7・少年時代
文字数 4,312文字
AD12年、ナザレ――――
「イエスー!遊びに行こうぜー」
「あー、今行くよ」
あれから俺はスクスクと成長し、
こちらで12歳の少年となっていた。
今、住んでいるところはナザレという所だ。
「イエス、あんまりおそくならない内に帰ってくるのよ?」
「ああ、晩ご飯までには帰ってくるんだぞ?」
「うん、わかってるよ」
こちらの言葉もわかるようになり、
俺を拾って育ててくれた男の人と女の人は、
それぞれヨセフ、マリアと言う人達だとわかった。
「やれやれ、やんちゃに育ったもんだ。誰だ?救いの御子なんて言ったのは」
「ふふふ…。それでも、私達の子供に変わりはないわよ」
二人は、俺を拾った子供とは一切言わず
自分の子供として愛情込めて育ててくれている。
そして、俺は二人の事をそれぞれ父さん、母さんと呼んでいる。
「おー、イエス。待ってたよ」
「今日はなにして遊ぶ?」
「鬼ごっこ?」
「かくれんぼ?」
俺はこちらの世界では、何故か友達が多く寄ってきた。
一風変わった雰囲気と、子供にしては大人びた何かがあるからだろう。
それに、小さい頃やった日本の色々な遊びが
こっちの子供には珍しいらしい。
子供時代に戻ったみたいで、何だか楽しい。
まぁ実際戻ってるんだけど。
それに、ゲームやネットがないからこうやって楽しむ他にないというのもある。
「ただいまー」
「お帰りイエス、晩ご飯よ。手を洗ってらっしゃい」
「お、今日はちゃんと帰ってきたな」
二人とも、とても仲のいい夫婦だ。
本当に子供が居ないのが不思議でしょうがない。
一度聞いてみようと思ったが、
俺ぐらいの年齢の子供が聞くべき事ではないと思ってやめておいた。
「さて、みんな揃ったね。では、食事の前のお祈りをしよう」
「そうね」
「うん」
「天にまします、我らが神よ…」
「皆が善とされますように…」
「御国が来ますように…」
こちらの世界に飛ばされて、しばらくは無性に和食が恋しかった。
白いご飯に味噌汁、油ののったサンマに醤油をかけて…。
しかし、無いものをねだっても仕方ない。
それに、しばらくする内にこちらの食事にも慣れてしまった。
こちらでの毎日の食事は1日2食、ご飯の代わりにパン。
オリーブをしぼったオリーブオイルにひたして食べたり、
野菜や豆や魚を煮込んだスープにひたしたりして食べる。
それにチーズやヨーグルト。
羊の肉がたまに食べられるが、これは特別な日にしか出ない。
いちじく、ザクロ、ナツメヤシは、チョコやらアイスクリームやらが
存在しないこの世界では貴重な甘いものだ。
「さて、明日は神殿に行く日だな」
「ええ、そうね。イエス、ちゃんとお説法を聞くのよ?」
「わかってるよ」
神殿とは、ここでいう所のいわゆる教会のようなもの。
夫婦は俺を伴ってたびたびそこに出かけ、
司祭の話に熱心に聞き入り、神に祈りを捧げる素朴な信仰をしていた。
が、俺にとっては司祭の話はあまりに長く、一度腹が痛いと嘘をついてサボり、
それがバレてこっぴどく怒られた事があった。
「さて、食事も済んだし今日はもう休もうか」
「ええ、そうね。お休みイエス」
「うん、お休みなさい」
日が沈むとほとんど同時に、みんな寝てしまう。
そんな、質素だけど穏やかな毎日が続いていた。
「そうそう、寝る前にあのお話をしてあげる」
「ん?」
「イエスが、馬小屋で生まれた時にね」
「ああ、その時の話」
「ベフヘフェフの星に導かれたという、3人の不思議な人たちがやってきて…」
「もう、母さんったら。ベツレヘムでしょ?」
「ええそうね、ウフフ…」
「もう。その話をする時いっつもそうなんだから…」
「その人たち、イエスの事を救いの御子って。ウフフ…ああ、おかしい」
「ちゃんとベツレヘムって言ってよ母さん」
「はいはい、ベツレヘムね。だから明日、ちゃんとお説法聞くのよ?」
「そうだぞ?イエス。じゃないとガブリエル様に怒られるぞ?」
「わかってるよ父さん」
「ええ。じゃあ、お休みなさい、イエス」
