第二十話 エレメスタ

エピソード文字数 6,926文字

「そんな!私も付いていきます!」
少女の怒号が部屋中に響いた。それに対する反応は極めて淡泊である。
「駄目だ。人の身でありながら、魔法の存在に触れておる。身寄りのないおんしは、この郷に隠れて静かに暮らすのが一番だ。それに、この先の旅は今までより遥かに危うい。守れる自信は薄い」
そこまで馬鹿ではない。魔法の存在を知る者だけが生きる、社会から閉鎖された郷。気付くのが少し遅すぎたが、オリビアはこの郷の詳細を聞いた時から、自分が隔離されてしまうのではないか、と少し嫌な予感がしていたのであった。母と同じように苦しむ人達を救いたい、そして自分のように悲しみに暮れる人間を少しでも減らしたいという想いは強く、それは怒号となって口から溢れ出てゆく。
「旅の途中でいつか自分の生い立ちについて話してくれるって言ったじゃないですか!あの話は嘘だったんですか!」
「……」
これは馬鹿というより経験不足である。幼さゆえに、全てを信じすぎたのだ。田舎育ちの限られた人付き合いしかなかったオリビアにとって、経験したことのない強い痛みであった。
残念だが、グリンデに初めから共に全ての薬草を探す気など更々なかったのであった。
もし帝国の王族たちが、再び世界に魔法が現れた事を知れば、真実を無理やり隠そうとするかもしれない。魔女の伝説が残る地、チェルネツ。いくら忌み嫌われているとはいえ、放っておくはずがない。多少なりとも調査に訪れるはずだ。そうなるとオリビアの身は危うくなりかねない。実に低い話だが、オリビアから魔法の存在が知れ渡る可能性がないわけでもない。魔女を誤って崇拝してしまい、処刑されてしまう者もそうだ。魔法に触れて、良い想いをするものは極めて少ない。この郷に匿うのが一番無難に思えたのだ。
ドロネアの洞窟は、グリンデにとって比較的、危険な生物が少なく、魔法一つでオリビアを守れる事はたやすく想像できた。ドロネアの洞窟でレクイエムの瘤を入手したのち、この郷に寄ってオリビアをルドラに預けるつもりだったのだ。
道中、自分の生い立ちを後の旅路で順々に話すと告げた事、そして、途中で引き返せと告げた事は、好奇心旺盛な性格を逆手に取られ、足取りを速くする為の策略だったことに、オリビアは最後まで気付けずにいたのであった。
勿論、二百年近く生きてきて多くの死を目撃していたグリンデは、その苦しみをよく知っており、オリビアにかけた死に対する言葉は本物だったのだが……。
グリンデも実に長く生きている。彼女にとって、オリビアのような子供など、実に簡単に手の平で転がせたのであった。
しかし、ここにきて少し予想外の展開が起きた。ルドラが白き女の手掛かりを知っていたのである。
当初はオリビアをこの郷に預けたのち、一人で薬草を探す道中、もはや百六十年前の魔女が生きている事を信じている者はいないだろう、心当たりのあるエルビス山脈を中心に、近くの町の酒場などで情報を聞き歩くつもりだった。そしてその情報を頼りに、その者を見つけ次第、魔法で混乱させて、一緒にこの郷につれて帰り、オリビアに確認すればよかった。
魔法の存在は未だこのコインの件でしか確認が取れてはいない。敵である黒羽族の姿は確認できてはいないのだ。もし仮に黒羽族が生き残っているとするならば、感づかれたら拙い。向こうもまさか、伝説の魔女が生き残っているとは思ってはいないはずだ。まずは、何やら再び流行り出した病を人々から救うべく薬草を探し薬を作り、その過程で魔法の存在、その白き女の手がかりを掴むこと。表立って動くよりは、ルドラと共に協力しながら手がかりを探すことが先決であった。勿論その際は、魔法を纏った者、特有のあの靄を見られたら困る。その対策もグリンデは心得ており、何ら問題はなかった。
しかしルドラが言うその白き女は、厄介なことに少し名が知られている存在であった。
もしそのような者を混乱させて連れ去ってしまえば、たちまち大きな騒ぎが広まるだろう。そうなってしまうと、いくら帝国中心部から離れた辺境の地とはいえ、帝国兵が警備を強めて、他の薬草を探しに行くのに不便になることは容易に想像できる。
