文字数 2,093文字

空調の効きがわるいまま、晩夏がやってきていた。
だから僕が体調を崩したのは、会社のせいだ。かわいい女の子が風にスカットをバサバサいわせながら空から飛び降りてきて僕の背中に蹴りを食らわせたので、僕は前にのめって頭を地面に打ちつけた。そんな甘美な夢が僕を起こすまで、僕が居眠りしていたのは、(ひとえ)に会社のせいだ。
首を上げて、口の端から垂れた涎を掌でぬぐって意識がもどってくると、僕のまわりの席に誰もいなくなっていて、窓から差し込む夕陽がさびしい。
皆、奥の部長席の前に集まり立ち、彼らにむかってやはり立った姿勢で語るズングリして頭の禿げ上がった部長の話をきいているのだった。なんだか、親戚・知友が墓地の片隅につどった、埋葬の光景をおもわせた。
居並ぶ十数名の社員が屏風になって、眠る僕をかくしていたものらしい。
「そういうわけだから」と、総括に入った部長の声が聞こえ、とにかく終話まえに他の従業員に合流しておこうと思って、僕は腰をかがめてニワトリ歩きでちょこちょこと寄っていった。「残業代はもう、うちの会社では出せないんだ。そして、人員不足のうちの会社では、どうしても諸君の残業が欠かせないんだ。そこで、窮余の策として、残業代のかわりに、ペンギンを支給することとなった。これは役員会で決定済みのことだ。理解してくれたまえ」
「でも、ってわけじゃないですけど」と体育大学を出て四月に入社したばかりの、長身で柔軟な筋肉を備えた身体をこの会社では有効に活かせない大田が、「現物をみないと返事できないです」
「現物、、、」と、部長は口ごもった。
「いや、現物、は適切な言い方じゃないでしょうけど、要はペンギンをみてみないと」
「ペンギンはペンギンだよ。それにきみ、そのペンギンをみて気にいらなかったからといって、会社を辞めるだなんて、けっして許されんよ」
大田は「いやペンギンがどうこうじゃなくて、辞めるとしたら超過手当てが出ないのがイヤなので」と言いたそうな、わかりやすい表情をしたが、部長に大田の気持ちを推量する意思はないというのもわかりやすく読み取れた。
「大田くんは、ペンギンを転売しようと考えているんじゃないでしょうか」入社5年目にして中堅の緒川係長が発言した。不機嫌そうな声だった。彼女は部下の気持ちを徹底して誤解してみせる恐ろしい人物だった。
「そうか。残念だが転売はできんよ。受け取ったら飼ってくれたまえ」部長はつねに緒川係長に話を合わせた。
「えっ、そんな――」と言おうとしたのらしい泣きそうな表情の大田を、かすかに「え」が聞こえるか聞こえないかの段階で制して、
「会社が大変なときは、社員で支えていきましょう」と緒川さんが、力強く言った。
と、オフィス・スペースに隣接した応接室で、大きく鋭いペンギンの声がひとしきり。
いったい何羽いるのだろう。数十羽はいるようだ。皆その鳴き声にビクッとした。
「前払いするということで、実は応接室に待機しているんだ。さっきまで静かだったのに」と部長が言葉を切ると、従業員一同暗く押し黙るようだった。
部長が咳払いして、
「書式を用意してあるから、各自パソコンなりタブレットで受け取り同意にサインしてくれたまえ。残業してもらわなくちゃならないが、業務に切りがついたら、ペンギンを連れ帰るように。以上」

僕は膝が震えるほど悲観せざるをえなかった。
念力があったら、僕はどうするだろう? と考えてみた。スプーンを曲げている自分の横にいるペンギンが卵を抱いている姿しか思い浮かばなかった。
しかし僕の想像はみるみるポジティブ化し、そのペンギンは明るいピンク色で、笑顔で、どうやら僕のことが好きなようだった、、、
「よし、残業代も出なくて、オフクロになんの孝行もできちゃいないが(母ちゃんは今日も納豆に沢庵、歯槽膿漏の歯茎にぷすッと爪楊枝さしちまったまま居間でイビキ、起きれはすぐにレジ打ちに出かけるためにシャワー、メイクアップ)、ペンギンと僕と一人と一羽、ちいさな幸せを噛みしめて生きていこうっ!」とラップトップを前に目頭を熱くしたとき、
「あ、探偵さん、なぜここに」という部長の声に振り向けば、オフィスに雨傘さした双頭の化け物が。
二本の首に二個の顔、二個の頭、つまり双頭のイケメン。それが探偵だった、、、
「霊の退治に参上したしだいです」と、探偵は二つの口で同時に言った、なにしろ顔が二つあるのだから。
「そんな! 今日は役員がぜんいん資金繰りに出かけていて、決裁をする者がいないんですよ。困るなあ、ウチの会社がジリ貧なのは、ご存知でしょう? 霊退治に支払うカネは、ご用意困難ですよ。困るなあ」
「どんな霊なんです?」探偵がもたらした情報に興奮した緒川係長が一歩踏み出すと、スカートが破れハラリと落ちて、黒ストッキングの向こうのベージュのパンツが見えてしまう事態に。
「困るなあ! 緒川さん」と部長が激して叫んだ、「ユニフォームを大切にしてくれんと!」蛸のように赤くなり蒸気を噴き上げる頭を両手に抱えた。
「好きです!」と大田が緒川さんに突進して抱きすくめた。
探偵の四つの目は、たしかに僕を凝視していた、、、
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