようで、気が楽だった。とにかく尋問は一区切りついたようだ。根拠のない楽観が早くも俺の胸を占めはじめた。なんにせよ、そこまで悪いことにはならないんじゃないか。
 甘かった。俺は自分の罪をナメていた。死ねばいいのに。
 部屋に、教師と共に父親が入ってきた。テレビを見ながらいつも陽気に笑っている父が、いまは能面のように無表情だった。教師から報告を受けたようだ。どんなふうに伝えられたのかはわからない。
「おまえ、足の悪い子をいじめていたのか?」
 父は単刀直入にそう訊いた。俺は一度認めた気楽さもあってか、なにも考えず、素直にこっくりとうなずいた。
 そのときに、父のなかで、なにかのスイッチが入ったようだった。
 気がつくと俺は吹き飛んでいた。こういうと間抜けにしか響かないが、そんなふうにしか思えなかった。なんらかの衝撃によって吹き飛ばされて床に這いつくばった俺は、顔面がひどく痛むことに驚いた。鼻と口からぼたぼたと液体が垂れていた。この辺りから、記憶が砕けたパズルのように断片的で曖昧なところがあるので、事後的に把握して再構成した部分も数多くなるが、つまり、俺は父親から拳で思いきりぶん殴られたのだ。これも後で気づいたことだが、歯が折れていた。父が空手を習っているのは知っていたが、その腕っぷしを身をもって思い知らされたのは初めてだった。
 もういちど俺は吹き飛んだ。頭を掴んで無理やり立たされて、また殴られたのだ。鉄拳制裁はなおも続いた。俺は暴力を受けることに慣れていなかったので、何をされているのかよくわからないまま、おきあがりこぼしのようにぐわんぐわんとされるがままに揺れていた。
 父から受ける暴行の合間合間には、軽蔑に満ちた怒号も投げつけられた。
「自分より弱い相手をなぶるのは最低な人間のすることだ」
「おまえは他人の痛みがわからないのか?」
「いじめというのがどれだけ人間を傷つけて歪ませるのか想像したこともないのか?」
「俺がおまえを毎日いじめてやろうか?」
「痛みがわからないなら俺が痛みをわからせてやろうか?」
 などなど。
 俺は殴られ罵られながら、ごめんなさい、とか、すみません、とか、許してください、とか、弱々しくつぶやくばかりだった。血と鼻水とよだれと涙で俺の顔はぐしょぐしょに汚れて、見苦しい有り様だった。とはいえ、それは俺の性根と人生を要約しているような真実に近い顔だったから、往来を歩くときはその無様な醜貌こそをさらして歩くべきかもしれないなといまとなっては思う。死ねばいいのに。
 遅まきながら教師が父を止めていた。教師は、突発的にぶちギレた父に、唖然としているようだった。兄と弟が怖々と部屋を覗いていた。母親は出かけていて留守だった。
 その母から後で聞くことになるのだが、父は子どもの頃、ひどいいじめを受けた経験があるそうだ。もしかしたら、そのいじめられた記憶があのときにフラッシュバックしたのかもしれない。他ならぬ自分の息子の行状によって。
 父は教師からなにか聞き出して、だれかに電話をかけて、俺を荒々しく車に乗せて、どこかに向かって走り出した。無言で運転する父と、鼻にティッシュを詰めて口許はタオルで押さえて涙がぽろぽろ流れつづけている満身創痍の俺。もう夜だった。車窓から眺める街灯のうすぼんやりした光が綺麗だった。初めて見るような淡い光。刑場に引かれる囚人もきっとそんな光を眼にするのだろう。
 着いた先は、俺のいじめていた足の悪い彼の家だった。
 玄関先で父はひたすらに、俺のいじめていた足の悪い彼と彼の親に謝罪した。俺のすぐ隣で、俺の父親は床に頭をつけさえした。殴られたこと以上に、自分の行いがもとで自分の父親が他人に土下座しているというその状況が、俺のなけなしの自尊心をずたずたに引き裂いた。
 あまりに苦痛だったのか、俺は俺に起こっていることすべてが他人事のようにしか感じられなくなってしまっていた。幽体離脱して自分の身体を眺めているようなイメージに近いかもしれない。どこかの段階で魂が抜けたのだ。そこにいるのは俺なのに俺ではないようだった。鼻にティッシュを詰めて口許をタオルで押さえて涙を浮かべた眼で隣の土下座する父親を見つめている自分を遠くから眺めている俺。俺は俺からずれていた。自分が他人のようだった。こうやって思い返しているいまもそうだ。死ねばいいのに。
 おまえも言うことがあるだろう、と、殴らんばかりの剣幕で父は俺を促した。俺はさっき殴られたときのように、ごめんなさい、とか、すみません、とか、許してください、とか、そんな類いのことをぼそぼそと口にした。
「もういいですよ。気にしてませんから」
 俺のいじめていた彼は戸惑い気味にそう言った。彼も彼の親も、押し売りのような謝罪騒ぎに面食らっているようだった。明らかに厄介そうだった。とにかく立ち去ってほしくてそう言っただけだろう。別に俺は許されたわけではない。
 それでも彼のその言葉は、いまも自分にとってかすかな救いの手綱になっている。内実はどうあれ謝ることができたというのは、死んだほうがいい俺がいまもって死んでいない理由の一端であるのかもしれない。死ねばいいのに。
 学校でもその謝罪騒ぎは噂になったようで、俺はいじめをやっていた卑劣な歯抜け野郎ということで、周囲から公然と正義の鉄槌を下された。つまり、いじめられたのだ。机には罵詈雑言を落書きされ、所持品は隠匿され破壊され、これ見よがしに陰口を叩かれ、蔑みを込めた隠語で呼ばれ、小突かれ蹴られ、避けられ馬鹿にされ、汚物扱いを受け、めでたく疎外された。俺は抵抗する気にもなれなかった。その手口はかつて俺がやった手口そのものだった。鏡に映したようにそっくりだった。