聖堂院の裏手には霊水の沸く泉以外にも、多くの泉がある事はグリンデも知っていた。
大変不本意な話だが、夜更けにオリビアと二人で聖堂院へ向かい、皆が寝静まった際にその泉を使って人々の意識を奪ったのちにそっと忍び込み、その者の顔を把握するのが一番手っ取り早いのだろうと思わざるを得なかった。
もしその女性がオリビアの知る者でなければ、そのまま何事もなかったかのように立ち去れば良いし、その者であれば、向こうもオリビアを知っているはず、少しばかり話を聞いて手掛かりを掴めば良い、それだけであった。
話の途中で、もしその白き女が違う者だとわかった瞬間には眠らせてしまえばいい。きっと朝になれば、酷い悪夢を見たと項垂れるだけであろう。翌朝、人々の混乱が覚めたあと、多少の騒ぎにはなるかもしれないが、人や物の安全が確認できるとすぐに落ち着きを取り戻すだろう。連れ去られた時ほどの騒ぎにはならないはずだ。
それに彼女は白の魔法に関連しており、攻撃性は極めて低いことも想像できる。何よりどうもこちらを知っているようであり、直接本人に出会えれば話は早いように思われた。
もしかしたら、オリビアの話を聞いてルドラも感じているのかもしれない。ただ一つ、グリンデはその白き肌の女性に対し、大きく気に触れる違和感があったのだが、魔法に関する手掛かりを掴むには、やはりそれが一番無難に思われた。
(しかし、聖堂院に向かったのち、再びこの郷に帰ってくるのか。手間取るのぉ。聖堂院に行ったついでに山に向かえれば良いのだが……この小娘、絶対に我について来るぞ。さてどうしたものか)
「グリンデさん!答えて下さい!」
騒ぐ少女の存在など、もはや上の空。グリンデはただ、自分の思考と向き合っていた。代わりに答えたのはルドラである。
「……確かにオリビアさんは魔法の存在に触れている。そのコインはエレメスタが関わっている可能性は低いのかもしれないけれど、貴方を放っておくわけにはいかない」
「でも私は諦めたくない!」
"エレメスタ"という聞き覚えのない言葉も、今のオリビアには全く耳に入って来ない。完全に感情に支配されている。瞳は、涙で満ちている。声を震わせないでいるのが、やっとなくらいだ。
「オリビアさん、本当は貴方を聖堂院にすら向かわせたくないわ……けど貴方にしかその女性の顔は確認できない。それに……あなた方が乗ってきたあの馬、シルキーはおそらく貴方にしか懐いていないのでしょう?病み上がりのグリンデ様を休ませる時間を取るためにも、移動の時間は短い方が正直助かるわ」
ルドラが伝説の白馬、シルキーの存在を詳しく知ったのは、今から約十五年前ほど前の事である。前族長に付いて帝国の城下町へ行った時の事だった。
当時、町はシルキーに乗る、とある兵士の話で溢れかえっていた。その噂話を小耳にはさんだ際に、同行していた前族長にシルキーの事を詳しく聞いていたのであったが、まさかオリビアのような少女に懐くとは思ってもみなかった。
しかし、村の入り口で見た、あの特徴的な絹のような白い毛並み、そして蜥蜴のような硬い皮膚を持つ馬は、シルキー以外の何者でもなかった。そして、目の前でオリビアがその馬に跨る姿を見た以上、白馬が彼女を主と認めた事を信じざるを得なかったのである。
グリンデが万全の状態でない以上、シルキーの力を借りる事は、とても効率のよいものだと、ルドラは感じていたのであった。そしてついでに、ある用事を果たしてきて貰えると、今後に大きな役に立つことが予想できる点も、この選択を取る大きな要因となっていた。
「ラウラ聖堂院に向かう道中にオルドという小さな田舎町があるですが、ちょうど今その町に私達の仲間の一人がいるので、まずはそこに向かって頂きたいのです。その仲間と合流し、三人で聖堂院へ向い、白き女性を確認したのち、オリビアさんはその仲間と共に、この村へ帰ってくる事が良案かもしれないです。……なによりグリンデ様が一緒とはいえ、オリビアさんにあの雪山を登らせるのは危険です」
(オルドの町にルドラの仲間がおったのか……。何か理由があるのか?)
