(二・二)東京

文字数 3,262文字

 こうして十九歳の誕生日、東京に出て来たの。二十二歳の誕生日までの三年間だけ、東京で暮らす約束で。重たいスーツケースを引きずりながら、鹿児島まで飛行機、それから博多まで出て新幹線。初めて降りた東京は、東京駅のホームだった。
 まず初めて見る大都会の人の多さに丸で大きな河を見ているようで圧倒され、しばらく呆然と立ち尽くしていた。気を取り直し、その足で住所を頼りに、警察にも聞いて、何とか辿り着いた渡辺瞬の住む日暮里のマンション。でも行き成りそこで躓いたの。
 わたしばかだから、最初に電話しとけば良かったのに、突然訪ねて驚かしてやろうなんて思ったの。ドアを叩いて、誰ってドアを開けた瞬、わたしを見るなり唖然。何でお前ここいる訳みたいな顔で、しばしわたしの顔と荷物を交互に見詰めてた。それから、何の用、なんて冷たい態度で言うの。あれっ、意外な反応にわたしもどうしようなんて焦っちゃって。そしたら、何してんのって部屋の中から女が現れて、うん彼女。あいつもう彼女つくってたの。ええっ、て今度はわたしの方が唖然。でも結局部屋にも入れてくれず、そのまま体良く追っ払われちゃった。
 どうしよう、見知らぬ東京の路上にひとりぼっち、重たいスーツケースを抱え、文字通り路頭に迷ったわたし。やばい、何処に行けばいいんだろう。不安で心配で涙出そうで、お母さんに泣き付こうって無我夢中で近くの公衆電話ボックスに駆け込んだの。今からそっち帰るからって、冷たい受話器を握り締め、テレホンカード挿し込んで、ダイヤル、でも……、咄嗟に受話器を置いたわたし。お母さんに心配掛けたくないって思って。
 とりあえずその日は上野のビジネスホテルに泊まって、明日帰ることにしたの。折角東京出て来たのにたった一日で帰るなんて勿体ないけど、頼れる人もいないし宛てだって何もないんだから仕方ないよねって諦めて。
 でも、朝起きたら、急に気が変わったの。目が覚めて窓を開けたら、東京のノイズが聴こえて来てね、人波とか駅前のざわめき。それがとっても活気があって、窓から見下ろす東京の朝の景色についつい見惚れちゃって。わあ、ここが東京なんだ、凄いなあって。わたし今東京にいるのに、このまま何もせずに帰っちゃうなんて勿体ないよ絶対。折角来たんだから、もう少しこっちで頑張ってみようかなあって、そんな気持ちになってたの。
 とりあえずホテルを一泊延ばして、じゃどうしようって一生懸命考えて、寮付きのバイトを見付けることにしたの。早速上野の街に出て、商店街の店頭に置いてある求人ペーパーをめくれば、あるある、流石東京、迷う位の求人が載ってた。でも寮完備となるとそれなりに職種も限られる。でも贅沢言ってる場合じゃないと、履歴書を用意し駄目元で応募したのが警備員のアルバイト。電話して即面接。
 上野駅近くにある『アメ横警備保障』という会社。十八歳以上なら年令学歴資格不問、未経験OK。女性も可だよ、おばちゃん、おばあちゃんだって頑張ってるし、あんたなら若くてぴちぴちしてるから問題なし。何、沖縄だって、だったら暑いのも平気だろ。良し、決まりって即決、採用。良かった、何とかなるもんだなあって一安心。
 直ぐに鶯谷駅そばの寮に、相部屋だったけどま仕方ないかと移り住んだ。健康診断を受け、入社に必要な書類を揃え、この時島の役所から証明書を取り寄せる為お母さんに電話で依頼。研修を済ませたら、早速次の日から道路工事の現場に派遣されちゃった。
 実際やってみるとやっぱり大変。週五日猛暑の炎天下でふらふらになりながら、長袖の制服で一日中突っ立って汗びっしょり、足は痛くなるし日焼けはするしで、もう泣きそう。声小さいぞとか、ミスしたら怒鳴られるし、車に轢かれる危険だってあるし。仕事終わって寮帰ったら、疲労でもうバタンキュー。でも慣れて来ると、だいぶ楽になったけど。
 寮の相部屋の人は、立川さんていう独身のおばさん。やさしい人で凄く親切にしてもらったの。ね、ふたりでアパート借りて一緒に暮らさない、なんて折角誘ってもらったんだけど、そのうち田舎帰るからって断った。
