第三.五話 尾張のうつけ姫の恋【織田吉】

エピソード文字数 2,025文字

 ◆天文十四年(一五四五年)六月二十日 尾張国(おわりのくに) 那古野(なごや)城 織田(きつ)

 わたしは女子でありながら、男子の格好、男子の口振りをしている。もちろん理由はある。
 物心がついてからは、父信秀は戦に行っていることが多かった。
 平手(政秀)の爺に、「父上はなぜ戦をするの?」と訊ねると、「殿は尾張のために戦をしているのですよ」と教えてくれた。
 そうか。父上は尾張のために戦うのか。

 わたしは、誰のために戦えるかな。
 よくべそをかいている、二つ歳下の勘十郎(かんじゅうろう)(信行)が困っていたら、助けるためなら戦える。
『吉は賢いな』と優しく褒めてくれて、ときには戦で傷を負ったりしている父上のためなら戦えるな。

「父上は尾張で一番偉いから、尾張のために戦わなくてはいけないの?」
「尾張で一番偉いのは武衛(ぶえい)斯波(しば)義統(よしむね))様です」
 意味が分からない。まだまだ学びが足りないのかな。

「尾張で一番偉いわけではないのに、なぜ父上は尾張のために戦うの?」
「殿は尾張で一番強く、武衛様の部下の大和(織田信友)様の部下だから戦うのです」
「一番偉いブエイやヤマトが尾張のために戦えばよいのに」
「いろいろな事情があって殿が戦っているのですよ」
 どうにも腑に落ちない。
 いずれにしても、尾張で一番偉くなくとも父上は尾張のために戦っているのだ。父上は偉いな。
 様々な事を学んだら、信広(のぶひろ)兄者(あにじゃ)のように父上を助けられるのだろうか。

「わたしが兄上のように父上を助ければ、父上も楽になるのかな?」
「吉姫様は戦わなくてよいのです」
「父上を助けるために孫子も軍略も学んでいるけれど、それでは足りないの?」
「吉姫様は女子ゆえ戦わなくてよいのです」
 そうか。わたしが女子だから悪いのだ。では男になればよい。

「爺! ワシが男子であればよいのじゃ!」
 こうして男の格好と男の口振りをするようになった。
 母上は、男の格好をするようになったわたしを見ると、露骨に顔をしかめて「いったい誰に似たんだか」などとおっしゃる。
 顔の輪郭は母上に似ているけれども、母上の目とわたしの目は似ても似つかない。

「吉姫様も目が細ければ奥様に似た美人なのに……」と母上の侍女が、陰口を叩いているのは知っている。
 そうか。母上に似ず目が大きいので不美人であるのだな。
 だが男子であれば、不美人であっても構うものか。

『責ある者はなさねばならぬ』
 やはり、ブエイは尾張のため戦うべきだ。
 それが道理であろう。
『なし得る者は責を負うべし』
 ブエイが尾張のため戦えぬなら、父上が尾張を治めるべきだ。
 それが道理であろう。

 道理が通らぬのは不自然だから道理を正さねばならぬ。
 わたしは何ができるかな。
 槍働きは非力であるから劣るが、父上に従順なだけがとりえの信広兄者より、きっと戦は上手くできる自信がある。戦は兵を率いたり、謀略や調略で勝つのだ。非力であっても構わない。

 こうしたわたしを、母上は、「なんと恐ろしや。まさにうつけよ」と評している。
 うつけで結構。うつけとは異端だ。
 異端だからこそなし得ることもあるだろう。
 否。異端でなくては、なし得ないこともあるだろう。

 うつけであるから異端であるからこそ、常人を超えた事跡を行えるはずだ。
 暇を見つけては、尾張の野山を駆け、戦を想定した目を磨くのだ。目で見た川の流れと実際の深さとの違いや、田の広さと米の収穫量の関係など。
 自慢の大きな目を磨いて、うつけでなくては見えぬものを見てやろう。

 孫子にも己を知らなければならぬとある。
 わたしは非力な女子でうつけ姫だ。
 非力な女子ができることなどたかが知れる。
 わたしには力が必要だ。うつけの言葉を理解できる男が必要だ。
 うつけの言葉を理解できるなら、()の者もうつけであろうな。

 うつけの心のせいか知らぬが、わたしは勘が鋭い。
 ふとした拍子に、うつけの男が見つかりそうな気がする。
 うつけの男と一緒に世の不条理な道理に反する事を正していけば、父上も楽になるのかな。

『殿方を慕う心を恋と申しまして、女子の自然な心向きですよ』
 いつかの侍女の言葉を思い出す。
 まだ見ぬうつけの男に思いを馳せる。
 なるほど。これが恋であるかもしれぬ。
 ふっ。うつけ姫の恋か。自嘲した。
 うつけの、異端の、恋であるから、経過も結末も異端であるだろうな。
 おおいに結構だ。異端の恋の行く末を見極めてやろう。

 快晴だ。馬を一は知らせにでも行くか。乳兄弟で近習(きんじゅう)の池田勝三郎(かつさぶろう)恒興(つねおき))を呼ぶ。
「カツ! 遠駆けに行くぞ!」
「はっ」
 一走りしてこよう。ふとした予感があるから。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

織田吉(三郎信長


 那古野城城主で周辺一〇万石の領主。織田信秀の嫡子。

 織田信秀の次男に生まれるはずが、どこで間違ったのか女性に生まれてしまった。見た目は現代風美少女だが男装を好む。最近はアクセサリーを頻繁に変える、鎧を着替えるなどオシャレに気を遣うようになっている。

 奥手で、『つるでぺた』を気にしているが実態は不明。


 戦場では鉄砲を使う。

 初陣で敵大将を討ち取るという大殊勲を挙げた。

 美濃の斎藤義龍との結婚計画があったが流れた。

 口癖は、一人称「ワシ」、二人称「ヌシ」、語尾は「のじゃ」、肯定は「で、あるか!」。「素っ首貰い受ける」もお気に入りのようだ。

 自分に理解を示した左近のことを、とても気に入ってやがて好意を示す。左近の部屋に入り浸っている。

 政治・外交・経済のセンスは抜群で、左近をはじめ周囲をしばしば驚かせる。

 頭に血がのぼると一直線な行動をとることも多い。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み