第一章(三) こんなことになろうとは

文字数 2,939文字

 馬頭に連れられて、別の出口から裏に出た。
 二十階建てのビルの陰に、八角形の二階建ての建物があった。敷地面積はビルの六分の一。見た目の印象からすると、由緒(ゆいしょ)のある古く大きな中華料理屋といったところだ。
「目の前の建物が仙徒済の建物? ビルと比べると、すいぶん小さいね」
「いいえ、目の前の建物は、中華料理屋ですよ。ウチら獄卒が、飯を食ったり、茶を飲んだりする場所ですよ。仙徒済の受付もありますが」

 中華料理屋の一階には喫茶コーナーと売店があって、二階が食堂だった。
 食堂の出口の隅に、仙徒済の受付はあった。四角いダンボールでできた小屋に『仙徒済』の看板は掛かっていた。
 仙徒済の建物は宝籤(たからくじ)売り場のように小さいスペースしかなかった。鬼の身長が人間の二倍強なので、宝籤売り場ほどの大きさのダンボール・ハウスの見窄(みすぼ)らしさといったら、悲しくなるほど惨めだった。

 仙徒済の前に来ると馬頭が「では、仕事に戻りますので」と帰って行った。
 馬頭の後姿が、厄介払(やっかいばら)いができて清々しているように見えた。気のせいだ、と天笠は自らに言い聞かせた。

 仙徒済のダンボール・ハウスには、障子のような窓があった。窓は閉まっていた。
 中から人の気配はしなかった。ダンボール・ハウスも、人がいなければ、単なる箱。
 窓の下には、呼び鈴が置いてあったので、鳴らしてみた。小さく、もの悲しい音が、辺りに響いた。
 なにも起きなかった。時間を置いて数回しつこく鳴らしてみたが。やはり誰も出てこなかった。

托鉢(たくはつ)しているのに誰も相手にしてくれない坊さんの気分だな。もっとも、今は死人だから、供養(くよう)してもらう立場だけど」
 他に行く場所もない。食堂から出てくる獄卒の視線が気になるが、静かに鈴を鳴らして待った。時計がないので、どれほど時間が経ったかわからないが、三十分は優に待った。

 背後から人が近づいてくる気配がした。振り返ると天笠と同じくらいの背丈の老人がいた。
 老人は白髪だった。顔には深い皺が刻まれ、見事な顎鬚(あごひげ)を蓄えていた。これで、ゆったりとした白い着物を着て、杖でも持っていれば、仙人に見えただろう。

 だが、老人の着ていた服は料理人の着る白い服だったので、中華料理屋の主人にしか見えなかった。
「すいません、仙人用の受付はこちらと聞いたのですが、どうすればいいんですかね」
 老人が、ちょっと首を傾げて訊いてきた。
「見ない顔だけど、誰のお弟子さん?」

「師匠はいないです。気が付いたら屍解していて、仙人になっていたました。ひょっとして、紹介がいないと、ダメですか?」
「紹介は必須ではないよ。ただ、仙人には、たいてい師匠がいるからね。師匠がわかると、話が早いんだよ。仙人社会は村社会だからね。でも、いいよ、久しぶりのお客さんだ。少し待ってくれ。今、着替えてくるから」

 老人はダンボール・ハウスのドアを開けて入った。
 次の瞬間には、老人は道教の導師風の服に着替えて、窓から顔を出した。ちょっとした手品を見ているようだった。
「どうも、こんにちは。仙徒済の当番仙人の秋風(しゅうふう)道人です」
「こんにちは、天笠庵といいます」

「では、まず、仙徒済の概要について書かれた書物を渡すよ」
 冊子を渡すと発言したが、秋風道人が出した物体は紐で繋がった細い木の束だった。
「なんだ」と思って広げたら、漢字らしき文字が書いてあった。
「これ、なんですか?」と聞くと「木簡(もっかん)」と返って来た。

 木簡とは、紙が普及する前に、使われていた文字を記した木片。高校の歴史の授業は初めて役に立った気がした。
 木簡が何かは、わかった。だが、何を書いているのか、全くわからなかった。
 というか、本当に木簡なんて使っているのか、僧侶頭巾の牛頭はノート・パソコンを使っていたぞ。

「全く読めないですけど、他にはないんですか」
「日本の古い文字は、ワシにも読めんよ。ワシはこれでも明の時代に生まれたからね。ただ、君の前に仙人になった日本人に説明するために使われた書物が、眼の前の木簡なわけよ。それ以降、日本人で仙徒済に所属する人がいなかったら、手元の木簡しか残っていないね。必要なら、君が作るしかないかな」

「本の内容を知りたいだけなのに、自分で作れとは、これいかに?」が正直な感想だ。
 でも、言うと余計ややこしくなりそうなので、もっと簡単に済ませた。
「言葉で説明してくれる行為は、可能ですか」
「可能だけど、説明とか、ワシは不得意だよ。保険の約款(やっかん)とかは、読まずに捨てる仙人だからね。」

 無邪気な笑顔を浮かべて、秋風道人は付け加えた。
「あと、保険は仙人でも入れるよ。保険会社も、不老不死で健康な仙人は、いいお客さんみたいだし。よかったら、保険について話そうか」
 不老不死の仙人が何に備えるのかわからないが、保険の話はしないほうがいい。保険好きの人間に保険の話をすると、話は長いわ、加入を勧めてくるわだ。

 しかも、保険の外交員よりも知識があるから、下手に話を聞くと逃げられなくなる。
「保険は仙人生活が落ち着いたら、その時に聞きに来ます。それで、仙徒済に入るに当たっての説明を、お願いします」
 秋風道人は、いささか残念だ、といった顔で話し出した。
「保険、いいのが、あるのになあ。長生きするなら、世界終末保険とか、お勧めなんだけど。まあ、嫌なら無理に勧めんよ。でも、本当に保険の説明は、要らない?」

()りません」断固とした態度で断った。
 秋風道人は記憶を辿る仕草をしながら、何かを思い出すように話した。
「仙徒済の説明をするけど、うろ覚えだからね。要は、会費を滞納せずに払え。会合に極力、顔を出せ。仙人同士で争うな。だった、かな。もっとも、会費は位が上がって地仙クラスだから、屍解仙の天笠君には、関係ないかな」

 仙人にもランクがあると聞いた覚えがある。念のために確認した。
「屍解仙が一番下で、次が地仙で、最後は天仙の三階級ですか」
「だいたい、そうだよ。でも、少し前から、地仙以下は階級が上位下位で二つにわけているから、天笠くんは最下位の下位屍解仙になるね」

 状況がわかってきた。とりあえず仙徒済に加入する決断をした。加入申し込みの木簡に油性ペンで名前を記入した。
「記入は終わりました。それで、仙人界に行くには、どうしたら良いのですか」
「仙人界には行けないよ。仙人界に入れる位は上位屍解仙からだからね。下位屍解仙は下界で修行を積むしかないね。もっとも、なにか国家レベルで功績があれば、位が上げられるけど、国家貢献レベルの業績って、ある?」

 あるわけがない。国家レベルで貢献していれば、試食人にはならず、変な料理を食べさせられて死なずに済んだ。
「放火の現場に居合わせて、消火活動を行って、消防署から賞状を貰ったのが最高ですね」
「火災を食い止めた行為は、褒めるに値するけどね。仙人の功績としては、ちと足りないね。では、ちょっと待っていてね」
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