2.異変

文字数 1,292文字

家に着くとハイヒールを脱ぎ捨ててリビングにあるソファに力なく倒れた。
朝から晩まで仕事をこなした後は家に直行したいものだけれど、千秋が元気でやっているか確認できるのはあの時間あの場所でしかできない。
もう三十路も目前、こんな生活が体力的にも精神的にも続けられるか自信がない。
スマホを見るとあと1時間で日付が変わろうとしていた。あんなに空腹だったのに、ヤマトのあの一言で食欲はどこかに行ってしまった。
「もう来るな。」
あの声が頭の中で重苦しくこだました。
どう変換しても良い意味にはならない。明らかに私に向けた悪意ある発言だった。
写真会にも参加せず会場に居座っていたことが気に食わなかったのだろうか。
それとも以前千秋に対してやたらと距離の近かったファンに食ってかかったことをよく思ってないのだろうか。姉としての気持ちも察して欲しい気もするが、運営側としては確かにかなり迷惑だったかと思う。今にも殴り掛かろうとする私を必死に止めようと複数のスタッフに囲まれたことは今では良い思い出だ。はぁっとため息をつき冷蔵から牛乳を取り出した。考えがまとまらない時はホットミルクにはちみつを入れたもので体を温める。
これを飲むとガチガチになった自分の頭がほぐれていく気がする。一口飲むと、ふぅっと自然に息が漏れた。
スマホをバッグから取り出しSNSを開いた。
SNSに関しては疎いのでフォローしているのは千秋だけだった。
「chaki-1012」
自分のあだ名と誕生日をくっつけたシンプルなアカウント名だ。たいていがライブ時の写真だったり、その日食べたものの写真などが投稿されている。
今日の投稿は皿にのったスイカ一切れだった。果肉が毒々しいくらい赤くなんだか血のように見えた。
おかしい。
いつもの写真のテイストと違う。千秋だったらもっとキラキラさせた加工を施して良く見えるように工夫するだろうに、この写真は加工もなくなんのこだわりもないように見える。
何よりどの写真にも写っているはずの千秋がこの写真にはいない。
タグは「#Suika」のひとつだけだった。
私が知らないだけで若者の間で流行っていることなのかもしれない。いいねボタンだけ押しておこう。
「saki-0405」咲希、私の名前と誕生日をくっつけたシンプルなアカウント名の足跡だけ残してその日は布団に入った。
次の日の夜、SNSを開くと新規の投稿があった。今度の投稿は皿にのったおにぎり一つだった。
米一粒一粒の輪郭が妙に浮き出ていて集合体恐怖症の私にはまったく食欲をそそらないおにぎりの写真だった。
タグはこれまた「#Onigiri」の一つだけ。
ネットで調べてみたがそんな流行りごとはヒットしなかった。通常毎日SNSは更新されていたのに、次の更新は5日後のライブがある前日だった。
投稿写真はまたスイカの写真。おそらくこの間投稿していた写真を使いまわしているようだ。
タグは同じく「#Suika」。
謎の投稿にファンから寄せられているコメント欄がやや荒れていた。
「#Suika」
「#Onigiri」
「#Suika」
あ、と声が出た。縦読みなんかが一時期流行っていたけれど。まさかね。


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