先にそのことを知っていたら、オリビアにこの郷に帰ってくる事を伝える必要はなかった。聖堂院に忍び込んだのち、適当な理由をつけて睡眠薬でも飲ませてオリビアを眠らせ、その仲間にこの郷に届けてもらえばよかったからだ。
しかしルドラがこうして話の頃合いを見計らって、口を開く事には大きな意味があるだろうことを、グリンデはなんとなく理解していた。ガルダの爪を持つ、この郷の外に出る事が出来る選ばれた者達を、とある理由から道中に連れていけない事をグリンデは知っており、その関係で何かあるのだろうなとも睨んでいた。
グリンデは、オリビアと二人きりでラウラ聖堂院に向かわなければいけない、とばかり思っていたのだが、ここはルドラの言葉を信じることにしようと心に諭していた。それ信頼関係によるものだけでなく、ある大きな理由からなのだが。
見つめる瞳は白兎を思わせるほど赤く充血し、手のひらからは落ち着きのない呼吸の振動が伝わってくる。ルドラはオリビアの肩を掴み、口を開いた。
「オリビアさん、貴方はもう十分活躍しているわ。グリンデ様をマリーから助けて、ここに来る事が出来ただけでも凄い功績なのよ。これから先、マリーのような怪物がまた現れる可能性だってない訳ではない。貴方まで助かる保証はないのよ。ここから先の事は私達に任せて」
「……」
少女には府に落ちないようだった。依然うつむいたままで、言葉一つ発しない。
「……そうね。やはり、もし聖堂院に向かう途中で、危険が迫った時の為にこれを渡しておくわ」
そういうとルドラは、一度調理場へ戻り、床に置いていたあの箱を持ち出した。
その箱は、ルドラが片手で持てるほどの大きさだったが、抱きかかえるようにして持ち運んでいただけあってか、やはり中身は重厚な物が入っているようで、テーブルに置いた瞬間にごとりと音が鳴った。次に蓋を開けると、なにやら棒状のものが出てきた。厚手の布がくるくると巻かれており、その布を捲ると、ぎらりとした輝きと共に鋭い刀身が姿を現した。
少女が顔を顰めたのは、あの悪夢を思い出したせいもある。その見た目はとても奇妙なもので、楕円形の刀身には死神を想わせる鎌を持った骸が描かれ、口金には目玉の意匠が施されている。もはや薄気味悪い印象しか与えない。
「……こいつは。この村に残っておったのか」
ルドラはグリンデを見て深く頷いた。続く説明は少女の為である。
「これは、大昔に作られたとされる、幻の鉱石を使用した槍の先端部分なのだけれど、触れている者の魔力を封じる事が出来るようで、この槍で切られたエレメスタはたちまち動けなくなってしまうの。魔力を封じられる事もあって、グリンデ様には相性が良くない。手にしている際に、道中で獣に襲われたら一たまりもないわ。オリビアさん、これに触れている間はコインの魔力は使えなくなってしまうけれど、是非持っていってちょうだい。……私達にもやる事があって、ガルダの爪を持つ、この郷から出る事が出来る者達は、その聖堂院には行けそうにはない。貴方にしかお願い出来ない事なの」
ルドラは、グリンデがこの郷にやってきた時、おそらく魔法の事を探りにすぐに動くことになるのだろうと予測しており、急いで家の奥にある倉庫からこの槍先を持ち出してきたのであった。
本来、この槍先には長い柄がついていたのだが、百六十年前に破損してしまい、武器として殆ど使い物にならなくなってしまった。しかし、武器にはならないとはいえ、魔力を封じる力は、もしもエレメスタ達が生き延びていた場合、大いに役に立つ可能性を秘めているのは相違ない。
ルドラがオリビアにこれを託したのは、少しでも聖堂院に向かう気持ちの励みになれば、という配慮も大きく含まれていたのだが、一番は別の理由からであった。グリンデの口から、槍の事を伝えるように頼めばよい。オルドの街にいる、仲間の手に渡して貰いたいが為だったのだが、後にこの行動が功を奏すとは、この場にいた誰もが思ってもいなかった。
普通の人間であれば、オリビアがこの槍を使ってグリンデに反抗し、逃げ出すことにならないか、と想像するかもしれないが、ルドラの胸中にはそのような想いは微塵もなかった。それはオリビアの性格を見抜いた族長の力によるものである。
(……私にしかできない事)
