カオリ

文字数 2,074文字

この人は今きっと、
隣にいるのが私だということを忘れている。


違う場所にいる、
あのコのことを思っている。



ずっと特別だと思っていた。
シンちゃんは私の特別で、
私はシンちゃんの特別だった。

家が隣同士。
物心ついたときからずっとそばにいて、
シンちゃんを好きなのは、
当たり前のことだった。
いつもいっしょにいることも、
当たり前のことだった。

公園で一緒にブランコで遊んで、
ランドセルを背負って、
行きも帰りもずっといっしょ。
初めて手をつないだのも
バレンタインのチョコを渡したのも
シンちゃんだ。
花火は毎年一緒に見るのが恒例だった。


中学に入って、
シンちゃんの背が私よりずっとずっと高くなった頃から、
私はシンちゃんの背中を追うようになった。
高校も、
いっしょにいたくて
シンちゃんが行くとこに決めた。


シンちゃんは歩幅を合わせてくれたりはしない。
ただ、
時々振り返ってくれるだけ。


好きだとは言わなかった。
言わなくても、
そばにいることができたから。
幼なじみだから。

特別だから。


中学のときはモテたけど、
シンちゃんは恋愛に興味がなかった。
だからずっと、
安心していた。

いつまでも、
私は特別でいられるって。

シンちゃんも、
そう思ってくれているって。


誰かに聞かれたら、
二人の関係は
「幼なじみ」
と答える。

友達、
でも、
親友、
でもなく。
それが『特別』の証の気がした。


高校に入っても、
シンちゃんは相変わらず男子とつるんでいた。
1年のときはクラスが別だったけど、
2年で同じクラスになれた。


私はシンちゃんをずっと見ていたから、
すぐにわかった。

シンちゃんがサホのことをいつも見てること。

何にも言わなくたって、
わかってた。

サホに夏祭りに誘われたとき、
思わずシンちゃんを誘ったのは、
もしかしたら私を選んでくれるかもという自信が
どこかにあったからかもしれない。

いや、
単にシンちゃんと行きたかっただけかな。



夏祭りでシンちゃんはサホのことしか見ていなかった。

お祭りに向かう途中、
シンちゃんが
サホに「幼なじみ」と言ったのが聞こえた。
私との関係に違いない。


その言葉が初めて
『特別』ではない、
と聞こえた。


私はきっとずっと
幼なじみという答えでなくなることを
期待していた。


シンちゃんが、
サホが他の男の子と近づかないように必死で阻止したり
サホがシンちゃんにたこ焼きを買ってもらったりするのを見るのが
たまらなく嫌だった。

つらかった。


でも、サホはそういうコだ。
サバサバしてて、男女関係なく親切で、嫌味がない。
だから2年になってすぐに仲良くなれた。
実際、シンちゃんを特別扱いしてるのではない。
誰にでもそうだ。
サホに嫌な思いを抱くのは、
私がシンちゃんを特別に思っているからで、
嫌な気持ちを持つ私の方がおかしいんだ、
と自分に言い聞かせる。



サホになりたい。



こんなに近くにずっといたのに。

特別な場所にいたから、
特別にはなれない。



今年はいっしょに見られないと思っていた花火大会に、
偶然、
シンちゃんと来ることができた。


人混みの中、
シンちゃんとはぐれそうになる。
背中を
必死で追いかける。
あの腕につかまって
待ってって言いたい。

でもできない。

そうしたら
こぼれてしまう。
あふれてしまう。
私のきもちが。

こわれてしまう。
私たちの
特別な時間が。



けれど、
今ならまだ、
そばにいる。
手を伸ばせば、
触れられる距離に。



打ち上げ場所のかなり近くまで行って、
やっとシンちゃんは足を止めた。


「うまく、いかねえな」
シンちゃんが突然口を開いた。

「…何が?」

どうしたんだろう。
サホにふられたのかな。

「いろいろ」

そう。
うまくいかない。

「…うまく、いかないねー…」


言ってしまおうか。
こわしてしまおうか。

数秒の沈黙で決心し、
口を開く。

「シン…」
「オレ、やっぱサホが好きだ」
私の声とシンちゃんの声が重なる。
そして、花火の音も。

サホと言った。

シンちゃんが、初めて、サホを下の名前で呼んだのを聞いた。

「え?なに?なんか言った?」

とっさに聞こえないフリをする。
「聞こえなかったんなら、いー!」

シンちゃんが、花火を見ながら笑った。



シンちゃんが、私の方を見ていなくて良かった。

涙なんて出てないみたいに、
何にもないフリをするのは得意だ。

10年以上、
私はこの人のとなりで、
きもちを隠してきたのだから。
失うのがこわくて、
置いていかれるのがこわくて。
でももう、
シンちゃんは、
手をつないではくれない。




並んで、

歩いていれば良かった。




シンちゃんは
サホとの距離を
1歩縮めた。
そしてまた
1歩進もうとしている。

私のこのきもちは、
この場所に置いていけるだろうか。
私は…
前に進めるのだろうか。

シンちゃんの背中ばかりを追いかけていたから、
シンちゃんがいなきゃ
進む方向がわからない。
シンちゃんのいない未来は
想像もできない。



失う勇気はまだ持てない。



もう、
言えない。
言わない。
絶対に。



言うもんか。



あなたを、
これからも、
『幼なじみ』と呼びたいから。


だから、
シンちゃん。
手を伸ばしても届かなくなるところまで、
せめて上手に、
離れていってね。


私はまだ、
きっと、
あなたのことを、
ずっと。



花火の光が、
シンちゃんの横顔を照らす。


涙が、
夜に溶けていった。








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