庚申御遊の宴【第十二話】

文字数 2,508文字





 思い出す。
 佐幕沙羅美が探偵結社の応接室で「村には今、高名なお坊様を招いているのです。一族の住む村は今、正体不明の疫病に冒されておりまして。当家が招いて、ご教示していただいております」と述べていたことを。


 佐幕邸。座敷。


 …………青面金剛が〈アマンジャク〉を踏み潰している図なのよ。両サイドにいるのは青衣・赤衣を着た脇侍、その下には青赤二匹の鬼、猿が三匹、鶏が雄雌二羽描かれている。もともとは農家のひとが怠けているのを見て、〈アマンジャク〉が雑草の種をまいて嫌がらせをしたのね。それを、青面金剛サマってのが怒って、〈アマンジャク〉を踏み潰している。……説明によると、そういう内容の絵の掛け軸なんだそうよ。

 説明を受けた、あの掛け軸がかかっている。
 破魔矢式猫魔は、その掛け軸を観て、
「庚申御遊……か」
 と、呟いた。


「どうぞ、煎茶ですが」
 佐幕沙羅美が、人数分の煎茶を持ってきて、テーブルに置いた。

「佐幕ザザの亡霊が現れるシチュエーション。それは疑いもなく、沙羅美さんが性的虐待を果肉白衣から受けているとき、で間違いありませんね」
 猫魔は、湯飲みを持ち、煎茶を口に運ぶ。
「はい」
 沙羅美は頷く。
「母親にそれを話しても、母親は阿加井寺薬師の住職とデキていて、放っておかれていた。果肉白衣は、そもそも一族の〈弱みを握っていて〉、村の一族の本家筋である佐幕家に近づき、沙羅美さんの母と再婚というかたちで内部に入り込みましたね。自分の子種を残すなら、若い沙羅美さんの方が都合が良い、と果肉白衣は踏んだ。だから、沙羅美さんの肉体を夜な夜な蹂躙していた。あなたは寺の住職にも相談に行っているはずだ。住職は、古刹の住職という、この土地の名士でしたからね。塗香は、密教系の寺院で使われるものだ。そして阿加井寺薬師は密教系の寺。しかし、本物の悪霊・果肉白衣には塗香の力は効かなかった。人間の悪党からの蹂躙を防ぐことは、塗香なんかじゃできるわけがなかった。気に病んでいたのでしょう。〈事が運んだ〉今、母は住職を殺し、母は後を追うように自ら命を絶っていましたよ」

 沙羅美は、震える手で湯飲みを持ち、茶を一口飲んで、テーブルに戻す。
 猫魔の方は、茶を飲みながら、水ようかんを切って、食べる。
 咀嚼後、また話に戻る。

「庚申信仰は、いろんなのが混ざっているけど、密教系の流れもあるんだ。そこの後ろに飾ってある青面金剛ってのは、庚申信仰の本尊だ。この屋敷の庭にある青面金剛塔ってのは、普通は〈庚申塔〉と呼ばれるものだ。あと、村をまわってきたけど、塚が至る所にある。それは、〈庚申塚〉と呼ばれる、これまた庚申信仰に関わる塚だ。つまり、この村は庚申信仰の村で、一族はその流れをくむ一族、というわけだ」

「はい。そうです」


「だが、踊り念仏とは浄土系の流れを汲む。もとは遊行……つまり僧が布教や修行のために各地を巡り歩くこと、を指すんだが、その遊行で現れた常陸の坊様が泡済で、この土地の芸能であるヂャンヂャンガラガラおどりをつくったのが、宗教性を脱臭させて残った、とも言える。いや、ダブルスタンダードなのかもしれないが。そこが今回、沙羅美さんが亡き父の亡霊の言葉通りに〈完成させたい〉ことに関わることなのだろうけど、じゃあ、言葉を読解したとしてなぜ僕らをあえて呼んだのか、だ」

 僕は目を丸くした。
「解読されてるだって!」

「まあ、そうせかすなよ、山茶花」
 探偵は、僕をなだめる。

「果肉白衣は、沙羅美さんが呼んだ伽藍マズルカとつるんだ。本来のヂャンヂャンガラガラおどりは、変装や女装、男装などをして夜通し男女混合で踊り狂う。家父長制と、貞淑で慎みを持った女性を育成したかった明治政府から睨まれたのは、これまた事実だろう。〈規律型権力〉を発動して富国強兵に都合良く、農民の性愛への奔放さやおおらかさを縛り付けたかったのさ。マズルカがやっているのは、それとは真逆の試みだ。夏祭りの日には性犯罪が増えるって話、知ってるだろ。そう、祭りは普通でも危ないものでもあって、それが〈ハレとケ〉の〈ハレ〉であるから、難しいんだ。それはともかく、愛がないとはいえ自分の妻である沙羅美さんの母が密教系の寺の坊さんと寝てるのは気に食わないってところに、自分が虐待している沙羅美さんが呼んできた、別の宗派の坊さんが招かれて、男女が夜通し踊り狂いときにまぐわるセクシャルな意味合いを持つ踊りの再興を目指す、自分の欠如した倫理観と合致した人物だったらどうか。沙羅美さんをさらに追い詰めるために、伽藍マズルカに接近して仲良くなろうとするだろうね。そして、そうなった」



 そこまで言うと、話を区切って、猫魔は水ようかんを平らげた。
 もう夜の帳が下りた。
 と、同時に、太鼓と鉦の激しいリズムと歌声が聞こえてきた。
 ヂャンヂャンガラガラおどりが、始まったのだ。

 佐幕沙羅美は、涙を流す。


 そこに小鳥遊ふぐりが猫魔に食いかかる。
「おい、猫魔! 想像だけで物言ってんじゃないわよ! あんたの妄想全開の物語、ひどすぎるわよ! 沙羅美さん、泣いちゃったじゃない! あんた、謝りなさいよ!」


 猫魔は、ふぐりに答える。いささか、変則的な答えを。
「平安貴族の庚申御遊が江戸時代になって庚申待となったんだけど、その庚申待には、〈禁忌〉がある。庚申御遊だって、同じ禁忌がある。〈庚申御遊の宴にある禁忌〉だぜ。庚申の日は夜通し起きていないとならないが、男女が同衾してはならない。今年の庚申は七月の上旬。ていうか、今日が庚申の日だ。ここの村の一族は基本的には庚申信仰の一族だ。信仰の〈禁忌〉は守るに越したことはないよな。それからヂャンヂャンガラガラおどりは、いろんなタイミングでやるが、激しいのは盆踊りと神社仏閣の宵祭りのときだけだ。…今夜、激しいヂャンヂャンガラガラおどり行う意味がわからないだろう。しかし、マズルカには今夜、行いたい理由があった。それは、〈今夜が庚申待だから〉だよ」



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登場人物紹介

破魔矢式猫魔(はまやしきびょうま):探偵

小鳥遊ふぐり(たかなしふぐり):探偵見習い

萩月山茶花(はぎつきさざんか):語り手

百瀬珠(ももせたま):百瀬探偵結社の総長

枢木くるる(くるるぎくるる):百瀬探偵結社の事務員

舞鶴めると(まいつるめると):天狗少女。法術使い。

更科美弥子(さらしなみやこ):萩月山茶花の隣人。不良なお姉さん。

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