第1話

文字数 3,041文字

 私が喪服を着るのは三度目だった。
 最初はお祖父さんが死んだ時、その次は叔父さんが死んだ時に喪服を着た。
 お祖父さんが死んだ時に喪服を地元の小さなデパートで買った。専門学校を卒業して間もない頃で、喪服を持っていなかった私が慌てて買いに行ったのである。
 ちょうどデパートでは催場でブラックフォーマルバーゲンをしていた。喪服のほかに数珠や袱紗、黒革のハンドバッグもセール価格で売っていた。
 お買い得、と、心の中で思った私は自分が不謹慎な感じがした。こんな時に、こういうものをうまく買ったら縁起が悪そう、と思いながらもお買い得な喪服とハンドバッグと数珠もちゃっかり買った。店員さんにすすめられるままに試着して、選んだ感じだったけれど、働きはじめたばかりの私はこれからは社会人としてこういうものは必要なのだと自分にいい聞かせた。
 ルミ先生が死んだ。
 ルミ先生はジャズダンスの先生で、彼女がレッスンをするダンススタジオで私は受付のアルバイトをしたが、半年ほど働いて、今の会社に就職が決まって辞めた。ルミ先生と会わなくなって、ひと月過ぎた頃に彼女の訃報を聞いたのである。
 私は会社の上司に事情を話して、その日の仕事を早めに切り上げた。
 会社のトイレで喪服に着替えてルミ先生の通夜へ向かった。会場は、シティメモリアル会館という葬儀会館で、勤め先の大阪市内から電車に乗って三十分くらいで行ける新興住宅地にあった。
 ルミ先生の事を知らせてくれたのはカメラマンの笠野だった。笠野は、専門学校の同級生で、一度ルミ先生を撮った事もある。
 前の日の深夜、電話をかけてきた笠野に、私は通夜の日時と会場と喪主の名前を聞いた。イベントの段取りを確認するみたいに尋ねたと思う。淡々と、事務的な調子の私に電話の向こうの笠野が戸惑っているようだった。
 笠野が、通夜の日は仕事が入っている事、それとルミ先生とは一度しか会った事がないという事をいった。
 故人とたいして親しい間柄でもない自分が通夜に行くのは遺族に失礼にならないかと笠野は私に相談していたのだが、私はこの時、彼は行くかどうか自分で決められず、どちらかというと行きたくなくて、来なくていい、と私がいうのを期待しているように思い込んでいた。
 私は、本当はひどく動揺して、笠野の話をまともに聞いていなかったのである。
 ルミ先生に妹のように可愛がられてよくしてもらっただけに、彼女が自殺をしたと聞かされ、ひどくショックを受けていた。
 何がなんだか訳がわからなくなり、彼女の自殺には自分に責任があるみたいに思い込み、私がルミ先生と会わなくなったせいか、自分が彼女の死の何かしらの原因になっているのか、自分なら、彼女の自殺を止められたかもしれない、などと被害妄想ならぬ加害妄想を頭の中でぐるぐる巡らせたのである。
 今から思い返せば絶望感というか虚脱感というか、親しかった人の死の知らせの重みにたえられなかった私が、都合よく自分を罪悪感で満たしてどうにか冷静さを保ったのだと思う。自分が人の自殺をとめられたのかもしれない、などというのはただの思い上がりだ。
 だがこの時すっかり後ろ暗くなっていた私は自分を責める事がやめられず、笠野も私を責めているのではないか、と、彼を疑ってかかったくらいだった。
 仕事をキャンセルして一緒に通夜に行こうか、と笠野はいったが、私は彼を突き放すようにこういった。
「笠野はルミ先生と親しくなかったんやから、仕事をキャンセルしてまで行かんでええよ。それにカメラマンはさ、どんな時でも写真撮る話、学校でも聞いたやろ」
