「神様がいるなら」

文字数 1,426文字

「神様がいるなら」

 声が聞こえて、目を覚ました。
 声が聞こえたからなのか、朝だから目が覚めたのか。意識がはっきりしないままベッドから身体を起こした。
 手の甲で右目を執拗にこすって、目頭と目尻に溜まった目ヤニの塊を取り除いた。スッキリしたなあ。とお気楽なことを思いながら、朝立ちをしたままのペニスを掻いて便所に向かった。
 うんざりするほど汚れた便器に小便を流し込んでいる間、さっき聞いた声について考えていた。
 あの声は間違いなく、村瀬を呼ぶ声だった。はっきりとした意思がそこに存在し、その想いが質量を持ったように体内に固まりとなって残っていたのが証拠だった。
「朝から変なことが起きたものだなあ」と他人事のように声に出した。
 そうやってわざとらしく上の空を決め込んでいても、村瀬には先ほどの声の主は一体誰なのか。また、あの言葉はどういう意味なのか気がかりで仕方がなかった。
 そろそろ仕事に行かなくては、時刻はすでに5時半を回っていた。もう忘れよう。今度は心の中ではっきりと呟いて、仕事へと向かった。

 この日は遅くまで残業することになった。
 明日から一週間。北陸へ長期出張であった為、その訪問先での商談で使う資料作成を間に合わす必要があったからだ。
「――」
 また、声が聞こえた。
 村瀬はタイピングの手を止めた。そして顔を上げて周囲を見渡した。
 目前には普段と変わらないオフィスの風景があるだけで、その声の発生源などある訳も無い。
 時刻はすでに24時を回っていた。オフィスには村瀬以外の誰も残ってはいなかった。
「疲れてるのかな」
 なんて声に出して気を紛らわしてみたが、紛れる訳もない。
 自分の声が消えて更にシーンとした静寂が余計にうるさく感じ、見慣れたオフィスがB級ホラー映画のセットのように小気味悪く思えた。その日は怯えながらも駆け足で資料を仕上げた。

 翌朝、また誰かの声に起こされた。
 朝がきたから起きた。そう言い張るにはどんな言い訳も付かなくなっていた。
 映画で見るような説明のつかない現象に、苦笑いを浮かべながらも支度をして家を出た。
 今日から一週間の出張なのだ。
 あの声の主は、自宅に張り付いた地縛霊なのかもしれない。そうであれば出張先では解放されるに違いないと思った。
 その予感は的中した。村瀬が出張先で寝泊まりしている間、一度も声を聞くことはなかった。
「原因はあの部屋にある。すぐに引っ越そう」
 声の出所が確信に変わった時、村瀬は少しだけ安堵した。
 これ以上長くあの正体不明の声を聞き続ければ、ただでは済まないかもしれない。平静を保てている間に逃げるべきだと思った。

 出張を終えて、自宅に帰宅した。
 普段であれば、出張疲れの身体を癒す為にのんびりと過ごすのだが、どうも落ち着かなくて、どんな物音にも反応するほど怯えて過ごしていた。
 今晩寝るとまた、朝にはあの声を聞かないといけない。そう思うと不安でその日は眠れなかった。だから、近所にあるレンタルビデオショップで何本かDVD借りて、それで一夜を過ごすことにした。
 明日には不動産屋に行って、別の部屋を探そう。そう思っていたが、朝になって気が変わった。
 声が聞こえたのだ。
「問題は君の中にある」
 確かにそう聞こえた。
 村瀬は深く考え込んだ。


                       2019年2月12日 執筆
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