13、

文字数 6,625文字

 アーレインは幼い頃に二度、父にともなわれて首都イリューシオンを訪れたことがある。いずれも十二祝いより前のことだから、記憶に朧げな部分は多いが、それでもありとあらゆるものがきらきらと輝いて見えた印象は残っている。
 今回もまた、太い鎖で吊られた門をくぐりぬけた途端に広がった鮮やかな色彩とはなやいだ空気に彼女は一瞬息を止め、目を見張った。
 黄色と赤のレンガの家々、看板代わりに色とりどりの酒瓶をぶら下げた酒場、孔雀色の織物を惜しげもなく軒先にめぐらせた織物店。小路には露店やテントがひしめき合い、行き交う人を呼びとめる売り子の威勢のいい声に、歩きながらリュートを奏でる詩人の異国風の歌がまじりあう。
「ヒュルストー、あとで市をぶらついてきてもいい?」
 車窓から顔を出したアーレインの長い前髪を、舶来のスパイス香る風が吹き上げる。
 ――これは赤コショウと、八角星のにおい。
 自分の店の在庫が頭の中にずらりと並び、あれもこれも買い込みたい欲求がむくむくとふくらんでいく。
 ライナスは渋い顔をした。
「宿に落ち着いたら話したいことがたくさんあると言ったろう」
「舞踏会は三日もあとでしょう? 着いたばかりの今日ぐらい、いいじゃないの」
「しかしやることはたくさんある。時間がもったいない」
「ヒュルストー様は頭が固すぎるのよ」
 リンコレッタが、華奢な指を胸の前でうっとりと組んだ。
「わたくしだって、流行の靴がほしいわ。それに夜会でもはずかしくない髪飾りも。持っているのはなんだかぜんぶ子どもっぽいんだもの。せっかくイリューシオンまで来たのにお買い物ができないだなんて、そちらのほうがうんともったいなくてよ。それに、わたくしと違って、アーレインはもとがヘーデンの田舎娘なのだし、都の全部がめずらしくって仕方がないのでしょう」
 加勢してくれたものと思ったのに、リンコレッタはいつも一言多いのだ。
「あんただってヘーデン育ちじゃないの」
「育ったのはヘーデンの“城館”よ。わたくしは伯爵家の娘だわ」
「たしかにお嬢さんだけれど、田舎と名高いヘーデン辺境領育ちであることには変わりないでしょう?」
「あなたと一緒にしないでちょうだい!」
二人がさらに言いつのろうと同時に息を吸いこんだところで、御者が宿に到着したと告げた。
一行が舞踏会の期間中に滞在するのは貴族街の外れに建つ高級宿で、彼らのほかにも何組もの地方貴族の姿があった。
 紅大理石の石畳が門から正面玄関まで伸びており、神々や精霊をかたどった精巧な彫像が人目を引く。
「期待してたくらいには素敵なところね!」
 リンコレッタが弾むように歩くと、旅装とはいえ品よく愛らしく仕立てられたドレスの裾が花のように揺れた。地方貴族の若者たちはリンコレッタに引きつけられ、こちらを見ている。しかしそばのアーレインに気がつくと、ぎょっと動きを止め、すぐに何やらささやきかわすのだった。
 装飾のない厚織りの上衣に革のレギンス、膝丈まである頑丈なブーツ。貴族の若者からすれば、リンコレッタと年の変わらない少女が庭師のような身なりで一行にまじっているのは奇異でしかないのだと、物問いたげな視線をいくつも浴びて、アーレインもやっと思い至った。身近な貴族の若者――ライナスもアイルも、出立にあたってアーレインの身なりをとやかく言うことも気にすることもなかったので、かまわないのだと思っていた。一行のだれもが、なるほど辺境領の田舎育ちなのかもしれなかった。
 ――お貴族様御用達の宿でこの格好をしていると、むしろ目立つみたいね。
 宿の使用人たちにもじろじろ見られてしまう始末なので、アーレインは観念して着がえることにした。