 どんな時でも写真を撮る話とは、私と笠野が専門学校の授業で聞いたジャーナリスト向けの説教だ。たとえば移動中のロケバスが事故に遭いクルーにケガ人が出てもカメラマンはまずその現場を写真に撮る。常識なら、ケガ人の手当てをするか救急に通報するかだが、事故や事件現場に遭ったジャーナリストは何よりもまず取材をせよと説いた話をして、笠野はルミ先生の通夜に行かずに撮影を優先したほうがいい、という意味の事を私はいったのだ。
 唐突に学生の頃の話をする私に、電話の向こうで笠野が閉口したみたいだった。それに彼はカメラマンといっても商品写真やイベント会場などの仕事が多く、事件や事故などの報道現場に赴く事はめったにない。
 彼の立場も考えず、話も的外れだったが、ジャーナリストの、一般には非常識に思える行動に報道の正当性を見るたとえ話は、私がルミ先生に対して人として間違った事をしていても、私を弁護してくれる言葉のように思われたのだ。
 私は笠野を説き伏せると少し安心し、調子づいて少女とハゲワシの話をした。
 ひどい飢餓状態のスーダンの写真の事である。
 乾ききった大地にうずくまる痩せ衰えた少女と大きなハゲワシを写した写真だ。
 ハゲワシは少女が死ぬのを待っている。少女が事切れたら彼女はハゲワシの食べものになるからだ。
 飢餓の深刻さを物語るこの写真はピュリッツァー賞を受賞しながら非難もされた。それは人間が動物の食べものになりそうな衝撃的瞬間であり、少女の絶体絶命の瞬間である。そういう状況に居合わせたなら、シャッターを切るのではなく人間として少女を助けるべきだ、と、少女とハゲワシを撮ったカメラマンは非難されたのだ。
 その時もカメラマンはシャッターを切るべきだった、と私がいうと、受話器の向こうから笠野のため息が聞こえた。
「お前さ、それ、スーダンの話やろ。おれの活動範囲ほとんど関西圏。それにおれ、そんな国際的なすごいカメラマンとちゃうで」
「笠野がすごくないのは知ってるけど、写真撮ってるんやろ」
 私は冷たく返した。
 少しの沈黙があって、わかった、と、笠野はいい、後で葬儀会館のホームページからプリントアウトした地図をFAXするから、と付け加えた。
 私は意識して明るく、ありがとうといった。電話を切ってから、少女とハゲワシのカメラマンがピュリッツァー賞を受賞した後に自殺した事を思い出した。
 しばらくして、自宅のFAXがもどかしそうに排紙した。
 シティメモリアル会館はこれといった特徴のない建物だった。会館の名前を白いネオンで縁どった看板が夕暮れの空に地味に輝いていた。
 隣のビルに整骨院と美容室と司法書士事務所があり、車道を挟んだ向いに銀行とコインパーキングとファーストフードの店が並んでいた。ファーストフード店は、笠野がFAXしてくれた地図にもあった。電飾看板の二十四時間営業の表示が、葬儀会館に訪れる人の目印のように点灯している。
 シティメモリアル会館は外から見ると体育館くらいの大きさで、中に入ると吹き抜けの空間が広がり、外観の印象より広くなった気がした。
 葬儀会館というより、観光客も利用するビジネスホテルみたいな雰囲気だ。入口正面に案内所があり、ダークグレーのジャケットを着た女性が立っている。観葉植物と円型のソファーを配したロビーに、どこかで聞いた事のあるクラシックを、耳に残らない程度に流していた。
 案内所で「××家」の斎場を確認して私はエレベータに乗った。「××」とは、耳慣れない名前だった。私はいつもルミ先生をルミ先生と呼んだから、「××」が彼女の名前に思えなかった。
 学校の教室くらいの小さな斎場だった。
 コンビニみたいな強い明るさの下で、色鮮やかな花で形作られた祭壇があった。
 真ん中の遺影にはルミ先生の笑った顔があった。

(つづく)
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