27.独立

文字数 3,571文字

 復帰後、ルーメンはリハビリも兼ねて帝都内の教会の手伝いをしようと思っていた。
 いくらでも手のある中央神殿とは違って、小さな教会では主教ひとりであれもこれもこなしていることもある。そういうところで勝手を知って、後にどこか田舎の教会にでも身を寄せようと先を見てのことだった。
 あの、砂漠の国に行くのもいいかもしれない。

 反省房に入っていた間、青い月とその伝説、そこから見えてきた土着の種族の影をずっと追っていた。似たような話が全土にあることも分かってきた。あちこちバラバラになっている話を繋ぎ合わせて、穴埋めをして推理する。
 どうやら青い月は特定の場所、それも特定の日にしか現れないらしい。乏しい資料は常に満月を窺わせていた。自分があれを見られたのは、本当に幸運だったのだ。
 誰に見せる訳でもない論文のような物が自室に増えていく。
 今の自室は以前フォルティスが使っていた様な狭い寮の1室で、不自由は感じていなかったが、以前よりも不躾に来る訪問者が少々鬱陶しかった。

 前総主教を護りきれなかったことを責める者。位を落とされたことを嘲る者。身近になったように錯覚して関係を迫る者。
 資料や本と向き合っていたいのは山々だったが、部屋にいない時の方が落ち着ける。
 いっそ田舎に引っ込んで自由にやりたいと思うのも、無理からぬことだったのかもしれない。それには体力を戻し、総主教(アスピス)から時々くるSOSを減らさねばならなかった。
 ウィオレ総主教補佐は、総主教から直接ルーメンに何かを要請することを良しとしていない。ルーメンの影響をできるだけ中央に残したくないというのが透けて見えていた。アスピスもそれを解っていながら、唯一の反抗のように彼の目をかいくぐってはルーメンに教えを請うのだ。

 ルーメンが意識を失っているのを見つけて、病院に入れてくれたのがウィオレだと聞いて、少しいい酒を手に礼を言いに行く。入室を許可されると、たまたまその場にいたアスピスがルーメンの髪を見て悲鳴に近い声を上げた。

「どうしたのです! その髪はっ。誰が!」
「寝たきりの者の世話をするのに長い髪は邪魔なのですよ。病院の方が切ったのでしょう。誰がそうしたかは聞いていないので分かりかねます」

 特に思い入れの無いルーメンは淡々と答える。
 それを少し意外そうにウィオレが見ていた。なんだか泣き出しそうにも見えるアスピスの情けない顔から視線を移すと、ルーメンは酒瓶を差し出した。

「無事に退院してまいりました。お陰で助かりました。助かって良かったのかは分からないですが」
「こちらも事務的に対処したまで。だが、まあ、もらっておこう。飾り気もないのは嫌味かね?」
「嫌味に見えない方を選んだつもりですが。延々包みを開けるのとどちらが良かったでしょう?」

 ふっとウィオレの口元に笑みが浮かぶ。
 そのまま口を開け、コルクを抜くとグラスに半分ほど注いでルーメンに差し出した。

「毒見をしていけ」
「病み上がりの者に酒を勧めるなど、酷い人ですね」

 言いながら一息に空ける。久しぶりのアルコールが喉を焼きながら落ちていった。

「お前はガキの頃から気に食わん」
「存じてます」

 ウィオレはルーメンの置いたグラスにもう1杯注ぐと、今度は自分で空にする。

「嫌な奴が持ってきても酒の味は変わらんな」
「少しお高い、良いものを選びましたので」

 ウィオレはにっこりと笑うルーメンに片眉を上げた。

「そういうところが嫌いだ」
「……ルーメン主教!」

 取り残されていたアスピスが割り込んでくる。

「また、伸ばしますよね?」

 ウィオレもルーメンも、アスピスの顔を一瞥してから互いの顔を一瞬だけ見合わせた。

「……猊下が、お望みとあれば」

 少々呆れたようにルーメンが言えば、ウィオレは机に視線を落として嘆息した。
 「約束ですよ」と力むアスピスに、ルーメンは適当に頷き返す。ウィオレは落とした視線でふと何かに気付き、抽斗を開けた。

「そうだ。これに目を通すよう渡しに行って気付いたのだ。勝手に入り込んだことに文句は言うまいな」
「こうして礼を言いに来ているではないですか。それにあの部屋に勝手に入ってくるのは総主教補佐だけではありませんので、諦めています」