この言葉は多くの人間の意志を惹かせる。特に好奇心の強い幼い少女には絶大だった。気が付くとオリビアの視線は、再びルドラの瞳に吸い寄せられていた。緑の湖面に映し出される白銀の月は、雲ひとつ懸らず波間を照らしている。その月光はすべてを見透かしているかのようだ。恐怖ともつかない威圧は次第にオリビアの心を支配するかのように、平常心を蘇らせた。
落ち着きを取り戻したのもあってか、オリビアは先ほどからルドラの口から出ていた、聞き覚えのない言葉に気が付いた。
「あの……、エレメスタって一体……」
あぁ、と呟きを交えルドラは説明を咥えた。
「グリンデ様の仰っている、黒羽族の事よ。グリンデ様の時代で彼らの存在を知っている人達は黒羽族と呼んでいたらしいけど……それ以前、大昔の人々はエレメスタと呼んでいたそうなの。実は彼らは百六十年前よりずっと昔にこの星に来た事があって、その記録が書物として残されているのよ」
「え?」
「私達が住むこの国が出来る前、大きな筒のような物に乗って空から降りてきたそうよ。その筒のような物から出てきた彼らは、突如、私達に襲いかかってきたとされている」
違和感なくこの話がルドラの口から出たのは、少女の力によるものかもなのかもしれない。それとも族長の力によるものか。ルドラはすっかりオリビアの心を信じ、気を許し過ぎてしまったのである。
少女の好奇心はやはりこの程度では収まらない。
「そ、それでどうなったのですか?」
「彼らの魔法や能力は強大だけど、筋力が凄く弱くて、結局は力技で人類が勝ったと記されているわ。それは今グリンデ様が伝説の薬草を探している事にも繋がっている。もしエレメスタが生き残っていたとして、彼らが動き出す前に、この帝国に住む人々の身体を万全にしていれば、大きく勝機が左右される。古文書のように彼らを打ち返す事が出来るのよ」
「こ、古文書って何ですか?」
「それは……」
「待て。喋りすぎだ!こやつには知る必要のない話だ」
まるで雷を想わせる。その場の空気を一瞬で変えるほどの怒号が響いた。
今この族長に足りないものは歳月かもしれない。オリビアのように幼い、とは言えないが彼女もまだまだ若い。二十歳半ばを超えたくらいなのである。魔女の様に常に冷静に、とはいくはずもない。
「し、失礼しました」
久しく叱責を受けたルドラはグリンデに深々と頭を下げた。
グリンデがいかに魔法に敏感であるかが伺える。魔女が発する圧は、暫く薄れる様子を見せなかった。
やはり自分は魔法に触れているとはいえ、深く関わる事は出来ないのだろうか。母への想いもあり、ふいにオリビアの拳に力が入る。聖堂院に向かう事しか自分には出来ないのか。少女の心には、空しさと怒り、不安が複雑に絡んで渦を巻き、慟哭が息を潜めることはなかった。

長い沈黙を割いたのは、扉を叩く音であった。その音を聞いたルドラは一礼を忘れず、玄関へと向かった。
覇気のある口調からか、ここからでもはっきりと扉を叩いた者の声が聞こえる。
「ルドラ様、森の身回りが終わりました。時折ガルムルの遠吠えが聞こえましたが、他は特に異常は見当たりませんでした」
「……わかりました。その遠吠えもお二人が森に来たことによって、警戒しているだけでしょう。今日は戻って良いわ。ありがとう」
その声の後には、はっと威勢の良い声が続き、すぐに静かになった。おそらく先ほど森で出会った者の一人だろう。森の身回りを終えてルドラに報告したようだ。
その者から受け取ったのか、玄関の扉を閉めて戻ってきたルドラの手には、カシムが話して見せた、ガルダの爪が数個握られている。
「……いけない。もうこんなに時間が経ってしまったのですね。今日はひとまずお休み下さい。グリンデ様もまだ万全ではない以上、焦りは禁物です。今後の事は明日の朝にでもまたお話ししましょう。二階へお越しください」
あまりに濃厚なものだった。時間の存在を忘れるのも当然であろう。彼女の言葉はオリビアを現実へと引き戻した。ずっと力んでいたのか、腕だけでなく足もまともに動かない。
オリビアは、ルドラに続いたグリンデの背中を腫れた瞼でぼうっと見つめていた。
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