社畜ダンジョン~会社がダンジョンに飲み込まれた俺はスマホで無双する~
文字数 14,199文字
カチコチカチコチ……
タカタカタカタカ……
事務所の時計が時を刻む。
そんな些細な音と、村西フキエがキーボードを叩く音だけが社内に響き渡る。
時刻は午後九時。
本来なら、俺はもうとっくに帰宅してネトゲにログインしている時間だ。
ちらっと、村西の席を見る。
あ、目があってしまった。
慌てて目をそらす村西。
あー、俺、睨んでねぇんだけど。
村西はいつもそうだ。
びくびくおどおど。
目が合うだけでびくっとする。
高卒で今年入社したばかりの村西は、少しぽっちゃり気味の大人しい女子社員だ。
ふわっとした癖っ毛で、小動物的な愛らしさがある。
けれど極度の人見知りなのか男嫌いなのか、話しかけるとびくっとされる。
まぁ、俺、背が高いしね。
小柄な村西から見ると、見上げる形になって怖いのかも知れねーけど。
挨拶ぐらいはまともに返ってくるようになったわけだけど、どうにもこう、やりづらい。
そう思っているのは俺だけじゃないようで、村西が残業になっても俺以外は誰も残らずにさっさと帰ってしまった。
こういう時最後まで残っているタイプで上司の流山美香子は、今日に限って出張中。
恐らく直帰だろうから、主任の俺が鍵閉めかねて残っているわけだけど……。
ちらっと、村西を盗み見る。
村西はさっきから必死でキーボードを叩いているが、終わる様子がない。
手伝ってやろうかとも思うのだけど、これがまた難しい。
下手に手を出すと、泣きそうな顔をされるんだよね。
でもそろそろ、潮時か。
泣きそうになられようとも、俺も暇じゃないし。
村西の手元の書類を見ると、このまま放っておくと零時回っても帰れないんじゃないか。
この時間でも正直、若い女性を一人で帰すには結構遅い時間だし。
サクッと手伝って、後はタクシー呼んで帰してやるほうがいいよな。
他の女性社員なら、俺が送っていくんだけどね。
村西だと、絶対怯えて断ってくるだろうから。
俺は、何気ない風を装って、村西に近付く。
席を立った瞬間に、村西がびくっとしたのは見ない振りをして、俺は彼女の書類をチェックする。
「今日入力しなきゃ間に合わないのは、ここにあるだけか?」
「は、はい……」
「ん、了解」
四分の三ほど書類を受け取って、俺はさっさと席に戻る。
何か言いたそうに村西がしていたけれど、スルー。
十中八九、手伝わせるにはいかないとか何とか、そんな台詞だろうからね。
俺は眼鏡を軽くかけなおして、書類を確認する。
……おいおいおい。待てよこれ。冗談だよな?
俺は唖然として村西を見る。
今にも泣きそうな村西が、俺を見つめていた。
「村西、これ、明日の朝までには得意先に届けなきゃならない書類じゃないか?」
「……はい」
「なんでそれが、今ここにある?」
通常、この手の書類は遅くとも前々日までには提出しておくのが常識だ。
いくらなんでも、期日ぎりぎり、それも前日のこんな時間までおいて置くようなものじゃない。
書類にミスがあっても、修正できなくなってしまう。
「すみません……」
消え入りそうな声で、村西は詫びて俯いた。
あぁ、もう。
話しにならん。
俺は全力で書類を入力する。
キーボードが俺の怒りを表すかのように激しく音を響かせ、村西がこちらを気にしているのが分かるがかまってられん。
これ、よりによって上司の承認が必要な書類だ。
流山が出勤するのは明日だろうから、朝一で書類を確認して貰って、PDFで相手先にメール添付しかない。
村西がいまいち仕事が出来ないのを分かっていながら確認しなかった俺のミスでもあるけれど、やっぱりこう、苛立つ。
期日が迫っている書類と、納期に余裕がある書類。
どちらを優先させるべきかは言わなくともわかると思っていた。
駄目だったけどな!
俺はチャットで慣らしたキーボード連打で、一気に入力を済ます。
時刻は九時半。
まぁまぁの入力速度だろう。
ネトゲの戦闘中なんかは、ちんたらチャットしてらんねーから、自然と早くなったんだよね。
村西以外の女性陣からはネトゲ廃人いわれてるけど、真っ当に会社に来てるんだから問題ないだろ。
「村西、そっちは終わったか?」
「……あと、もう、少しです……」
「ん」
まだなのか。
村西はあれだな。
ブラインドタッチを覚えたほうがいい。
でもこれを言うときっとまた叱られたように凹むだろうから、言えねーけどな。
とりあえず俺が入力した分は印刷をかけておく。
保存もきっちりしたし、あとは判子をもらってスキャンしてPDFにすれば問題なしと。
ここの会社、パソコンで押した判子は駄目なんだよね。
ちょっと面倒くさいけれど、せいぜい数分で済むだろうし、まぁ、大丈夫だろ。
あとは、村西のほう。
机の上の書類は後一枚だし、こっちも大丈夫だろ。
村西は入力速度に難はあるけれど、ミスは少ないから。
「で、できました……っ」
最後の一枚を入力し終えた村西が、パッと顔を輝かす。
そしてはっとしたように俯いた。
俺そんなに怖い顔してるか?
まぁ、釣り目で眼鏡だしなぁ。
びくびくしている村西に指示して、書類を印刷してもらう。
ノンブルを確認する限り、これで全部で間違いない。
「明日は、少し早めに来ておきなよ。流山課長は忙しいしさ。朝一で渡さないと判子もらえないかもしれないから」
「判子、ですか……?」
あ、これ、印鑑もらう事忘れてるな。
「ちゃんと書類をよく見て。こことここに、印のマークあるだろ。押されてないと書類不備だ」
「あっ……」
村西、真っ赤になって俯かないでくれ。
なんかこれだと夜中に苛めてるみたいな気分だよ。
そしてふいに、事務所のドアが開いた。
入ってきたのは流山だ。
出張帰りだと一目でわかるスーツ姿にお土産の袋、それに、あれはマックナルドか?
「ちょっと多々見くん、あなた村西さんになにしてるのよ!」
「へ? 流山課長、何を怒って?」
ヒールの音も高らかに、流山は怒りのままに俺に詰め寄った。
「村西さんが泣いているじゃないの。セクハラよ!」
「あ、理解」
「理解じゃなくて、離れなさい」
うわぁ、これ、本気で勘違いされてるよ。
まぁ、こんな時間だしね。
事務所で二人きりで村西泣いてたら、まあ、疑われるわな。
「課長、お言葉ですが。俺は二次元をこよなく愛する男ですよ」
「……それ、堂々と言い切ることかしらね」
「さぁ、人によるんじゃないですかね?」
サクッと言い切る俺に、流山は肩の力を抜いた。
俺が自他共に認めるネトゲオタクの二次元好きでよかったよ。
三次元にまったく興味がないとまではいわないけどね。
正直彼女とか面倒。
三次元の彼女の機嫌取るよりも、ネトゲでお手軽に俺Tueeeしてたほうが気持ちいいわ。
「多々見さんは、書類の入力を、手伝ってくれたんです……」
「そのようね。一応事務所に寄ってみて良かったわ。わたしの印鑑は必要かしら」
「ええ。数箇所ありますね」
俺は書類を流山に渡してコートを引っ掛ける。
もう、俺は帰っても大丈夫だろ。
村西は流山が送るだろうしね。
「じゃ、お疲れさまでした」
「お疲れ様。遅くまでありがとうね」
「おつかれっ、様でした……っ」
二人に軽く会釈して、俺は事務所のドアを開ける。
その、瞬間。
ぐにゃりと世界が歪んだ。
持っていたドアノブを咄嗟に強く握る。
「えっ? えっ?!」
「なに、眩暈?」
背後で村西と流山の戸惑う声が聞こえる。
だが世界の歪みは止まらない。
ぐらりと歪んで、何かと混ざり、俺は、いや、俺達は。
「なんで、洞窟なのよ?」
「か、課長……っ」
どう見ても事務所とは程遠い、土が剥きだしのダンジョンの中にいた。
◇◇
「は?」
俺が出した第一声は、それ。
もうそれしか出ないだろ。
なに俺、ネトゲのやりすぎで幻覚みてんの?
「まぁっ、村西さん、なんていう格好を?!」
「か、かか、課長も、すごい、です……っ」
背後を振り返って――俺は鞄を落としそうになる。
「二人とも、いつから二次元に来たんですか」
「多々見くん、何を馬鹿な事を言っているの!」
「や、この場合、そうとしか言えないでしょ」
俺は二人の姿をまじまじと見つめる。
さっきまで、二人はオフィスに相応しいスーツ姿だった。
けれどいまはどうだ?