 アーレインはリンコレッタの従者として舞踏会に参加する手はずになっているので、その役柄にふさわしい衣装は用意されている。
 舞踏会当日まで手をつけるつもりはなかったが、バートラムに持たされた衣装行李を開けて、街着になりそうなものを見つくろった。深緑色のドレスはボタンが多すぎることが難点だったが、バートラムの見立てはたしかで、緑褐色の瞳とも相性がよく、アーレインは気に入った。
「リンコレッタ、市に行かない?」
 誘ったものの、リンコレッタは散歩どころではないらしかった。姿見を三つも並べて、舞踏会用の衣装を身に着け、大いに唸っている。それを、薄紅と水色のドレスを両腕にかかえたアイルが、ほとほと疲れた様子でながめていた。
「……どうしたの?」
 アイルは力なく笑った。
「新しい靴を買うには、当日着る衣装を着てからでないとどんなものが合うかわからないから、って」
「仕立てるときに見てるんだから、着なくたってわかるでしょう?」
「首都で着ると、また違うんだって」
「違わないでしょう」
「僕もそう思うんだけど……」
「アーレイン、どれが似合うと思うって?」
 アーレインに気づいたリンコレッタは、くるりと優雅に回ってみせた。
「シュトロムの仕立て屋に作らせてよかったわ。噂通りのできばえでなくって? 三着あるけれど、どれを本番のレセプションで着るのがいいかしら?」
「どれだってたいして変わらないと思うよ」
正直に答えたアイルは、思いきり足を踏みつけられた。
「ヒュルストー様は到着してこのかた怖いお顔だし、アイルはこんな調子だし……全然決まらないの。ねえ、どれが特別な日のわたくしに一等ふさわしいかしら?」
「……私の意見に文句つけたりしない?」
「しないわ。有益な意見は大歓迎だもの」
――どうだか。
 リンコレッタの期待のまなざしに折れて、アーレインはアイルの腕にかかっている一着を指さした。
「私はこの薄青が一番好き。何より、重なった青の染め色がなかなかなくて、大人っぽくていいと思う。でもリンコレッタは華奢だから、ふわふわした豪華なドレスのほうが似合うかもしれない」
「これ?」
 淡い曙色のバラのようなドレススカートをつまんで首をかしげる彼女に、うなずき返した。
「幼すぎやしないかしら」
「髪をきちんと結い上げれば大丈夫」
「その色だと、せっかくの金の髪が映えないんじゃないかな」
 横からアイルが口をはさむと、リンコレッタはそっぽを向いた。
「どれでもおんなじだって言ったのはアイル、あなたじゃなくって?」
「たいして変わらないとは言ったけど、おんなじだなんて一言も言ってないよ」
 彼は薄紅の夜会服を突き出して反論した。
「アルソレイムの舞踏会だからって、大人っぽいのや豪華なのを着ていこうとするのが間違いなんだよ。リンコレッタはその金髪と青い目だけで目立つんだから、ドレスはひかえめなくらいがましになるよ」
「ましとは何よ、ましとは!」
「だって、そうじゃないか」
 アーレインは言い合う二人をそのままに、そっと部屋の扉を閉じた。
 ――一人で出かけよう。
 玄関ホールを横切ろうとして年配の女中に呼びとめられ、「供を一人もつけずに婦人が外出するなどあ危のうございます」と心配されたが、アーレインは外で連れが待っていると嘘をつき、そそくさと宿を出た。
 供がいなければ出歩けない貴婦人たちを心底気の毒だと思いながら、一人目抜き通りを闊歩する。西の空がほんのりと朱を帯びはじめただけで、貴族を相手にする高級店の軒先には装飾ランプの灯かりがともりはじめた。
 露店ひしめく小路に足を踏み入れると、香辛料と香を焚くにおいが混じり合い、しばし異界のような底知れなさを味わう。細かい色石を連ねた首飾りや耳飾り、切子ガラスの花瓶、南方の香水瓶。地面に直接敷かれたカーペットの上に陳列された商品を見ようと、裾に気をつけてかがみこむ。
