「胎内記憶」が「ある」ってどういうこと?
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先天性難聴の検査のために、母親のお腹越しに胎児に音を聞かせて、心拍数の変化を測定するという検査方法が研究されているわ。ということは、胎児も「音を聞く」という経験はしていることになるわね。そのことを覚えていられるかどうかはともかくとして。
そういうわけで、胎内記憶とは別に、「お母さんのお腹に来る前についての記憶」を中間生記憶と呼ぶことがあるわ。前世と現世の間に、ヘブライの伝承にあるガフの部屋のような場所があるイメージね。
さらにその前の、前世記憶を語り出した人が世間の耳目を集めた例もあるわね。
精神と肉体を分けることはできないという考え方もあるからね。一元論というんだけど。これに対して、精神と肉体とは別々の法則によって成り立っていると考えるのが、二元論よ。このことについて議論するとややこしくなるから、「この図の上では分けられるものとして扱う」ことにするわ。
なぜこういうことを考えるかというと、肉体的基盤に関する知識だけで反証したつもりになってしまわないようによ。確かに、人間の肉体的基盤の発生は卵子と精子の接合によるのであって、それ以外の何かが胎内に進入するという物的証拠はない。でも、二元論的立場から「物質的な何かではなく、赤ちゃんの精神がお母さんのお腹に入ったのだ」と主張する余地は残っているから、それだけでは反証したことにならないのよ。
ごめんなさい。かえってややこしくなっちゃったわね。今はこのことは考えなくてオーケーよ。
さて、さっきの図は、疑問Aが示す「出生前の人が経験するかもしれないこと」については書かれているけど、疑問Bが示す「記憶」についてはまだ書かれていないから、それを書き入れてみましょう。