村西は黒の透けたベビードールを着て、十センチはあろうかというピンヒール。
ご丁寧に黒い紐で編み上げて太股辺りで結んである。
頭にはひらひらのメイドカチューシャ。
背中には蝙蝠じみた黒い羽が生えている。
あ、この羽根動いてね?
作り精巧だな。
そして流山も凄い。
上半身はビスチェ、下半身は巻きスカートだ。
がっつり、太股までスリットが入ってる。
しかも、腰のベルトには金の装身具が紋章を刻み、細かな細工を施してあるタイプ。
背中には銀の弓が背負われ、その耳は細く長く尖っている。
長いくサラサラの黒髪と相まってどこのエンシャントエルフですかといいたくなる。
二人とも色が白いせいか、薄暗いこの場所で露出した肌がぼんやりと光って艶かしい。
「みみみ、みないで、くださいっ」
村西が真っ赤になって胸元を隠す。
いや、見ないでも何も、でかいな?
それ、腕で余計に寄せてあげてない?
二人ともスーツのときは大して気にならなかったけれど、あきらかにでかい。
何がとは聞かないでくれ。
「多々見くん、悪ふざけはよしてくれる?」
「は?」
「こんな格好をさせて、どうするつもりよ!」
「どうするもなにも、俺は関係ないですよ」
「関係あるでしょ?! どうしてあなただけ普通の格好なのよ、おかしいでしょ」
「やだな課長。俺がスーツなのは普通ですよ。おかしいのは課長のほう。いきなりコスプレはどうかと」
あ、絶句させてしまった。
でも俺に八つ当たりされてもね。
俺だって被害に……あれ?
マジで俺だけ普通だ。
俺は自分の姿を見回してみる。
事務所から出たときと変わらないよな、これ。
スーツにワイシャツ、ネクタイに肩掛け鞄。
羽織ったコートの中にはスマホと煙草とライター、それにいつ突っ込んだか分からないハンカチとティッシュ。
革靴にも変化なし。
背中はよく見えないけれど、たぶん羽も尻尾も付いてない。
なにこれつまらん。
「……なにか、変な音が聞こえないかしら」
「何も聞こえないですけど」
流山が長い耳を澄ます。
うわー、いいね、これ。
もともとすらっとした美人だったけれど、エルフ耳似合いすぎでしょ。
「ここ、こっちに、来る感じがしますっ……」
うーん、俺だけ何も聞こえん。
コスプレじゃないからか?
そんな馬鹿な。
「とりあえず、ここから離れて隠れませんかね」
「なぜよ?」
「ここ、袋小路ですよ。もし何かか近付いて来てて、それが敵だったら詰むでしょ」
「敵って……」
俺の言葉に、流山が絶句する。
村西は涙目で震えていてもう話しにならない。
ここの壁、いわゆる洞窟的な土壁なわけだけど、よく見ると所々コンクリートが見えるんだよね。
事務所が土砂に侵食されたような。
俺が開けかけていたドアらしき色合いも土の間に見える。
全体は見えないから、本当にドアかどうかは確認のしようがないけどね。
押しても開かねーし。
このまま、逃げ場のないここにいるよりは、非常階段なり別の部署の部屋なり目指したほうが建設的でしょ。
「とりあえず俺は行きますよ。二人はどうします?」
俺は、スマホのライトを懐中電灯代わりに照らす。
真っ暗ってわけじゃないんだけどね。
月明かり程度の明るさだから、ライトがないと足元が危うい。
ごつごつとした岩に足を取られそうだしね。
「つつ、着いて行きます~」
「そうね。ここにじっとしてても仕方ないわね」
まぁ、そうなるよな。
俺は二人が後ろについてくるのに頷いて、スマホをかざした。
◇◇
「……なんなのよ、あれは」
流山が、押し殺した声を搾り出す。
まぁ、気持ちは分からなくもない。
俺たち三人は、洞窟の脇道で息を潜めて通り過ぎたソイツを見ている。
ソイツは、一言で言えば蛇だ。
ただし、軽く十メートルは超える。
洞窟を這いながら、獲物を探しているのだろう。
時折シャーッと威嚇しながら、紫色の割れた舌を覗かせる。
絶対に、いまの俺達には勝てない敵だ。
ふいに、巨大な蛇の動きが止まった。
拙い。
流山の声を拾ったか?
こめかみに嫌な汗が流れる。
くるりと、通り過ぎたはずの蛇の顔がこちらを振り返る。
「い、い、いやぁああああああああああああああああっ!」
「村西、この馬鹿!」
恐怖に耐えられずに叫び声をあげた村西の口を、俺は思いっきり塞ぐ。
だが時既に遅し。
巨大な蛇の金色の双眸が俺達を捕らえた。
「逃げるぞっ!」
俺は村西の手を引いて、一気に洞窟を走り出す。
だが次の瞬間、村西が思いっきりすっころんだ。
「うあっ?!」
「きゃあっ」
「くっ!」
流山が倒れた俺に躓いてダイブするように転び、俺の上に村西が覆いかぶさった。
二人のたわわに実った果実が俺の背中と顔を押し潰す。
くっそ、最高か!
「たたた、助けて!
「くるわっ!」
村西、助けたいのは山々だが俺を抱きしめるな、胸が顔に食い込みすぎて動けん!
俺は何とか身体を捻って立ち上がり、二人を抱き起こす。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
巨大な蛇が俺を真っ直ぐに見つめて威嚇する。
あ、これ、死ぬ?
村西と流山を背に庇い、俺は蛇を睨み返す。
確かポケットに……あった!
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
俺に向かって思いっきり口を開いて飲み込もうとした蛇に、俺はソレを思いっきり突っ込んだ!
瞬間、のた打ち回る蛇。
「よしっ、いまのうちだ!」
二人の手を引いて、俺は全力で走るはしる走る!
とにかく走って走りまくって、俺達は大分蛇から離れた。
あー、くそっ、息が上がる!
運動不足だな。
「た、たすかりました……っ」
「多々見くん、貴方なにやったの?」
流山が軽く呼吸を整えながら髪をかきあげる。
「煙草ですよ。ポケットに入れておいたんで、蛇の口に突っ込んだんですよ」
俺は流山に煙草の箱を見せる。
蛇の口に煙草を突っ込んだのは、ゲームでそれが効いたからだ。
ニコチンの臭いなのかなんなのか、大ダメージ入ったんだよね。
リアルで役に立つとは思わなかったけど。
タバコは食いもんじゃなくて吸うもんだから、食えば誰でものたうち回るのかもしれんが。
「あいつがこっちに来る前に、出口探しましょう」
「当てはあるの?」
「無いですね」
「ふざけてる?!」
「いや、この状況でふざける余裕はないですよ。ただ、まだ行ってない場所をしらみつぶしで探すしかないでしょう」
「わ、私達、色々走っちゃったから、どこにいるのかも判らないです……」
「あぁ、それな。さっきからマッピングしてあるから問題ない」
「多々見くん、そんな余裕があったの?」
「お、そっちを聞きますか。むしろマッピングって何かを聞かれるかと」
スマホのお絵かきアプリでざっくり地図をメモっといたんだよね。
指で辿るだけだから、簡単簡単。
ネトゲだったらオートマッピング機能デフォで付いてるから、こんなことしなくていいんだけどね。
三次元は不便だわ。
「馬鹿にしないで。マッピング程度は分かるわよ。それで、まだ行っていない場所は東かしら」
「そうですね。俺達は西の突き当りから、北に逃げたんですよ。なので、東に行ってみますか」
俺がスマホを見せると、村西にも理解できたらしい。
つーか、俺はさっきから気になっていることがあるわけで。
「なぁ、村西」
「は、はい……?」
「魔法使えたりしないか?」
「え」
あ、固まった。
ぽかんとする村西と、じと目で俺を睨む流山。
いや、そんなにおかしな事は言ってないよな。
「ほら、状況的にその格好はサキュバスでしょ。【魅了】とか【ドレイン】とか【サンダー】とか」
「な、何を言っているのかわからないです……」
「多々見くん、貴方の非常識を私達に常識のように求めないで」
村西は涙目だし、流山は呆れて溜息付くし。
いやでも、サキュバスっていったらテンプテーションは基本じゃね?
それで敵を虜にして戦わせたりさ。
いや、まぁ。
二人の目が冷たすぎるからこれ以上は言わないけれども。
「とりあえず、行ってない場所に向かいましょう」
俺は冷たい視線を逸らす様に、ダンジョンを東に向かって歩いていく。
◇◇
「当たってください~……っ!」
「当たりなさいよ、このこのっ!」
村西がサンダーを放ち、稲妻が洞窟を迸る。
流山がとどめに弓を放った。
二人の猛攻に合ったゴブリンは涙目で逃げていく。
二人とも、あんだけ冷たい目線だったのに、いざとなるとやるよなぁ。
あ、俺は戦ってませんよ?
