実業家登場
文字数 3,525文字
実物のオーランド・ヴォルダは「こざっぱりした」という形容がぴったりの五十歳前後の男だった。髪をきちんと撫でつけ、恰幅のいい体を都会風の洗練された服に包んでいる。色白の顔に、にこやかな笑みを浮かべていた。
私は工房で働いてくれている職人に心から感謝しておりますし、職人を大切にしていきたいと思っております。
ここでは今、三百二十四人の職人が働いていますが、私はその一人一人と家族同然のつき合いをしておりますよ。本当に、職人たちは私の家族のようなものです。いや、家族以上ですな。
深い響きをもつ、耳に心地よい声。
相手が予想通りの善人らしいので、僕はほっとしていた。どこの馬の骨とも知れない若造が何の約束もなく訪ねてきても、いやな顔一つせずに、すぐに会ってくれる。ずいぶん出来た人だ。
肘打ちが意外と深々と決まってしまい、小柄なロランが吹き飛んだ。
あれ? 嘘? どこ行った?
――と迷う暇も与えられず。鋭いパンチをみぞおちに喰らい、僕は「ぐぅ」と呻いて身を二つに折った。
ロランは、相手の胸から下への攻撃が得意なんだよな。それでどんな大男でも倒す。
ようやく正常に呼吸ができるようになった僕は、なんとか笑みを取りつくろった。
ロランにしゃべらせたら絶対に失礼発言を連発するだろうだから、質問は僕がする方がいい。積極的に会話を進めることにした。
僕の質問に対し、ヴォルダは何度もうなずいてみせた。
残念でしたし、意外でした。健康に問題がありそうな男には見えなかったので……。
ヴォルダと僕は、工房の中を肩を並べて歩いていた。広々とした空間だった。外から見ると三階建てと見える建物の内部は、実際には天井の高い一つの大部屋になっている。たくさんの窓から差し込む日差しのおかげで、室内は明るく快適だ。
窯や大鍋、木製の長テーブルなどが整然と配置され、職人たちがてきぱきと作業を進めていた。
忙しげにガラス瓶を磨いている職人の一人が、親しげにヴォルダに声をかけた。ヴォルダも笑顔で言葉を返した。なごやかな雰囲気が漂っていた。
ロランは僕らと少し離れて、肩をいからせ、ぶしつけな鋭い視線を工房内の至る所に投げかけながら歩いていた。完全に、聖職者ではなくチンピラの態度だった。
不意に、尖った声で僕らのやり取りに割り込んできた。
また来たな。穏やかな雰囲気を一瞬でぶち壊す、真っ向ストレートの暴言だ。
僕は身の縮む思いで首をすくめる。
ヴォルダは笑顔を崩さなかった。でも周囲の温度がすーっと下がったような気がした。
朝から晩まで一瞬も気を抜かず、常に周りに合わせて一定の速さで働き続ける……あんたが職人に求めてるのは要するにそういう事だろ。人間に、自動工具になれと言ってるわけだ。そんなんじゃ体を壊す奴が出るんじゃねえのか?
……それに、聞いた話じゃ、この工房の窯は決して火を落とさねえんだってな。昼も夜も製造を続けていると。働いてる連中をちゃんと休ませてやってんのか?
ヴォルダはしばらく答えなかった。どんな憤慨の表情を浮かべているだろう、と思ったが意外にも彼はまだ笑顔だった。ずいぶん失礼な事を言われているのに、気分を害した様子もない。
皆よくやってくれます。
無理をしてでも夜中に働くように、私から指示したことは一度もありませんよ。
お疑いでしたら、ここで働く者、誰にでも尋ねてみてください。私に深夜の作業を強制されているのかと。
答えは、間違いなく『否』です。誰に訊いてもらってもいい。
ヴォルダの応対は立派だった。落ち着いていて、堂々としていて、揺らぎがない。まさしく良心に曇りのない人の態度だ。
僕は何げなく周囲を見回した。
ロランに指摘されるまで気づかなかった。たしかにどの職人も、目のまわりがどす黒く縁取られている。
ヴォルダはふと足を止め、こちらに向き直った。両腕を大きく広げ、辺り全体を包み込むような仕草をした。
人と人とが力を合わせることによって、より大きな結果を生み出す。
一足す一が二ではなく十にも百にもなる。
それが分業の力。それが効率化というものです。すばらしくありませんか?
この工房の成功は、人が協力し合うことの尊さを示す証拠なのですよ。
人の和を尊ぶのは神の御教えにもかなっていると思うのですが、いかがです?
僕は相手の熱意に押され、あいまいにうなずいた。整頓された工房内で大勢の人間が休まず作業を進めている様子には、たしかにある種の美しさがあるな、と思いながら。
ヴォルダは瞳を輝かせ、夢見る人の熱意をもって語った。
「進歩」を語るとき、人は往々にしてこういう憑かれたような表情をする。
進歩について論じるのは僕の意図ではなかったので、話を本題へ戻させてもらうことにした。
ヴォルダは夢から現実に引き戻されたという風情で、急にまじめな顔になって僕をみつめた。
僕は返事につまった。どこまで打ち明けていいのか、とっさに判断できなかった。
ヴォルダは穏やかに微笑んだ。
こちらの動揺を見て取りつつも、それを追及したりせず、その場をなごやかに収めようとする。大人の態度だ。