第6話

文字数 1,670文字

 電車に揺られ、早一時間が過ぎた。涼平は缶コーヒーを一口飲み、喉を潤す。一昨日の夜、台風は北に登り、昨日の間に消えていった。
 美緒と出会ってから2日。涼平はいつもと変わらぬ生活を送っていた。荒れた海で、不思議で不自然な少女に出会ったとしても、世界は一変しない。「誰も知らない少女」の存在など、存在しないのと同じなのだ。例え涼平にとって衝撃的な出来事であったとしても、ただ一度の出会いが人生を揺るがす事など滅多にないのだ。それが現実だった。
涼平は休み時間の度に学校を歩き、美緒を探した。たしか、紗希は妹が二つ下だと言っていた。僕は三年生だから美緒は一年生のはずだ。
 しかし涼平の健闘むなしく、美緒は見つからなかった。学校を休んでいたのだろうか。

 缶コーヒをもう一口飲む。ブラックコーヒーの渋さに顔をしかめつつ、鞄の中から一枚の葉書を取り出す。宛名は僕だ。差し出し人は「堀口紗希」。
 堀口紗希とは高校一年のクラスメートからの付き合いだ。だが、親友となれたのはただ気が合うからというだけでなく、それは紗希のセクシャリティーに起因する。堀口紗希は生まれながらに男だった。少なくとも、本人はそう思っている。美緒が『姉』と言うように、戸籍上は女性だし、身体も女性だ。彼女の心だけが、男性だった。
 紗希がトランスジェンダーだと打ち明けたのは世界で僕だけだそうだ。正確には、紗希が打ち明けたというより、僕が勝手に気付いたと言ったほうが正しい。僕は紗希に出会った瞬間から、彼の心に気付いていた。





 紗希と初めて出会ったのは、三年前の高校入学式の直後だった。式典が終わり、各クラス毎にホームルームが行われた。一通り学校の説明と翌日の予定、そしてクラス全員の自己紹介が行われる。紗希は同じクラスだった。
 紗希はとても自然に女の子を演じていた。身体が女の子だからだろうか?それとも、十五年間女性として扱われれば自然と身につく所作なのだろうか。紗希は女性よりも、よほど女性だった。誰よりも女の子らしい男の子だった。長い髪をポニーテールでまとめ、背は丁度よく低く、華奢で声は少し高めで女性として魅力的だった。クラスの男子の多くが惹かれただろう。
 彼女が女性であることに、クラスの誰一人疑いすらしなかった。もちろん冷静に考えれば、そもそも体と心の性別が一致していないなどみんなは考える事すらしないのだろう。身体が女性だからと言って、じゃあ心も女性だろうか?と問いかけるのは難しい。後の紗希の発言を引用すれば「知らない事は、誰も思いつきもしない」ということだ。みんなは心と体の性が一緒だ。だからそうじゃない人がいるって事すらなかなか気づかない。それは仕方がない事だと紗希は言った。
僕が紗希の特徴に気付けたのは、少し特殊な経験があるからだ。
 それは中学生の頃のこと。まだ紗希と出会う前、放課後保健室の前を通りかかると、一人の男子生徒が保険の先生に何かを訴えているのが聞こえた。
「私は、女子の制服を着て学校に来たいの」
反射的に、僕は足を止めた。困惑したからだ。この男子生徒の声は誰かわかる。同じクラスで普段からグループでじゃれ合っている仲の良い友人だ。彼は、おふざけを言っているのだろうか。よくある、男女で制服を交換してみようという文化祭のノリのようなものだろうか。そんな風には聞こえない。そもそも一人称が私なのも違和感がある。彼は一人称に『僕』を使う。
「なんとかしてあげたいけれど、ルールがあるからねぇ」
 先生の声も、特別おふざけをしているようには聞こえない。僕は益々混乱した。そして、自分に内在する不快感に気付いた。男が女の制服を着たがるか?普通。わけがわからない。彼のことは好きだ。だがこうして決定的に共感できない点を知ってしまうと、どうにも変な感じだ。なんだか、急に遠くに感じてしまう。一緒にいることに違和感を持ってしまう。
 保健室の会話は続き、その言葉のどれもが僕には違和だった。「私は女なのに」という小さな叫び声を最後に、僕はその先を聞く気にならずその場を離れた。



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