第10話 密かな闘志

文字数 856文字

 雨の季節がやってきた。数日前まで、花粉や黄砂のせいで、部屋干ししていたばかりなのに。この春は、まともに外で干したことがない。部屋干しは初夏まで続くよ、どこまでも。2021年・5月

 夫が定年となり、子どもたちが自立して、今や洗濯は2日に1回。外干しは西側の生活道路に面している2階のベランダ。竿は2本。まあ、だいたいの物はこれで足りる。シーツや毛布の(たぐい)は、最初からベランダの手すりと決まっている。朝のルーティンとも相まって、干す時間は8時半ごろ。ところが、ちょっとした変化が……

 ベランダに出る姿は、無防備だ。パジャマのときだってある。見られてはならない格好。だから、偶然にも私を見てしまう相手に配慮すべく、まずはベランダに出るドアを細く開け、可能な限りの範囲を確認。「今だ!」

 そこへ、ブブーーンと幼稚園バスがやってきた。2件先の前に停まり、園児とママが出てきた。「へー。幼稚園の子いるんだ」と思った瞬間、ママと目が合い、会釈。
「見られちゃった、見られちゃった、見られちゃった、ほいっ!」 (頭の中)
その日から、平日はあまり誤差なく8時25分辺りにバスはきた。

 幼稚園バスの存在が、やっと頭に入り始めた数日後。いつものルーティンだと、挨拶は確実だ。でも、できればこのペースを崩したくない。そんなやり取りを頭で考えながら、また数日。
いつの間にかバスと競争している自分がいた。8時15分、洗い終えた洗濯物の量を見て「この量なら、間に合うか」と思いながら干していると……
ブブーーン。
「ああ、やっちまった。今日は負けだ」
とりあえず、物干し作業を中断し、避難。
バスがいなくなったのを確認して、続行。
後日の物干しの反省材料とする。

 8時10分、夫婦の下着上下とバスタオル1枚、フェイスタオル2本。ウレタンマスク3枚にポロシャツ1着。これなら間に合いそうだ。時間もまずまず。バスを意識しながらササッと干す。「よしっ!」ドアを開け、家の中へ。
ブブーーン……
「勝った」バスの音色がなんとも心地いい。
私は朝から勝負師になる。



 

 



 




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