 俺はいじめられている俺を遠くから眺めていた。それを見ていると、かつて俺が足の悪い彼をどんなふうになぶったか、嫌でも思い出された。加害者だったくせに、いじめの記憶のフラッシュバックに苦しめられているなどといっても、だれも憐れんではくれないだろう。自業自得だった。
「おまえはみんなから嫌われているぞ」
「おまえの味方なんてだれもいないんだ」
「おまえに生きている価値なんてないんだ」
 そんな呪いをささやきながら、無邪気に明るく笑いながら、足の悪い彼に蹴りを入れる、俺と同じ顔の救いがたく腐りきった他人のように遠いだれか。
 すべて、自分の言った言葉だった。すべて、自分のやった行為だった。死ねばいいのに。
 俺がいじめられるようになって、それで足の悪い彼がいじめの標的から外されたというのなら、それなりの美談にでもなるのかもしれないが、またしても彼が校舎裏で石を投げつけられているのを俺は目撃した。それを止めようとして俺が割って入れば、痛みの伴った成長物語にでもなるのかもしれないが、相変わらず俺はなにもせずぼんやり眺めていた。なにも感じなかった。すべて遠かった。唯一の変化といえば、それを見ても笑わなくなったことぐらいか。
 自分をいじめていた人間たちの大半が社会を担うべくなにごともなく巣立っていくのを見るのは、どんな気分なのだろう。この期に及んでも俺に足の悪い彼の気持ちはまったくわからないが、社会の主要な部分を構成している人間の大半がいじめの加害者だったように思えるのではないだろうか。
 学校だけではなく俺は家庭でも浮いていた。兄はただ一言、「バカだな、おまえ」と、一連の成り行きに対してコメントした。それはいじめをやったことを道徳的に非難しているというよりはむしろ、バレずにやれなかったこと、露見した後に上手く立ち振る舞えなかったこと、そういった不器用さに苛立っているように思えた。なるほど、確かに俺はバカだった。弟もあまり俺に話しかけなくなった。失敗した年長者の見本といったところか。
 父と俺が同席していると、空気が異様に重苦しくなるので、穏やかな人柄でぎすぎすした雰囲気が苦手な祖父は、入院したとき、息子と孫が同時に見舞いに来ることをやんわりと拒否した。だから、祖父の病状が悪化して帰らぬ人となったとき、俺は一人で留守番していた。祖父の死に目に会えなかったのは、家族のなかで俺だけだった。
 火葬場で祖父が焼き上がるのを待っているあいだ、俺は焼かれているのが自分ではなく祖父であることに違和感を覚えた。
 教師に問いつめられているときも、父に殴られているときも、因果応報で惨憺たる立場に追いやられたときも、俺の脳裏には釈明の声がずっと響いていた。どう思い返しても弁解の余地のない俺の加害行為に対する、俺が後生大事に抱えている唯一の言い訳。
「だって、みんなやっていたじゃないか」
 それが俺の最終弁論だった。涙まじりの訴えだった。剥奪された叫びだった。
 地獄が本当にあるのかどうか俺は知らないが、もしもあるのだとしたら、衆を(たの)んで人を傷つける恥知らずほどそこにふさわしい人間はいないだろう。業火に包まれながらその人間は、相も変わらず弁明する。
「だって、みんなやっていたじゃないか」
 それを見下ろす裁定者がいるとするならば、侮蔑を込めてせせら笑うだろう。
「よかったじゃないか。みんなで一緒に火ダルマになれて」
 俺が焼かれる日はいつになるのだろう。死ねばいいのに。
 いじめは魂の殺人だ。たとえそれによって殺されるのが精神の一部分にすぎなかったとしても、殺人は殺人だ。俺は人を殺したのだ。
 この国には死刑がある。死を以てしか償えない罪があるというのが、この国の公式見解であり、国是とされているわけだ。俺は、いじめというのは死に値する罪だと思っている。いじめに手を汚した人間は、自分も含めて、みんな死ぬべきだと思っている。
 とはいえ俺はいまだにのうのうと生きている。自分を裁くことすらできない人間に、他人を裁く資格はなかった。そうしたいとも思わなかった。自分を処する気力さえわかない俺は、ただ単にこの他人事のようにしか感じられない人生が早く終わってほしいとぼんやり願うばかりだった。俺に人生はいらなかった。人生は俺を必要としていなかった。十代半ばに至った俺の、未熟な若輩者なりの結論だった。
 ようするに、俺は害虫なのだと思った。他人にとっても、自分にとっても。夢も希望も未来も幸福も、俺に受け取る権利はなかった。その資格を捨て去ってしまった。自分で自分を葬ってしまった。だれも愛すべきではないし、だれにも愛されるべきではないし、だれに触れるべきでもないし、だれとも関わるべきではないのだろう。
 いまも俺は墓場にいた。祖父が葬られた墓地にいた。立ち並ぶ墓石を眺めていると落ち着くからだ。死に囲まれているようで気が安らいだ。死に目に会えなかった俺の、個人的な祖父への手向けとして、自分の命でも捧げてみようかと思ったのだが、墓場をうろついていても自分を殺す気力はどうにもわいてはくれなかった。
 もう日が暮れる。夕闇が墓場を包んで陰る。死者の眠りを乱さないように、夜よりも早く帰らなければならない。
 死ぬべきだとしか感じられない他人のように遠い自分にも、生きる理由は見つかるのだろうか?
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