第1話

文字数 1,988文字

 澄んだ青空に舞い踊るは、竜の群れ。
それは竜を長年研究してきたラルフにとって、夢の光景だった。

「夢ならどうか、()めないでおくれ」

 ラルフは夢中で走り、空の竜のたちを追った。竜たちはラルフの存在を知っているかのように、天空で止まり、堂々たる姿を見せつける。

「ああ、なんと美しい。これが竜か」

 ラルフは必死に手を伸ばした。届くはずもない空に、懸命に。

夢はそこまでだった。ラルフがまどろみから目覚めたのだ。

「やはり、夢か」

 夢とわかっていた。それでも夢の中にいたかった。竜たちと共にいられるのなら、たとえ喰われても本望だ。ラルフはそれほどに、竜に恋い焦がれていた。

「うう、体が痛い。歳をとると、こうも体の節々が痛くなるものなのか」

 ラルフは世に名高い魔法士であり、高名な学者だった。専門は竜学。
 かつて存在していたといわれる竜を研究する学問である。しかし、名を()せたのは昔のこと。老いた今となっては遠い世界の話に思える。

「結局、竜の姿を見ることは叶わなかったな」

 竜ははるか昔に滅亡したといわれている。化石となった骨は見つかるので、
存在していたのは間違いと思われるが、生きた姿を見たものは誰もいない。

 ラルフは竜を復活させようと努力してきた。どれだけ研究を重ねても、魔法で作り出そうとしても、無理だった。竜の姿を保つことができないのである。

「夢に出てきた竜たちを、表現することができたら」

 机の上に無造作(むぞうさ)に置かれた紙を掴むと、ゆっくりと折り始めた。それはリハビリに良いといわれた紙人形作りである。ラルフは人形でなく、竜を折ろうとしていた。それもまた簡単なことではなかった。まして老いたラルフには、指の動きもままならず、一向に形にならない。

「はぁ、はぁ、ふぅ、ふぅ」

 息を乱しながら、必死に折っていく。

「で、できた」

 よれよれではあったが、なんとか竜の形になった。

「一匹ではかわいそうだな。仲間を作ってやらねば」

 ラルフは疲れをふり切るように、また折り始めた。体はとうに悲鳴をあげていたが、竜を折ることをやめられない。

「さぁ、できたぞ」

 それは紙の竜の群れであった。

「夢の竜の美しさには遠く及ばないな。だが数だけは同じぐらいできた。さて」

 ラルフはゆっくりと立ち上がった。

「おおっと」

 体がふらつく。このところ食事をまともに食べていない。何を食べても美味くないのだ。

「まさに紙を食べているかのようだな」

 誰に問われたわけでもないのに、ひとり呟いた。
 机の引き出しを開けると、愛用のペンケースを取り出した。

「さぁ、紙の竜たちに目を入れてやらねば」

 それはラルフが若い頃に愛用していた魔法のペンである。そのペンで、いくつもの呪文を創り出したり、紙製の従者を作って従わせてきた。

「目を入れてやれば、おまえたちは生きることができるのだそ」

 それは魔法によって作り出される、かりそめの命。よくわかっていた。老いたラルフにとっては、自らの命を注ぎ込む行為であることも。

「ふぅ、はぁ、うぅ、うぅ」

 もはや動物のような声をあげながら、ラルフは紙の竜たちに、ペンで目を入れていく。

「さぁ、完成だ」

 目を入れられた竜たちは、その時を待っていたかのように、部屋の中で飛び始めた。
 舞い踊るは、紙の竜の群れ。小さいものの、ラルフが夢で見た光景だった。

「ああ、なんと美しい」

 紙の竜たちは、ラルフに感謝するかのように、彼を中心に踊り始める。

「そうか、そうか。嬉しいか。わしも嬉しいぞ」

 静かに微笑んだ瞬間、ラルフの胸に矢が刺さったようた痛みが走った。終わりの時が近づいている。胸の痛みに耐えながら、ラルフは紙の竜たちに、最初で最後の命令を告げた。

「竜たちよ、わしを天空に連れていってくれ」

 命令を受け入れた紙の竜たちは、ラルフの体を持ち上げ、窓から天空へと躍り出た。空の風が優しい。ラルフを歓迎してくれているようだった。住み慣れた町が小さくなり、遠く思えていた山々が見える。

 紙の竜たちはラルフを支えながら、空を舞う。一時の命を喜んでいるようだった。

「ああ、わしは竜と共に踊っている」

 ラルフは満足だった。もう何も思い残すことはない……。
 空に溶け込むように、ゆっくりと眠りについた。もう2度と目覚めることのない、永遠の眠りに。
 ラルフの生涯は竜と共にあり、竜と共に終えた。彼らしい最後であった。

 紙の竜たちはラルフの命が尽えたことを悟ると、守るように寄り添った。
そして、太陽に向かって進んでいった。紙の竜たちの体が、陽の光りで少しずつ燃えていく。自らの体が燃え始めても、竜たちは亡骸(なきがら)の側を離れなかった。
 ラルフの体も火で包まれていく。紅く燃える太陽のように光り輝くと、陽の光りの中に消えていった。

 ラルフと紙の竜たちは、何処にいってしまったのか。
 それは天の竜だけが知っている──。


            了



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み