 差し出された分厚く綴られた書物――ぱらりと捲ると資料のようだった――に手を伸ばしながらルーメンが言うと、ウィオレの眉間に皺が寄った。

「内鍵もあるだろう?」
「鍵をかける習慣がありませんでしたので、忘れるのですよ。人とはあんなにも自分のことを話したがるものだったのですね。今まで訪ねてくる者は決まってましたので新鮮でもありますし、そのうち飽きるだろうとは思ってるのですが――」

 資料をぱらぱらと確認していた手が止まる。

「あの事件が纏まってる。確認して誤りがないようなら、そのまま地下に保管されることになる。一晩あれば目を通せるか? 内鍵はかけろよ」
「分かりました」
「あと、勝手に入れるのは大主教位以上相当だな。さすがに恥ずかしい。名を教えろ」

 解剖所見で手を止めていたルーメンは資料を閉じると、机の上のペンを手に取ってその辺にあった適当な用紙に数人の名を書きつけた。

「重要な書類だったらどうするつもりだ」
「重要ではないと知っているから書いているのですよ」

 ウィオレの忌々しげな舌打ちが響く。

「『勝手に』でなければいつでもどうぞとお伝えください。それほど気にしてませんので、どうぞ穏便に」
「本当に、気に食わんな」

 軽く肩をすくめて「では」と踵を返すルーメンにアスピスは駆け寄った。

「ルーメン主教! 夏祭りの時に朗読する詩篇は決まっていたのですか?」
「猊下、来られずとも用があるのならお呼び下さい。行ける時は私がお傍まで参ります」

 だって、と言いたそうな顔で見上げられてルーメンは小さく溜息をついた。

「ウィオレ総主教補佐。私が死にかけている間、猊下はちゃんとこなしておられたのですよね?」
「もちろんだ」
「では、それも猊下がお決めになればいい。教えられる基本は全て教えたはずです。私もそろそろ外に出ていかねばならないでしょう。しばらくは大事を取って帝都内の教会のお手伝いをと思っていますが、ゆくゆくは小さな教会でも任せていただきたい。そうなれば今のように簡単にはお応え出来なくなるでしょう。私は病で死んだと思って、ウィオレ総主教補佐とよく協力してやって下さい」
「中央を、出ていくと言うのですか?!」

 思わずと言う風に袖を引かれて、ルーメンは困惑気味にウィオレを見やった。
 ウィオレは重い腰を上げてやってくると、そっとアスピスの手を放させる。

「中央では手は足りています。彼の年なら相応でしょう?」
「ウィオレ。貴方がルーメン主教を嫌いなのは知っています。けれど、彼は今まで教団を回してきたひとりです。手放すなど……!」
「猊下。私は嫌いだからと無下に扱っている訳ではありません。中央を出るお話も今お聞きしました。本人の希望は酌んで然るべきでは」

 言葉に詰まるアスピスにルーメンは軽く頭を下げた。

「どちらにしても今すぐという訳ではありません。教会の空きがあるわけでもないのですから。また改めてお話させていただきます」

 今度こそ総主教補佐の執務室を出て自室へと戻る。道すがら、ひとりでそこまで到達したことを追及されなかったなと気が付いた。総主教の自室こそ変わってはいるものの、そのエリアは通い慣れた場所。うっかりと踏み込んでいたが、本来ならばもう登録証の変更をしていなければならないはずだった。
 首からかけているそれを取り出して眺めてみる。金属製の角の少し丸い板には名前が浮き上がっているものの、遠目には他の物と区別はつかない。
 先程渡された資料を、図書室の地下にある総主教しか開けられない書棚に保管して、この事件に区切りがついたら変更する手筈が、ルーメンが入院したことで有耶無耶になっているのだ。

 それをまた胸元に仕舞い込んで、ルーメンは手にした資料に視線を落とした。
 ウィオレの前で適当に開いていた時、目についた1枚。
 人体図にはっきりと記された胎児の痕跡。
 文字は仕方がない。けれど、誰にでも一目で解る図に表されているのが不快で哀しかった。そこだけを見てウィオレのように彼女を貶められるのは嫌だった。罪を犯したのは自分なのに。

 部屋に戻り、内鍵をかけ、資料の全てに目を通しても、その思いは消えなかった。誰の目にも触れる物ではない。仕舞い込まれた資料はそうそう引っ張り出される物でもない。いっそ、この場で焼き捨ててしまっても気付かれないのではないか。
 そんな衝動にも駆られたが、戻った資料をウィオレが確認しないわけがない。深い溜息と共に黒い思いを飲み込んで、ルーメンはその場で長い祈りを捧げた。
 前総主教とその、子に。
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登場人物紹介

幼少期のテル。


イラスト:151Aさん

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