「学園」の凋落

文字数 2,485文字

「三十二人の「学園」の生徒が死亡した」
 背後から朝永の声が聞こえた。僕は滑空機の整備をしており、そちらには顔を向けない。返事をすることもない。どうでもよい報告だったからだ。
 僕の左手には影が伸びている。声のした方から察するに朝永の影だ。また、右手にも影が一つ伸びている。推測するに、砂川の影だろう。ここ数日、二人はともに行動することが多かったからだ。
「「町」との闘争が激化した結果、殺害されたわけではない。三十二人の死因を聞くかい?」
「僕にとって、三十二人の「学園」の生徒がどのような形で死亡しようと、日課が変わるものではない。だから話すか話さないかは朝永に任せる。お前が話したければ話せ」
 僕はやはり滑空機に手入れをしながら、朝永の方を見ずに答えた。
「きみは自分には関係がないようなことだと振る舞っているが、もしかしたら何かしらの印象を受けるかもしれない。だから話す。三十二人の死因は自殺だ。同じ教室の中で、全裸の男女が三十二人死んでいるのが今朝発見された。集団自殺と見て間違いない。教室にはLSDを保存していた瓶が複数発見された。また砒素の錠剤も発見された。直接の死因は砒素による中毒症状だ。LSDは自殺する前に服用していたものと思われる」
「集団自殺か。この「学園」にLSDが出回っている以上、籠城による重度の不安から自害したような平凡なものではあるまい。僕が思うに、もっと精神宇宙の深い部分から啓示を受け取った複雑なものだ」
「きみの言う、平凡ではない、複雑な自殺の原因とは何かな? 実を言えば、教えていなかっただけで、自殺者はたびたび出ていた。そのすべての人間は自殺の前に鬱病を思わせる行動や発言を取っていた。要するに平凡な自殺者はいたのだよ」
「答えようのない質問だな。その答えは無限にあると同時に、一人ひとり異なるからな。それでもお前は僕に何か答えるように期待している。僕にもその期待に応えるくらいの気概はある。だがこれから答えることは集団心理ではなく、個人の心理であることを留意してほしい。芸術家の中には、他人からはまったく理解できない理由によって自殺した人間が少なからずいる。連綿と続く研究者たちが数百年かけてもその本質を解明できないことも稀ではない。芸術家たちはただ生きているだけの人間には到達できない領域へと踏み込むのが仕事だ。その領域を人智を超えた場所とまでは呼ばない。しかしそこに到達できるのは確かに一世紀に一人いるかいないかだ。その人類にとって未知の領域からの啓示によって、自殺へと駆り立てられたとしても、おかしいことは何もない」
「芸術家だけでなく、宗教家も同じ宿命を背負っています。彼らは人々が踏み込むことのできない、世界の仕組みを至高の座に座るものの代わりに膾炙しなくてはなりません。そこにはもちろん、論理や技術、そして何よりも倫理が必要です」
 ようやく砂川が口を開いた。そしてそのことによって、僕はやはり朝永とともにいたのは砂川だと確信した。
「人間の生きる領域を超えた人間の生き様を僕は知らない。僕は人間の分から飛び出すことのできない人間だからな。だから複雑な自殺の原因を聞かれたとして、それが無限にあるにしても、僕には具体例を挙げることができない。ただ、その存在を示唆するだけだ。しかし今回の件は集団自殺だ。はっきり言って、集団自殺の心理は平凡からは逸脱している。確かに、歴史を振り返れば、その前例がまったくないわけではない。だがそのすべては人間の領分から飛び越えたものだと断定していいだろう。自殺した三十二人はLSDによって、自殺を肯定する領域へと踏み込んだ。その場所は人智を超えているわけではないが、確実に異常な場所だ。自殺を肯定する論理は人々が共有してはいけない意識の一つだ。もしかしたら、この「学園」にもその論理を持っている人間はいたのかもしれない。しかし以前に集団自殺が起きなかったことを考えると、その意識は共有されていなかったのだろう。今回の件では、自殺を肯定する論理が三十二人のあいだで共有された。通じてはならない経路が通じた。三十二人はLSDによって、人間が到達してはならない領域に到達した。そもそもこの「学園」が存在するのは、人間が通じてはいけない経路を通じないためだ。もしも特異な意識に対して何の手段も講じなければ、全人類が自殺することだってあり得る」
「きみの理論の一つである、「人間のあいだに通じてはならない経路」が通じたことは理解した。けれども、きみはその意識の内容はわからないと主張する」
「そうだ。その意識は僕たちの生を超越した場所にある。僕たちの視力では、そこはあまりにも暗黒であるために届かない。まるで深海の底を覗き込むようだ。そしてその領域に踏み込んだ三十二人が死んだ以上、その意識を探ることもできない。死んだ人間は喋らないからな。その意識は再び、世界の底に沈んだ。僕たちが人間である以上、世界には踏み込むことのできない場所がある。芸術家や宗教家は覚醒剤や幻覚剤を用いてでも、その領域に踏み込もうとしてきた。そして人類の積み上げてきた論理や技術を用いて、それを記述しようとした。このあたりの話を昨日、砂川としたんだ。僕が言いたいことは、まっとうに生きるならば、人間が共有することを許された意識だけを持ち、その他に対しては無知であるべきだ、ということだ。ただ一つ、気になることがある。自殺した人たちは「学園」の籠城にとって重要な地位に就いていたのか?」
「まったく。今の「学園」を運営しているろくでなしどもからLSDを餌に搾取されていた奴らだ。この事件によって、籠城に致命的な支障はでない。もっとも籠城そのものが崩壊するのも時間の問題だが」
「つまり、世界から必要とされていない人間が、LSDによって人類の踏み込んではいけない領域に踏み込んだというわけだな。すまないが、砂川と二人で話がしたい。そこにいるのは砂川だろう?」
「それは構わないが。私は一時間ほど席を外せばいいのか?」
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登場人物紹介

桑江英(くわえはなぶさ)

「町」から精神的に欠落していると判断され、「学園」に収容されている青年。
自分の存在を確認するために設計上飛ぶことのできない滑空機の組立と解体を繰り返す。
物事を唯心論的な方面から解釈する癖がある。

朝永夏子(ともながなつこ)

「学園」の生徒の一人。
現代物理学に精通している。
量子力学が専門で、相対性理論と散逸構造論にはそこまで言及しない。

砂川絹(すなかわきぬ)

「町」を支配する教会の修道女。
「町」に対抗を試みる「学園」に人質として誘拐される。
宗派はカトリックで、特にトマス・アクィナスに傾倒している。

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