戦闘力いまん所ないしね。
手頃な石を投げて牽制したり、目線を逸らさせたりはしたけどね。
俺はぽりぽりとこめかみをかいて周囲を伺う。
おー、あったあった、宝箱!
ゴブリンといったら、お宝っしょ。
俺はいそいそと宝箱をチェックする。
うん、鍵はかかってないね。
レアアイテムでろでろでろでろ……あ、ゴミだ。
ぱかっと開けた宝箱からは、木の棒が出てきた。
どうみてもレベル一の武器である。
まぁ、素手よりはマシなので貰っていくけれども。
「ちょっと多々見くんっ、貴方も戦いなさい!」
「へ? あ、追加軍勢来たんですね」
「ふぇええええんっ、魔法が尽きちゃいそうです~っ」
モグラかな、こいつら。
集団で凶暴そうなモグラの集団が俺たち目掛けて突進してくる。
びしびしとサンダーを放ちながら涙目の村西と、クールに急所を射抜く流山。
俺はおもむろにスマホをモグラの集団にかざす。
そしてフラッシュを炊いた。
『『?!』』
急な明かりに目を眩まされてのた打ち回るモグラたち。
「いやー、これはもうモグラ叩きですよ」
俺は唖然としている村西と流山をスルーして、木の棒でびしびしモグラをブッ叩く。
気持ちいいぐらい簡単にモグラ達は倒れて、煙のように空に解けた。
テレレレッ、テーテー、テッテレー♪
なんだか馴染みのある音楽が脳裏に響き、俺の何かがぐぐっとレベルアップした。
あ、これ、ステータスオープンとかいける?
……駄目か。
ぐぐっと意識を集中してみても、自分のステータスが開くということは無かった。
やって見たかったんだけどなぁ、空中にステータス画面開くやつ。
くっそぅ。
「いまの音、なんなのかしら」
「あぁ、俺のレベルがアップしたんですよ」
「もう多々見くんは黙って」
自分から聞いておいて理不尽な。
つーか、レベルアップの音はパーティーメンバー全員に聞こえるのか。
幻聴じゃなくてよかったよ。
でもステータスがみれないから、俺が何か出来るようになっててもわかりゃしない。
実に不便だ。
「あ、あの、多々見さん、スマホを見せていただいても、いいですか……?」
「あぁ、どうぞ」
俺は片手でひょいっとスマホの画面を見せる。
村西は俺の隣に寄り添って、スマホを覗き込んだ。
ふわりといい香りが漂ってきて、俺は軽く頭を振る。
おいおいおい、村西?
お前、魅了をパッシブスキルにしてないか。
柔らかそうな癖っ毛といい、ボリュームのある胸元といい、むっちりとした尻といい……。
あ、駄目だ駄目だ。
これ以上は近付くな。
理性が飛ぶわ。
「多々見さん……?」
「スマホかしてやるから、好きなだけ見てて」
俺は村西から距離を取る。
ふぅ、危ない危ない。
味方でも魅了が発動するのは勘弁して欲しい。
二次元が嫁じゃなかったら今頃押し倒してるぞ。
「あっ、消えてしまいましたっ」
「へ?」
村西がスマホをぶんぶん振る。
いやいやいやいや、頼むから大事に扱って。
それ先週買い換えたばかりだからね。
村西からスマホを取り返すと、俺は画面をタップする。
うん、ちゃんと写るな。
まぁ、鞄の中に充電器いれてあるから電池切れても大丈夫なんだけどね。
「どこか変な所を押したんだろ。見たいのはマップだよな?」
「は、はい~」
「多々見くん、先にちょっとスマホを借りるわよ」
流山が俺からひょいっとスマホをとる。
そして軽く眉をしかめた。
「やっぱりだわ。多々見くん、これ、あなたしか使えないわよ」
「ロックはかけていませんよ」
「そうじゃないわ。あなた以外が持つと電源が入らないの」
流山がスマホの画面を見せる。
あぁ、真っ黒だ。
俺が触れた瞬間、パッと電源が入る。
特に特殊な操作なんてしていない。
「うーん、どうなってるんだ」
「これがあなたの能力なのではなくて?」
「スマホの電源が入るのがですか。しょぼいですね」
マッピングには使えるけど、さすがに圏外だしね。
助けも呼べないし、ネットも見れない。
サキュバスやエルフになった二人に比べて、あんまりな。
「で、でもっ、ライトがありますから、先が見えやすいですよ」
村西、それはフォローのつもりか?
まぁ、臆病な彼女が必死に言ってくれてるんだから、ありがたく頷いておこう。
◇◇
「……出口は、あそこしかないのかしらね」
かれこれ数十分、岩陰に隠れた俺達に、流山がポツリと呟く。
やー、まぁ。
呟きたくもなるわな。
「ほ、他の出口、探せませんか……?」
村西も涙目だ。
あ、ついでに俺に胸を密着させないでくれ。
さっきスライムをサンダーで倒してレベルアップしただろ。
魅了の威力が増し増しで、俺の理性がゴリゴリ削られてるっての。
怖いからってぎゅうぅっとしがみ付かれていると、きつい。
上司の前で襲ったら、俺明日から会社これねーよ。
むしろここから出る前に流山に殺されるわ。
「まぁ、このダンジョンぐるっと見回りましたしね。恐らくあの出口以外ないですよ」
俺は意識を村西から逸らす為にもスマホをみる。
マッピングをやったおかげで、かなりしらみつぶしに探索できたと思う。
ちなみに俺達がいるのは最初の場所から見て南。
「じゃあ、わたしたちはここから出られないって訳ね」
気だるげに流山は髪をかきあげる。
俺達はここに来る間に雑魚モンスターを倒しまくって数レベルアップしているわけだけど、流石にね。
出口の前に陣取ってるドラゴンを倒せるほどじゃないと思うわけですよ。
なんでドラゴンいるんすか。
普通それラスボスだから。
まぁ、ドラゴンの種族としては小さめのほうなんだろうけどね。
それでも軽く三メートルはあるぜ。
「地道にレベル上げて戻ってくるしかないな」
「そ、それだとっ、書類提出が間に合わないです……」
「は?」
書類?
……明日までに提出しなければいけないやつ!
俺は慌ててスマホを確認する。
かれこれ数時間彷徨っていて、既に夜中の零時をとっくに過ぎている。
やばい、非日常すぎて、眠気もなんも来なかったから気づかなかったわ。
「いや、村西落ち着け。確かにあの書類は得意先に提出しなければならないものだけれど、ここは命を優先しような?」
いまの俺達が突破できるとは思えないし、死ぬのと書類ミスならどう考えても命大事だろ。
「で、でも……」
「でも?」
村西が、青ざめた顔で俺を見上げている。
いや、俺じゃないな。
目線は俺の上をじっと……。
やばい。
つーっ……っと、冷や汗が背中を伝う。
ぽたり、ぽたりと、俺の上から何かが滴る。
何かってもう分かってるさ。
「「「逃げろーーーーーーーーーーーーー!!」」」
俺達は背後に迫ったドラゴンから必死に逃げ出した。
「ぐギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
ドラゴンの咆哮がダンジョンに響き渡る。
くっそ、どこまで着いてくる?!
村西がサンダー撃つ間も、流山が矢を番える時間さえ取れやしない。
俺達の駆ける足音をかき消すように、ドラゴンの重たい足音がズシンズシンと腹に響いて迫ってくる。
「あっ!」
「課長!」
ヒールが石に躓いて流山が派手に転んだ。
ドラゴンはもうすぐそこに迫っている。
「村西、俺が囮になるから、お前はサンダー詠唱しろ!」
「でででで、でもっ」
「でもじゃねぇ、やれっ!」
俺は村西を叱り飛ばして、小石を掴む。
「オラ、糞ドラゴンっ、俺んとこ来やがれ!」
小石をを思いっきりドラゴンの顔面目掛けて叩きつけ、村西達とは反対側に走り出す。
ドラゴンは俺に狙いを定めてくるりと身体を反転させ、俺に向かって走り出した。
そうそう、こっちに来いこっちに来い。
走りながら、俺は何か武器になるものがないか目を光らす。
ポケットに突っ込んであるのは小石だけで、あとはもう……あ、鞄。
俺は走りながら、肩からかけた鞄を開いて中身を漁る。
薄暗いのでよく見えない。
けれど指先がひんやりとしたスプレー缶の感触を伝えてきて、俺は思いっきりそれを引っつかんでドラゴンに向き直る。
右手に制汗スプレーを。
左手にライターを。
やることは唯一つ!
