ゼフォン博士
文字数 2,751文字
グレゴル・ゼフォン博士は丸眼鏡の奥から見下すような視線を僕に投げた。
豊かな髪に、彫りの深い顔。ぎょろりとした目に、大きな鷲鼻。
いかにも「町の名士」という感じの威厳あふれる老人だ。
角が立たないように、できるだけにこやかに尋ねてみる。ゼフォン博士はふんと鼻を鳴らした。
……患者の心の持ちようによって容態に変化が生じうる、ということは否定せん。
だが、そこまで強い妄信にとらわれるのは、教育を受けていないからだ。
神だの何だの、そういう非科学的なたわごとは、わしには聞かせないでもらおうか。
ロランの挑発にもひるむことなく、ゼフォン博士は昂然と頭を持ち上げて、ひどく強い視線で僕たちを睨んだ。
またしても悪態をつきかけるロランをさえぎるために、僕は大声を出さなければならなかった。
――タクマインの不審な発作を目撃した翌日、僕らはさっそく医者を探したのだ。村には医者はおらず、少し離れた隣町まで行かなければならなかった。近隣一帯の病人を一手に引き受けているゼフォン博士は、大変な豪邸に住んでいた。
僕らが博士の屋敷を訪ねたのは、夜の
診察室らしい部屋で、博士は僕らを出迎えた。
それが博士の第一声だった。
僕はうなずいた。長い道程なので馬車はあらかじめ手配してあった。
それにしても、僕らが遠方から来たことを博士はまだ知らないはずなのに、どうしていきなり馬車のことを口にするのだろう。もしかして近場でも「往診は馬車」と決めているのだろうか。
博士は無言で往診用の鞄にいろいろな物を詰め始めた。ふつう患者の容態がどうなのか質問したりするものじゃないのか? どこの誰を往診してもらいたいのか、僕はまだ何も話していないのに、と不審に思っていると、博士はこちらを見て再び口を開いた。
この人は患者のことなんて、何も考えていないみたいじゃないか?
ロランの方は反感をはっきりと示した。
と、僕があえて思い浮かべないように努めていた言葉をずばり口にした。それで、すっかり雰囲気が険悪になってしまったのだ。
博士を説得して馬車に乗ってもらうのは一苦労だった。
僕らがタクマイン家に着いたのは夜中に近かった。昨夜とほぼ同じ時刻だ。明かりの消えた家の中からすでにタクマインの荒々しい唸り声が漏れてきていた。
ゼフォン博士が顔色を変えた。
医者を連れて行くことをあらかじめミレイユに教えてあったので、扉には鍵はかかっていなかった。僕らは家の中に踏み込んだ。
奥の寝室ではタクマインが苦痛に目をむいて暴れ回っていた。
僕とロランはタクマインの腕を一本ずつつかんで寝台に押さえつけた。狭い寝室の隅に顔をひきつらせたミレイユが立って、悲鳴をこらえるかのように、握り拳を口元に押し当てていた。
博士は手際よく火打石を打ってランプに明かりを点すと、それを掲げて寝台に歩み寄ってきた。そして慣れた手つきでタクマインを診察した。
ひと通り確認を終えると、鞄から取り出した小瓶の液体を綿球に染み込ませ、それをかなり乱暴にタクマインの一方の鼻の穴に押しこんだ。
眠り薬だったのだろう。タクマインの体からふと力が抜けた。両目を閉じ、寝息をたて始めた。
博士は僕に向かってそう宣言した。立ちすくんだままのミレイユに向き直り、
人の身体活動と精神活動を非常に活発にする薬だ。
薬に体が慣れないうちは――つまり最初の二、三回の服用時には多少の感覚の混乱が見られるが、やがて薬を服用すると、ひどくいい気分になれる。自分が偉人になったように感じられ、何でもできると感じる。そして疲れを知らず何時間でもぶっ通しで動き続ける。
薬を定期的に服用している間は、そのいい気分が持続するが……服用をやめたとたん、あんたの夫のような症状に陥る。服用中は神経が異常な興奮状態にあったので、その反動が来るのだ。全身を焼かれるような苦痛を覚えるらしい。
ロランが僕には耳慣れない単語を口にした。ゼフォン博士は渋面のまま、ふむ、と唸った。
ともかくこの症状は、医者にはどうしようもない。これ以上ひどくなることはないから安心しろとしか言えん。
何日か、何週間か、あるいは何ヶ月かすれば……《生命の欠片》を服用していた期間の長さにもよるが……薬の影響が抜けて、今の症状も治まるだろう。それまでは我慢することだな。
ミレイユが呆然とした様子でつぶやいた。思いもかけない診断に、すっかり混乱している様子が見てとれた。