第8話 家へ

文字数 1,754文字

 大当たり。
 時計は公園にあった。午後1時半。あと30分、時間を潰してから行かないと。と言って、持ち金があるわけではないから、ここにいるしかなさそう。ブランコに腰を下ろして、懐かしさを感じた。私もよく乗って遊んでいたけれど、ちょうど10年前に撤去されてしまったものだったから。思いっきり漕いで遊んでいた子が手を放して落ちて腕を骨折して、保護者が公園管理局に怒鳴り込んだのが原因と聞いている。だけど、そんな状況で手を放したら落ちて怪我することわかりきっているのに、自分の子どものアホさ加減は棚に上げておいて責任問題云々するなんて、親もたいがいアホよねえ。
 そんなことを考えながら、きぃ、きぃ、とブランコを漕いでいると、

 「えっ? 大人もブランコに乗るの?」

 すぐそばで、びっくりしたような子どもの声がした。見ると、7、8歳の子が、こちらを目を丸くして見つめている。

 「えっ? 乗っちゃダメかな?」
 「いや、ダメ、じゃないけど…。でも、初めて見たからさあ」
 「そっか。ねえ、君、学校は? 今日って、お休みの日? 今日って、何曜日?」
 「いや、休みじゃないけど。でも、まあ、そんなときもあるでしょ。てか、曜日がわからないって、だいじょうぶかよ?」
 「いや、まあ、そんなときもあるのよ」

 苦しい言い訳に、少年はわかったようなわからないような顔で、ふぅん、と言い、今日は5月20日、火曜日、と答えて走り去った。火曜日って、めっちゃ平日じゃんと思ったけれど、考えてみれば自分だってあの年ごろには似たようなことしていた。

 「そんなときもあるか」
 独り呟きながら立ち上がり、家に向かって歩き出した。

 歩いていると、毎正時に鳴る時計の音が響いた。2時ちょうどね、いい感じ。この鐘も、いつの間にか鳴らなくなった。うるさいって苦情が来たって。アホか。
 そんなことを考えながら歩くうちに、家が見えてきた。ここから見る限り、今と変わらない感じ。さらに近づいてみると、庭と道を隔てる塀は低くて、容易に庭を覗き込める造りになっていることがわかった。なるほど、だから通る人は庭を見て母に話しかけたりして、そんな人を母はお茶に誘ったりしたわけだ。今は、つまり、私が元いた世界では、塀が倍くらい高くて、覗き込むことはできなくなっている。いつからそうなのかは記憶にないけれど、でも物心ついたときにはそうなっていたはず。祖母が母の思い出話を語るのを聞いたときに、あんなに塀が高いのに、どうやって? と思ったんだった。

 「あ、いない…」

 息苦しいほどドキドキしながら庭の前まで来たのに、そこには誰もいなかった。まだ早かった? それとも、今日は庭に出ない日? いや、でも、日記では確かに…。そこまで考えて、いや、私がここにいることで、何かが変わった可能性も? と思い至った。あり得る!! その可能性をまるで考えていなかった自分に、ああ、アホだわ、という呟きが漏れた。
 もしもこんな調子でずっと会えなかったとしたら、私はこのまま、何も成し遂げられず元の世界に帰ることになる。母と会うなんて、まして話をするなんて、本来は起こり得ることではなく今まで考えたこともなかったけれど、でも、一度会えるかもと期待した後でその機会が得られないのは、とても耐え難いことに思われた。
 どうしよう、もう一回りして、また戻ってみる? 泣きたい気持ちになって庭を再び見たとき、キッチンにつながる家の裏手の扉が開いて、誰かが庭に降りてきた。白いロングワンピースにエプロン、長い髪を緩く束ねた若い女性、手には小さな籠を持っている。
 鼓動がドキン! と大きく鳴る。あれ、もしかして、あれが…?

 「あ…」

 誰か現れたらとりあえず声をかけようと思っていたけれど、いざ現れたら、それもどうやらお母さんらしいと思ったら、途端に喉がからから、舌が凍り付いたようになって,声が出せなかった。足も、地面に張り付いたようで、膝が震えている。動かなくちゃ、自然に笑って、声を描けなくちゃ、突っ立ったまま凝視する女なんて単なる不審者じゃないか。そう思うのに体が動かない。焦っていると、

 「あら?」
 彼女がこちらに気が付いてそう言った。
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