「うん。お休みなさい、母さん」
「…さてと」
簡素な自分の部屋に入ったあと、
俺は物入れに使っている箱からある物を取り出した。
日本語で書かれた、聖書の小冊子。
俺が10歳になる頃に、母さんが渡してくれた物だ。
これを俺に渡すとき母さんは、
俺が生まれた馬小屋に落ちていたものと説明した。
俺を拾った子とは一切言わない。
不思議がる近所の人たちにも、父さんと母さんはそう説明しているようだった。
この頃になると、もう俺は置かれた状況を理解していた。
俺は、キリストとしてこの世界…。
紀元1世紀の古代イスラエル世界に転生したんだ。
何でそうなったかはともかくとして。
父さんと母さんの名前がヨセフとマリア、
僕のこの世界での名前がイエス。
馬小屋で生まれた事になっていて、その時に、いわゆる東方の三博士…。
ベツレヘムの星に導かれたという、3人の老人が現れる。
その他小冊子に書かれた内容と、今まで経験した出来事がほとんど一致している。
一箇所を除いて。
聖書の小冊子を開いて見ると、ベツレヘムの星の所が
見る間にかすれ、代わりにベフヘフェフの星へと変わっていく。
はぁ、また…。
いくらキリスト教の知識がない俺でも、ベツレヘムの星ぐらい聞いた事はある。
東方の三博士を導いたというのは、ベフヘフェフの星でなくベツレヘムの星じゃなかったか?
つまりこれは、ほんの少し未来が変わってしまったという事なんじゃないか?
母さんが、俺の生まれた時の話を誰かに言うたびにおかしそうにベフヘフェフと言い、
それを誰かが大真面目に記録して、それが後世に伝わって…。
何だか、未来の人に申し訳ない。
だから、俺は母さんがこの話をする度にベツレヘムでしょ、と訂正するけれど
直ったかな、と安心しているとこのようにまたすぐに元に戻ってしまうのだった。
「いつになったら、元にるんだろ…はぁ」
けど、この様にして一瞬は元に戻るんだ。
根気よく繰り返すしかないか…はぁ。
そして何気なくパラパラとページをめくる。丁度今の俺の年齢と同じ時期の
キリストがどういう風だったのかが書かれている。
12歳だったイエスキリストが、子供ながら神殿の司祭と対等に議論して
周囲を驚かせたというエピソードが載っている。
きっと、真面目で頭が良かったんだろう。
俺みたいに神殿に行くのをサボッたりなんかした事がないに違いない。
「ふぅ、明日神殿に行ってあの長い話を聞かされるのか…」
この時代の、神様を大真面目に信じてる人たちにとっては
大昔の神話的物語は、リアリティのあるとっても興味深いものなんだろう。
けれど、俺みたいに信仰心をカケラも持ってないような人間には
荒唐無稽で退屈な話にしか思えなかった。
「明日、サボろっかな。さーて、今度はバレないように何て言い訳して…」
時には3時間にも及ぶ長々とした話を聞かされるよりは、
近所の子たちと鬼ごっこでもしていた方がマシだ。
その時、ふと小冊子に目を落とすと、異変が起こってる事に気がついた。
「…あれ?12歳のキリストのエピソードが消えている?」
ついさっきまで小冊子に書かれてあった、
12歳のイエスキリストが神殿の司祭と対等に議論したという
エピソードが消えてしまっている。
もしかして、俺が明日サボろうと決意したから…?
気になった俺は、次のページをめくって見た。
そこには、とんでもない記述が現れていた。
「…その後伝道の旅に出たイエスですが、救いの御子と誰にも信じて貰えず…?」
「その教えは全く広まらず、代わって生贄の儀式を行うモーロック教、バァル教など」
「それが辺り一帯に広まって、毎日のように血なまぐさい生贄の儀式が…!?」
俺は、おそるおそる次のページをめくって見た。
「やがて、誰もが人の命を何とも思わなくなり…?」
「そして暴力、殺人が当たり前の世界に…!?」
一瞬、頭に12年前俺がこの世界に転生したばかりの時の
あの町での光景が蘇った。
無残に殺され、そこら中に放置された血まみれの人々。
それが、当たり前の世界に…?
