6 触れて感じるもの

文字数 1,626文字

 時折、物思いにふける奏斗。
 愛美の視線に気づいては笑顔を作る。
 その態度は不自然そのものだった。

──年上の元カノと別れて、半年以上。
 大川結菜とつき合い初めたのは割と最近。
 久々だから緊張でもしているのかしら?

 人間には本能もあるが理性もある。
 そして思想もあれば心もあるし、羞恥を感じることもある。
 だから失敗したくないと思うことが男心だと言われれば理解もするのだが。どう見ても頑張って楽しそうにしているとしか思えない。
 こんな時は”案ずるより産むが易し”だと励ますべきだろうか?
 いや、もしかしたら触れて欲しくないかもしれない。

「月が綺麗ね」
 ガラス戸の向こうには個室用の温泉。湯煙の向こうに月が煌めていた。
「そうだな」
 言葉少なにガラス戸の前に立つ愛美を見上げる奏斗。
 そんな彼に近寄り、その腕を掴む。
「向こういこうよ」
「うん」
 隣の部屋には並べられた二組の布団。これはあの日の続きなのだと思っていた。少なくとも愛美にとってはそうだった。
 腕を掴まれ立ち上がる彼。浴衣の首元と鎖骨に目が行く。

「奏斗、意外と浴衣似合うのね」
「意外と?」
 浴衣が似合うのは黒髪だと思っていた。そう告げれば、彼はクスリと笑う。
「たぶんだけれど、似合う似合わないは顔だと思う。日本人顔なら似合うはず。髪の色は関係ないよ」
 女性は体系もあるかもねと付け加えて。
「どうしてそう思うの?」
 布団の上に腰かけながら。
「なんでもバランスだと思うよ? 外国人に浴衣が似合い辛いのは、浴衣に対して横と縦のバランスが良くないから」
「うーん?」
「比率ってことだよ」
 月明りだけの部屋。愛美はわかったようなわからないような反応をしながら、奏斗の首筋に指先を走らせる。

「なあ、ほんとにするの?」
 彼の不安そうな瞳。
「まだ恥ずかしい?」
 女性に不慣れなのかと思い、一緒に温泉にも入ったのだ。
 露になった愛美の肌に、彼は目のやり場に困るというように視線をそらした。
「そうじゃない……後悔しない?」
 なぜ後悔などするのだろう。好きな人と繋がりたいだけなのに。
 他の女と散々することして、自分とはしないというのだろうか? そんな想いが頭をもたげ、責めてしまいそうになる。
 将来を近いあったのに簡単に諦めて他の人となんてと。

 だが致し方ないのだ。
 終わったものは追いかけてはならないもの。それが人間界のルールのようなものなのだから。好きだと思うことは自分勝手な想いなのだろうか?
 相手のいることだからそうなのだろうとも思う。
 この執着は他人からしたらおかしいのだろう。

「大川さんを裏切ることになるから躊躇っているの?」
 だったら別れればいい。
「そんなに彼女が好きなの?」
 わたしよりもという言葉を飲み込む。
 奏斗はうつむいたまま何も答えない。
「あの時、探してくれたんだよね? それなのに奏斗にとってはそんな簡単に終われるものなの? わたしは後悔した。名前くらい教えたら良かったって」
 彼が驚いて顔を上げる。何に驚いたというのだろう? 
 今更なのに。
「奏斗が訪ねて来たのに、わたしに教えてもくれなかった塾の講師も恨んだ。わたしはすべてが憎いわ。自分自身も含めて」

 後悔しなかった日なんて一日だってない。 
 彼が抵抗せず受け入れるこの毎日だって同じ。彼が自分を求めないことに不安しか感じない。空虚で空っぽの毎日。ただ一緒にいられるだけで幸せだと思えたならどんなに良かったか。
 時が戻せるなら、全てやり直したいくらいだ。
 彼を信じなかった自分をどれだけ憎んだかわからない。
 失って初めて気づくのだ、自分の過ちに。

「I need you. If I have you, I don't need anything else.」
 愛美は何かの歌詞のように呟く。
 奏斗はごめんと言葉を漏らし、抱きしめてくれた。
 その”ごめん”にどんな意味があるのかわからないまま、熱を分け合った。
 ただ、未来を信じて。
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