実業家登場

文字数 3,525文字

 実物のオーランド・ヴォルダは「こざっぱりした」という形容がぴったりの五十歳前後の男だった。髪をきちんと撫でつけ、恰幅のいい体を都会風の洗練された服に包んでいる。色白の顔に、にこやかな笑みを浮かべていた。

この工房では、人が『命』なのです。すべてを生み出し動かしているのは人間の力ですからな。
私は工房で働いてくれている職人に心から感謝しておりますし、職人を大切にしていきたいと思っております。
ここでは今、三百二十四人の職人が働いていますが、私はその一人一人と家族同然のつき合いをしておりますよ。本当に、職人たちは私の家族のようなものです。いや、家族以上ですな。

 深い響きをもつ、耳に心地よい声。

 相手が予想通りの善人らしいので、僕はほっとしていた。どこの馬の骨とも知れない若造が何の約束もなく訪ねてきても、いやな顔一つせずに、すぐに会ってくれる。ずいぶん出来た人だ。

薄気味悪ぃ工房だな、ここは。まるで死体の安置所だ。

しーんとしていて……人の生気が感じられねぇ。

(うわーーっ!! 会ったばかりなのに、いきなり悪口かよ!


頼むから! 頼むからここは黙っててくれ、ロラン!!)

 ロランを黙らせようとして、軽く肘でつついて注意するつもりが。力加減を間違ったみたいだ。

 肘打ちが意外と深々と決まってしまい、小柄なロランが吹き飛んだ。

てめえ……いきなり何しやがる。ぶっ殺すぞ。
ごめん。手がすべった。
ごめんで済んだら宗教は要らねえんだよ。因果応報……地獄を見やがれ。
 立ち上がったロランの姿が、一瞬で僕の視界から消えた。


 あれ? 嘘? どこ行った?


 ――と迷う暇も与えられず。鋭いパンチをみぞおちに喰らい、僕は「ぐぅ」と呻いて身を二つに折った。
 ロランは、相手の胸から下への攻撃が得意なんだよな。それでどんな大男でも倒す。

――大丈夫ですか、使徒様?

……………………! (苦しくて声が出ない)


仲がいいんですね、お二人は。

………………え。そう見えますか?

神に仕える人たちが争ったりするはずがない。きっと、ふざけ合っておられるんですよね?
…………ええ、そうです。これは…………いつものじゃれ合いです。そう。
けっ。日和見のアホめ。
…………今日はここで働いていたタクマインさんのことについてうかがいたいと思って来たんですが……。

 ようやく正常に呼吸ができるようになった僕は、なんとか笑みを取りつくろった。


 ロランにしゃべらせたら絶対に失礼発言を連発するだろうだから、質問は僕がする方がいい。積極的に会話を進めることにした。

 僕の質問に対し、ヴォルダは何度もうなずいてみせた。

ホレス・タクマインですか。ええ、覚えていますよ。とても腕のいい磨き工でね。うちとしても重宝していたのですが、健康上の理由でどうしても辞めたいと言って、二月ほど前に退職していきました。
残念でしたし、意外でした。健康に問題がありそうな男には見えなかったので……。

 ヴォルダと僕は、工房の中を肩を並べて歩いていた。広々とした空間だった。外から見ると三階建てと見える建物の内部は、実際には天井の高い一つの大部屋になっている。たくさんの窓から差し込む日差しのおかげで、室内は明るく快適だ。
 窯や大鍋、木製の長テーブルなどが整然と配置され、職人たちがてきぱきと作業を進めていた。

 忙しげにガラス瓶を磨いている職人の一人が、親しげにヴォルダに声をかけた。ヴォルダも笑顔で言葉を返した。なごやかな雰囲気が漂っていた。

 ロランは僕らと少し離れて、肩をいからせ、ぶしつけな鋭い視線を工房内の至る所に投げかけながら歩いていた。完全に、聖職者ではなくチンピラの態度だった。
 不意に、尖った声で僕らのやり取りに割り込んできた。

ここでの仕事がキツ過ぎて健康を害した、ってことはないのか?

 また来たな。穏やかな雰囲気を一瞬でぶち壊す、真っ向ストレートの暴言だ。

 僕は身の縮む思いで首をすくめる。

 ヴォルダは笑顔を崩さなかった。でも周囲の温度がすーっと下がったような気がした。

……どういうことです?
何人もの人間が手分けして一つの製品を仕上げるってことは、誰か一人でもついていけない奴がいれば、全体の作業が止まっちまうってことだ。
朝から晩まで一瞬も気を抜かず、常に周りに合わせて一定の速さで働き続ける……あんたが職人に求めてるのは要するにそういう事だろ。人間に、自動工具になれと言ってるわけだ。そんなんじゃ体を壊す奴が出るんじゃねえのか?

……それに、聞いた話じゃ、この工房の窯は決して火を落とさねえんだってな。昼も夜も製造を続けていると。働いてる連中をちゃんと休ませてやってんのか?