 あちこちをのぞいているうちに小腹が空いてきたので、何かを買って食べ歩こうと決めた。串に刺したソーセージの香ばしい香りが鼻をくすぐる。焼き立てのビスケットサンドやクルミのヌガーの屋台を見つけるたびに、胃が小さく鳴く。
 たまらなくなってドレスの隠しから財布を取り出そうとしたとき、アーレインの耳に甲高い悲鳴が届いた。続いて、男の罵声と金属音。
「また出たのかい」
「例の薬師(くすし)狩りだろう?」
「そんなにまでなさって、お妃様のご病気はどんなにお悪いのかねえ……」
 またしても悲鳴が聞こえた。動きたくとも人ごみで、アーレインは近くにいた自分と同じ年ごろの売り子にたずねた。
「何が起こったの?」
「あんた知らないの? お妃様のご病気がね、ここのところますます悪くおなりになったって噂よ。お城の兵士たちは、ほうぼうを走りまわって特効薬を探しているの。かたっぱしから薬師(くすし)をつかまえて、手持ちの薬を全部差し出させるの。イリューシオン中の魔術師や導師様が召集されたこともあったんだけど、まったく成果があがらなかったらしいわ。だから今度は、手当たり次第にありとあらゆる薬を集めて試しているのよ。導師様ですら無理だったことが、一介の薬師にできるはずなんかないのにね」
「お妃はどんなご病気なの?」
「あんたって、なんにも知らないのね。いい服着てるのに、田舎から出てきたの?」
 そう言えばちょっと北方なまりがあるかしらと言う娘に、
「今日、イリューシオンに着いたばかりなの」
「じゃあ、知らなくてもしょうがないわよね。なんといっても秘密の事柄なんだもの」
公然の秘密だけどねと娘は声を低めて、
「――あのね、お妃様は、目覚めなくなってしまうご病気なの」
「目覚めない?」
「そう。もう長いこと、こんこんと眠り続けていらっしゃるらしいの。ご病気というよりも呪いじゃないかって、そんな説も出てきてるわ。だって、全然お治りにならないんだもの」
「呪いって……お妃は、うらまれて呪いをかけられる覚えでもあるの?」
「シェルパーダ公よ」
 娘はささやいた。
「知ってる? 十五年前、斬首刑になった公爵様がいるんでしょう? でも実はそれが冤罪で、皇王様はうらみをかって大事なお妃様が呪われたんじゃないかって。一部ではまことしやかに言われてるのよ」
「十五年前のうらみと呪いだなんて、ずいぶん気が長いというか、息が長いというか」
アーレインは言いながら、まさにそれをやってのけようとしている人物を身近に思い出し、凍りついた。彼女はその人物にともなわれて、イリューシオンに来ているのだ。
「あっ、今見えたわ。あそこよ!」
 娘が示したほうを背伸びして見やると、半円に取り囲んでいる鎧姿の城兵がひとり、ふたり……四人。囲みの中心にいるのは女性なのか老人なのか、小柄であるらしく姿はうかがえない。
「ああやって追いつめて、薬を全部奪いとるんだわ」
 娘はいらだたしげに鼻を鳴らした。
「うちのばあちゃんなんかね、薬師でもなんでもないのにつかまえられたのよ。苦粉とタマネギと小麦粉をこねて団子にして売っていたら兵士がきて、その薬をよこせって横柄に言ったんだって。その団子、薬っていうのは本当よ。だけど殺鼠剤だわ。そんなものをお妃様がめしあがったら自分たちの首が飛ぶのに、どんな薬かも見極められないで、よくも城兵がつとまるわよね!」
 突然、城兵の頭よりも高い位地に何か黒いものが飛び出した。ゴムまりが弾んだようにも見えたが、それには翼が生えていた。驚いた兵士が後ずさりわずかにか囲みが緩んで、アーレインは中央の人物を見ることができた。
 ――子どもじゃないの! 
