26. 〝太陽と月に背いて〟-2
文字数 1,390文字
「司馬さんは、あらゆる面でリーダーに適した人物でした。知能、運動能力は高く、責任感に溢れ、面倒見がよくて。自分の運命を呪っていた俺たちにとって、希望そのものでした。〝月〟の中でも最も重篤なはずなのに」
「何となくわかるよ。『月は見ている』の講演会で、俺は何度か会ってるし、少し話をしたことがあるが、同じ年とはとても思えなかった。朝刊で名前を見た時は驚いたよ。そうか、それが今、君が俺を拉致してる理由か」
完全に戻った視界を確認し、幌の隙間から通り過ぎた道を見やる。
「それもあります。今になってみれば、司馬さんは、ウルヴズと月の、何らかの形での協力や融和を模索していたと思います。〝月〟の多くは、多分人より短い人生に葛藤しながら前向きに生きています。警察官、医療関係者、教育者、法曹関係、マスコミなど、様々な分野で活躍しています。中には自身の悲劇を嘆き、自滅してしまった者もいますが、それでも、被害者の多くが運命に抗えたのは司馬さんのおかげです。〝月〟だけじゃありません。もちろん職場の人たちも、司馬さんに助けられた人は大勢います。それまでバラバラだった地方自治体毎の自然保護活動を、県をまたいでネットワーク化したのも、司馬さんの功績です」
振動が大きくなる。幌を静かに広げ、屋根を逆手で持つ。
「念のために言いますが、我々と自治体の〝月〟は、司馬さんを除けば関係ありません」
「さっきも訊いたけど、箙君は君のこの行動も想定したのかな?」
「それはわかりません。ただ、司馬さんには別の協力者がいるのでは?とも囁かれていました。俺たちは誰一人として会ったことがありませんでしたが。おそらく司馬さんは、少なくともこの地域で納品されるウルヴズの正体を知っていたのでしょう。〝村〟を警戒して我々に言わなかっただけで。ただ、いろいろな思惑が積み重なり、鎖のように絡み合うことで、『ウルヴズカスケード』は危ういながらも均衡がとれた状態になっていました。そのおかげで一時的には安定しています。ウルヴズはモルモットになることから免れ、〝月〟は揶揄や魔女狩りから逃れることができている。でも、それは同時に四方を檻に囲まれて安心している状態です。今回の事件は、そこから踏み出すための第一歩。強盗犯を装った仲間が拘束され、司馬さんがガウスを捉えるまでは完璧に計画通りでした。ところが司馬さんは、無線を切り、ガウスのゴーグルとマスクを剥ぐ前に仲間の解放を求め、そして失敗した。仲間なら数日で解放されるのに、司馬さんがなぜあんな行動を取ったのか?その答えは永遠の謎になってしまいましたが」
道が一度下り坂になった。速度の変化と車の揺れに合わせてあおりを蹴り、逆上がりの要領で幌の屋根に上がる。骨組みで体を支えながら向きを変え、這って運転席に向かう。しかし車が左右に触れ、それから右に横滑りした。
激しいタイヤ音が鳴り響く。屋根の端を掴んで落下を防ぎながら運転席側を覗き込む。ガードレールが切れた崖際で車が停止し、視界の端に、開いた扉と熊笹の藪が生い茂る崖を転げ落ちていく黒ずくめの姿、ライダースーツとヘルメットが見えた。
幌から飛び降りて扉が開いたままの運転席を見るが、仕切り窓が黒布で塞がれたそこにはもう誰もいない。もう一度崖下を覗き込むが、崖の下方でセルモーターが回る音だけが微かに聴こえた。
「何となくわかるよ。『月は見ている』の講演会で、俺は何度か会ってるし、少し話をしたことがあるが、同じ年とはとても思えなかった。朝刊で名前を見た時は驚いたよ。そうか、それが今、君が俺を拉致してる理由か」
完全に戻った視界を確認し、幌の隙間から通り過ぎた道を見やる。
「それもあります。今になってみれば、司馬さんは、ウルヴズと月の、何らかの形での協力や融和を模索していたと思います。〝月〟の多くは、多分人より短い人生に葛藤しながら前向きに生きています。警察官、医療関係者、教育者、法曹関係、マスコミなど、様々な分野で活躍しています。中には自身の悲劇を嘆き、自滅してしまった者もいますが、それでも、被害者の多くが運命に抗えたのは司馬さんのおかげです。〝月〟だけじゃありません。もちろん職場の人たちも、司馬さんに助けられた人は大勢います。それまでバラバラだった地方自治体毎の自然保護活動を、県をまたいでネットワーク化したのも、司馬さんの功績です」
振動が大きくなる。幌を静かに広げ、屋根を逆手で持つ。
「念のために言いますが、我々と自治体の〝月〟は、司馬さんを除けば関係ありません」
「さっきも訊いたけど、箙君は君のこの行動も想定したのかな?」
「それはわかりません。ただ、司馬さんには別の協力者がいるのでは?とも囁かれていました。俺たちは誰一人として会ったことがありませんでしたが。おそらく司馬さんは、少なくともこの地域で納品されるウルヴズの正体を知っていたのでしょう。〝村〟を警戒して我々に言わなかっただけで。ただ、いろいろな思惑が積み重なり、鎖のように絡み合うことで、『ウルヴズカスケード』は危ういながらも均衡がとれた状態になっていました。そのおかげで一時的には安定しています。ウルヴズはモルモットになることから免れ、〝月〟は揶揄や魔女狩りから逃れることができている。でも、それは同時に四方を檻に囲まれて安心している状態です。今回の事件は、そこから踏み出すための第一歩。強盗犯を装った仲間が拘束され、司馬さんがガウスを捉えるまでは完璧に計画通りでした。ところが司馬さんは、無線を切り、ガウスのゴーグルとマスクを剥ぐ前に仲間の解放を求め、そして失敗した。仲間なら数日で解放されるのに、司馬さんがなぜあんな行動を取ったのか?その答えは永遠の謎になってしまいましたが」
道が一度下り坂になった。速度の変化と車の揺れに合わせてあおりを蹴り、逆上がりの要領で幌の屋根に上がる。骨組みで体を支えながら向きを変え、這って運転席に向かう。しかし車が左右に触れ、それから右に横滑りした。
激しいタイヤ音が鳴り響く。屋根の端を掴んで落下を防ぎながら運転席側を覗き込む。ガードレールが切れた崖際で車が停止し、視界の端に、開いた扉と熊笹の藪が生い茂る崖を転げ落ちていく黒ずくめの姿、ライダースーツとヘルメットが見えた。
幌から飛び降りて扉が開いたままの運転席を見るが、仕切り窓が黒布で塞がれたそこにはもう誰もいない。もう一度崖下を覗き込むが、崖の下方でセルモーターが回る音だけが微かに聴こえた。