お熱いのがお好き (4)
文字数 1,111文字
こんなの人に見せられない。まして貸すなんてあり得ない。
「ほんとごめん」
彼女はさっとひざまずき、自分の髪からしたたるしずくにはかまいもせず、そのハンカチを手に、エドマンドの濡れた服をぽんぽんとたたき始めた。
この瞬間、さっきの水以上にすさまじくほとばしる殺意が周囲から彼めがけていっせいに放たれたことは言うまでもない。
「じ、自分で拭きます」それでも果敢にハンカチに手をのばすエドマンドだ。
「いいよ」
「いいです」
「だってこれ使いすぎてくたくたのやつだから申し訳ない」
「いやぜんぜんかまわないというかむしろ」(使いすぎて! くたくた! なにそれ超プレミアム、柔らか~いの? 汗とか涙とか、あんなところとかこんなところとか拭いて……??)「あっ、あ、洗って返します」
古ハンカチをすばやく奪い取られてあっけにとられたカミーユだったが、やがて涼やかに笑った。
「いいよ、返さなくて。捨てちゃって。それより早く着替えよ」
そして例の透きとおるような指で濡れた髪をかきあげると、自分の体を見下ろし、はずかしそうにつけ加えたのである。
「わたしも濡れちゃった」
例によってカミーユには1ミリの他意もなかったのだが。
一刻も早く乾いた服に着替えようと走っていく彼女の背後で、佐々木エドマンドは鼻血を吹いて仏倒れ※に倒れた。
(濡れちゃった(ちゃった(ちゃった(ちゃった…… ←佐々木の脳内でのエコー
危ういところで後頭部を強打せずにすんだのは、駆けつけてきていた梶原エドガーがすぐ後ろにいて受けとめてくれたからだったのだが、受けとめながらエドガーは心に固く誓った。
(佐々木殺す)
浮世絵とかにも描かれてすごく人気の高い「宇治川の先陣争い」なんだけど、もしかしてこのハンカチ争奪戦とあんまり変わらな……かったりして? と思ってしまったりする作者だがこれ以上書くと正統派歴史小説ファンのかたがたにぶち殺されそうだからこのへんでやめる。
※「仏倒れ」
能の「斬り組み」つまり殺陣のシーンで、斬られた役が体をまっすぐに硬直させたままばったりと後ろへ倒れる型のこと。決まると死んだ感が半端なくてかっこいいのだが、お察しのとおりひじょうに危険。(お能って幽玄なだけじゃなくて、ときには過激というか激ヤバです。)
後ろへ倒れるのを「仏倒れ」、前へ倒れるのを「地蔵倒れ」と呼ぶ。
と習ったのだけど、調べたら歌舞伎では前へ倒れるのを「仏倒れ」と言うらしい(後ろはわからない)。どこで入れ替わったのだろうか。ご存知のかたがいらしたら教えてください。