「燃え尽きろ、ファイヤーーーーーーーーーーーーー!」
ごうっと勢いよく簡易火炎放射器が火を噴いた。
俺に突撃してきていたドラゴンは、いきなり燃やされた鼻に「ぐぬぅっ!」と呻いて仰け反った。
よっし、効いてる効いてる!
いまの内に二人と合流して出口から脱出……。
「ぐあっ!」
ダンッ!
ドラゴンの脇を通り抜けようとした俺を、奴の尻尾が許さなかった。
思いっきり振りぬかれた尻尾に引っかかり、俺は無様にも壁に叩きつけられた。
後頭部にぬるりとした感覚があって、俺はずるずるとその場に崩れる。
あ、これ、もしかして死ぬんじゃね?
身体に力が入らないし、目が霞む。
ドラゴンが、俺をみて口を開く。
どうせなら、サキュバスとエルフに喰われたい人生だった。
「多々見さん、あきらめちゃ駄目ですっ!」
どこからか、村西の声が聞こえる。
あぁ、耳が遠いのか幻聴か。
ズガァアアアアアアアアアアアアンッツ!
洞窟内を、これ以上はないというぐらいの轟音が響き渡り、ドラゴンに稲妻が叩き落された。
飛びのくように俺から離れ、のた打ち回るドラゴン。
「二人とも、側にいるんですか……?」
「見えないの? 大丈夫?」
流山が俺を抱き上げる。
後頭部に触れた瞬間、びくっと震えたのがわかった。
「あっ、あっ、ドラゴンがっ……」
「二人とも、逃げてくださいよ。俺、流石に無駄死には嫌だなぁ……」
「なに馬鹿な事を言っているの! こんな時に冗談はやめて」
あー、そうだ。
せめて、最後に写真でも撮りたいな。
エルフに抱かれて眠るとか最高じゃん。
俺はもうほとんど無意識的にスマホを取り出して、ボタンを押した。
パシャリとシャッターを切る音が響いた。
…………?
なんだ。
音が聞こえなくなった。
ドラゴンが暴れていたのに。
耳が聞こえなくなった?
いや、俺を抱きしめる流山の鼓動はずっと耳に伝わって来てる。
じゃあ、なんだ。
「多々見くん、しっかりなさい!」
流山の手が俺の後頭部にしっかりと当てられ、なんだか暖かくなってくる。
「か、課長、すごいですっ、傷が塞がっていきます……っ」
は?
なに、流山ってヒーラー?
つーか、ドラゴンどうしたよ。
まさか村西が仕留めたのか?
徐々に力が戻ってくる身体に、俺はゆっくりと目を開く。
「うぉっ?!」
最初に眼に入ったのは、固まっているドラゴン。
まだ生きているのは分かるが、微動だにしない。
そして。
「多々見くん、もう大丈夫かしら」
泣きそうな顔で俺を見下ろしている流山。
サラサラの髪の毛が、俺の頬にかかる。
「大丈夫みたいですね」
俺は、片手に力を入れる。
ぴくんと流山が反応した。
あ、俺、いまどこに手を置いた?
すべすべと柔らかい感触に俺は冷静を装って身体を起こす。
俺は、流山に膝枕されていたのか。
美女エルフに膝枕。
これ、死んでもよかったんじゃないか?
「多々見さん、どんな魔法を使ったんですか? ドラゴン、固まってるんです……っ」
「いやー、どんなといわれても」
俺にもわからない。
最後にしたのはスマホで写真を……あ。
「これだ」
俺は二人にスマホの画面を見せる。
そこには、ドラゴンが写っている。
ただし、ただ写っているわけじゃない。
全身が映し出されている。
俺の位置から無意識に撮った写真は、偶然にもドラゴンを捕らえ、スマホに収めた。
試しに俺は、スマホのドラゴンの足を指ですいっと動かしてみる。
「わっ、ドラゴンが動きましたっ」
「やっぱりね。これ、俺が自由に動かせそう」
「本当?」
「たぶんね」
俺はスマホの画面を見ながら、ドラゴンを右に左に少し動かす。
現実のドラゴンも右に左に少し動いた。
これ、火を吐かせるとかは出来るのか?
命じてみるか。
「ドラゴンよ、命令だ。あの岩に火を吹け!」
ゴウッ!
俺の簡易火炎放射器とは比べ物にならない火力で、ドラゴンは火を噴いた。
やばい。
これ、強い。
俺の能力はスマホの電源を入れることじゃなく、写した敵を操る事だった。
「す、すごいです、これで、ここから出られますね……」
「ああ、他の道を探すにしても、こいつがいれば負けないだろ」
頷く俺に、迷いはない。
俺達は、ドラゴンを従えて、一気にダンジョン攻略に乗り出した。
◇◇
「やっと、出口ね」
流山がほっと息をつく。
ドラゴンを操る事数時間。
様々な敵が沸いたものの、ドラゴン無双で楽勝、俺のレベルも駄々上がりである。
「あ、あけます、よぉ……」
扉を前に、村西がぐぐっと気合を入れる。
そんなに気合を入れなくても、ダンジョンに侵食されていない綺麗なドアはサクッと開くと思うけれどね。
ドアの隙間から、光が零れる。
歓声を上げて、村西が一気にドアを開いた。
ドアの向こうに広がるのは、俺達の事務所だ。
「どういうこと?」
「まぁ、理屈なんて考えてもわかりっこないですよ」
俺は、後ろを振り返る。
ドラゴンが俺を見下ろしている。
「お前とも、お別れだな。強引に使わせてもらったけど、感謝してるよ」
御礼をして、俺はドラゴンの頭を撫でる。
意外なことに、ドラゴンは満更でも無さそうに鋭い瞳を和らげた。
「じゃあ、またな」
村西と流山を先に戻らせて、俺はドラゴンに手を振る。
そして、事務所に入ると俺はドアを閉めた。
「お、二人とも元の服装に戻ってますね」
村西も流山も、何の変哲もないスーツ姿に戻ってしまった。
羽もなければ長い耳もない。
実に残念だ。
「ゆめ、だったんでしょうか……」
「多々見くんを見る限り、現実よね」
首を傾げる村西に、流山が苦笑する。
俺だけコスプレになっていなかったせいか、コートもスーツも何もかもぼろぼろに薄汚れている。
あぁ、これ、買い直しだな。
「あぁ、もう朝だわ。これから帰宅して、戻ってこれるかしら」
「タクシー代ぐらい奢りますよ」
「馬鹿いわないで。上司はわたしよ」
「男に奢らせてくださいよ」
俺と流山は一歩も譲らない。
クールな流山の視線が挑戦的だ。
軽い緊迫感をブチ破ったのは村西だ。
「あ、あのっ。そうしたら、割り勘がいいと思います……」
「そうね。そうしましょうか」
流山が肩をすくめて、パソコンを開く。
「帰らないのですか……?」
「添付書類、忘れているでしょう」
「あっ……」
村西、忘れてたのか。
命と天秤にかけるぐらい納期を気にしてたのに。
まぁ、ほっとすると忘れるよな、いろいろと。
「これでよし、と」
メールを送り、タクシーを呼ぶ流山。
俺もスマホを取り出して……固まった。
「多々見さん、どうか、しましたか……?」
固まってる俺に、村西がひょいっとスマホを覗き込んだ。
「わっ、ドラゴンさん、まだいますね!」
村西の言う通り、ドラゴンが俺のスマホの中にまだいる。
しかも、なんかくつろいでるし。
「まぁ、いいんじゃないかしら。スマホの中にいる分には安全でしょ」
「確かに害はないですね」
いや、俺、頷いてていいのか?
これどうするよ。
あのダンジョンから出たら、自動的に消えると思ってた。
流山のスマホが鳴る。
タクシーが来たようだ。
俺は事務所のドアを見つめる。
……まさか、このドアまだ繋がったまま、とか?
嫌な予感を押し殺し、俺は事務所のドアを開く。
そこに広がるのは、毎日見慣れたコンクリートの通路だった。
土壁じゃない。
ほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫みたいね。行きましょう」
促されて、俺と村西は流山のあとに続く。
そうだよな。
あんな風に事務所がダンジョンに飲み込まれるなんてまずないよな。
「……格好良かったわよ。多々見くん」
「え?」
いま、流山がなんか言ったか?