「い、行く、行くって!明日は絶対!」
俺は大慌てで、小冊子に向かって語りかけるようにそう言った。
するとエピソードが復活し、おどろおどろしい記述も元に戻った。
明日、俺が神殿に行くのサボッただけでこんな大変な事になるの!?
そこで、俺ははたと思い当たった。
俺、明日、司祭と対等に議論しなきゃなんないの!?
普段、ロクに話も聞いてなかったこの俺が!?
きっと、そういう事なんだろう。
明日、俺は神殿の司祭に質問か何かをされるんだ。
もし、まともな受け答えができずに、聖書の小冊子にあるような
12歳にして周囲を驚かすようなエピソードを何も残せなかったなら…。
少年時代にそれらしいエピソードを何も残せないまま
この後もし俺がイエスキリストのように伝道の旅に出たとしたら、
誰も俺の言う事なんか聞いてはくれずに結果教えは広まらず、
代わりに邪教が広まって、そして歴史が変わってしまい…?
た、大変だ。
「と、父さん、母さん!」
俺は、大慌てで部屋を飛び出した。
「うん?どうしたんだイエス」
「そんなに慌てて。何かあったの?」
「今すぐ、僕に神様の話を聞かせて、お願い!」
一夜づけでも何でもいい、とにかく明日
神殿の司祭と対等に話のできるくらいの知識を身につけないと…!
そんな事ができるかどうかは別として。
「おお、やっと真面目に神の話を聞く気になったか。偉いぞイエス」
「そうね。ガブリエル様に怒られでもしたの?ふふふ…」
「そんな、冗談言ってる場合じゃなくって!」
のん気そうな父さんと母さん。
一瞬事情を説明しようかと思ったが、信じてくれるだろうか?
いや、それでまた歴史が変わってしまったら?
「と、とにかく神様の話を聞かせてよ、何でもいいから」
「まぁまぁ、落ち着けイエス。そうだな、まず…。大昔に、モーゼという偉い人が居て…」
「ええ。神の声を聞いたモーゼは、民衆を率いてエジプトから脱出して…」
「それから、それから?」
その日は寝る時間がとうに過ぎても、いつまでも熱心に神の話を聞きたがる俺に
父さんと母さんは嬉しそうに大昔の奇跡の話や、
神の声を聞いたと言う預言者たちの話をしてくれた。
「イエスー!遊びに行こうぜー」
「あー、今行くよ」
あれから俺はスクスクと成長し、
こちらで12歳の少年となっていた。
今、住んでいるところはナザレという所だ。
「イエス、あんまりおそくならない内に帰ってくるのよ?」
「ああ、晩ご飯までには帰ってくるんだぞ?」
「うん、わかってるよ」
こちらの言葉もわかるようになり、
俺を拾って育ててくれた男の人と女の人は、
それぞれヨセフ、マリアと言う人達だとわかった。
「やれやれ、やんちゃに育ったもんだ。誰だ?救いの御子なんて言ったのは」
「ふふふ…。それでも、私達の子供に変わりはないわよ」
二人は、俺を拾った子供とは一切言わず
自分の子供として愛情込めて育ててくれている。
そして、俺は二人の事をそれぞれ父さん、母さんと呼んでいる。
「おー、イエス。待ってたよ」
「今日はなにして遊ぶ?」
「鬼ごっこ?」
「かくれんぼ?」
俺はこちらの世界では、何故か友達が多く寄ってきた。
一風変わった雰囲気と、子供にしては大人びた何かがあるからだろう。
それに、小さい頃やった日本の色々な遊びが
こっちの子供には珍しいらしい。
子供時代に戻ったみたいで、何だか楽しい。
まぁ実際戻ってるんだけど。
それに、ゲームやネットがないからこうやって楽しむ他にないというのもある。
「ただいまー」
「お帰りイエス、晩ご飯よ。手を洗ってらっしゃい」
「お、今日はちゃんと帰ってきたな」
二人とも、とても仲のいい夫婦だ。
本当に子供が居ないのが不思議でしょうがない。
一度聞いてみようと思ったが、
俺ぐらいの年齢の子供が聞くべき事ではないと思ってやめておいた。