 ヴォルダはしばらく答えなかった。どんな憤慨の表情を浮かべているだろう、と思ったが意外にも彼はまだ笑顔だった。ずいぶん失礼な事を言われているのに、気分を害した様子もない。

……夜も窯の火を落とさずにいるのはね、人より多く働きたいという職人に機会を与えるためですよ。うちでは働いた者にはその分だけ賃金で報いることにしていますので。
皆よくやってくれます。
無理をしてでも夜中に働くように、私から指示したことは一度もありませんよ。
その割に、コイツらみんな顔色悪いぜ。くたばる一歩手前みたいな(つら)してんじゃねーか。
たしかに今はちょっと疲れ気味かもしれません。大口の注文が入って、しばらく忙しかったのでね。でも、休めばすぐ良くなる程度のものですよ。
お疑いでしたら、ここで働く者、誰にでも尋ねてみてください。私に深夜の作業を強制されているのかと。
答えは、間違いなく『否』です。誰に訊いてもらってもいい。

 ヴォルダの応対は立派だった。落ち着いていて、堂々としていて、揺らぎがない。まさしく良心に曇りのない人の態度だ。

ちっ。
 ロランがそっぽを向く。――今、舌打ちしただろ? ちゃんと聞こえたぞ! なんて失礼な奴だ。


 僕は何げなく周囲を見回した。

…………!

 ロランに指摘されるまで気づかなかった。たしかにどの職人も、目のまわりがどす黒く縁取られている。(くま)ができているのだ。ひどく疲れきっているのは明らかだ。表情だけはやけに朗らかなのだが――。



 ヴォルダはふと足を止め、こちらに向き直った。両腕を大きく広げ、辺り全体を包み込むような仕草をした。

ご覧ください、使徒様。ここにはまったく新しい形の『労働』があるのです。あなた方がよくご存知の古い形の労働とは違っているので、初めは受け入れがたいのも無理はありませんが。

人と人とが力を合わせることによって、より大きな結果を生み出す。
一足す一が二ではなく十にも百にもなる。
それが分業の力。それが効率化というものです。すばらしくありませんか?

この工房の成功は、人が協力し合うことの尊さを示す証拠なのですよ。
人の和を尊ぶのは神の御教えにもかなっていると思うのですが、いかがです?
ええ……そうですね。

 僕は相手の熱意に押され、あいまいにうなずいた。整頓された工房内で大勢の人間が休まず作業を進めている様子には、たしかにある種の美しさがあるな、と思いながら。

私は予言します。ここ数年のうちに、このような種類の労働が国じゅうに広まっていくだろうと。なぜならこれは、神にも祝福された仕組みであり、万人に幸福をもたらす仕組みだからです。

 ヴォルダは瞳を輝かせ、夢見る人の熱意をもって語った。
 「進歩」を語るとき、人は往々にしてこういう憑かれたような表情をする。

 進歩について論じるのは僕の意図ではなかったので、話を本題へ戻させてもらうことにした。

ところで、《生命の欠片》というのをご存じですか?

 ヴォルダは夢から現実に引き戻されたという風情で、急にまじめな顔になって僕をみつめた。

私はアレリーズで薬師をしておりましたから、噂だけは聞いたことがあります。人の生命を燃え上がらせる禁断の薬だと。それが何か?
このカロリック大平原で《生命の欠片》が手に入るでしょうか? その、つまり……そういう薬を作ったり、売ったりしている人物の話をお聞きになったことはありませんか?
それは……もしかすると、タクマインのことと何か関係が?
う……!

 僕は返事につまった。どこまで打ち明けていいのか、とっさに判断できなかった。

 ヴォルダは穏やかに微笑んだ。
 こちらの動揺を見て取りつつも、それを追及したりせず、その場をなごやかに収めようとする。大人の態度だ。

聞いたことがありませんな。そもそも本当に存在するのでしょうか、そんな絵空事のような薬が? 
私も名前だけは聞いていますが……実際にそれが作られたとか、販売されているとか、そういう話は聞いたことがありませんぞ。
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登場人物紹介

シグルド・エスフェル

ドヴァラス正教の使徒。布教のために大陸各地を旅して回っている。
まじめで善良で素直な性格。その反面、不器用で、猪突猛進なところがある。人を助けるのに一生懸命になるあまり、免罪符を売るのを忘れてしまうことが多く、教団内ではあまり評価が高くない。


神学校に入るまでは、山奥の木こりの息子として林業に励んでいた。そのため、筋骨隆々で、常人離れした怪力を誇る。でも不器用なので、自分の力をときどきうまく制御できない。

ロラン・トリスティス

ドヴァラス正教の使徒。シグルドの同行者。

身長が低く、そのことにコンプレックスを持っている。喧嘩っ早くてひねくれた性格。「人を助けたい」などとはこれっぽっちも思っていないが、免罪符の販売にかけては抜群の手腕を発揮し、教団内での評価は高い。
規格外れの法力を持ち、法術の天才と呼ばれている。
意外と物知り。経歴は謎に包まれているが、たぶんろくな人生は送ってきていない。

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