「なんでもないわ」
パサりと髪を手で払い、流山がタクシーに乗り込む。
その隣に村西がいそいそと乗り込む。
……まぁ、いっか。
俺は軽く頬が赤らむのを感じながら、助手席に乗り込んだ。
タカタカタカタカ……
事務所の時計が時を刻む。
そんな些細な音と、村西フキエがキーボードを叩く音だけが社内に響き渡る。
時刻は午後九時。
本来なら、俺はもうとっくに帰宅してネトゲにログインしている時間だ。
ちらっと、村西の席を見る。
あ、目があってしまった。
慌てて目をそらす村西。
あー、俺、睨んでねぇんだけど。
村西はいつもそうだ。
びくびくおどおど。
目が合うだけでびくっとする。
高卒で今年入社したばかりの村西は、少しぽっちゃり気味の大人しい女子社員だ。
ふわっとした癖っ毛で、小動物的な愛らしさがある。
けれど極度の人見知りなのか男嫌いなのか、話しかけるとびくっとされる。
まぁ、俺、背が高いしね。
小柄な村西から見ると、見上げる形になって怖いのかも知れねーけど。
挨拶ぐらいはまともに返ってくるようになったわけだけど、どうにもこう、やりづらい。
そう思っているのは俺だけじゃないようで、村西が残業になっても俺以外は誰も残らずにさっさと帰ってしまった。
こういう時最後まで残っているタイプで上司の流山美香子は、今日に限って出張中。
恐らく直帰だろうから、主任の俺が鍵閉めかねて残っているわけだけど……。
ちらっと、村西を盗み見る。
村西はさっきから必死でキーボードを叩いているが、終わる様子がない。
手伝ってやろうかとも思うのだけど、これがまた難しい。
下手に手を出すと、泣きそうな顔をされるんだよね。
でもそろそろ、潮時か。
泣きそうになられようとも、俺も暇じゃないし。
村西の手元の書類を見ると、このまま放っておくと零時回っても帰れないんじゃないか。
この時間でも正直、若い女性を一人で帰すには結構遅い時間だし。
サクッと手伝って、後はタクシー呼んで帰してやるほうがいいよな。
他の女性社員なら、俺が送っていくんだけどね。
村西だと、絶対怯えて断ってくるだろうから。
俺は、何気ない風を装って、村西に近付く。
席を立った瞬間に、村西がびくっとしたのは見ない振りをして、俺は彼女の書類をチェックする。
「今日入力しなきゃ間に合わないのは、ここにあるだけか?」
「は、はい……」
「ん、了解」
四分の三ほど書類を受け取って、俺はさっさと席に戻る。
何か言いたそうに村西がしていたけれど、スルー。
十中八九、手伝わせるにはいかないとか何とか、そんな台詞だろうからね。
俺は眼鏡を軽くかけなおして、書類を確認する。
……おいおいおい。待てよこれ。冗談だよな?
俺は唖然として村西を見る。
今にも泣きそうな村西が、俺を見つめていた。
「村西、これ、明日の朝までには得意先に届けなきゃならない書類じゃないか?」
「……はい」
「なんでそれが、今ここにある?」
通常、この手の書類は遅くとも前々日までには提出しておくのが常識だ。
いくらなんでも、期日ぎりぎり、それも前日のこんな時間までおいて置くようなものじゃない。
書類にミスがあっても、修正できなくなってしまう。
「すみません……」
消え入りそうな声で、村西は詫びて俯いた。
あぁ、もう。
話しにならん。
俺は全力で書類を入力する。
キーボードが俺の怒りを表すかのように激しく音を響かせ、村西がこちらを気にしているのが分かるがかまってられん。
これ、よりによって上司の承認が必要な書類だ。
流山が出勤するのは明日だろうから、朝一で書類を確認して貰って、PDFで相手先にメール添付しかない。
村西がいまいち仕事が出来ないのを分かっていながら確認しなかった俺のミスでもあるけれど、やっぱりこう、苛立つ。
期日が迫っている書類と、納期に余裕がある書類。
どちらを優先させるべきかは言わなくともわかると思っていた。
駄目だったけどな!
俺はチャットで慣らしたキーボード連打で、一気に入力を済ます。
時刻は九時半。
まぁまぁの入力速度だろう。
ネトゲの戦闘中なんかは、ちんたらチャットしてらんねーから、自然と早くなったんだよね。
村西以外の女性陣からはネトゲ廃人いわれてるけど、真っ当に会社に来てるんだから問題ないだろ。
「村西、そっちは終わったか?」
「……あと、もう、少しです……」
「ん」
まだなのか。
村西はあれだな。
ブラインドタッチを覚えたほうがいい。
でもこれを言うときっとまた叱られたように凹むだろうから、言えねーけどな。
とりあえず俺が入力した分は印刷をかけておく。
保存もきっちりしたし、あとは判子をもらってスキャンしてPDFにすれば問題なしと。
ここの会社、パソコンで押した判子は駄目なんだよね。
ちょっと面倒くさいけれど、せいぜい数分で済むだろうし、まぁ、大丈夫だろ。
あとは、村西のほう。
机の上の書類は後一枚だし、こっちも大丈夫だろ。
村西は入力速度に難はあるけれど、ミスは少ないから。
「で、できました……っ」
最後の一枚を入力し終えた村西が、パッと顔を輝かす。
そしてはっとしたように俯いた。
俺そんなに怖い顔してるか?
まぁ、釣り目で眼鏡だしなぁ。
びくびくしている村西に指示して、書類を印刷してもらう。
ノンブルを確認する限り、これで全部で間違いない。
「明日は、少し早めに来ておきなよ。流山課長は忙しいしさ。朝一で渡さないと判子もらえないかもしれないから」
「判子、ですか……?」
あ、これ、印鑑もらう事忘れてるな。
「ちゃんと書類をよく見て。こことここに、印のマークあるだろ。押されてないと書類不備だ」
「あっ……」
村西、真っ赤になって俯かないでくれ。
なんかこれだと夜中に苛めてるみたいな気分だよ。
そしてふいに、事務所のドアが開いた。
入ってきたのは流山だ。
出張帰りだと一目でわかるスーツ姿にお土産の袋、それに、あれはマックナルドか?
「ちょっと多々見くん、あなた村西さんになにしてるのよ!」
「へ? 流山課長、何を怒って?」
ヒールの音も高らかに、流山は怒りのままに俺に詰め寄った。
「村西さんが泣いているじゃないの。セクハラよ!」
「あ、理解」
「理解じゃなくて、離れなさい」
うわぁ、これ、本気で勘違いされてるよ。
まぁ、こんな時間だしね。
事務所で二人きりで村西泣いてたら、まあ、疑われるわな。
「課長、お言葉ですが。俺は二次元をこよなく愛する男ですよ」
「……それ、堂々と言い切ることかしらね」
「さぁ、人によるんじゃないですかね?」
サクッと言い切る俺に、流山は肩の力を抜いた。
俺が自他共に認めるネトゲオタクの二次元好きでよかったよ。
三次元にまったく興味がないとまではいわないけどね。
正直彼女とか面倒。
三次元の彼女の機嫌取るよりも、ネトゲでお手軽に俺Tueeeしてたほうが気持ちいいわ。
「多々見さんは、書類の入力を、手伝ってくれたんです……」
「そのようね。一応事務所に寄ってみて良かったわ。わたしの印鑑は必要かしら」
「ええ。数箇所ありますね」
俺は書類を流山に渡してコートを引っ掛ける。
もう、俺は帰っても大丈夫だろ。
村西は流山が送るだろうしね。
「じゃ、お疲れさまでした」
「お疲れ様。遅くまでありがとうね」
「おつかれっ、様でした……っ」
二人に軽く会釈して、俺は事務所のドアを開ける。
その、瞬間。
ぐにゃりと世界が歪んだ。
持っていたドアノブを咄嗟に強く握る。
「えっ? えっ?!」
「なに、眩暈?」
背後で村西と流山の戸惑う声が聞こえる。
だが世界の歪みは止まらない。
ぐらりと歪んで、何かと混ざり、俺は、いや、俺達は。
「なんで、洞窟なのよ?」
「か、課長……っ」
どう見ても事務所とは程遠い、土が剥きだしのダンジョンの中にいた。
◇◇
「は?」
俺が出した第一声は、それ。
もうそれしか出ないだろ。
なに俺、ネトゲのやりすぎで幻覚みてんの?
「まぁっ、村西さん、なんていう格好を?!」
「か、かか、課長も、すごい、です……っ」
背後を振り返って――俺は鞄を落としそうになる。
「二人とも、いつから二次元に来たんですか」
「多々見くん、何を馬鹿な事を言っているの!」
「や、この場合、そうとしか言えないでしょ」
俺は二人の姿をまじまじと見つめる。
さっきまで、二人はオフィスに相応しいスーツ姿だった。
けれどいまはどうだ?