「さて、みんな揃ったね。では、食事の前のお祈りをしよう」
「そうね」
「うん」
「天にまします、我らが神よ…」
「皆が善とされますように…」
「御国が来ますように…」
こちらの世界に飛ばされて、しばらくは無性に和食が恋しかった。
白いご飯に味噌汁、油ののったサンマに醤油をかけて…。
しかし、無いものをねだっても仕方ない。
それに、しばらくする内にこちらの食事にも慣れてしまった。
こちらでの毎日の食事は1日2食、ご飯の代わりにパン。
オリーブをしぼったオリーブオイルにひたして食べたり、
野菜や豆や魚を煮込んだスープにひたしたりして食べる。
それにチーズやヨーグルト。
羊の肉がたまに食べられるが、これは特別な日にしか出ない。
いちじく、ザクロ、ナツメヤシは、チョコやらアイスクリームやらが
存在しないこの世界では貴重な甘いものだ。
「さて、明日は神殿に行く日だな」
「ええ、そうね。イエス、ちゃんとお説法を聞くのよ?」
「わかってるよ」
神殿とは、ここでいう所のいわゆる教会のようなもの。
夫婦は俺を伴ってたびたびそこに出かけ、
司祭の話に熱心に聞き入り、神に祈りを捧げる素朴な信仰をしていた。
が、俺にとっては司祭の話はあまりに長く、一度腹が痛いと嘘をついてサボり、
それがバレてこっぴどく怒られた事があった。
「さて、食事も済んだし今日はもう休もうか」
「ええ、そうね。お休みイエス」
「うん、お休みなさい」
日が沈むとほとんど同時に、みんな寝てしまう。
そんな、質素だけど穏やかな毎日が続いていた。
「そうそう、寝る前にあのお話をしてあげる」
「ん?」
「イエスが、馬小屋で生まれた時にね」
「ああ、その時の話」
「ベフヘフェフの星に導かれたという、3人の不思議な人たちがやってきて…」
「もう、母さんったら。ベツレヘムでしょ?」
「ええそうね、ウフフ…」
「もう。その話をする時いっつもそうなんだから…」
「その人たち、イエスの事を救いの御子って。ウフフ…ああ、おかしい」
「ちゃんとベツレヘムって言ってよ母さん」
「はいはい、ベツレヘムね。だから明日、ちゃんとお説法聞くのよ?」
「そうだぞ?イエス。じゃないとガブリエル様に怒られるぞ?」
「わかってるよ父さん」
「ええ。じゃあ、お休みなさい、イエス」
「うん。お休みなさい、母さん」
「…さてと」
簡素な自分の部屋に入ったあと、
俺は物入れに使っている箱からある物を取り出した。
日本語で書かれた、聖書の小冊子。
俺が10歳になる頃に、母さんが渡してくれた物だ。
これを俺に渡すとき母さんは、
俺が生まれた馬小屋に落ちていたものと説明した。
俺を拾った子とは一切言わない。
不思議がる近所の人たちにも、父さんと母さんはそう説明しているようだった。
この頃になると、もう俺は置かれた状況を理解していた。
俺は、キリストとしてこの世界…。
紀元1世紀の古代イスラエル世界に転生したんだ。
何でそうなったかはともかくとして。
父さんと母さんの名前がヨセフとマリア、
僕のこの世界での名前がイエス。
馬小屋で生まれた事になっていて、その時に、いわゆる東方の三博士…。
ベツレヘムの星に導かれたという、3人の老人が現れる。
その他小冊子に書かれた内容と、今まで経験した出来事がほとんど一致している。
一箇所を除いて。
聖書の小冊子を開いて見ると、ベツレヘムの星の所が
見る間にかすれ、代わりにベフヘフェフの星へと変わっていく。
はぁ、また…。
いくらキリスト教の知識がない俺でも、ベツレヘムの星ぐらい聞いた事はある。
東方の三博士を導いたというのは、ベフヘフェフの星でなくベツレヘムの星じゃなかったか?
つまりこれは、ほんの少し未来が変わってしまったという事なんじゃないか?
