第21話:テロ事件と母の突然死と葬儀

文字数 1,781文字

 2015年1月にパリで風刺週刊紙が、国際テロ組織アルカイダに共鳴するイスラム過激派に襲撃されて以降、過激派組織「イスラム国」などによる大規模テロが各地で多発。チュニスで3月に起きた博物館襲撃では、邦人3人も犠牲になった。10月にはアンカラで自爆テロがあり、エジプトではロシア旅客機が爆破された。

 11月もベイルートの自爆テロに続き、パリで同時テロが発生し、130人が死亡。いずれも過激派組織「イスラム国」が犯行声明を出した。米国でも12月にカリフォルニア州で過激思想に染まった夫婦による銃乱射事件が起きた。パリ同時テロを受け、英仏がシリアのIS拠点への本格空爆に踏み切った。

 こうした米主導の有志連合に加え、ロシアもアサド政権を支援する立場からシリア空爆を9月に開始。ISに対する国際的包囲網が強まっている。過激派組織「イスラム国」は2015年1月、シリアで行方不明になった湯川遥菜さん「当時42歳」とフリージャーナリストの後藤健二さん「当時47歳」を人質に取り、殺害した。

 過激派組織「イスラム国」は、それまで欧米人を殺害したとする動画を公開してきたが、邦人が犠牲になった事件は初めてだった。 過激派組織「イスラム国」は、安倍晋三首相がIS対策として2億ドルの人道支援を表明した後、2人の殺害を警告するビデオ映像を公開。72時間以内に同額の身代金を支払うよう要求した。

 期限切れ後、ISは湯川さんを殺害したとする画像をネットに投稿し要求を身代金からヨルダンで収監中のイラク人女死刑囚の釈放に切り替えた。日本政府はヨルダンなどに協力を求め、人質解放に努めたが、その後、後藤さんを殺害したとする動画が公開された。この年、外国人観光客激増と爆買いが起こった。

 2015年1~11月の訪日外国人数は、日本政府観光局の推計で前年同期比47.5%増の1796万4400人に達した。円安に加え、日本発着の国際航空路線の拡充、査証「ビザ」発給要件緩和などを背景に、過去最高だった14年の年間実績「1341万人」を既に上回った。15年年間では1900万人台に達する見込みだ。

 この年も元気に過ごしていた柳生敦夫の母、律子さんが、2015年8月10日、朝起きてこない。それを不思議に思い、奥さんの梅子さんが、律子さんの部屋に入るとエアコンが止まっていて、律子さんが、寝たままだった。そこで、声を掛けて、次に、体を少しゆすったが、反応がなく、口の前に、手をやると息をしてないようで、とっさに脈を測った。

すると、脈を打ってない。そこで、大声で敦夫を呼んだ。敦夫が脈をとると反応はなく、額に手をやると冷たくなっていた。念のために近くのけいゆう病院に電話すると少しお待ちください、若い先生を行かせますと言うので待つと5分位で若い先生が来た。そして、母の脈、首の大動脈、瞳孔を見て、ご臨終ですと告げた。

 9時過ぎたら遺体を引き取り来ますと言われ了解した。引き取りを待ち敦夫と梅子が病院の車にのり病院に着いた。死亡診断書は、今日中に渡しますので、この書類を書いておいて下さいと書類を数枚、渡され、敦夫が書き込んだ。葬儀社の手配をして良いですかと聞くと、多分、昼くらいには死亡診断書がもらえますから、ご自宅に、ご遺体を引き取れますと教えてくれた。

 そこで、葬儀社に電話して、棺と霊柩車の手配をして、近隣の葬儀場の空き具合をしれべておく様にお願いした。昼過ぎに霊柩車が来て、自宅に帰った。葬儀場は、一番近く横浜の葬儀所が6日後、8月16日、11時、空いてると言われたので、直ぐに、葬儀の申し込みをした。その後、電話で八王子の柳生の親戚の人に、8月16日11時からの葬儀の話をした。

 そして、周辺に住む親戚に連絡しておいて欲しいと告げた。その後、電話連絡で38人が、葬儀に参列することがわかった。8月16日は、曇り空で、それ程、暑くなくて38人が全員集まり型どおり葬式が進行。坊さんの読経と、ご焼香を済ませて敦夫が骨を拾った。1時間かけて八王子の菩提寺の父の墓に、一緒に葬った。

 葬儀の最中、母の優しかった事、その優しさで、助けられた人たちの話を聞くと、参列者の涙を誘った。特に、敦夫の奥さんの梅子は、飲んだくれの実の父から、引き取って育ててくれたことを思い出し、葬儀では、終始、涙にくれていた。
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