村西は黒の透けたベビードールを着て、十センチはあろうかというピンヒール。
ご丁寧に黒い紐で編み上げて太股辺りで結んである。
頭にはひらひらのメイドカチューシャ。
背中には蝙蝠じみた黒い羽が生えている。
あ、この羽根動いてね?
作り精巧だな。
そして流山も凄い。
上半身はビスチェ、下半身は巻きスカートだ。
がっつり、太股までスリットが入ってる。
しかも、腰のベルトには金の装身具が紋章を刻み、細かな細工を施してあるタイプ。
背中には銀の弓が背負われ、その耳は細く長く尖っている。
長いくサラサラの黒髪と相まってどこのエンシャントエルフですかといいたくなる。
二人とも色が白いせいか、薄暗いこの場所で露出した肌がぼんやりと光って艶かしい。
「みみみ、みないで、くださいっ」
村西が真っ赤になって胸元を隠す。
いや、見ないでも何も、でかいな?
それ、腕で余計に寄せてあげてない?
二人ともスーツのときは大して気にならなかったけれど、あきらかにでかい。
何がとは聞かないでくれ。
「多々見くん、悪ふざけはよしてくれる?」
「は?」
「こんな格好をさせて、どうするつもりよ!」
「どうするもなにも、俺は関係ないですよ」
「関係あるでしょ?! どうしてあなただけ普通の格好なのよ、おかしいでしょ」
「やだな課長。俺がスーツなのは普通ですよ。おかしいのは課長のほう。いきなりコスプレはどうかと」
あ、絶句させてしまった。
でも俺に八つ当たりされてもね。
俺だって被害に……あれ?
マジで俺だけ普通だ。
俺は自分の姿を見回してみる。
事務所から出たときと変わらないよな、これ。
スーツにワイシャツ、ネクタイに肩掛け鞄。
羽織ったコートの中にはスマホと煙草とライター、それにいつ突っ込んだか分からないハンカチとティッシュ。
革靴にも変化なし。
背中はよく見えないけれど、たぶん羽も尻尾も付いてない。
なにこれつまらん。
「……なにか、変な音が聞こえないかしら」
「何も聞こえないですけど」
流山が長い耳を澄ます。
うわー、いいね、これ。
もともとすらっとした美人だったけれど、エルフ耳似合いすぎでしょ。
「ここ、こっちに、来る感じがしますっ……」
うーん、俺だけ何も聞こえん。
コスプレじゃないからか?
そんな馬鹿な。
「とりあえず、ここから離れて隠れませんかね」
「なぜよ?」
「ここ、袋小路ですよ。もし何かか近付いて来てて、それが敵だったら詰むでしょ」
「敵って……」
俺の言葉に、流山が絶句する。
村西は涙目で震えていてもう話しにならない。
ここの壁、いわゆる洞窟的な土壁なわけだけど、よく見ると所々コンクリートが見えるんだよね。
事務所が土砂に侵食されたような。
俺が開けかけていたドアらしき色合いも土の間に見える。
全体は見えないから、本当にドアかどうかは確認のしようがないけどね。
押しても開かねーし。
このまま、逃げ場のないここにいるよりは、非常階段なり別の部署の部屋なり目指したほうが建設的でしょ。
「とりあえず俺は行きますよ。二人はどうします?」
俺は、スマホのライトを懐中電灯代わりに照らす。
真っ暗ってわけじゃないんだけどね。
月明かり程度の明るさだから、ライトがないと足元が危うい。
ごつごつとした岩に足を取られそうだしね。
「つつ、着いて行きます~」
「そうね。ここにじっとしてても仕方ないわね」
まぁ、そうなるよな。
俺は二人が後ろについてくるのに頷いて、スマホをかざした。
◇◇
「……なんなのよ、あれは」
流山が、押し殺した声を搾り出す。
まぁ、気持ちは分からなくもない。
俺たち三人は、洞窟の脇道で息を潜めて通り過ぎたソイツを見ている。
ソイツは、一言で言えば蛇だ。
ただし、軽く十メートルは超える。
洞窟を這いながら、獲物を探しているのだろう。
時折シャーッと威嚇しながら、紫色の割れた舌を覗かせる。
絶対に、いまの俺達には勝てない敵だ。
ふいに、巨大な蛇の動きが止まった。
拙い。
流山の声を拾ったか?
こめかみに嫌な汗が流れる。
くるりと、通り過ぎたはずの蛇の顔がこちらを振り返る。
「い、い、いやぁああああああああああああああああっ!」
「村西、この馬鹿!」
恐怖に耐えられずに叫び声をあげた村西の口を、俺は思いっきり塞ぐ。
だが時既に遅し。
巨大な蛇の金色の双眸が俺達を捕らえた。
「逃げるぞっ!」
俺は村西の手を引いて、一気に洞窟を走り出す。
だが次の瞬間、村西が思いっきりすっころんだ。
「うあっ?!」
「きゃあっ」
「くっ!」
流山が倒れた俺に躓いてダイブするように転び、俺の上に村西が覆いかぶさった。
二人のたわわに実った果実が俺の背中と顔を押し潰す。
くっそ、最高か!
「たたた、助けて!
「くるわっ!」
村西、助けたいのは山々だが俺を抱きしめるな、胸が顔に食い込みすぎて動けん!
俺は何とか身体を捻って立ち上がり、二人を抱き起こす。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
巨大な蛇が俺を真っ直ぐに見つめて威嚇する。
あ、これ、死ぬ?
村西と流山を背に庇い、俺は蛇を睨み返す。
確かポケットに……あった!
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
俺に向かって思いっきり口を開いて飲み込もうとした蛇に、俺はソレを思いっきり突っ込んだ!
瞬間、のた打ち回る蛇。
「よしっ、いまのうちだ!」
二人の手を引いて、俺は全力で走るはしる走る!
とにかく走って走りまくって、俺達は大分蛇から離れた。
あー、くそっ、息が上がる!
運動不足だな。
「た、たすかりました……っ」
「多々見くん、貴方なにやったの?」
流山が軽く呼吸を整えながら髪をかきあげる。
「煙草ですよ。ポケットに入れておいたんで、蛇の口に突っ込んだんですよ」
俺は流山に煙草の箱を見せる。
蛇の口に煙草を突っ込んだのは、ゲームでそれが効いたからだ。
ニコチンの臭いなのかなんなのか、大ダメージ入ったんだよね。
リアルで役に立つとは思わなかったけど。
タバコは食いもんじゃなくて吸うもんだから、食えば誰でものたうち回るのかもしれんが。
「あいつがこっちに来る前に、出口探しましょう」
「当てはあるの?」
「無いですね」
「ふざけてる?!」
「いや、この状況でふざける余裕はないですよ。ただ、まだ行ってない場所をしらみつぶしで探すしかないでしょう」
「わ、私達、色々走っちゃったから、どこにいるのかも判らないです……」
「あぁ、それな。さっきからマッピングしてあるから問題ない」
「多々見くん、そんな余裕があったの?」
「お、そっちを聞きますか。むしろマッピングって何かを聞かれるかと」
スマホのお絵かきアプリでざっくり地図をメモっといたんだよね。
指で辿るだけだから、簡単簡単。
ネトゲだったらオートマッピング機能デフォで付いてるから、こんなことしなくていいんだけどね。
三次元は不便だわ。
「馬鹿にしないで。マッピング程度は分かるわよ。それで、まだ行っていない場所は東かしら」
「そうですね。俺達は西の突き当りから、北に逃げたんですよ。なので、東に行ってみますか」
俺がスマホを見せると、村西にも理解できたらしい。
つーか、俺はさっきから気になっていることがあるわけで。
「なぁ、村西」
「は、はい……?」
「魔法使えたりしないか?」
「え」
あ、固まった。
ぽかんとする村西と、じと目で俺を睨む流山。
いや、そんなにおかしな事は言ってないよな。
「ほら、状況的にその格好はサキュバスでしょ。【魅了】とか【ドレイン】とか【サンダー】とか」
「な、何を言っているのかわからないです……」
「多々見くん、貴方の非常識を私達に常識のように求めないで」
村西は涙目だし、流山は呆れて溜息付くし。
いやでも、サキュバスっていったらテンプテーションは基本じゃね?
それで敵を虜にして戦わせたりさ。
いや、まぁ。
二人の目が冷たすぎるからこれ以上は言わないけれども。
「とりあえず、行ってない場所に向かいましょう」
俺は冷たい視線を逸らす様に、ダンジョンを東に向かって歩いていく。
◇◇
「当たってください~……っ!」
「当たりなさいよ、このこのっ!」
村西がサンダーを放ち、稲妻が洞窟を迸る。
流山がとどめに弓を放った。
二人の猛攻に合ったゴブリンは涙目で逃げていく。
二人とも、あんだけ冷たい目線だったのに、いざとなるとやるよなぁ。
あ、俺は戦ってませんよ?
