隔離世ドライブ

文字数 1,998文字

 ──具合が悪いと、居間のソファで横になったのまでは覚えている。

 寝たのは夕方過ぎだったか、起きると外は薄暗くなっていた。
 今は何時だろうか。身体を起こすと思いのほかに軽く、すっかり体調は回復していた。手足を動かして反応を確かめる。加えて、昨晩から悩まされていた酷い頭痛が嘘のように消え去っていた。
 ……だが、何かが変だ。周囲の音が静かすぎる。
 咄嗟(とっさ)にリモコンを手にしてテレビを点けようとしたが不思議と電源が入らない。おかしなことに壁掛け時計の針まで止まっている。とはいえ、部屋の明かりはついてることから電気は通っているのだろう。
 外灯の明かりに誘われるように、私は上着を手にして玄関を飛び出す。やはり、外は異様なほど(しず)まり返っている。街の様子は一体どうなっているのか。何か不測の事態でも起きたのではなかろうか。
 そして、少し先にある高台へ移動して更に驚いた。そこから見える国道に車が一台も走っていないではないか……。

 ──ありえない。たとえ東京の下町でも、これはありえなかった。

 呆然と佇んでいると、バイクで何者かが坂を上がってくるのが見える。
 古そうなバイクだがそれが若い男だと直ぐに分かった。私は戸惑いつつもバイクが来るのを待つしかない。その場から離れようとも考えたが、いまは一刻も早く状況を知りたかった。

 ──「おいっす、久しいなっ!」

 そう明るく手を挙げて、男は颯爽とゴーグルを取ってみせる。
 瞬間、私は目を疑った。そいつは大学時代の友人の『アダチ』だった。しかも若かりし頃のアダチだ。しばし狼狽して、動揺し混乱する。何故ならば、二十年以上も前に彼は亡くなっていたからだ。葬式に行ったのもよく覚えている。この世に存在する筈もない男を前にして、私は言葉を失った。同時に、自分の身に起きたことを徐々に理解し始めたのだった。
「もう気づいてんだろう? 察しのいいおまえさんなら」
「……ああ、そうか。なるほどね」
「いつも冷静だったな。おつかれさん」
「つまり、私は死んでしまったと?」
 アダチは無言でバイクのサイドミラーを私に向けた。
 すると、そこに映っているのは二十歳前後の自分の姿だった。
 唖然としながら顔の肌を触り、呆気に囚われていると「ここは隔離世ってやつさ。現世とあの世を繋ぐ狭間(はざま)……。話ぐらいは聴いたことあるだろう?」と付け加え、アダチはバイクの後ろに乗るように促す。
「おい、説明してくれ。いったい、何がどうなってる」
「まあ、そう急かすなって。俺なら、あの世への水先案内人ってとこだ。それと現世のことも心配すんな。遺体も腐敗する前に家族が直ぐ掛けつけてくれたし、葬儀も問題なく執り行われた」
 そう話している内に、私を乗せたバイクは緩やかに発進する。
 どうやら、自分が亡くなってからそれなりの時間が経っていたようだ。老後の一人暮らしは心配だからと、甥のスマホに紐付けされていた緊急アプリが役に立ったのだろう。
「アダチ。私は、これから〝あの世〟にいくのか?」
「……それは、着いてからのお楽しみってな。でも、絶対に笑うよ。それだけは保証する」
 と、アダチは何とも愉快そうに微笑む。
 バイクは中山道から山手通りに入り、要町、椎名町方面へと向かう。
 身に受ける風はとても心地よく、軽快なエンジン音が鳴り響く。道路沿いに立ち並ぶ建物は現世と全く一緒で、よく買い物をした量販店まで上手く再現されていた。恐らく、これが見納めになるのだろう……と、私は住み慣れた景色を目に焼き付けていた。
「これから、とあるトンネルに入る。抜けた先が最初の目的地だ」
「トンネルだって?」
「首都高の山手トンネルだよ」
 と、アダチはアクセルを一気に蒸して、首都高の入り口へと勢いよく突入してゆく。やがて筒状のトンネルから地下へくだり『黄泉の国』と書かれた電光掲示板が現れた。なかなか皮肉の効いた演出だ。他にも別の車道から黒いタクシーが合流し、あの世へ向かっているのが自分だけでは無いと分かった。
「これなら、死ぬも悪くなかったな」
「何を言ってんだ。これからが〝本番〟なんだよ」
「まさか、終わりじゃないのか?」
「直ぐにトンネルの出口だ。少し、飛ばすぞっ!」
 エンジンが唸りを上げ、バイクは更に加速してゆく。身体が遠心力で後方に引っ張られる。次第みえてくる出口の白い点が明るくなるに連れ、私の胸は期待で膨んだ。先に逝ってしまった仲間が向こうで待っている気がする。少し照れ臭く、なんと声を掛ければよいだろうか。
 その刹那、トンネルの先に広がる絶景を見て、私は感嘆の声をあげた。
 出口まであと数十メートル。目に飛び込んでくる全てのものが美しく、朧げだった意識が一斉に覚醒してゆく。そうか、そうだったのか。私は笑っていた。アダチの予告通り、私は声をあげて笑っていた。

 ──流転する永久不滅の記憶。

 ──やがて、世界の奥深さを知るのだった。
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