 だからアメ横警備保障、そんな不満とかないし東京で初めて雇ってくれたとこだから、ずっと続けても良かったんだけど、うん。日焼けで顔はまっ黒になるし、欠員出ると休みの日でも急に呼び出されたり、あと若い女だからセクハラみたいなこともあるしね。だから一年間働いてお金貯めて、二十歳になったら辞めちゃった。
 次に、アメ横警備保障にいる間に渋谷の居酒屋チェーン『和太郎』のバイトを見付けて、そこの寮に引っ越した。個室だったからそこ、今度はひとりでのんびり出来るぞおとか思ったけど、甘かった。仕事がきついのは警備員と同じだけど、こっちは更に残業が多くて深夜まで働かされて、寮に帰ったらやっぱりバタンキュー。
 建物の中だから雨風とか暑い寒いも関係ないし、店内には若い女の子もたくさんいてその点は良かったんだけど、酔った客からのセクハラもあるし、女の客とか気取ってて軽蔑したような目で人のこと見るし、嫌な思いも結構したよ。かっこ良さそうなサラリーマンでも酔っ払うとだらしなくなったり、愚痴ったり。そんな姿見ると、あーあかっこ悪い、でもみんなそれなりに苦労してんのかなとか思って。
 うん、警備員やってた時も感じたけど、東京なんていっても華やかなのはほんの一部だけで、あとはただ人が多くて騒々しくて、ごみごみしてるだけなんだなあとか、華やかなほんの一握りの人の陰で、立川さんとかわたしみたいな地味な仕事してる人間がいて、この東京を支えているんじゃないのかななんて思ったりしてね。東京出て来たら、それこそいろんなチャンスがそこいら中に転がってて、何とかなるみたいなのって、本当甘かったなあって痛感した。そんな訳ないよね、やっぱり。
 毎晩仕事に疲れ果て、くたくたになって深夜寮に帰ってもひとりぼっちだし、あとはただ寝るだけ。今頃立川さんどうしてるかな、立ちっぱなしの仕事だから寒くなると膝が痛くなるとか零してたけど、今頃膝疼いてないかなあなんてふと思ったりしてね、天涯孤独の立川さん。
 休みの日は店の子たちと、渋谷とか原宿、新宿とか遊びに行って、わいわいはしゃいで騒いで。東京ディズニーランドにも連れてってもらったよ、あんまり楽しくなかったけど人ばっかり多くて。ああ楽しかったね、明日からまた嫌なバイトだね、なんて笑い合って、でもそれでお終い。寮に帰ってひとりになると、無性に空しさが込み上げて来た。
 わたし毎日何やってるんだろう、何の為に東京に来たんだっけって頭抱えて悩んで。自分から何か始めなきゃ何にも始まらないんだよって分かっていても、何から何をどう始めたらいいのか分からないまま、どんどん時間だけが夢のように超特急で過ぎてゆくから。このままじゃいけないって焦ってもがいて、でもやっぱり日々に流されてゆくだけ。お店に出たら、にこにこ、にこにこ、いらっしゃいませ、有難う御座いました。毎日毎晩、ぺこぺこ、ぺこぺこ頭下げて愛想笑いして、ほんとばかみたいなわたしの毎日だった。
 そうやって、ひとりの部屋で思い詰めていると息が詰まるから、毎月仕送りする度、お母さんに電話したの。元気のないわたしの声が分かるのか、お母さん、大丈夫、嫌なら帰って来ていいんだよって。その声聴くと思わず泣きそうになるけど、大丈夫だよって笑い返す。でも本当は帰りたくて帰りたくて。
 夢国島、あの島の砂浜に寝っ転がって一日中水平線を見ていたい。海が見たい、見たい、見たいって胸が張り裂けそうになって。でもそんな時受話器の向こうから幽かに海の音が聴こえて来るの、ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……って。さとうきび畑を駆け抜ける風の音も、さわさわさわーって聴こえて来る気がするから。だからもう少し、こっちで頑張ってみようかなって思いとどまった。
 でも和太郎は結局半年で辞めちゃった。なぜかというと……。
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