戦闘力いまん所ないしね。
手頃な石を投げて牽制したり、目線を逸らさせたりはしたけどね。
俺はぽりぽりとこめかみをかいて周囲を伺う。
おー、あったあった、宝箱!
ゴブリンといったら、お宝っしょ。
俺はいそいそと宝箱をチェックする。
うん、鍵はかかってないね。
レアアイテムでろでろでろでろ……あ、ゴミだ。
ぱかっと開けた宝箱からは、木の棒が出てきた。
どうみてもレベル一の武器である。
まぁ、素手よりはマシなので貰っていくけれども。
「ちょっと多々見くんっ、貴方も戦いなさい!」
「へ? あ、追加軍勢来たんですね」
「ふぇええええんっ、魔法が尽きちゃいそうです~っ」
モグラかな、こいつら。
集団で凶暴そうなモグラの集団が俺たち目掛けて突進してくる。
びしびしとサンダーを放ちながら涙目の村西と、クールに急所を射抜く流山。
俺はおもむろにスマホをモグラの集団にかざす。
そしてフラッシュを炊いた。
『『?!』』
急な明かりに目を眩まされてのた打ち回るモグラたち。
「いやー、これはもうモグラ叩きですよ」
俺は唖然としている村西と流山をスルーして、木の棒でびしびしモグラをブッ叩く。
気持ちいいぐらい簡単にモグラ達は倒れて、煙のように空に解けた。
テレレレッ、テーテー、テッテレー♪
なんだか馴染みのある音楽が脳裏に響き、俺の何かがぐぐっとレベルアップした。
あ、これ、ステータスオープンとかいける?
……駄目か。
ぐぐっと意識を集中してみても、自分のステータスが開くということは無かった。
やって見たかったんだけどなぁ、空中にステータス画面開くやつ。
くっそぅ。
「いまの音、なんなのかしら」
「あぁ、俺のレベルがアップしたんですよ」
「もう多々見くんは黙って」
自分から聞いておいて理不尽な。
つーか、レベルアップの音はパーティーメンバー全員に聞こえるのか。
幻聴じゃなくてよかったよ。
でもステータスがみれないから、俺が何か出来るようになっててもわかりゃしない。
実に不便だ。
「あ、あの、多々見さん、スマホを見せていただいても、いいですか……?」
「あぁ、どうぞ」
俺は片手でひょいっとスマホの画面を見せる。
村西は俺の隣に寄り添って、スマホを覗き込んだ。
ふわりといい香りが漂ってきて、俺は軽く頭を振る。
おいおいおい、村西?
お前、魅了をパッシブスキルにしてないか。
柔らかそうな癖っ毛といい、ボリュームのある胸元といい、むっちりとした尻といい……。
あ、駄目だ駄目だ。
これ以上は近付くな。
理性が飛ぶわ。
「多々見さん……?」
「スマホかしてやるから、好きなだけ見てて」
俺は村西から距離を取る。
ふぅ、危ない危ない。
味方でも魅了が発動するのは勘弁して欲しい。
二次元が嫁じゃなかったら今頃押し倒してるぞ。
「あっ、消えてしまいましたっ」
「へ?」
村西がスマホをぶんぶん振る。
いやいやいやいや、頼むから大事に扱って。
それ先週買い換えたばかりだからね。
村西からスマホを取り返すと、俺は画面をタップする。
うん、ちゃんと写るな。
まぁ、鞄の中に充電器いれてあるから電池切れても大丈夫なんだけどね。
「どこか変な所を押したんだろ。見たいのはマップだよな?」
「は、はい~」
「多々見くん、先にちょっとスマホを借りるわよ」
流山が俺からひょいっとスマホをとる。
そして軽く眉をしかめた。
「やっぱりだわ。多々見くん、これ、あなたしか使えないわよ」
「ロックはかけていませんよ」
「そうじゃないわ。あなた以外が持つと電源が入らないの」
流山がスマホの画面を見せる。
あぁ、真っ黒だ。
俺が触れた瞬間、パッと電源が入る。
特に特殊な操作なんてしていない。
「うーん、どうなってるんだ」
「これがあなたの能力なのではなくて?」
「スマホの電源が入るのがですか。しょぼいですね」
マッピングには使えるけど、さすがに圏外だしね。
助けも呼べないし、ネットも見れない。
サキュバスやエルフになった二人に比べて、あんまりな。
「で、でもっ、ライトがありますから、先が見えやすいですよ」
村西、それはフォローのつもりか?
まぁ、臆病な彼女が必死に言ってくれてるんだから、ありがたく頷いておこう。
◇◇
「……出口は、あそこしかないのかしらね」
かれこれ数十分、岩陰に隠れた俺達に、流山がポツリと呟く。
やー、まぁ。
呟きたくもなるわな。
「ほ、他の出口、探せませんか……?」
村西も涙目だ。
あ、ついでに俺に胸を密着させないでくれ。
さっきスライムをサンダーで倒してレベルアップしただろ。
魅了の威力が増し増しで、俺の理性がゴリゴリ削られてるっての。
怖いからってぎゅうぅっとしがみ付かれていると、きつい。
上司の前で襲ったら、俺明日から会社これねーよ。
むしろここから出る前に流山に殺されるわ。
「まぁ、このダンジョンぐるっと見回りましたしね。恐らくあの出口以外ないですよ」
俺は意識を村西から逸らす為にもスマホをみる。
マッピングをやったおかげで、かなりしらみつぶしに探索できたと思う。
ちなみに俺達がいるのは最初の場所から見て南。
「じゃあ、わたしたちはここから出られないって訳ね」
気だるげに流山は髪をかきあげる。
俺達はここに来る間に雑魚モンスターを倒しまくって数レベルアップしているわけだけど、流石にね。
出口の前に陣取ってるドラゴンを倒せるほどじゃないと思うわけですよ。
なんでドラゴンいるんすか。
普通それラスボスだから。
まぁ、ドラゴンの種族としては小さめのほうなんだろうけどね。
それでも軽く三メートルはあるぜ。
「地道にレベル上げて戻ってくるしかないな」
「そ、それだとっ、書類提出が間に合わないです……」
「は?」
書類?
……明日までに提出しなければいけないやつ!
俺は慌ててスマホを確認する。
かれこれ数時間彷徨っていて、既に夜中の零時をとっくに過ぎている。
やばい、非日常すぎて、眠気もなんも来なかったから気づかなかったわ。
「いや、村西落ち着け。確かにあの書類は得意先に提出しなければならないものだけれど、ここは命を優先しような?」
いまの俺達が突破できるとは思えないし、死ぬのと書類ミスならどう考えても命大事だろ。
「で、でも……」
「でも?」
村西が、青ざめた顔で俺を見上げている。
いや、俺じゃないな。
目線は俺の上をじっと……。
やばい。
つーっ……っと、冷や汗が背中を伝う。
ぽたり、ぽたりと、俺の上から何かが滴る。
何かってもう分かってるさ。
「「「逃げろーーーーーーーーーーーーー!!」」」
俺達は背後に迫ったドラゴンから必死に逃げ出した。
「ぐギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
ドラゴンの咆哮がダンジョンに響き渡る。
くっそ、どこまで着いてくる?!
村西がサンダー撃つ間も、流山が矢を番える時間さえ取れやしない。
俺達の駆ける足音をかき消すように、ドラゴンの重たい足音がズシンズシンと腹に響いて迫ってくる。
「あっ!」
「課長!」
ヒールが石に躓いて流山が派手に転んだ。
ドラゴンはもうすぐそこに迫っている。
「村西、俺が囮になるから、お前はサンダー詠唱しろ!」
「でででで、でもっ」
「でもじゃねぇ、やれっ!」
俺は村西を叱り飛ばして、小石を掴む。
「オラ、糞ドラゴンっ、俺んとこ来やがれ!」
小石をを思いっきりドラゴンの顔面目掛けて叩きつけ、村西達とは反対側に走り出す。
ドラゴンは俺に狙いを定めてくるりと身体を反転させ、俺に向かって走り出した。
そうそう、こっちに来いこっちに来い。
走りながら、俺は何か武器になるものがないか目を光らす。
ポケットに突っ込んであるのは小石だけで、あとはもう……あ、鞄。
俺は走りながら、肩からかけた鞄を開いて中身を漁る。
薄暗いのでよく見えない。
けれど指先がひんやりとしたスプレー缶の感触を伝えてきて、俺は思いっきりそれを引っつかんでドラゴンに向き直る。
右手に制汗スプレーを。
左手にライターを。
やることは唯一つ!
