夏休み

文字数 1,048文字

アバドンの まかりこしたる 夏休(なつやす)

<解説>

 かなり久しぶりの投稿になります。

 数か月前のことですが、SNS上で伝統俳句をやっているという方から自作品を誹謗中傷され、失意あまって創作意欲がなくなっていたのです。

 その方にも当然言い分があるのでしょうが、正直もう俳句なんて作るのはやめてしまおうというところまで追い詰められました。

 そんなおり、ドライブの車中でたまたまマーラーの交響曲を聴いていたんです。

「そういえば俺、作文のマーラーになるんだとかほざいてたよなあ」

 そんなことを思い出しました。

 自分の作品は伝統俳句とは違う、いうなれば「アウトサイダー俳句」です。

 頭の中にある世界観を句に投影するというやり方で創作しています。

 アウトサイダーアートの俳句版ですね。

 有名な方では石牟礼道子さんでしょう。

 切れば血の吹き出しそうな作品群に圧倒されます。

 わたしなど足元にも及びませんが、伝統俳句とは対極にあるかと思います。

 松尾芭蕉はさしずめ俳句のバッハといえそうですが、それならばもし、伝統俳句とアウトサイダー俳句の潮流を一つにできたのなら、あるいはわたしは「俳句のマーラー」になれるのかもしれません。

 このようにわけのわからない使命感によって、ほうほうのていではありますが活動を再開した次第です。

 さて、今回の句ではちょっとした実験を試みています。

 「夏休み」という伝統俳句の流れをくむ歳時記と、「アバドン」という俳句ではまず使用されない語句をつなぎ合わせてみました。

 聖書の知識がある方ならば、新型コロナウィルスに脅かされる現状が、「ヨハネの黙示録」にそっくりだと思われているでしょう。

 この世の終わりにおいて、第一の天使がラッパを吹くと、アバドン(またはアポリオン)という悪魔が地の底から現れ、イナゴの大群をまき散らすと記述されています。

 古来からイナゴは疫病の象徴とされてきました。

 新型コロナウィルスは人類の終焉をもたらすのではないという暗示にも取れます。

 本来なら夏休みとは楽しいもののはずですが、感染症におびえて過ごしているわれわれの現状を、聖書の記述になぞらえて詠んでみました。

 伝統とアウトサイダーを合流させようという試みなわけですが、いくらなんでも単純な思いつきだったかもしれません。

 まあ、千里の道も一歩よりということで、なにとぞご容赦ください。

 受けた傷はいっこうに癒えませんが、調子を見ながら細々と更新していければと思いますので、よろしければ引き続きおつきあいください。
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