「だから言ってるじゃないか。僕は、まじない師でもなんでもないって」
 声変わり前の高い声で、彼は叫んだ。
「何も君がまじない師だとは思ってないよ。どこかに師匠がいるんだろう?」
「首都の大人っていうのは、こんなに礼儀知らずで聞き分けがないのが普通なの?」
「カラスや黒猫を飼っているのは魔術師のたぐいだと、相場が決まっているのだよ」
降りてきたカラスを腕に止まらせながら少年は、
「魔術師でなくたって、黒猫を飼っている人はいくらでもいるよ」
「だが、カラスはそうもいくまい」
「カラスと一緒にいてはいけないっていう法律、僕は聞いたことないんだけど」
「君の師匠か親御さんがまじない師なんだろう? それともばあさまかい?」
少年は強くかぶりを振った。するとしびれをきらした城兵のひとりが剣の柄に手をかけて、年かさの城兵に止められていた。
「……坊や、本当のことを言っておくれ。坊やが教えてくれた魔術師やまじない師が、もしかしたらお妃様のご病気を治してくださるかもしれんのだ」
「僕にできないことを言われても困るよ」
少年は憤然として、城兵たちを見返していた。
「はやくどいてよ。僕にだって、都合があるんだ」
 鞘走りの音が聞こえて、アーレインは反射的にまじないをつむいだ。途端、カラスのわめくような鳴き声が消え、代わりに大気を震わせ咆哮が響いた。
「竜……!」
 カラスが一瞬にして、路地いっぱいに腹を押しつけて身をよじる竜に姿を変えたのだ。
 城兵たちは肝をつぶし、もちろん野次馬の人だかりも驚きと恐怖でクモの子を散らすように逃げ出した。剣を抜いた城兵はすっかり錯乱して、わけのわからないことをわめきながら、ほかの兵士たちに引きずられていく。逃げる人の波にまぎれて見えなくなる寸前に、その城兵と目があった気がした。
 アーレインは囲みの中心にいた少年に駆け寄った。
「おせっかいだった?」
 クロナガヘビの毒から救ったもののライナスには邪険にされた彼女だが、少年は素直に礼をのべた。
「ううん、助かったよ。ありがとう」
「……竜、怖くなかったの?」
 とっさのことで、加減をしていなかった。脅かすだけの幻術ならばいくらでもあったはずなのに、カラスをとんでもなく凶悪そうな竜にしてしまったのだ。しかし不思議なことに、野次馬も城兵も逃げ去ったにもかかわらず、少年は平然として見えた。
「うん、平気。いろいろ見慣れてるから――」
 言いかけた少年の目が見開かれた。
 その瞳が映しているのは自分ではなくて自分の背後だ。アーレインが振り返るのと、銀の刃が間近で振りかぶられたのと同時だった。
切っ先がすくんで動けない彼女目がけて振り下ろされたとき、別の銀閃がアルソレイムの紋入りの剣を弾き飛ばした。城兵の手から吹っ飛んだ剣は宙で回転し、無人となった屋台に墜落した。
 泡を吐き散らし、なおも掴みかかろうとする城兵が、柄で打たれてくずおれた。
「馬鹿者が。こんなところで何をしている」
 長身の青年がアーレインを見下ろしていた。束ねられた麦藁色の髪が西日に輝く。鋭く細められた琥珀の双眸は、怒りの色をたたえていた。
「ライナス」
 ヒュルストーと呼ばなければならないことも忘れて、彼女は呆然と彼を見上げた。
「どうしてこんなところにいるの」
「それはこっちの台詞だ。俺が来なかったら、斬り殺されていたぞ」
 彼の憎まれ口を聞き、ようやく現実感が戻ってきた。
「そうね。でも、助けてくれって頼んだ覚えはないわ」
 ライナスが苦々しく顔をゆがめたので、アーレインは表情をゆるめた。もともと本気で言ったのではなかったのだ。
「冗談よ。助けてくれてありがとう」
 ライナスの足元を見ると、同僚に引きずられていったはずの城兵が、口まわりを泡と血で汚し、手足を痙攣させていた。
「まだ死んではいない。顔を見られなかったから、殺す必要もないと思ってな」
「……案外、優しいこともするのね」
「城兵としての復帰は無理だろう。誇りのためなら殺していたほうが優しかったもしれないぞ」
「違うの。私をわざわざ探し出して助けに来てくれたなんて優しい、ってこと」
 痙攣する城兵を診ようと手を伸ばしかけたのを、ライナスに止められた。
「よせ。そのうちにこいつの同僚が来るだろう。鉢合わせて面倒にならないうちに戻るぞ」
「けど、このままじゃ危険――」
「俺とおまえの命だって危険にさらされる! 噂を聞かなかったのか。今の城下は狂っている」
 無理やり腕をつかまれ、歩き出そうとしたそのとき。
「姉さん?」
 小さくつぶやく声が聞こえた気がして、アーレインは振り向いた。しかしすでに、少年とカラスの姿は消えていた。
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