「燃え尽きろ、ファイヤーーーーーーーーーーーーー!」
ごうっと勢いよく簡易火炎放射器が火を噴いた。
俺に突撃してきていたドラゴンは、いきなり燃やされた鼻に「ぐぬぅっ!」と呻いて仰け反った。
よっし、効いてる効いてる!
いまの内に二人と合流して出口から脱出……。
「ぐあっ!」
ダンッ!
ドラゴンの脇を通り抜けようとした俺を、奴の尻尾が許さなかった。
思いっきり振りぬかれた尻尾に引っかかり、俺は無様にも壁に叩きつけられた。
後頭部にぬるりとした感覚があって、俺はずるずるとその場に崩れる。
あ、これ、もしかして死ぬんじゃね?
身体に力が入らないし、目が霞む。
ドラゴンが、俺をみて口を開く。
どうせなら、サキュバスとエルフに喰われたい人生だった。
「多々見さん、あきらめちゃ駄目ですっ!」
どこからか、村西の声が聞こえる。
あぁ、耳が遠いのか幻聴か。
ズガァアアアアアアアアアアアアンッツ!
洞窟内を、これ以上はないというぐらいの轟音が響き渡り、ドラゴンに稲妻が叩き落された。
飛びのくように俺から離れ、のた打ち回るドラゴン。
「二人とも、側にいるんですか……?」
「見えないの? 大丈夫?」
流山が俺を抱き上げる。
後頭部に触れた瞬間、びくっと震えたのがわかった。
「あっ、あっ、ドラゴンがっ……」
「二人とも、逃げてくださいよ。俺、流石に無駄死には嫌だなぁ……」
「なに馬鹿な事を言っているの! こんな時に冗談はやめて」
あー、そうだ。
せめて、最後に写真でも撮りたいな。
エルフに抱かれて眠るとか最高じゃん。
俺はもうほとんど無意識的にスマホを取り出して、ボタンを押した。
パシャリとシャッターを切る音が響いた。
…………?
なんだ。
音が聞こえなくなった。
ドラゴンが暴れていたのに。
耳が聞こえなくなった?
いや、俺を抱きしめる流山の鼓動はずっと耳に伝わって来てる。
じゃあ、なんだ。
「多々見くん、しっかりなさい!」
流山の手が俺の後頭部にしっかりと当てられ、なんだか暖かくなってくる。
「か、課長、すごいですっ、傷が塞がっていきます……っ」
は?
なに、流山ってヒーラー?
つーか、ドラゴンどうしたよ。
まさか村西が仕留めたのか?
徐々に力が戻ってくる身体に、俺はゆっくりと目を開く。
「うぉっ?!」
最初に眼に入ったのは、固まっているドラゴン。
まだ生きているのは分かるが、微動だにしない。
そして。
「多々見くん、もう大丈夫かしら」
泣きそうな顔で俺を見下ろしている流山。
サラサラの髪の毛が、俺の頬にかかる。
「大丈夫みたいですね」
俺は、片手に力を入れる。
ぴくんと流山が反応した。
あ、俺、いまどこに手を置いた?
すべすべと柔らかい感触に俺は冷静を装って身体を起こす。
俺は、流山に膝枕されていたのか。
美女エルフに膝枕。
これ、死んでもよかったんじゃないか?
「多々見さん、どんな魔法を使ったんですか? ドラゴン、固まってるんです……っ」
「いやー、どんなといわれても」
俺にもわからない。
最後にしたのはスマホで写真を……あ。
「これだ」
俺は二人にスマホの画面を見せる。
そこには、ドラゴンが写っている。
ただし、ただ写っているわけじゃない。
全身が映し出されている。
俺の位置から無意識に撮った写真は、偶然にもドラゴンを捕らえ、スマホに収めた。
試しに俺は、スマホのドラゴンの足を指ですいっと動かしてみる。
「わっ、ドラゴンが動きましたっ」
「やっぱりね。これ、俺が自由に動かせそう」
「本当?」
「たぶんね」
俺はスマホの画面を見ながら、ドラゴンを右に左に少し動かす。
現実のドラゴンも右に左に少し動いた。
これ、火を吐かせるとかは出来るのか?
命じてみるか。
「ドラゴンよ、命令だ。あの岩に火を吹け!」
ゴウッ!
俺の簡易火炎放射器とは比べ物にならない火力で、ドラゴンは火を噴いた。
やばい。
これ、強い。
俺の能力はスマホの電源を入れることじゃなく、写した敵を操る事だった。
「す、すごいです、これで、ここから出られますね……」
「ああ、他の道を探すにしても、こいつがいれば負けないだろ」
頷く俺に、迷いはない。
俺達は、ドラゴンを従えて、一気にダンジョン攻略に乗り出した。
◇◇
「やっと、出口ね」
流山がほっと息をつく。
ドラゴンを操る事数時間。
様々な敵が沸いたものの、ドラゴン無双で楽勝、俺のレベルも駄々上がりである。
「あ、あけます、よぉ……」
扉を前に、村西がぐぐっと気合を入れる。
そんなに気合を入れなくても、ダンジョンに侵食されていない綺麗なドアはサクッと開くと思うけれどね。
ドアの隙間から、光が零れる。
歓声を上げて、村西が一気にドアを開いた。
ドアの向こうに広がるのは、俺達の事務所だ。
「どういうこと?」
「まぁ、理屈なんて考えてもわかりっこないですよ」
俺は、後ろを振り返る。
ドラゴンが俺を見下ろしている。
「お前とも、お別れだな。強引に使わせてもらったけど、感謝してるよ」
御礼をして、俺はドラゴンの頭を撫でる。
意外なことに、ドラゴンは満更でも無さそうに鋭い瞳を和らげた。
「じゃあ、またな」
村西と流山を先に戻らせて、俺はドラゴンに手を振る。
そして、事務所に入ると俺はドアを閉めた。
「お、二人とも元の服装に戻ってますね」
村西も流山も、何の変哲もないスーツ姿に戻ってしまった。
羽もなければ長い耳もない。
実に残念だ。
「ゆめ、だったんでしょうか……」
「多々見くんを見る限り、現実よね」
首を傾げる村西に、流山が苦笑する。
俺だけコスプレになっていなかったせいか、コートもスーツも何もかもぼろぼろに薄汚れている。
あぁ、これ、買い直しだな。
「あぁ、もう朝だわ。これから帰宅して、戻ってこれるかしら」
「タクシー代ぐらい奢りますよ」
「馬鹿いわないで。上司はわたしよ」
「男に奢らせてくださいよ」
俺と流山は一歩も譲らない。
クールな流山の視線が挑戦的だ。
軽い緊迫感をブチ破ったのは村西だ。
「あ、あのっ。そうしたら、割り勘がいいと思います……」
「そうね。そうしましょうか」
流山が肩をすくめて、パソコンを開く。
「帰らないのですか……?」
「添付書類、忘れているでしょう」
「あっ……」
村西、忘れてたのか。
命と天秤にかけるぐらい納期を気にしてたのに。
まぁ、ほっとすると忘れるよな、いろいろと。
「これでよし、と」
メールを送り、タクシーを呼ぶ流山。
俺もスマホを取り出して……固まった。
「多々見さん、どうか、しましたか……?」
固まってる俺に、村西がひょいっとスマホを覗き込んだ。
「わっ、ドラゴンさん、まだいますね!」
村西の言う通り、ドラゴンが俺のスマホの中にまだいる。
しかも、なんかくつろいでるし。
「まぁ、いいんじゃないかしら。スマホの中にいる分には安全でしょ」
「確かに害はないですね」
いや、俺、頷いてていいのか?
これどうするよ。
あのダンジョンから出たら、自動的に消えると思ってた。
流山のスマホが鳴る。
タクシーが来たようだ。
俺は事務所のドアを見つめる。
……まさか、このドアまだ繋がったまま、とか?
嫌な予感を押し殺し、俺は事務所のドアを開く。
そこに広がるのは、毎日見慣れたコンクリートの通路だった。
土壁じゃない。
ほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫みたいね。行きましょう」
促されて、俺と村西は流山のあとに続く。
そうだよな。
あんな風に事務所がダンジョンに飲み込まれるなんてまずないよな。
「……格好良かったわよ。多々見くん」
「え?」
いま、流山がなんか言ったか?
「なんでもないわ」
パサりと髪を手で払い、流山がタクシーに乗り込む。
その隣に村西がいそいそと乗り込む。
……まぁ、いっか。
俺は軽く頬が赤らむのを感じながら、助手席に乗り込んだ。