母さんが、俺の生まれた時の話を誰かに言うたびにおかしそうにベフヘフェフと言い、
それを誰かが大真面目に記録して、それが後世に伝わって…。
何だか、未来の人に申し訳ない。
だから、俺は母さんがこの話をする度にベツレヘムでしょ、と訂正するけれど
直ったかな、と安心しているとこのようにまたすぐに元に戻ってしまうのだった。
「いつになったら、元にるんだろ…はぁ」
けど、この様にして一瞬は元に戻るんだ。
根気よく繰り返すしかないか…はぁ。
そして何気なくパラパラとページをめくる。丁度今の俺の年齢と同じ時期の
キリストがどういう風だったのかが書かれている。
12歳だったイエスキリストが、子供ながら神殿の司祭と対等に議論して
周囲を驚かせたというエピソードが載っている。
きっと、真面目で頭が良かったんだろう。
俺みたいに神殿に行くのをサボッたりなんかした事がないに違いない。
「ふぅ、明日神殿に行ってあの長い話を聞かされるのか…」
この時代の、神様を大真面目に信じてる人たちにとっては
大昔の神話的物語は、リアリティのあるとっても興味深いものなんだろう。
けれど、俺みたいに信仰心をカケラも持ってないような人間には
荒唐無稽で退屈な話にしか思えなかった。
「明日、サボろっかな。さーて、今度はバレないように何て言い訳して…」
時には3時間にも及ぶ長々とした話を聞かされるよりは、
近所の子たちと鬼ごっこでもしていた方がマシだ。
その時、ふと小冊子に目を落とすと、異変が起こってる事に気がついた。
「…あれ?12歳のキリストのエピソードが消えている?」
ついさっきまで小冊子に書かれてあった、
12歳のイエスキリストが神殿の司祭と対等に議論したという
エピソードが消えてしまっている。
もしかして、俺が明日サボろうと決意したから…?
気になった俺は、次のページをめくって見た。
そこには、とんでもない記述が現れていた。
「…その後伝道の旅に出たイエスですが、救いの御子と誰にも信じて貰えず…?」
「その教えは全く広まらず、代わって生贄の儀式を行うモーロック教、バァル教など」
「それが辺り一帯に広まって、毎日のように血なまぐさい生贄の儀式が…!?」
俺は、おそるおそる次のページをめくって見た。
「やがて、誰もが人の命を何とも思わなくなり…?」
「そして暴力、殺人が当たり前の世界に…!?」
一瞬、頭に12年前俺がこの世界に転生したばかりの時の
あの町での光景が蘇った。
無残に殺され、そこら中に放置された血まみれの人々。
それが、当たり前の世界に…?
「い、行く、行くって!明日は絶対!」
俺は大慌てで、小冊子に向かって語りかけるようにそう言った。
するとエピソードが復活し、おどろおどろしい記述も元に戻った。
明日、俺が神殿に行くのサボッただけでこんな大変な事になるの!?
そこで、俺ははたと思い当たった。
俺、明日、司祭と対等に議論しなきゃなんないの!?
普段、ロクに話も聞いてなかったこの俺が!?
きっと、そういう事なんだろう。
明日、俺は神殿の司祭に質問か何かをされるんだ。
もし、まともな受け答えができずに、聖書の小冊子にあるような
12歳にして周囲を驚かすようなエピソードを何も残せなかったなら…。
少年時代にそれらしいエピソードを何も残せないまま
この後もし俺がイエスキリストのように伝道の旅に出たとしたら、
誰も俺の言う事なんか聞いてはくれずに結果教えは広まらず、
代わりに邪教が広まって、そして歴史が変わってしまい…?
た、大変だ。
「と、父さん、母さん!」
俺は、大慌てで部屋を飛び出した。
「うん?どうしたんだイエス」
「そんなに慌てて。何かあったの?」
「今すぐ、僕に神様の話を聞かせて、お願い!」
一夜づけでも何でもいい、とにかく明日
神殿の司祭と対等に話のできるくらいの知識を身につけないと…!
そんな事ができるかどうかは別として。
「おお、やっと真面目に神の話を聞く気になったか。偉いぞイエス」
「そうね。ガブリエル様に怒られでもしたの?ふふふ…」
「そんな、冗談言ってる場合じゃなくって!」
のん気そうな父さんと母さん。
一瞬事情を説明しようかと思ったが、信じてくれるだろうか?
いや、それでまた歴史が変わってしまったら?
「と、とにかく神様の話を聞かせてよ、何でもいいから」
「まぁまぁ、落ち着けイエス。そうだな、まず…。大昔に、モーゼという偉い人が居て…」
「ええ。神の声を聞いたモーゼは、民衆を率いてエジプトから脱出して…」
「それから、それから?」
その日は寝る時間がとうに過ぎても、いつまでも熱心に神の話を聞きたがる俺に
父さんと母さんは嬉しそうに大昔の奇跡の話や、
神の声を聞いたと言う預言者たちの話をしてくれた。